プレアデスから君へ告ぐ
ある朝目覚めると、俺の部屋には『宇宙飛行士』姿の幽霊がいた。
引きこもり過ぎて俺の頭はおかしくなったのだろうか。
畳に押入れ。学習机と床に物が散らばる、全国どこにでもありそうな中学生の部屋。そんな日常的な光景をぶち壊すように、部屋の真ん中にぷかぷかと浮いているのは『宇宙飛行士』だった。
船外活動服と言うのだろうか?全身をゆったり覆う動きにくそうな白いスーツ。その体についたよく分からないバルブやチューブ。背中にはこれまたよく分からない箱のようなパーツ。顔部分は大きな丸いメットに覆われその表情は読めない。
風に揺れる風船のようにふわふわと天井の近くを漂うそれは、控えめに見てもものすごく不気味だった。
「いやいやいやいやいや」
俺は手と頭をぶんぶん振って、必死に目に映る現実を否定する。ついでに、もう一度布団をかぶりなおす。いや、夢にしたってもう少し趣味のいいのを頼むぜ神様。信じてもいない神様に文句を言って、二度寝への楽しい旅路に就こうとした俺に、無常にもそれは「話しかけて」きた。
「やぁやぁ、宇宙飛行士の睡眠時間は約8時間。君は1時間ほど寝過ぎだよ」
その芝居かかったしゃべり方と声に聞き覚えがあって、俺はがばっと体を起こす。それは間違いなく俺がよく知る幼なじみのものだった。
「お前、星野昴か?!」
ほしのすばる。名は体を表すというが、この名前ほどあいつの「頭の中身」を表しているものは無かった。星、星、星、あいつの頭にあるのは年中星のことばかりだった。
小学校の自己紹介で「すきなもの」は「星」、「そんけいする人」の名前は「ニール・アームストロング」、「なりたいもの」は何年生になっても「宇宙飛行士」だ。
そいつは、休日になれば俺をプラネタリウムへと引っ張り出し、夏休みだの冬休みには、ほぼゲリラ的に俺を天体観測という名の野外活動へ巻き込んだ。野外活動の場所はいつだって不法侵入した学校の屋上だ。他に高い建物のないここいらじゃ、一番星がよく見える場所らしいが、冬は寒くて夏は蚊がわいわいよってきた。おかげで、冬休み明けには風邪を引くし、夏休みの最後には蚊にくわれた全身が痒くて宿題がはかどらなかった。
「最後のは君の言い訳だと思うけどな」
目先三センチのところまで、そのヘルメットがずい、と近づく。俺は思わずベッドから床に落ちるとそいつに向かって叫んだ。
「つうかお前は先月死んだだろ!」
そうだ、星野昴は死んだのだ。
最後にこいつを見たのは一ヶ月前の病院のベッドの上だった。母親に強制的に花を持たされた俺が訪れたその病室で、こいつは俺に、「僕は花より「星ナビ」の最新号が欲しいな。出なおしてくれよ」なんて抜かしやがった。頭にきた俺はそのまま病院を後にして、その夜にこいつの訃報を聞いたのだ。
「花より星座。僕の性格を考えれば分かるだろうに。つね先を予測し、最善の選択をするのも宇宙飛行士の能力のひとつだ。君はまだまだ甘いねえ」
その動きにくそうなスーツで「やれやれ」のポーズをするな。なんかよりムカつく。
俺の部屋の床には物が散らばっている。そこに手をつくと、がさっと本屋の紙袋が音を立てた。俺はハッとそれを拾い上げると、中の雑誌をそいつに突きつけた。
「ここ、これが欲しくて化けて出たのか?!」
俺が手に持つのは「星ナビ」。星野昴の愛する月刊天文雑誌だ。表紙には『プラネタリウム100選!』や『すばる天文台の軌跡』や『ビジュアル天体図鑑 No.13「プレアデス星団」』なんて文字が踊る。その雑誌を見て、しかし星野昴はちがうちがうと首をふる。実際には、宇宙服の首と胴体は完璧につながっているので、体全体がぶんぶん揺れただけだったが。
「いや、悪いけど実はそれもう買ってたんだ。それに今回君のところへ来たのは、学校へ置いてきてしまった僕の「忘れ物」をとりに行ってもらうためだ」
ちょっと待てや、俺はお前のために三件も本屋を回ってやったっていうのに。待てよ、「学校」?
「そうそう、君が通い、僕が通っていた中学校だ」
そのヘルメットの奥の瞳がにこっと笑う。同時に俺は、足元が暗闇に落ちたような焦燥感を感じていた。学校に行くなんて、冗談じゃない!つうかそもそも、
「あ、悪霊退散ー!!!!」
あいつのペースに巻き込まれて言うのを忘れていたそのセリフを、俺は叫んだ。そしたらあいつは、ぷぷーっと吹き出してこう言った。
「おいおい、人が月に行くこの21世紀に幽霊なんてナンセンスだと思わないか?」
100億万回鏡を見てから出なおして来い!と思わずスリッパでその頭を張っ叩くと、あいつは間抜けな声であいたと言った。
* * *
「さあさあ、ずずいっと元気よく教室に入りたまえよ」
中学校の廊下には掲示物がところ狭しと貼られていた。保健だよりや図書だより、2ヶ月前の体育祭の写真なんかも貼られている。その中では、青色と赤色のジャージを着た男女が競技に熱中する様子が切り取られていた。どうでもいいが、男子と女子とでジャージの色を分けるっていうのは、割と時代遅れな考えらしい。「性差別をなくすために我が校でも近々ジャージの色を統一する」なんて、生徒たちにしてみりゃ買い替えが面倒くさいだけのことを校長は誇らしげに朝礼で語っていたような気がする。
「君、現実逃避に思考を飛ばしてないかい?」
何の変哲もない校舎の廊下を、一瞬にして非現実なものにするその宇宙飛行士は俺の心を読んだようにそう言った。つうか実際読んでるだろう、この覗き魔!
「宇宙飛行士に必要な観察眼があれば君の単純な思考など読むに容易いよ」
子供が手を離してしまった風船のように天井に張り付くそいつは、腰に手を当てふふんと胸を張る。くそう、誰がここまで運んできてやったと思っているんだ。
無重力にいるようにふわふわ浮くそいつに、適当な紐をつけて学校まで引っ張ってきたのはこの俺だった。どうやらこいつの姿は「お決まり通り」俺以外には見えないようで、誰にも指摘されることはなかったが、いつ誰に見咎められるか登校中の俺は気が気ではなかった。ええいそんなことはどうでもいい。
「お前の残したものは本当に、ここにあるんだな?」
ほとんど口の中だけで呟くように俺は尋ねる。こいつが言うには、それを忘れてきたのが心残りで化けてきたらしい。もっとも、本人が言うには、化けて出たんじゃない。宇宙航海への出航を延期してるんだ、とのこと。生前から変な奴だとは思っていたが、死んでからますますそれに拍車がかかってないか。
「Yes that's right!」
クラスどころか県内トップの成績を誇った星野昴は流暢な英語で言う。生きていれば、もしかしたら本当に宇宙飛行士になっていたかもしれない。
「安心してくれ、見事になったから!」
戯言を無視して、俺は教室の扉の取っ手をつかむ。じわっと汗がにじむのが分かった。これを触るのは一ヶ月ぶりだ。実は俺はある事件を起こしてから、不登校を決め込んでいた。長い間学校に行かないと、その教室の扉を開けることはどんなことよりつらい試練になってしまう。頭が冷えて、動機が激しくなってくる。その中の人間の反応を想像すると、身が縮こまるような気がした。その扉は果てしなく重く感じられる。
「なぁに、アポロ11号の扉に比べれば軽いものさ」
いつの間にか、俺の隣に降り立っていた星野昴がそう言う。
アポロ11号。世界で始めて月面に降り立った有人宇宙船。
「全世界の期待と重圧を背負ったその船の船長、ニール・アームストロングは、勇気を出してその一歩を踏んだよ。彼に比べれば君はまだまだ責任が軽い。少なくとも、扉の向こうに空気は確実にあるしね」
パチーンとウインクをするそいつに、俺は激しく脱力する。なんだか、真面目に考えているのがあほらしくなって、俺はその扉を横に開いた。言われて見りゃ、全くもってそのとおりだ。
* * *
俺の姿を捉えたクラスメイトの何人かが、ざわっと話題を震わせる。その反応に、わずかに心が揺らいだが、構わず自席へついてその机の中を漁る。
休んでいる間のプリントが何枚か、突っ込んであった教科書はそのまま、しかし、そこにあるはずだった星野昴の残した何かは見つけられなかった。
(おい、どういうことだ。お前俺の机に入れたって言っただろ!)
声を出さないように頭の中で星野昴に問いかける。奴は教室の照明にボスボスと楽しそうにぶつかっていたが、決してそちらは見ない。誰が見るか。
「あれれー?おかしいなー?あ!今思い出したよ。実は教室じゃなくて屋上に置いてあるんだ!」
お前はどこの大根役者だと怒鳴りたくなるような白々しさで、宇宙飛行士が言う。思わず、そちらをきりと睨みつけてしまう。じゃあ何のために俺はここまで来たんだよ!
「何でってそりゃあ、授業を受けるためだろう?」
まるで悪びれない様子で、空中遊泳を楽しむ星野昴は、俺に言った。
「君が僕のために怒ってくれたのは嬉しいんだけどね、やっぱり授業には出ないと」
その言葉に、俺は一ヶ月前の事件を思い出す。星野昴の訃報に騒ぐクラスメイトたち。その中の一人が言った「お星様になれて本望なんじゃねえの」という言葉に、俺は我を忘れてしまった。相手を殴り、一週間の停学処分。それが解けた後も、ずるずると不登校を続けてしまった。
ふと教室を見渡すと、俺が殴ったそいつと目が合う。さすがに不謹慎な発言だったと、教師や保護者に相当絞られたらしいそいつは、バツが悪そうに目を逸らした。
「宇宙飛行士に必要なのは、寛容と忍耐力だよ」
教卓の上をすいすい泳ぎながらそいつは言う。
「宇宙空間という逃げ場のない密室で長時間を過ごすんだ。宇宙船のクルーたちは皆、相手を許す寛容と忍耐力を兼ね備えている。そこにポジティブさとユーモアが加われば満点だ」
いつの間にか出欠確認が始まっていた。教師が俺の名前の後に「おお来たのか!」と言うのがこの上なく不愉快だったが、今はその頭の上をクロールで泳いでいる奴の言うことに従うとしよう。
* * *
身構えていた俺の予想を裏切るように、授業はつつが無く進み、すぐに放課後になった。人のいなくなった校内を、俺はぐるぐると歩いていた。もちろん、星野昴の注文だ。
「いやぁ、最後に色々見ておきたくってね。我が青春の学び舎を」
廊下の掲示物なんかを見ながら後ろで腕を組む宇宙飛行士。そのシュールすぎる光景に頭を痛ませながら、俺は廊下の時計を見る。時刻は18時30分。冬のこの時期、もう日もずいぶん沈む頃だ。
「おい、星野」
いい加減にしろと言いかけた俺の声を遮るように、星野は声を上げる。
「おお!この写真は僕がとびきり格好良く写っているな。是非とも君が形見に持っているといい!」
楽しそうに言って、その白いグローブのはまった手で掲示された運動会の写真を剥がした星野は、その写真を俺の胸ポケットへと適当にねじ込んだ。ついでに、俺の手をつかんでぐいぐいと廊下を歩き出す。校舎の端の階段、その最上階、屋上へと続く道だ。
「よし、いよいよ君との最後の天体観測に向かうとしようか」
そいつに引きずられるように歩きながら俺は今朝からずっと思っていたことを改めて口に出して言った。
「星野、お前、ほんとは俺のために化けて出たんじゃないのか?」
お前がいなくなって、不登校になって、閉じこもっていた俺を引っ張り出すために。最初の一歩を踏み出させるために。星野は、ははっと明るく笑う。
「まぁ、それも一つの理由だけどね。僕亡き後の君が心配で。このままでは素敵な大人になれないんじゃないかと危惧したんだよ」
素敵な大人って…。
「素敵な大人さ。つねに先を予測し最善の選択を行い、勇気と責任を持ち、寛容と忍耐と少しのユーモアがあり、観察眼に優れ、思いやりがあり優しい」
まぁ最後のは心配していないけどね。何せ死んだ人間のために本気で憤ってくれる君だ。そう続ける星野に、俺は、違う、と言う。
「俺が怒ったのは、お前が死んだ人間だからじゃない、俺は…」
階段を登り切ると、古びた鉄のドアと立入禁止の文字。冬休みや夏休みに、たびたび侵入した場所だ。そのドアノブの鍵が壊れていることを、俺たちはよく知っていた。
「確かに半分は君のためだが、残り半分は僕自身の心残りのためだよ」
星野がドアノブを回すと、ぎいと小さく鳴って扉が開く。
その下をくぐってコンクリートの地面に出た俺達の頭上に輝くのは、満点の星空だった。
漆黒の夜空に無数に輝く光の群れ。手を伸ばせば届きそうなそれを、こいつと何度見たことだろう。
俺の手を離した星野は、給水塔の横までふわりと浮かんでそれを取ってきた。
「僕の心残りはね、「これ」を隠したところまではよかったんだが、君にそれを伝えるメッセージを残しそこねたってことさ」
全く、こんな詰めの甘さじゃあ、船外活動は任せてもらえないかなぁと笑う星野から、そっと俺の手に置かれたのは小さなmp3プレーヤーだった。イヤホンが本体にぐるぐる巻かれたそれは、星野がよく英語のリスニング練習に使用していたものだった。
「メッセージ、俺にか?」
それを受け取った拍子に、甘く入れられていた胸ポケットの写真がひらりと落ちる。俺は慌ててそれを受け止めると、星野の顔を見た。
小さな頃からよく知った顔。しかし、今は俺よりも随分大人びて見えた。その顔に、思わず胸が詰まってしまう。メッセージなら俺にだってある。
「おおっと、もうそろそろ出航の時間だ。すまないが後はそのメッセージで聞いてくれ」
それまで、同じ目線にいた星野の体が、唐突に宙に浮く。まるで奴の周りだけどんどん重力が無くなっていくようだ。
「待てよ、昴」
俺は慌ててその手を握る。グローブ越しでも分かるその手は、俺のものより随分小さかった。浮かんでいく星野をつなぎとめるように手を繋ぐ。
ずっとそれを言えなかったことが心残りだった。家に閉じこもってる間中、何で言わなかったのかと後悔ばかりしていた。
俺が握り締める写真に、ぽた、と涙が落ちた。2年生の運動会の写真、その中で星野昴は『赤いジャージ姿』で笑っている。
「昴、俺はお前が」
繋いだ手の先、ヘルメットの奥で、星野昴はにこりと笑う。ずっと伝えたかったのに間に合わなかったんだ。きっと情けない顔をしているだろう俺に、あいつは困ったように言った。
「あの日は花をありがとう。嬉しかったんだけれども、君にあの病室着を見られるのがなんとなく恥ずかしくって」
そんなことはもうどうでもいいんだ。ただ俺はお前に。
「いつも星の話に付き合ってくれてありがとう。君のおかげで僕はとっても楽しかったよ」
もしかしたら、君も少しは楽しんでいてくれたなら嬉しいな。昴の声に、幼い頃から一緒に見た沢山の、プラネタリウムの月を、冬の夜空を、夏の星座を思い出す。俺は振り絞るように叫んだ。最後に伝えたかったことを。
「当たり前だろ!俺はお前が―――――」
その後の一言を聞いた瞬間、星野昴は一等星のように笑う。その手は離れて、やがて宇宙飛行士は、溶けるように夜空へ消えていった。
屋上に一人残された俺は、そのまま夜空を見上げた。あいつが溶けていった空には、無数の星が瞬いている。カノープスにカペラ、アンドロメダにオリオン座、そして――――
――――すまないが後はそのメッセージで聞いてくれ
その声を思い出し、手の中のmp3プレーヤーを操作する。録音されていたデータは一つ。作成日付はあいつが入院を決めた日だった。そのファイル名を見て、俺は思わず苦笑する。どこまであいつは芝居かかってるんだろう。
ファイル名は「プレアデスから君に告ぐ」
俺はイヤホンを耳に差し込み、再生ボタンを押した。
* * *
イヤホンから、あいつの声が流れる。
『Hello,Hello聞こえるかい?
こちら星野昴搭乗員。地球より400光年離れたプレアデスから君へ告ぐ。
これは重大な秘密なんだが、実は僕は君のことが好きだったんだ。昔からずっとね。そして僕の類まれなる観察眼によると、きっと君も僕が好きだろう?我々は晴れて両思いというわけだ。いやぁ実にめでたい。本来なら僕らは付き合って末永く幸せに暮らしましたとなるところだろうね。
しかし僕には夢がある。宇宙飛行士になるという偉大な夢が。だからまぁ、なんというか君のそばにずっといることはできないんだ。申し訳ないね。それに医者の見立てによると、どうやら僕はすぐにでも地球を離れなければならないんだ。でもきっと、これから先、僕は星の上から君を見てるよ。
いつか、君が地球を離れる時。うーん、50年後かな、100年後かな、まぁ広大な宇宙にとっちゃどれももちっぽけな年月だからどうでもいいや。とにかく君が年をとって、とっても素敵な男性になったら僕のところまで会いに来てくれよ。
素敵な男性ってどんなのかって?よし、注文を付けるなら、そうだな…僕の愛するニール・アームストロング。彼のように』
そこで録音は終わっていた。
俺の好きだったその女の子の声は、相も変わらず芝居かかっていて。俺は思わず笑って夜空を見上げる。雲母を散らしたようにきらきら輝くプレアデス星団。日本語ではスバル、あいつと同じ名前の星団だ。地球から400光年、月よりもっと遠いその星々に、俺は両手を差し出した。
Hello,Hello,聞こえるか?プレアデス星団の星野昴へ、太陽系第三惑星からお前へ最後の通信だ。
そこはお前の憧れた通りの美しい場所だろう?いつか俺もそこへ行くよ。50年後か、100年後か、お前の言う素敵な男性とやらになれるのは、いつになるか分からないけれど。
その時にはきっと、帰還した船長のように胸を張って。
短編小説に挑戦しました。
宇宙や星座にはロマンを感じます。