子犬とオレの輪舞曲
家に着いてからが大変だった。
「ワン。ワンワンワン」
腹を空かせた子犬が騒いでいたからだ。
飯をたくさん入れて置いたと言っても夕飯時まで帰れないとは誰が予想出来るだろうか。
オレは家に入るなり鞄を放って子犬の飯を用意し始める。
「あぁ、ぁぁ。わったわった。だからまとわりつくな」
子犬は待ちきれないのだろう。オレの足にすりすりと体を擦り付けてくる。
「だぁー、そこにいるな。踏むだろ?!」
そんな事を言いながら子犬にご飯を出す。すると、待っていたと言わんばかりにがっつく。
「はぁ~・・・疲れた・・・」
オレは大きな溜息を付くと椅子にドサっと座る。そして、背もたれに思い切り寄りかかる。
「オマエの名前・・・確かに決めないといけないよな・・・」
子犬を見ながらオレは独り言を垂れ流す。
ただ、オレはどっとくる疲れ思考が何処か鈍っている気がする。
ぐるぐると渦を巻くように頭の中が今日の出来事を再生していた。
確かに朝、こいつの・・・この子犬の名前を考えようとしていた。で、遅刻しそうになった。
学校に着くなり生徒会の仕事と言う奴でパトロールに出ていた。
午後になっても授業云々で頭を使っている。オレにとってはかなりハードだった。
それだけに、今更思考が鈍っていると実感してもなんら不思議は無かった。
「・・・」
もはや言葉すら出てこない。瞼は重く、今にもそのまま眠ってしまいそうな程に。
オレは目を擦って眠気と戦っていた。
やはり、余計な事で頭を使っているだけにこいつの名前を考えている余裕はあまり無いようだ。
「なんか・・・あったっけ・・・?」
徐に立ち上がるとオレは重々しく足を動かし冷蔵庫に向かう。そして、冷蔵庫を開けて何か無いかと探す。
気付け薬でもあればと思う程には思考はおかしくなっていた。
「あぁ・・・コーヒー・・・」
思い出すようにキッチンを漁るがコーヒーが見当たらない。
今思うと昼飯は牛乳ではなくコーヒー牛乳にするべきだったと思った。後悔しても時間が戻らないと分かっていても。
子犬の方を少し見るとまだ飯を食べていた。
(オレも何か食べないとな・・・コーヒーも必要だ・・・)
キッチンだけでなく棚も漁る。もはや、オレは野良犬同然だ。
取りあえず、夕飯で食べる物は見繕ったがコーヒーだけは見つからなかった。
「んぅ・・・仕方ないか・・・」
仕方なく夕飯だけ食べる事にした。
「ん・・・?」
食べ終わる頃には既に22時近かった。
「・・・風呂───」
オレは食器を片付けながら風呂を沸かす。
親が居ないわけではないがどちらかと言うとこれも経験だと言う理由で一人暮らしさせられている。
自由だが面倒だ。とりわけ、子犬を家に入れたところで何も言われないのは良かったが。
子犬はオレが座っていた椅子で寝ている。オレの匂いがあると落ち着くのだろう。
「懐かれちまったな・・・」
らしくない薄笑いを少ししていると電子音が聞こえた。風呂が沸いたらしい。
オレは子犬をそのまま寝かせたまま風呂へ向かった。
「くぅんくぅん」
風呂でゆっくりしていると甘えるような鳴き声が聞こえてきた。
オレを探している・・・んだろう。足音も聞こえる。
ザバッ。一旦湯船から出て風呂から顔を出して様子を伺う。
すると、音で分かったのだろうか。すぐに子犬が走ってきた。
「この甘えん坊」
オレは軽く撫でてやった。それだけで子犬は喜んでいる。
「風呂入ってるから大人しくしてるんだ」
そういうと子犬はオレが脱ぎ散らかしている制服の上で丸くなった。
「可愛い奴だな・・・マル──」
自然と出た言葉に子犬が反応する。どうやらマルと言うのを名前と勘違いしたらしい。
が、オレはそれでもいいかと改めて呼んでみる
「マル・・・?」
「ワン」
呼ぶと即座に返事をした。これで名前は決定だろう。
「そっか、マルが気に入ったか」
そう聞くとワンと返事して寄ってくる。オレは風呂だから来るなと手を出す。
すると拗ねたのかオレの制服の上でまた丸くなる。今度はオレからそっぽ向く形で。
オレはマルをそのままにして風呂に入りなおす。
湯船に浸かると瞼が自然と落ちた。
冷えを感じて目を開けるとお湯が温くなっていた。
時計が無いから時間の確認のしようが無いがもう少し入っていたいと思い沸かしなおす。
オレ自身沸かしなおす程入ってるのは驚いた。それだけ疲れているのだろうか・・・。
そう思いつつも結構な長風呂を疲れを取るようにゆっくりとじっくりと味わう。
再度温くなってきたので風呂から上がるとマルが仰向けで寝ていた。
「マル、起きろー」
そう言いながらオレは服に埋もれている下着を取る。今まで気づかなかったが少し濡れている感じがした。
洗濯機に放り込んで新しいのを出す。するとマルが仰向けから動いてオレに擦り寄ってきた。
「わったから着替えさせろ」
取りあえず下着1枚履くとマルを抱っこした。マルは尻尾を振って喜んでいる。
それが鼻を少し撫でる。くすぐったい。
マルを抱いていると散乱している制服を片付けることが出来ない。
「・・・マル、ちょっと降りてくれ」
そう言ってマルを降ろすとオレは制服を部屋に持っていった。マルも着いて歩く。
マルはオレを親か何かと勘違いしているのだろうか。と、思う程オレが好きなようだ。
オレが制服をハンガーに掛けている間にマルはオレの部屋を探検するように歩き回る。
一人と言う事もあって普段部屋と廊下を仕切る扉は閉めていない。今朝、オレの部屋にマルが居た理由もそこだが。
今朝は探検しなかったのだろう。今になってと言う感じだ。
はしゃぎ回るマルを見ていてオレは和んでいた。こういう感じは久々な気がした。
時計を見ると既に0時近くを指していた。1時間近くも風呂に入っていた事を今知る。
「寝るか」
制服を掛け終えてオレは下着一枚のまま寝ることにした。
ベッドに横になるとマルは勢いをつけてオレの上に乗る。
「なんだ・・・ここがいいのか? オマエのベッドはちゃんと用意してあるだろ?」
オレはそう言いながらマルを撫でる。寝返りは出来そうにないと思った。
そんな事を思っていると瞼が自然と重くなりオレは眠りに就いた。
「くぅん、くぅん──」
くんくん。ペロペロ。
「んぁ? どうした・・・」
「くぅん、くぅん・・・」
目を開けずにオレの上で鳴いているマルを撫でた。
どうも急に甘えたくなったらしい。
オレはマルを撫でつつ重たい瞼を少し開ける。目覚まし時計を見ると時間は朝の4時ちょっと前だ。
「なんだ・・・。散歩は・・・もうちょっとしてからな・・・」
そういうと再び自然に任せて瞼を落とす。
───ピピピピピピピピ。
目覚まし時計が鳴っている。止めてまだ少し重たい瞼を開ける。
「ん? マル?」
既に7時、体を起こして辺りを見る。マルはオレの部屋から移動しているのか見当たらない。
ベッドから出るとオレはリビングに向かう。マルはと言うと見当たらない。
「マルー?」
響くくらいに呼ぶ。すると何処からともなく走ってくる音が聞こえた。
「わん」
おはようとでも言うように走ってきたマル。
オレは抱きかかえると少し濡れていた。
「・・・オマエ、風呂場にでも行ってたか・・・?」
「わん」
聞くと答えるマル。風呂場で遊んでいたらしい。
オレはマルを抱いたまま餌入れを見る。空っぽだった。
「あー・・・」
マルを降ろすと飯を入れる。時間は既に7時を過ぎているそんなにのんびりもしてられない。
「散歩連れていけなくて悪いな・・・」
そう言って飯をやるとオレは着替える為に部屋に戻った。
朝飯も食わずにオレは何を焦る事がある?
最悪、パトロールだとかになるくらいならサボるべきだとも思った。
「・・・ある意味悪い癖だな、オレはオレの道を往くと言うのも」
中学校時代の事を不意に思い出しつつオレは着替え終えた。
リビングに戻り朝食を食べ出る。その頃には既に7時も半ばを過ぎていた。
急いだ分は余裕がある。が、寄り道をする程余裕は無い。
足早にオレは学校へ向かった。
その日は特に変わった事は無く何事も平穏無事に終わった。
「ただいまー・・・」
「わん」
帰ってくるとマルが玄関で出迎えてくれた。
「あー・・・うん、行くか・・・」
オレは部屋に行き、普段着に着替えてマルにリードを付けて散歩に出る事にした。
こうやって何か用も無くぶらぶらと歩くのは久しぶりな感じだ。
「こういう点はマルに感謝すべきなのかもな」
足元でちょこちょこと走るように歩くマルを見ながらオレは小さく呟いた。
マルの気まぐれで歩いているとマルを拾った場所に向かっていた。
「・・・」
さして気にする事でも無いが少し気が重くなりながらも通り過ぎていく。
そのままマルの気まぐれで歩いていると次に学校、そして公園に着いた。
「ドッグランでもあれば・・・か?」
公園のベンチに腰掛ける。もう少し駆け回れる場所があればいいのかも知れないとオレは思った。
麒代がボーっと考えていると誰かが近づいてくる。
「オマエ、なんて間抜けな顔をしてるんだ?」
オレはハッとして辺りを見ると制服姿の生徒会長が居た。
「え、っとそんなにも間抜けだっただろうか・・・?」
疑問に疑問で返してしまった。
「報告書が上がってないので確認しに来た。で、子犬の名前は決まったのか?」
オレはすっかり忘れていた。確実にやってしまった感で顔がおかしくなっているだろう。
「あー・・・マルに決めました。最終的に決めたのはオレじゃなくてこいつでしたし」
そう言って取りあえず決まったことを報告する。
「そうか。では、この書類に子犬の名前とオマエのサインをしろ」
渡されたのは生徒会用の報告書だとかではなく役所に提出する為の種類のようだった。
言われた通りオレはサインをした。その報告書はオレが提出すべきなのだろう。
が生徒会長は何も言わずにしまう。
「・・・満足に運動させたいならこの先にドッグランがある。これをもっていけ」
渡されたのは会員証だ。そして、それには九財閥運営ドッグランと書かれていた。
「オマエの事だ。ろくに散歩も行けてないだろう。それでは犬が可愛そうになる」
意外と優しいと思ってしまった。それはオレにではなくマルにだったが。
少々の残念感を抱いたオレは何処か抗う気持ちが薄れているのだろう。
それでも、事実を言われては何も言い返す事が出来ないままにそれを受け取る。
「あぁ、それと時雨がオマエに何か言いたい事があるとか言っていた。明日にでも確認する事だ」
そういうと生徒会長は行ってしまった。
厄介な事に今日は何も無いと思ってたら明日には何かされるのが目に見える程に嫌な予感しかしなかった。
副会長に何をされるかと考えると背筋がゾクリとする。
そんなオレをマルが不思議そうに見ていた。
「・・・考えても仕方ない。マル、ドッグラン行こうか」
マルにそう言ってオレは生徒会長から渡された会員証が使えるドッグランに行く事にした。
到着してびっくりした。公園一つ分くらいの大きさが丸々ドッグランだったからだ。
入り口は脱走防止の為か二重になっている。そして、何より犬の数も多い。
オレは会員証を入り口で見せると難なく入れた。二重の入り口を潜るとマルからリードを外す。
マルは喜んで走ったりしている。更には他の犬達に挨拶だのをしているように見えた。
「マルって意外にこういう事は慣れているんだな」
感心しているとすぐにマルを見失った。少し焦るがこの中から出る事は無いと思い出すと近くのベンチに座り込んだ。
ボーっとしてどれくらい時間が経っただろうか。
いくら待ってもマルは満足してないのか戻ってこない。
「マルー?」
呼んでも戻ってこない。辺りから犬も人も少なくなってきているのにマルの姿は見当たらない。
「何処行ったんだ・・・?」
オレは辺りをうろついてみた。もちろんマルを呼びながら。
が、一向に戻ってこない。抜け穴でもあってそこから逃げた?
そんな感じに変な思考が過ぎる。
「・・・大変な事になってなきゃいいんだが」
そんな事を呟きながらオレはマルを探した。
するとオレの足の後ろに何かが当たる。
振り返るとマルが泥まみれになってオレに擦り寄っていた。
「あぁ、良かった。って随分泥だらけになったな・・・」
安堵と共にちょっと渋い顔をしていただろう。マルが反省するように耳を畳む。
「マル、帰ったらシャンプーだな」
そう言ってリードを付ける。満足しているのか抵抗する事は無かった。
家に帰ると真っ先にマルを抱えて風呂場に向かう。
マルの泥が付いてオレも泥まみれに等しい。
そのままの格好でオレはシャワーからお湯を出す。
シャワーは嫌なのだろうか。マルが逃げようとする。オレは風呂場の戸を閉めて逃げ道を塞ぐ。
「きゃんきゃん」
マルの嫌がる声が風呂場に響く。
それでも泥だらけで家を汚されるよりはと思いムリにでも洗い始める。
逃げようとするので洗いづらい。
「こら、逃げるな・・・おぃッ!!」
必死に暴れるマルをオレは同じように必死に抑える。
少し可哀相だがそれでこいつが病気になるのもなんとなくイヤだった。
取りあえず人間用のシャンプーで毛を泡立てる。
「そういえばオマエを連れて来て始めてシャンプーしてるな」
実際には拾った時もそんなに汚れているわけでもなかった。
そんな事を思いながらマルの汚れを落としていく。
最後に濯ぐ為にシャワーを近づける。初めてだからと言うのもあって苦戦した。
そんな苦戦の甲斐もあってマルは綺麗になった。シャワーを止めるとマルも多少大人しくなった。
どうやらシャワーの音が嫌いらしい。
ブルブルブル。マルが体を振るって水を弾く。
「マ、マル、ちょ、やめろって」
オレもびしょ濡れになってしまった。
まだ濡れているマルを出すわけにも行かずオレだけ出てタオルを取りに行く。
シャワーの音がしてなければマルは比較的大人しい。風呂そのものは嫌いではないようだ。
オレの事は後回しでマルを拭いていく。今度はシャワーじゃない方がいいのかも知れないと思いながら。
拭き終わるとオレはマルを風呂場から出してやった。マルは少し身震いしている。寒いのだろう。
そんなマルを見ながらオレは着替える為に脱ぐ。
(ある程度は拭いたしオレが着替えるくらいは大丈夫だろう)
汚れた服等を洗濯機に放り込んでオレは下着一枚で部屋に向かった。マルは自分の体を舐めている。
部屋で取りあえず寝巻きの格好になってから戻るとマルが座布団の上で寒そうに丸まっていた。
「ドライヤーかけてやるべきか・・・?」
とは言ってもさっきの感じからしてドライヤーも嫌がるだろうと思った。
さっき拭いたタオルは既に洗濯機の中、新しいのを出すしかなかった。
新しいのを出してマルに掛けてやると少しはよくなったのか寝返りをうった。
そんな事をしていて時間を見ると既に19時近くだった。
「今日は結構遊んだな」
そう言いながら撫でてやると一瞬だったがニコっと笑った気がした。
オレとマルの忙しくも楽しい一日は終わる。オレはまた抗う日々に戻るのだろう。
それでも家に帰ればマルが居て、癒される。それに少しずつ慣れていくんだろう。
それが当たり前になっていくんだろう。
そんな事を思いながらオレは夕飯を食べて眠りに付く。