第7話 結婚
1332年初夏、私は12歳になり、いよいよ将来について検討する時期が来た。
私の今後としては、貴族になるか、聖職者となるか、家を出て遍歴の選択があるが、
事情により答えは絞られてくる。
聖職者については……ありえない。貴族の次男の選択肢としてはよくある話だが、私が異教の術を使える事が発覚する可能性があるし、何よりこの世界で“魔法使い”になるのは御免だ…私だって結婚したい。
次に遍歴騎士の道である。これは家を出て行き、他国へと仕官の道を求めると言う事だ。
これもありえない。家を出たという知らせを受ければ、メリヴェールの爺さんが縄で拘束して自領に連れていくだろう。
消去法で貴族になるという事だが、これが現状で一番現実的である。分家を興しその当主になるのだ。
ちなみに昨年、兄上に生まれた子供は、男子でトンマーゾと名付けられた。侯爵家の世継ぎ誕生で、将来は安泰である。
そして私は、父上に大学への進学を希望した。この世界の大学は、初等教育を修了後に入学するのではなく、著名人の推薦状と試験に合格すれば入学できる制度だ。
この近隣都市にも幾つかの大学がある。特に有名どころはモンペール大学、マッシリア神学校、ウォルシニ大学、パタヴィーニ大学等がある。
……だが、私はあえて帝国大学に留学する事に決めた。
帝国大学はフランク帝国の帝都にある大学でこの世界の学府の最高峰だ。
基礎学芸は勿論の事、神学、法学、哲学、歴史、医学、数学以外にも、武術、軍事学や、近年は、教会魔法“以外”の魔法も教えているとの事。
信仰心の厚い人が多いガウルやこの周辺から見れば信じられない事だな……
さらに、平民にも多く門戸開放して、卒業すれば官僚として就職できる。
授業料も奨学金制度の様なものが在ったり、官僚に就職することを条件に免除する制度がある。
現代に近い制度だ……文化“だけ”は一流と言うのは本当だったんだな。
特に平民に広く門戸を開いているという点が素晴らしい。他の大学でも平民の
入学を認めている所は在るが、奨学金を出してまで呼び寄せると言う事は無いだろう。
この点を視る限り、校風は自由なのだろう。異教の魔法を学べるという点も素晴らしい。何よりあそこにはブルドン先生が居る、中途半端になった言語学を学べるだろう。
しかし、これだけ優れた制度を持っているのに、何故あの国は二流国なのだ?
やっぱり上が腐ってるのか?……今の宰相は、現皇帝の幼少の遊び相手っていうしな。
「坊っちゃん、旦那さまがお呼びです」
「判った、今行くよ」
居間へ行くと、家族全員とエイトリが集結していた。何があったのだろう?
「おお、来たかヴィットーリオ」
「父上、御呼びでしょうか?」
「……エイトリよ、例の物を」
エイトリが持ってきたのは5つの金細工の首飾りであった。
その繊細な技巧はさすがドワーフ、と言わしめるものがあった。
ペンダントの部分には、チェルヴィーノ侯国の紋章「剣を折る鉄槌」が描き込まれ、その下には「Foedere et Religion Tenemur」(我等、法と神によって守られん)と記載されていた。
「この紋章を一家全員が持つ良い…」
首飾りを家族五人が身に付ける、それを確認すると父が語った。
「……我ら家族は、王侯貴族には珍しいほどの親密さを持つ。
ベルガ王国など王子同士が殺し合いをしている、私はそれを見たくないのだ。」
「皆、この紋章に誓いなさい。この紋章を持つ者は末永く愛する、と」
「皆、家族で愛し合いなさい。親族で殺し合う事は決して起こしてはならない」
皆が頷く。態々、確認するまでも無い事だ。
「マリア・クリスティナ、お前は明日には他国へと嫁ぐ。時として元の家族と争う事もあるだろう」
「だが、その時はこの紋章を思い出せ。“私が汝を愛したように、互いを愛し合いなさい”」 (ヨハネの福音書 第13章34節)
「……はい、お父様」
姉さまは目元を濡らし、震える声で、しかし、はっきりと断言した。
その様子に父上は目を細め、満足げに微笑んだ。
「……皆、呼び出してすまなかったな、もう遅いので休みなさい」
ああ、私はこの世界、この家族の元に産まれた事を天に感謝しよう。
この瞬間に立ち会えただけでも、再度、命を繋いだ甲斐があった。
―――この幸せを破壊する者は、私は決して許さないだろう。
さて、明日はいよいよガウルに向けて旅立つ日だ。幸福を、天に感謝して寝よう。
「ヴィットーリオ、準備は出来たの?行きますよ」
「はい母上」
「お前が買い求めてくれたショールは、私の自慢の品。式典に着て行くつもりです」
「有り難うございます。母上」
「あの子は悪戯好きで、本当に手が掛かった。しかし、居なくなると思うと、寂しいものですね…」
「……そうですね。母上」
「お前を育てるのが一番楽だった、いっそお前が娘で、あの子が男なら良かったのに……」
母上が、感慨に耽っていると、扉が開き、母付きの侍従が入ってきた。
「……奥様、ご準備は」
「すぐに参りますわ。コジモに後の事を頼む、と伝えておきなさい」
「はっ」
「ヴィットーリオ、皆が待ってます、参りますよ」
本来なら母上は、家で荘園や内政を見なければ為らない。
しかし、縁戚のカペロット伯爵に任せて来た為、娘の晴れ姿を観る事が出来るのだ。
それ以外にも、家族全員で来訪すると言う事はガウルへの信頼を示すと言う事だ。
と言うのも、近年ブレンダーノの覇権主義に対抗するためにガウルの力を示して牽制すると言う意味合いが在るのだ。
他にも私が帝国大学に留学すると言う事に、ガウルが若干不快感を示した。
「なぜ、我が国最高峰のルテティア大学に留学せずに、帝国なんぞに行くのだ」
と、難癖付けてくるのだ。
馬鹿じゃないのか?あんな最前線に近い大学なんかに行って陥落して捕虜になったらどーすんだ?政府機能をサン・ベニーニュに移す位、幾度となく戦闘が起こっているのだぞ。
家族も同じ考えだったらしく、私の拒否に何の反対も無かった。
メリヴェールの街は、ギマーシュ湖の畔にある街だ。街を走る運河の傍に立つ建物が、かのラグーナと似た光景である。自然豊かなこの地は、別荘とか建てたり避暑地には最適かも知れない……私は見慣れているが。
家畜や葡萄畑が多く、チーズやワインが名産で、買い付けに訪れる商人も多い。
飲兵衛には堪らない所だろう。
この世界の貴族の結婚は、妻側の実家が夫側の実家へ、持参金を納めるのが通例である。我が家も当然、今回の結婚にあたり持参金を納める。家の爵位や権勢でその額は違ってくるが、今回は六万ドゥカートを用意した。庶民の年収の600倍の額になる。
ちなみに、候国の年収は80万ドゥカートほどである。小国にしては大きい経済力だ。
それだけ多くの武具や関税で儲けていると言う事だ。
結婚式は教会の横の庭園で行われる。聖堂は神聖な場所で、その中で乱痴気騒ぎをしようものなら、即刻破門である。日本の寺と同じだ。よってパーティは庭園で行われる。
本来なら結婚式の40日前に婚約式を行い、その後初めて結婚式となる訳だが、そこまで国を空けられないので省略される。貴族ではこういう事もある。
披露宴が始まり、各国の貴族や王侯などがお祝いに集まっている。外交上も重要な式典になるだろう。
その証拠に、父上の元には、ガウル貴族が多数話しかけてきている様だ。
「ヴィットーリオ、覚えておきなさい。あそこに居るのが、アレクサンドル王太子だ」
兄上が耳打ちする、その男は金髪の長髪をリボンで纏め、羽飾りの付いたビロードのベレー帽を被り、その二重の瞼と大きな唇が、生来の尊大さを表していた。
服装は、筋肉質な体を、金糸で飾られたプールポワンを着飾り、大きく膨らんだ緞子の脚衣は切れ込みが入り、裏地を覗かせていた。ダマスク織の肩掛クロークを風になびかせる姿は、一見すると喜劇役者のようにも見えるが、気品のあるその人物が纏うと、壮麗な風体に見えるから不思議なものだ。
「国王陛下は、本日出席していない。おおかた、愛妾と宮殿に籠っているのだろう」
兄上が眉をひそめる。さすが父上と共に政務をこなしているだけあって、各国の要人について詳しい。
「今父上に話しかけて来たのが、ジャルダン元帥だ。古代グラエキア趣味で、ガウルでも主戦派のトップ……我が国は良質な鉄の産地だ。食糧が戦争の血液なら、鉄は骨格だ。機嫌を取って、有利な条件で流してもらおう、という魂胆だろう」
ジャルダン元帥はトーガと呼ばれる紫色の服と、月桂樹の冠、皮革で造られたサンダルは金で装飾されていた。トーガは一枚の布から造る事が出来るので、安価な様に思えるが、その布地は絹である上に、貝紫から取れる染料は非常に高価で、その昔は皇帝のみ許された色として珍重されていた。
「兄上…ここは、いつから仮面舞踏会の開催地になったのですか?」
「……間違っても聞こえるように言うな?主戦派はガウルの主流だ。あんなのでも国への影響力は絶大だ。特に奴は、軍歴ではなく金貨の量で、元帥まで昇格したと言われているのだ」
「判っていますよ、兄上も結構言いますね」
「……お前程では無いがな。現在のガウルの首脳は、ド・サンスー侍従長・ジャルダン元帥・愛妾のコストンヌ侯爵夫人で動かされているのだ、宰相のモントルイユ伯爵はお飾りにされている」
……とんだビック3だな。そりゃ、ケルティックに押し込まれるわ。
「これは、これはフェルディナンド殿、ご機嫌麗しゅう」
巻き毛の鬘の老人が話しかけて来た。典型的な18世紀前半のフランス貴族の風体だ。時代背景無茶苦茶だな。
「あれは、アヴァリキューム侯爵だ。政治的な力は低いが、
領地経営で経済的に恵まれている。友誼を結んで損はない」
兄上は私に耳打ちすると、その老人の元へ歩いて行った。
給仕から果実酒を受け取る、最近では度数の低いものなら飲めるようになった。
ブランデー、グラッパ、ウィスキーとかだったら楽に死ねるが……
ちなみに彼ら給仕係は、平民の使用人ではなく、下級貴族の次男等だ。
権力者に近づく機会が多いので、以外にも人気職だったらしい。
「では一番!アルセーヌ、一気するぞい!!」
……相変わらず元気な爺さんだな。久々に合ったベルナール叔父さんは、
白いものが増えているな……人間歳を取っていく、ということか。
「やあ、ヴィットーリオくん」
「お久しぶりです。クレマンさん」
姉さんの結婚相手のクレマン・ユーグ・ジャック・ド・メリヴェールだ。
少し気弱な性格をしている人だ。小さい頃から家を訪れる度に、姉さまに構ってくる。
まあ性格上、直接口にはしてなかったが、バレバレでしたぜ。今回の件は本壊だろう。
……兄上には激しく恨まれたが。
「ヴィットーリオ君が、もう少し年上なら、同じ大学に通えたのにねぇ……」
「そうですね、クレマンさんが居たなら、モンペール大学に留学したかもしれませんね」
モンペール大学は南ガウルのモンペールの街に有る大学だ。沿岸都市でも有り、
地中海への貿易港にもなっていて活気に満ち溢れている。兄上もここの大学の出身だ。
「帝国大学を目指すって聞いたよ、何を修得するつもりだい?」
「やはり言語学ですね。後は歴史を学びたいと」
「僕と違って頭が良いからねー、僕はエトルリア語を修得するのでさえ難儀したよ」
「ヴぃとーりにーさま、ぎゅー!」
「わわっ!」
幼女にタックルされてバランスを崩す私。
「もう、駄目じゃないのマルゲリータ!」
「うわああん、かーさま怒った!」
我が姪マルゲリータだ。兄上譲りの漆黒の瞳と義姉上譲りの美貌を持つ幼女だ。
将来の美人さん候補ナンバーワンだ、このまま育てよ。
「本来の三歳児とは、あれが正常なのだろうな」
「……兄上」
「あの頃のお前は、既にガウル語を修得していたぞ…大学に通っている私より速くだ」
兄上が苦笑している。目元が赤い、酔っているのか?酒豪なのに。
「……クレマン」
「はっ、はい義兄上!」
「……妹を頼むぞ」
一言呟くと、背を向けて歩き出した。去り際に振り向いて一言
「…泣かせたら、マジ、ブ・ッ・コ・ロす、からな?」
最高の笑顔だった。あーあ、クレマンさん、フリーズしてるよ。
「ヴィットーリオ!」
「姉さま、ご結婚おめでとうございます」
姉さま……本当に美しくなられた、昔のお転婆が嘘のような美女に成長なさった。
「もう、あなたと一緒に暮らせなくなるわね…」
……姉さま、そのような悲しい顔をなさらないで下さい。
……姉さま、私は姉さまに幸せになってほしいのです。
「覚えている?小さい頃は、貴方と一緒に庭の花を摘んだりしたわ」
「覚えております、あの時は、姉さまに絹のシャツを破かれてしまいました」
「そうだったわね、お母さまに二人して怒られたわ」
「姉さま、家族でギアーノの海へ行った時の事、覚えておりますか」
「ええ、あの時は貴方が岩場で足を切って大変でしたわ」
「あの後しばらく肉類を食べる事が出来ませんでしたね……」
「私も…よ」
「姉さま、逢えなくなっても想い出の中にその人は居ます。故国へ帰っても
姉さまの事はいつも考えます。姉さまも、私の事を時々、想い出してはいかがでしょうか?」
「ええ、必ず……貴方に貰った手鏡、大事にするわ」
姉さまが嫁いでから2カ月、8月の中旬の事だった。
私は来年の秋、帝国大学へと受験する。帝国には知人は居ないが、義姉上の親戚筋の伯爵家に逗留する事になる。宮廷管財人のアルノルト伯爵だ。法服貴族(領地の無い貴族)で帝都の市参事会の議員でもある、つまり大学の間を利用して、帝国の宮廷で顔を売って来い、と言うことらしい。実にありがたい親心だ。
帝国自体は3流国家(北部の造反でさらに実力低下)でも、その権威と言う物は馬鹿に出来ない。というか、権威が有るから今まで滅びなかった、とも言えるが……
そんな事を考えていると、父上の元に、危急の伝令を告げる使者が現れた。
父上がそれを開き見ると、目を見開き愕然としていた。
父の反応に、よほどの事が遭ったと見た兄上が覗くと、兄上も硬直していた。
私も覗き見る。そこにはエトルリア語で以下のように記載されていた。
「ブレンダーノ公国、タウリニア共和国に宣戦布告。国境線を突破セリ」
平和な日々は終わりを告げ、歴史が始まる瞬間だった。
第1部 完