第21話 ミノタウロスとの戦い
古代遺跡の地下迷宮で、牛頭人身の怪物ミノタウロスと対峙する我々。幸い天井の一部が崩落している為、明りが差し込んでいる。松明を持って戦う必要は無くなった。
「フシュルルル」
ミノタウロスが鼻息を荒くして突っ込んで来た。まともに喰らえば、タダでは済まない。
「くっ!石礫!」
トーマスが遺跡の岩を浮かび上がらせて、相手に射出する。ミノタウロスは岩を両刃斧で打ち砕く。
「ムダダ!」
「せいッ!」
ヘレネがダーツを放つ、皮膚に突き刺さったようだが余り効果が見られない。
「ヴィト、とんでもない化け物だな」
「勝たないと脱出出来ない。行くぞ!」
手榴弾を投擲して、抜刀する。爆発と同時に突撃を敢行する。フレイヤの麻痺薬付きのボルトも命中してその巨躯の動きを止める。
「ヤルナ…ニンゲン!」
「ギュンター、首を落とす!」
「分かった!任せろ!!」
どんな化け物も、頭を潰せば活動は停止する。一気に片を付けるべく接近戦に持ち込む。
「……ザンネン、ウソダ」
突如立ち上がり、斧を振り回すミノタウロス。擬態だったとは!
咄嗟に後方に飛び避けて、何とか攻撃を回避する。かくなる上は一つしかない!
「そのキレイな顔をフッ飛ばしてやる!」
短銃をミノタウロスの眉間に撃ち込む。鉛玉がめり込みはしたが、頭蓋を割るには至らず、少量の血を出血させるだけだった。
「……爆弾が効いてない時点で予想はしてたけどさぁ……頭蓋骨で銃弾止めるって引くわ……」
古式銃って命中率と射程は現代の銃と比べ物にならないけど、この銃は弾の重さが30グラムだ。それを秒速400メートルで射出すれば、運動エネルギーは約2600J。M16A2の2092.0Jを遥かに凌ぐ。威力に関しては、現在のアサルトライフルよりも上だ。
何喰ったらそんな芸当出来るんだよ……あ、人肉料理か。止めとこう。
「ヴィト前!」
「!」
繰り出される斧を剣で払いのける。金属の削れる嫌な音がする。凄まじい力だ。腕がしびれている。まともに受け止めたら剣が折れるだろう。こちらも反撃はするものの、表皮を切り裂くにとどめ、致命傷には程遠く、むしろ興奮した相手がますます攻撃の手を強める。
その時、ギュンターが気勢と共に首筋めがけて炎剣を振り下ろす。しかし、そのたくましい腕で喰い止められる。肉の焼ける臭いが辺りに広がり、さすがのミノタウロスも悲鳴を上げてもがき苦しむ。
その隙は逃さない。一気に接近すると、ミノタウロスは空いた右腕で斧を振り回す。私はそれを屈んで回避すると、短剣をミノタウロスの右脇に突き立てた。
(ねえ、ジョルジョ。鎧を着ている相手や体格の大きい敵を倒す時は、どうしたらいいの?)
(……どんなに体を鍛えていても、鍛えられない部分が有ります。坊っちゃん分かりますか?)
(頭ダネ!!)
(……)
(いや、冗談だって!何さ、その「このガキはイッちゃってるよ。あいつら未来に生きてるな」的な目線は!?)
(訓練中は真面目にやって下さいよ。いや、まぁ坊っちゃんには無理でしょうがね……答えは関節部です)
(あー、確かに鎧って脇とか肘は動くようになってるよね)
(他にも筋を断てば動けなくなる上、血管も集中しています。出血で体力が奪われれば、その分動きも鈍くなる。鎧の重さが仇となるのです。覚えておいてください)
ふと、昔、とはいっても、ほんの数ヶ月前の事に思考を奪われていると、暴れるミノタウロスにギュンター共々放り出される。背中を強く打ちつけて、肺から空気が失われるのを感じた。
「ググゥ……ニンゲン共ガァ!!」
呼吸が出来ずに咳き込んでいると、ミノタウロスが私に歩み寄って来る。突き立てた刃の間からおびただしい量の出血をしているが、その目は闘志を失っておらず、怒りに燃えていた。
私は、自分の運命を神に祈った。
あのままでは、あの子はミノタウロスにやられてしまうだろう、ギュンターは顔を打ち、気を失っている。覚悟を決めるしかない。
「トーマス、あんた近接戦闘は出来るかい?」
「多少は出来ますが、あの巨体に有効打を与えられる自信は無いですね……」
トーマスの返答にヘレネは舌打ちする。これだから魔術師は嫌いなんだ。
「そうかい……なら、フレイヤ覚悟を決めな。私等でアレを喰い止めるよ。トーマス、あんたはあの二人を後方に下げて、治療して。それくらいの時間は稼ぐさね」
あの子のお陰で、弱点は分かった。ならば容易い!
ヘレネはダーツを投擲すると、ミノタウロスを挑発する。
「やい、このデカブツ!聖職者じゃあるまいし、小さな男の子にいきり立ってる暇があるなら、あたしの相手をしたらどうなんだい!?」
「……コムスメ、ナマイキナ!!」
ヘレネは、挑発されて猛然と突進してくるミノタウロスに不敵な笑みを浮かべると、小袋から砂を取り出して顔面に投げつけた。ミノタウロスは目を潰されて暴れている。
「娘扱いしてくれるなんて嬉しいねぇ!これはお礼だ、取っときな!!」
そう言うと、ヘレネはダーツを投げつける。ミノタウロスも声を頼りに斧を振り回すが、間隙を突いて、仕込み杖で頸部の刺突に成功。さらに杖剣を抜き放ち、後ろに回り込んで背中を切りつける。ようやく視界を取り戻したミノタウロスが見た物は、自分の首に鉈を振りかざす少女の姿だった。
ギュンターはようやく、意識がはっきりしてきた。辺りを見回すと、ヴィトがトーマスの治療を受けていた。ヘレネはミノタウロスの背中を一閃していた。そして、幼馴染の少女が、鉈でミノタウロスへ止めを刺す所だった。
「俺って情けないよなぁ……トーマスみたいに魔法使える訳でもないし、ヴィトみたいに頭良い訳でもねぇ。出来る事って言ったら、剣をブン廻す位じゃねえか」
その自分が、戦えなくなる。それは、すなわち守るべき少女を危険に晒すことである。今もフレイヤが前線に出ている。ギュンターは己の不甲斐なさを恥じた。
「ダメだ…まだまだ修行が足りネェ。未熟すぎだぜ、帰ったら鍛え直さないといけない」
剣を振り回すだけでは力が足りないだろう。現にキュヒラーにも敗れている。剣術以外にも、技術を身に付けねば。そう考えていると、何故ヴィトが、聖書について教え込んでいるのかが理解出来た。アイツ、俺に治癒魔法教えようとしてたのか。
「まだだ!まだ…生きてるッ!!」
その、ヴィトが叫んでいる。ふと、ミノタウロスを見ると、首に鉈が刺さったまま、フレイヤに斧を振り下ろそうとしていた。その恐ろしい光景にフレイヤとヘレネは動けずにいる。
「畜生!!」
レーヴァティンの剣はミノタウロスの左腕に突き刺さったままだ。持っているのは予備携行のロングソードのみ。フレイヤを突き飛ばすと背中に強い衝撃を感じた。
ミノタウロスと対峙すると、背中の傷を見たフレイヤの悲鳴が聞こえた。
心配すんな、熱さは感じるが不思議と痛くはない。
「大丈夫ですか?」
トーマスの魔法で痛みが和らぐと、大きく息を吐いた。薄暗い地下迷宮、埃とカビと肉の焼ける臭いがブレンドされた、淀んだ空気はじつに美味しいですね。ここで、一か月も生活すれば、どんなアレルギーや喘息持ちの人でも間違いなく肺炎になれますよ。
「ええ、何とか……」
ミノタウロスを見ると、首に鉈が喰い込み、膝をついて痙攣していた。ようやく終わったのか……
「……アイツはサイバーダイン社製かよ」
「……何ですか、それは?」
「あ、いえ何でもないです。治療有難うございました」
ヘレネが杖剣の血を拭いながら戻って来た。高かっただろうなアレ。仕込み刃と剣にも成っているのか。便利そうだけど無理な力が加わると直ぐ折れるだろうな。玄人向きの武器だ。
「坊や、大丈夫だったかい?」
「大丈夫です。あと少し休憩すれば動けると思います」
ミノタウロスを見てみると……おかしい。普通なら倒れる筈なのだが、その様子は無い。アイツの正体はまさか……
「まだだ!まだ…生きてるッ!!」
予想は的中した。ミノタウロスは立ち上がり、フレイヤに斧を振りかざす。間に合わない!!
しかし、ギュンターが突進してフレイヤを突き飛ばす。だが、その時にギュンターの背中が切り裂かれ。血が吹き出るのを見たフレイヤの悲鳴が木霊した。
「ギュンター君!!」
「化け物め!まだ生きていたのかい!!」
ギュンターは予備の剣を持ち、フレイヤを庇う様にミノタウロスを威嚇している。だが、ダメージが蓄積している上、背中の出血が体力を奪っている。顔は次第に青ざめ、剣を持つ腕は萎えていく。
「ヴィト君は休んでいて下さい!」
トーマスとヘレネは、ミノタウロスに立ち向かっていく。あれだけの傷を負っているのにその戦闘力の低下は見られない。こちらがじり貧となるのは目に見えていた。
だが、奴を倒すの糸口はつかめた。推測が正しければ奴は…
「……あいつ霊体…なのか?」
神話通りの記述なら、ミノタウロスはテセウスに倒されている。この地に存在する筈がないのだ。だが、その亡骸はどうなったのか?説明はされてない。
きっと、正しく葬儀されていないはずだ。死体を抱えて迷宮から脱出などする訳がないだろう。後に、迷宮を設計したダイダロス親子も放り込まれているが、彼らが翼を作り脱出するというのは、ラブリュントスの術式が残っていて正攻法では脱出出来なかったという意味だろう。
奴が霊体であるならば、対処は悪魔払いと大して違いないが、数千年の怨念の塊である。持てる最大級の術式を行使するしかあるまい。
よろめきながら立ち上がり、雑嚢から聖水のビンを取り出して、スキアヴォーナの刀身にまんべんなく振りかける。左手の指輪を聖水の滴り落ちる剣に押し当て、魔力を込めながら祈りの言葉を唱え始めた。
「Pater noster, qui es in caelis,
sanctificetur nomen tuum.
Adviniat regnum tuum.
Fiat voluntas tua,
sicut in caelo, et in terra.
Panem nostrum quotidianum da nobis hodie,
et dimitte nobis debita nostra,
sicut et nos dimittimus debitoribus nostris.
Et ne nos inducas in tentationem,
sed libera nos a malo.
Amen.」
「Absolve Domine, animas omnium fidelium defunctorum」
(主よ、全ての死せる信者の霊魂を)
「ad omni vinculo delictorum.」
(ことごとく罪のほだしより解いて下さい。)
「Et gratia tua illis succerrente,」
(彼等が主の聖寵の助けによって)
「mereantur evader judicium ultionis.」
(刑罰の宣告を免れ、)
「Et lucis aeternae beatitudine perfrui.」
(永遠の光明の幸福を楽しむに至らんことを。)
「Confutatis maledictis, flammis acribua addictis, dona eis requiem.」
(呪われた者が退けられ、業火に呑み込まれる時、彼の者に安息を与えたまえ)
「……Amen.」
すると、透明だった聖水が青白く発光しはじめた。その剣を見たミノタウロスがたじろぐ。
「これを使え!」
剣をギュンターの前に投げる。地面に刺さった剣を受け取ると彼の出血は収まり、力を取り戻しミノタウロスに立ち向かっていった。そして、止めを刺す為のもう一つの切り札を使う。
「コレを使う日が早速来るとはね…」
懐から取り出したのは、聖ヨアヒム銀貨を鋳潰して造った銀の弾丸。アンデット狩りに最適な代物だった。
ミノタウロスは明らかに怯えていた。ギュンターが一歩前に進めば、相手も一歩ずつ後退していく。しかし、後ろは壁面だ。もう逃げる事は出来ない。半狂乱になったミノタウロスは、咆哮するとギュンターに突進して斧を振り下ろす。その一撃を盾で受け止めると、衝撃で2歩分は後退し、塞がりかかった傷口が再び開き激しく出血した。
だが、眩暈がするような苦痛を、倒れようとする肉体を意志の力で奮い起こさせると、ミノタウロスの胴を薙ぎ払う。すると、今までどのような攻撃を加えても、確かな手応えを与える事の出来なかった筈が、紙を切り裂くようにあっさりと腹を切り裂かれた。
「してやったぜ……」
その姿を見たギュンターは満足し、片膝をつく。朦朧とする視界にヴィトが銃を持ってミノタウロスに迫っていくのが見えた。彼に後事を委ね、床に崩れ落ちて意識を失った。
こぼれ落ちる内臓や血を手で押さえて留めようとするミノタウロスの姿に、私は、少しばかり憐れみも感じていた。
「たけき者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ…か」
銃口をミノタウロスの額に当てて、安息の祈りを捧げながら引き金を引いた。
「キサマタチニンゲンハ……イツモ…」
灰と化していくミノタウロス。私は今更ながら彼の生涯を考えた。
太陽神ヘリオスと女神ぺルセイスの間に産まれた王妃パシパエと、白い牡牛との間に産まれた忌み子。
産まれて直ぐに両親に化け物として忌避された。家族の愛を知らない彼はしだいに乱暴になる。そして、ただ1人出ることも不可能な迷宮へ捨てられる。
その様な仕打ちをされた彼は、人間を強く恨んだのであろう。当然である。
その彼に生贄として14人の少年少女が送られる。結果はあえて言うまい。
そして、20年も過ぎた頃に生贄に交じっていたアテナイの王子テセウスに首を切られて討たれる。
かくしてテセウスは英雄となり、ミノタウロスは化け物として人々に記憶された。
ミノタウロスの父親である白い牡牛についてだが、一般的にはポセイドンが送った白い牡牛だと言われているが、紀元前6世紀の古代ギリシャの散文家アクシラオスの説によると、クレタ島初代国王ミノスの母親エウロペを拉致した白い牡牛と同じとされている。
その白い牡牛の正体はエウロペに恋したゼウスが変身した姿だ。
そしてミノタウロスの本名アステリオスの意味は“雷光”である。
もし……いや、歴史に仮定は無意味だが、もし道が違っていたら、黄金の羊毛を獲る為に起ちあがった英雄50人と1頭という話や、妹の夫テセウスと共に冥界へ冒険に行くと言う冒険譚も聞けたかもしれない。だが、そうはならなかった。
やがて、天井から流れる風に遺灰が吹き散らされ、ミノタウロスは消滅した。
私はその光景を己の目に焼き付けて、踵を返し仲間達の元へと歩んで行った。