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挿絵(By みてみん)


10、


十五日の盂蘭盆には、通年通り、嶌谷家の館へ親戚連中が一同に集まる。

当然、今年は先祖供養そっちのけで、注目のゴシップ記事に舞い上がっている模様。

その中心の誠一郎にハイエナのように群がるおば様集団。

行儀よく正座をし、愛想笑いで適当にあしらう誠一郎の眉間も、さすがにピリピリと引き攣っている気がする。

いつもは裏方に徹している由ノ伯母も、親戚連中が離さず、結婚の事を根掘り葉掘り追及している。

そして、晟太郎伯父は、周りからのお祝いの言葉に始終機嫌がいい。


そりゃそうだろう。ひとり息子が自分の会社に就職し、息子のかわいい嫁さんが家族になるのだから…喜ぶのは当然だ。

俺だって喜んでやらきゃ…って、わかっているんだ。だけど、心はそんなに都合よく合わせられねえし、痛くて堪んねえんだよ。


全くもって、とんでもなくやっかいな恋煩いだった。


身の置き所が無くなった俺は、座敷から席を立ち、台所へ向かった。

割烹着を着た八千代が、まるで由ノ伯母のように家政婦たちと一緒になって、出来上がった料理を皿に注ぎ分けている。

「あ、宗ちゃん。いいところに来たわ。ちょっと手伝ってよ」

「え?俺にできる?」

「できなくてもやるの。由ノ伯母さまがいらっしゃらないものだから、手際が悪くててんてこ舞いなのよ」

「わかりました。なんなりとお申し付け…」

「さっさとエプロン付けて、このお吸い物装よそって!」

「…はい」

エプロンとお玉を渡され、俺は慌てて鍋の前に立ち、今やるべきことに集中した。



「八千代ちゃん、宗ちゃん。おつかれさまでした。ゆっくり休んで頂戴ね」

ひと通りの会食を終え、大方の客人たちも帰り、俺たちはやっと一息つくことが出来た。

由ノ伯母がこしらえてくれた贅沢なちらし寿司を、午後三時過ぎになって八千代とふたりで食べた。

「さすがに疲れたわね~」

「昼飯抜きだったからなあ」

「今年はお客様も多かったわね。誠ちゃんの結婚が決まった所為だろうけどさ。あまり見たこともない遠戚の方もいらっしゃっていたみたいよ。本当にあの人たちって、ああいう下世話な話題が好きだから、今まで以上に誠ちゃんも大変よね」

「…ああ、そうかもね…」

「…」

話しに乗らない俺を察してか、八千代はそれ以上追及しなかった。俺を傷つけまいとする八千代なりの心遣いだったろう。


「まあ、私も一大ニュースがあったんだけど、誠ちゃんの話題で盛り上がってるから、言えずじまいだったのよねえ~」

「一大ニュースって?」

「うん、私、九月の新学期からボストンの高校に留学するのよ」

「え?…留学?」

「そう、自立する女性を目指す大いなる第一歩ってわけよ。来年の三月までの短期留学で、卒業したらうちの付属の大学へ入学することが条件なんだけど、外国で初めての独り暮らしなんて、ちょっぴり冒険でしょ?」

「…」


そうか…その手があったか。

俺の存在が誠一郎の未来を壊すというのなら、俺が誠一郎の目の前から消えてしまえばいいんだ。そうすりゃ、誠一郎の苦しみは解消できるんじゃないのか?

それに、俺だって、このままここに居て、誠一郎の嫁さんと年中顔を突き合わせて暮らすなんて地獄、とてもじゃないがやっていける気がしない。


「それだよ、八千代!留学って、俺もできるのか?」

「はあ?なによ。私のマネでもしようって気なの?」

「そう!海外留学だよ。…なんでもっとこんな良い事考え付かなかったんだろう…。マジでどこかない?どこでもいいからさ」

「どこでもって…。まあ、無いことはないと思うよ。成績にも関係するけど、宗ちゃんはトップクラスだし、嶌谷家の威光をかさに着れば、なんとかなるんじゃない?」

「マジかっ!」

「進路相談担当の富岡先生に聞いてみれば?」

「わかった!」

「ちょ…、今日はお盆でいらっしゃらないかもしれないわよ」

「とにかく電話入れて、先生を捕まえてくる!」


俺は急いでちらし寿司を平らげ、連絡帳で富岡先生へ連絡した。

相手はかなり驚いた様子だったが、俺の剣幕に押されたのか、話を聞いてくれると言う。具体的な話を聞くために、俺は学校へ向かった。



その夜、夕食が終わり、家族揃っての団欒の場で、俺は晟太郎伯父に留学の話を聞いてもらうことにした。当然ながら、母親も由ノ伯母も誠一郎も同席しているから、必然的に俺の話を聞くことになる。


「伯父さん。突然の話だから、きっと驚くだろうけれど…俺、ニューヨークの高校へ留学したいんだ」

「え?ニューヨークって…ユナイテッドステイツオブアメリカのニューヨークの事かい?」

「…そのニューヨークですよ。さっき学校の進路指導室の先生にお願いして詳しい話を聞いてきたんだ。うちの高校の成績優秀な生徒が、一定の条件をクリアできたら、ニューヨーク大学に留学できるそうなんだ。一年間向こうの高校へ通って、良い成績を取って大学に進学するに値する人材であることが条件なんだけどね。で、こちらの用意が出来れば、早ければ十月からニューヨークの高校で勉強ができるんだよ」

「おいおい、なんだか…急な話だね」と、伯父は少し訝しい顔をする。

「八千代ちゃんでしょ?来月からボストンへの留学が決まって、とっても喜んでいたのよね。私も喜ぶ八千代ちゃんを見て、嬉しくなっちゃったわ」と、由ノ伯母が、助け舟を出し、にっこりと俺に微笑んでくれた。

「それで、宗二朗も八千代ちゃんに触発されて留学行きたい~ってなったわけ?…相変わらず勝手気ままな息子ねえ~」

母は呆れた顔をして俺を睨んだ。

「…」

誠一郎は黙ったまま、俺をじっと見ている。

俺はできるだけ誠一郎を見ないようにした。

誠一郎への想いに負け、決心が鈍ったままで晟太郎伯父に頼んでも、伯父はあやふやな俺の気持ちを見破ってしまうだろう。

俺は俺の為に、今は必死になって、晟太郎伯父を説得しなきゃならない。

目端に映る誠一郎を気にしないようにして、俺は目の前の晟太郎伯父に留学の書類を差し出した。


「留学の条件はいくつかあります。伯父さんにお願いすることばかりだから、伯父さんが駄目だと言えば、俺は諦めるしかない、でも、どうしても留学したいんだ」

「宗二朗。君は今まで一言も僕に留学したいだなんて言ったこともなかったし、来年は東京の国立大学を受験すると、皆で話し合って、進路希望も提出したじゃないか。八千代が留学するからと言って、君もそれに飛びつくとは…感心しない話だよ」

「…そうじゃない。そうじゃないんだ。俺、この家が居心地良くて、伯父さんや伯母さんに可愛がってもらって何の不満もなくて…。でもどこかでこのままじゃ駄目だって、いつも感じてた。東京の大学に通うことになっても、俺は嶌谷家の庇護の中で甘えてしまうことになるだろ?それって平和ではあるけれど、一人前の男としては頼りないだろう?そう思わない?伯父さん」

「一人前の男になる為に異国へ旅立つってわけか?…まあ、見栄っ張りの感は否めないけど、それこそが若さの特権なんだろうね。僕は嫌いじゃないよ、そういうの」

「伯父さん…」

「それで、君の留学費用も仕送りも一切合財、僕の庇護の世話になるというわけだね」

「うん。勿論、俺にはお金はないし、伯父さんの援助無しでは何もできない。お金だけじゃなくて、家族皆の承諾書とニューヨークでの俺の保証人も居るし、大学を卒業するまでの仕送りもすべてお願いするしかない」

「それで、君の我儘を聞くつもりとして、僕への見返りは何かな?」

「それは…将来の俺自身です。大学を卒業したら、嶌谷の会社で十分な働きを保証するよ」

「私の手足になって働くわけだね。僕は元を取れるかな?」

「伯父さんの手足にはならないよ。俺は独りでも飛び立って、ちゃんとオリーブの枝を見つけて、伯父さんへ持ち帰る仕事をするよ」

「…希望の航路へ導いてくれるんだね」

「うん、絶対に損はさせない。だから今の俺に投資して欲しい」

「…わかったよ、宗二朗。その代り、こちらも条件がある」

「なに?」

「嶌谷晟太郎の正式な息子になる。つまり養子縁組を結ぶ事だよ」

「…養子?」

「君を嶌谷家の養子に迎える話は澪子も由ノさんも承知しているんだ。どちらにしても僕の息子として戸籍上だけでも繋がっている方が、この先なにかと都合がいい」

「…」

「宗二朗。私も兄さんからあなたを養子にしたいと頼まれて、色々悩んだけれど、兄さんの息子になっても、私と縁が切れるわけでもないし、今までと少しも変わらないの。形だけならどっちでもいいんじゃないって思っていたけど、やっぱり父親がいないって事は、あなたの将来に色々不便があるかもしれないから…」

「母さんはそれでいいの?」

「うん。今は心から望んでいるわ」

「由ノおばさんも?」

「ええ、今までも家族同然だと思っていたから、戸籍上息子になったとしても、少しも変わらないとは思うのよ。でも少しでも宗ちゃんの為になるのなら、喜んで嶌谷家の息子になって頂戴。ああ、そうだわ。無理してお母さんなんて呼ばなくていいし、私も由ノっちって呼ばれた方が嬉しいわ」

「…ありがとうございます」

「誠ちゃんも、宗ちゃんと本当の兄弟になれて嬉しいわよね」

「…ええ、とても…。宗二朗、これからも、よろしく頼むよ」


全然…喜んでねええ~…目が笑ってねえよ。

つうか、由ノっち、地雷踏み過ぎ…能天気過ぎて、こええよ。


その後は、俺の養子縁組の具体的な話と、留学の話で家族一同盛り上がってしまったけれど、誠一郎は時折相槌を打つぐらいで、少しも楽し気ではなかった。


俺は…なにか拙いことをしているのかな…

結婚する誠一郎から離れてしまいたいって思うのは、逃げているだけだとわかっている。でも、俺が居ない方が誠一郎だって、気が楽だし、新しい生活へ飛び込んで行くには気安いだろう?

どうせ、敵わぬ恋なんだよ。

愛し合ったって、男同士だし、結婚したら嫁さんを一番幸せにするのは、男として当然の役割だと思うし…


仕方ねえじゃないか…



風呂から上がり、二階の自室へ戻ろうと階段を昇り始めたちょうどその時、二階の部屋から出てきた誠一郎が、階段を降りてくる。

廊下の灯りが誠一郎の影を俺に被せ、俺の足元が暗くなる。このままじゃぶつかると思って、左へ寄り、階段の手摺を左手でなぞりつつ、一段一段を登る。

俺は顔を上げなかった。

誠一郎の顔を合わせるのが辛かったからだ。


階段のちょうど半分のところで、お互いの肩が触れ合った。

瞬間、誠一郎は俺の右手を掴み、すぐに指を絡めた。

一瞬、息が止まる。

…こんな風に、互いの指を絡めるのが、俺たちが愛し合う最初の行為だった。

俺は足を止め、誠一郎の横顔を見つめた。


「本当に、行ってしまうのか…」

「誠…」

絡み合った指は二度と離れたくないと願うみたいに強くなる。


「だって…仕方ねえじゃないか。誠は結婚しちまうんだから…」

「…おれの所為だって、言うのか?」

「…」


だって、そうじゃないか。先に手を離したのはおまえの方だろう?

おまえが結婚なんて決めてしまったから、こうなったんだろう?

なんで、俺を責めるみたいに、言うんだよ。

そんなに俺が欲しいんなら…


俺は誠一郎と絡めた指を自分から外し、一歩ずつ階段を昇った。そして、誠一郎もゆっくりと降りていく。

昇り終えた俺は、階下の誠一郎を振り返る。

誠一郎は俺を見上げながら、俺に向かって「あさましや こは何事のさまぞとよ 恋せよとても生まれざりけり」と、呼びかけた。


俺が送った恋文を、今度は誠一郎が俺に投げかけている。


「返歌はくれないのか?宗二…」

「…」

俺は何も言えなかった。


どう応えればいいのか…わからない。

こんなに愛し合っているのに、何ひとつ交わすこともできないなんて…。


そうか…あの時、誠一郎は、俺の恋文をこんな気持ちで受け取っていたのか…


「案外冷たいんだなあ…」

誠一郎は冷たい笑いを浮かべ、廊下の向こうへと消えていった。


「…」


だったら…


…それならさぁ、どうすれば…良かったって言うんだよ。


おまえと手を取り合って、この家から駆け落ちして、誰も知らない場所で二人だけで抱き合って…いつまでも幸せに…ってか?


そんなもの、子供でさえも、夢見るものかっ!





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