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挿絵(By みてみん)


11.


突然に決めた俺のニューヨーク留学の所為で、俺は勿論の事、俺の周りも出発までの間、慌ただしさに急かされていた。

由ノ伯母などは、初めての一人暮らしに不自由のないようにと、どうでもいいものまでこだわって揃え、あれやこれやと俺の為に準備をしてくれる。

誠一郎の結婚の支度もあるから、こちらは適当でいいと言っても、伯母は「誠ちゃんの方は大丈夫なのよ。律子さんの御実家がなにもかも用意されるから、こちらは何もすることがないの。だから宗ちゃんの用意ぐらいは充分にさせて欲しいの…。駄目?」

「いいえ、ありがたいですよ。よろしく頼みます、お母さん」

「うふふ、宗ちゃんからお母さんって言われると…なんだか恥ずかしいわぁ~」

「…」


由ノ伯母は何時の時でも、少しも変わらない。それがどれだけ俺を幸福にしてくれただろう。

離れてしまえば、こんな良い母とも簡単に会えなくなるんだなあ~。

そう思うだけで、まだ旅立ってもいないのに、なんとなく寂しくなるものだから、「俺って案外女々しいのかなあ~」と母に言うと、「あんたよりも私や由ノちゃんの方が、どれだけ寂しいか…。子供が家から旅立つってことは、嬉しいけれど、そりゃもう、言葉に言い尽くせないくらい寂しいものなのよ。でも子供の旅立ちを祝わない家族はいないわ。行ってらっしゃい、宗二朗。より良い未来を選ぶ力を、ちゃんと養ってきて頂戴。それがあなたを産んだ母の願いよ」

「うん、ありがとう、母さん。期待以上の息子になって帰ってきてやるから、楽しみにしてな」

「ええ、そうするわ。それと…ねえ、宗二朗…誠ちゃんとはあれからなにか話した?」

「え?…うん、まあ…お互い子供じゃないからね。…来春の結婚式には出れないけど、ちゃんとお祝いのプレゼントぐらいは送るってやるさ」

「そう…。誠ちゃん、無理してなきゃいいけど。今度の結婚だって…兄たちの為に精一杯気を張っているけど、ちっとも嬉しそうには見えないし…でも、私は部外者だから、あんたもそうだけど…三人が決めたことに口を挟めないでしょ?」

「…」


そんなの…今更、俺に言うなよ…って感じだよ。


誠一郎の結婚の相手の律子って女だって、写真をちらと見ただけで、どんな奴か知らねえし…第一知る気もねえし。

それに、俺と誠一郎が愛し合っているからって、それを家族が知ったところで、そんなの誰の得にもなりゃしねえんだし…



誠一郎は夏休みが終わると同時に京都の大学院へ帰ってしまい、三月の結婚式まではそのまま院で研究を続けるらしい。

誠一郎とは階段でのやり取り以来、言葉を交わしてはいない。

あの告白は俺への執着した想いであり、あいつなりの俺との決別のケジメでもあったのかもしれない。

俺だっておんなじだ。

無理にでも自分を納得させなきゃ、相手を恨むぐらい嫌いにならなきゃ、この恋を諦めるなんて、出来ない。



晴れ渡った十月の秋空の吉日、俺は家族に見送られ、無事ニューヨークへ旅立った。

俺自身は雲一つない秋空のような晴れ晴れとした気持ちには到底なれない。

新しい生活への不安や心配などは一切ない。

見知らぬ世界へ飛び立てる好奇心は、舞い上がる一方だ。

だが、誠一郎を想うと、心が疼く。


俺と母が嶌谷家の門をくぐったあの時から、俺はずっと誠一郎が好きだった。俺だけのものにしたいと願い、そしてそれが当然にように思っていた。

お互いが成長し、結婚したとしても、俺たちの絆、愛情に傷がつくわけもなく、妻や子供が居ても、どちらかが死ぬまで愛し続けることができる…そう、信じていた。

なのに、現実は俺の思い描くようなものじゃなかった。

そんなに簡単に割り切れるものじゃなかったんだ。

俺の誠一郎が、誰か別の奴のものになる。

今は愛していなくても、時が経てば結婚相手と情が通うかもしれない。

子供もできるかもしれない。

そしたら、俺を想う気持ちも薄れてしまう…

それが本来の男の生き方だと頭でわかっていても、直視できないなんて…俺が子供だからかな…。


今は、誠一郎の良き未来を願うしかない。

それが建前であっても、俺はそう祈るべきなんだ。


嶌谷誠一郎は俺の家族であり、兄なんだから…。



ニューアーク・リバティ国際空港に到着したのは、夕方だった。

空港には晟太郎伯父から頼んでもらった俺の保証人になる「鳴海譲」氏が、迎えてくれた。

鳴海さんは、晟太郎伯父の古い友人で、鎌倉のミッション系の私立高校の校長なのだが、宣教師としても活動され、今はニューヨークの大学の講師を兼任しつつ、ボランティアで日本の古武道も教えているらしい。

晟太郎伯父の友人とは言っても、鳴海さんとは初対面で、写真も見せてもらっていなかったから、少し心配だったけれど、幸い向こうの方で俺を見つけてくれた。

雰囲気ですぐに俺だと判ったと言う。

理由と聞くと、「嶌谷くんの若い頃に似ていたからね」と、綺麗な笑顔を見せた。


「鳴海譲」は俺が初めてみるタイプの人だった。

晟太郎伯父と友人と言うから、似たような中年男性かと思えば、晟太郎伯父をもっとジェントルにした上品な物腰で、教育者というよりもこだわりのあるアーティスト、それでいて誰にでもオープンな雰囲気を持っている紳士だった。

まだ年若の俺に対しても、一人前に尊重してくれ、決して命令形は使わない。

俺はすぐに彼を全面的に信頼し、鳴海さんを「先生」を呼び、新しい生活をより良いものにする為に、彼の薦めに従った。


鳴海さんが案内したのは、ニューヨーク大学に近い留学生の多い学生寮だった。

寮と言っても炊事から家事一切は自分でやらなきゃならないし、週一回寮の全員参加のパーティやボランティアなど、勉強だけじゃなく、色々な決まり事も多い。

語学に難のある俺にとっては、相当な覚悟も努力も必要だったけれど、誠一郎への想いに浸る時間もない忙しさは、逆に救いとなった。


たまの休日には鳴海さんが、ドライブへ誘ってくれる。

日本では決して見る事の出来ない大陸の雄大な自然に圧倒されると、逆に自分の存在の儚さや尊さに胸を打つ。

ああ、誠一郎にも見せてやりたい。

このどこまでも青々と続く草原にふたり並んで、雄々しく連なる山脈を望みたい…

俺はおまえへの想いを、この空に向かって誰にも何もかまうことなく、思い切り叫ぶだけなんだ。

「おまえだけを愛し続けるから」って。


俺の想いは俺だけのものであり、現実には誠一郎は無事結婚式をあげ、平穏な新婚生活を営んでいると言う。

由ノ伯母から式の写真を同封した手紙が届いた。

新郎新婦が並んだ写真には幸せそうに微笑む誠一郎が映っていた。

「なんだ、こんな顔もできるんじゃないか…」

俺は少し妬きながら、その写真を誠一郎と新婦を割くようにハサミで真っ二つに切った。

残った写真を見ているうちにタキシード姿の誠一郎が気に入らず、今度は首元まで切り話してしまった。

「…これじゃ証明写真じゃねえかよ」

自分の嫉妬がまるで女学生のようだと呆れ果て、顔だけなってしまったその写真をゴミ箱に捨てた。


三か月後の由ノ伯母からの手紙は、誠一郎夫婦に子供ができたという内容だった。

由ノ伯母の手紙は、俺には残酷で無神経なものではあったけれど、逆にそれは家族である俺に対する労わりの心じゃないかと感じている。

何も知らないでいるよりも、何もかも包み隠さずに話してくれるのは由ノ伯母なりの、俺の誠一郎への想いをきっちり整理しろ、と、諭されているみたいな気がしてならない。

そうだな…。

どの抽斗に片していいのか、まだわからないけれど、大学を卒業して帰国する頃には、きっと…一番の思い出の抽斗にしまえるように…俺も頑張るよ。



ニューヨークで過ごす二年目の秋、俺は無事希望の大学へ進学した。

様々な人々の交流も増え、生活は充実している。

俺の初体験の相手だった亜子と、偶然ニューヨークのジャズクラブで出会った時は驚いた。彼女はプロのサックス奏者としてそのジャズクラブで働いていたんだ。

セフレとしては申し分のない相手だったから、俺と亜子は故郷を離れた寂しさを紛らわすために抱き合う夜も多かった。

亜子のニューヨークでの契約が終わり、欧州のツアーへ出発するまでの日々、俺達は普通の恋人の様に愛し合った。


誠一郎の子供は結婚した翌年の春に生まれた。

勿論由ノ伯母が赤ちゃんの写真を送ってくれた。

不思議な気持ちがした。

あの誠一郎が父親になるなんて…。

無垢な赤子の写真にさすがの俺も、うらめしい感情は沸いてこない。

「これで宗ちゃんも叔父さんね」と、書き綴った由ノ伯母の無邪気な言葉さえも、少しも胸を刺さなかった。


「これでいいんだよな、誠一郎。これで…」

慣れない手つきで赤子を抱いた誠一郎は、少し不安気な顔つきではあったけれど、父親に初めてなるということは、そういう事なのだろう。


だが、頭ではわかっていても、俺はまだ誠一郎への想いを捨てきれずにいた。

赤子を抱いた誠一郎を見て、自分の気持ちが少しも変わらずにいることに、俺はショックを受けていた。

自分のことなのに、こうも思い通りにならないなんて…どうにもこうにも理解不能って奴で、食欲不振と元気のなさに見かねた鳴海さんが、頻繁に食事に誘ってくれる。

それも自分の住む官舎に誘って、日本食を食べさせてくれるから、俺もつい本音を愚痴ってしまう。


「宗二朗君は苦しい恋でもしているのかい?」

「そう見えます?」

「食欲不振、集中散漫、情緒不安定、若者にありがちな恋への渇望だろう?」

「どんなに渇望しても…愛し合っていたとしても、幸せにはなれないって、どういう運命なんでしょうね」

「…」


鳴海さんはだまって、俺の前に煎茶を差し出した。

白い陶磁の湯のみに早緑色が映え、お茶の香りがなんだか気分を和らげてくれる。そして想いに身を焦がす自分がなんだか哀れに見えて仕方なくなった。


「…あさましや こは何事のさまぞとよ…」

あの日から、何度も繰り返した和歌が自然と口に出た。

「『恋せよとても生まれざりけり』…源俊頼の和歌だね」

と、鳴海さんは不思議がりもせずに俺の読んだ後を続けた。


「そうです。昔、この和歌を好きな相手に渡したんです。向こうも同じ和歌を俺にくれた。俺たちは愛し合っていた。だけど、どうしても結婚しなきゃならない事情で、相手は結婚したんです。…諦めなきゃならないってわかっていても、バカみたいにあいつのことが好きで好きで…諦める為にここに来たのに、全然未練たらたらで、あっちはもう子供も出来て、親になっちまっているっていうのに…俺はバカみたいにいつまでたっても、あいつが好きで、好きでおさまんないんです。きっとそのうち俺はあいつを呪い殺すかもしれない。あいつの所為で俺は…」


あいつの所為で?

…なんだ。誠一郎が俺に言った言葉を、俺はあいつに言いたいだけなんじゃないか。

いい加減にしろよ、宗二朗。

誠一郎は、おまえなんか必要じゃなくなってしまったんだよ。

もう、決しておまえの所為だなんて、あいつは言わないさ。

きっと…


「私が見るところ…」と、鳴海さんは空になった俺の湯飲みに新しいお茶を注ぎながら言う。

「…え?」

「宗二朗君は恐ろしい程誠実な恋をしているね。純粋で少しの揺らぎのない真っ直ぐで強い直球ど真ん中の愛だ。相手が怯んで目を瞑ってしまいかねない光のような愛だ。そんな愛を誰が妨げることができますか?…誰にもできませんよ。結婚しても君が愛した人が、君への想いを忘れるとは思えない。永遠の恋は現実的ではないけれど、寿命を遂げるまでの愛は存在するものですよ。結婚よりもずっと深い絆があれば、少しも恐れる必要はありません」

「先生、それ宣教師が言っても良いんでしょうか?神の前で誓った夫婦以上の絆が別に存在しても、神への冒涜にはなりませんか?」

「神の前で誓った夫婦が離婚した確率は、離婚しなかった確立とどれくらいの違いがあると思いますか?夫婦なんてそんなものだと思えば…、まあ、私は独身なので、なんとも言い難いのですが…神の前で嘘をつかなくて済んで良かったと思っていますよ」

「…」

涼しい目で恐ろしいことを言ってのける鳴海さんに、驚いてしまったけれど、感傷に浸っていた俺への精魂込めた励ましであるならば、俺は有難く受け取ってしまおうと、思う。


鳴海さんはきっと…晟太郎伯父が話してくれた、あの和歌の恋文を渡した相手なのだろう。

そして、ふたりの絆は今もずっと続いている。

あるいは晟太郎伯父は由ノ伯母よりもこの鳴海さんを愛しているのかもしれない。

そして、鳴海さんもまた…


愛する気持ちが消えなければ、誠一郎へ恋心も持ち続けても罪にはならない。

鳴海さんの言葉は、俺を勇気づけた。


ならば、俺が死ぬまで誠一郎を見守っていこう。

誠一郎を愛し続けながら、あいつの幸福を祈る努力をしよう。




その年の秋が深まった頃、ニューヨークへ来た八千代から、誠一郎夫婦が離婚をするらしいとの話を聞かされた。

さすがに俺も、突然の成り行きに言葉に詰まり、茫然とするだけだった。



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