第10話 Χάρισμα 聖なる恩寵
朝、眼が覚めると体の痛みは残っていなかった。平民用の服に着替え、剣を吊るし一階に降りる。
一階に降りると、宿の親父さんが、坊主大丈夫だったか?と声をかける。
ええ、トーマスさんの治療で完治しましたと返すと、身元についてあれこれ聞いて来る。
適当に嘘を並べ立て、裏庭で剣の練習をして良いですか?と聞くと
「ああ、いいぜ魔物に喰われるなよ!それと早く家に帰れよ!」
と返される……どうやら、家出息子だと思われているようだ。まぁ、外れではないが。
この世界は現代のように、インターネットやテレビでニュースが見られるわけではないのだ。
情報の速度と正確性は格段に劣る。
首都で起きた事件が、地方に伝わるのが一月後、なんてことは当たり前なのだ。
そもそも身の回りと関係の無い事件など、入って来ないことだってある。山を隔てた隣国が滅亡しようと、この地方に兵隊なり、難民なりが来ない限り、なかなか伝わらない物だ。
だが、その分変化には敏感だ。
私が逃避行中に、人との接触を出来る限り避けたのは、それが理由である。
怪しい人物(一人で出歩く身なりの良い12歳児)なんぞ格好の噂の的である。
それが理由で正体がばれれば逃亡した意味が無くなる。
だが、あの分なら大丈夫であろう。
あの焼け方だ、屋敷は全焼。DNA鑑定の存在が無いこの世界では使用人の子弟と
貴族の子弟の見分けはつかないだろう。
魔法で判別できるかもしれないが、教会魔法にそのような術式は無かったので心配は無い。
ヴィットーリオ・ミケーレ・ディ・チェルヴィーノと言う貴族は死に、私は今の誰でも無いのだ。
元々、私は半分は死人のようなものだったが……除霊魔法を自分に掛けたらどうなるのだろうか?
そんな、事を考えながら裏庭に出る、昨日の青年が剣を振っていた。たしか、ギュンターと言ったか。
「おっ、お前も剣の練習か」
今日も笑顔が素敵ですね。このイケメン。
「うん、日課だったんだ。練習しないと少し、落ち着かなくて」
剣を鞘から引き抜いて見ると剣の中ほどから、大きな亀裂が走っていた。
「あー、すっげヒビ……直すのに結構取られるぞこれ」
「この亀裂だともう駄目…かな。切り詰めて短剣にするか、鉄屑だね」
危ないので鞘におさめ、手頃な棒で素振りをする。
「あーあのな……」
しばらく互いに無言で素振りをしていたが、ギュンターが何か言おうとするので、
素振りの手を止めて聞いた。
「本当にすまなかった!あの怪鳥がお前に向かっていったのは俺のミスなんだ!」
突如、頭を下げて謝罪するギュンター。おおぅ、この世界にもお辞儀の風習あるのね。
だが、止めてくれないかねギュンター君、対外的には冒険者に救われた家出息子ということになっているのだ。その冒険者サマが頭を下げていると何と……ほら、奥方様たちひそひそ話しちゃってますよ?目立ちますよ、ばれますよ、私の死亡フラグおっ立てるおつもりですかアナタ…このままでは不味いので少し大きめの声で言った。
「いえ、ギュンターさんが気にする事ではありません。怪鳥に襲われたのはあの場所に居た自分が大きいのですから…それに最初に攻撃したのは俺です。怪鳥が激昂して向かってきたのは、俺に原因が有ります」
最初に攻撃したのは嘘だが、嘘を信用させるのは真実と併用して用いるべし、だ。
それに、半分は本当の理由だ。モンスターが出没するポイントにのこのこ出歩く私が悪いのだ。
真実を語らない方が本人のためになる事もあるのだ。
「そう言ってくれると、助かる。フレイから相当攻められたんだよ、大変だぜあの女は。
それとお前、いい奴だな!友達になろうぜ、俺の事はギュンターと呼び捨てで呼んでくれよ」
驚きだった。私はこの世界では呼び捨てで呼び合うような、気軽に話せる同世代の友人は居なかった。 権力者に真の友人は存在しない。だが、今の私なら。そして彼なら親友となれると確信できた。
「うん……宜しくね…ギュンター」
緊張で少し赤くなっただろうか、そんな私にギュンターは飛び込んで来た。
「おうよ!俺に任せておけ!!」
話を聞いていた主婦達も「若いって良いわね」とか「青春ね」や「創作意欲が湧くわ」等と…
ちょっと待てコラ。色々突っ込みたいが、この世界にもアレが有るのか!
「……この分なら大丈夫ね」
陰に隠れていた栗色の髪の少女が、そう呟き立ち去るのを、私は気が付かなかった。
素振りを終えて二人で宿屋へ入ると、フレイヤとトーマスが朝食を待っていた。
他に泊まっている客は居ないので事実上の貸し切りだ。2人に挨拶をする。挨拶は人間関係の潤滑油だ。
「わっるい!遅くなったぜー」
「いつもの事でしょ。それよりあんた。ちゃんと彼に謝ったの?」
「もちろんだぜ!ヴィットーリオはいい奴だよ。俺の事許してくたぜ」
机を見るとライ麦の混じったパン、ゆでたソーセージ、シチュー、リンゴのジュースが置かれていた。 フォークもある、どうやら民衆の文化はかなり進んでいるようだ。史実の中世みたいに肉の手掴みは個人的にはごめんだった。
ギュンターは民族的に北の出身だろう、その人物がフォークを普通に扱えるという事は、ナイフ・フォーク法が民間レベルまで伝わっているのか。
……やはりコーヒーは無いのかな?どこかで聞いた気がするが…朝は、あれを飲まないと始まった気がしない。最も、今の身体でカフェインを摂取すると、どうなるか分からんが、紅茶はあるからそっちを…
どうでもよい事を考え込む悪い癖が発動し、食べないのですか、とトーマスに言われてパンを食べる。
……旨かった、冷静に考えるとあの日以来、初めてのまともな食事だった。
食事を胃袋に叩きこんでいると、のどを詰まらせリンゴジュースを飲む……訂正、これはリンゴジュースじゃない、シードルだ。
シードル リンゴ果汁を発酵させた酒、要するにリンゴビールだ。アルコール度数が低いので子供向けにも飲まれる。子供に酒を出すな、と怒るかも知れないが、生水の方がよほどか危険なので、酒の方がマシなのである。民族的に酒に強い連中が多いしね。多分、今の自分の方が、前世の自分より酒に強いと思う……12歳児に潰される25歳ってなんだ?
シードルの味?腐ったリンゴジュース。というか、果汁100%のリンゴジュースを放置すれば出来ると思う。
「こうして、ごはん食べる所は年相応よねー」
……一週間ぶりのまともな飯なので勘弁して下さい。
朝食を終えると部屋に集合した。聞かれたらマズイお話などをするからだ。
「さて、単刀直入に聞きましょう。あなたはこれから如何したいのですか?」
「正直言って分からない。あの男を恨む気持ちはまだ有る。
だが、今殴り込みをかけても返り討ちに遭うだけだろうから意味が無い」
恨みなんぞ簡単には消えない、奴が目の前に居れば嬉々として殺すだろう。
「だが、このまま手を拱いていても事態が好転するとも思えない。奴の権力は拡大しつつある。権力が高まれば暗殺の機会が増える。故に、護衛側も注意するからだ」
「毒殺等採りえる方法はあるのだが――――――奴はこの手で仕留めたい」
私が胸中を語るとトーマスは言った
「その見識、意思、行動力どれを見ても12歳とは信じられませんね」
「母国語じゃないんだろー。それでそれだけ語れるなんて、薬で子供の姿に変えられたとか言われても信用出来るぜ」
……やけに鋭いな、ギュンターは。つい途中から口調が変わってしまったのも悪いが。
「よく言われます。でも俺は正真正銘の12歳ですよ」
「ほんとよねー、ギュンターに半分の知識を分けて欲しいわ」
「なんだよ、俺はバカってか?」「あら、馬鹿じゃない?討伐対象の獲物を逃す位には」
ギュンターとフレイヤが口喧嘩をしそうになっていたのでトーマスが止める。
「私としては、あなたの復讐を止めるつもりは有りません。復讐は残された者の正当な権利です」
意外だった。トーマスという男の言動から見ると止めてくるかと思った。
「ですが、今のあなたの実力では、返り討ちに遭うのは事実でしょうね。私は知り合いをそのように死なせたくはありませんし、目覚めも悪くなります」
「なので、ここは私達としばらく行動を共にしませんか?行くあてが無いのでしたら同じでしょう」
「そうよ!それがいいわ」「俺も賛成だ!」
「この先の行くあても有りません。一人ならブレンダーノに乗り込み果てたでしょうね」
「だが―――冒険者として生きるのも悪くない。悪くないと思います」
――――――そう、悪くない。復讐をするなら確実に、だ。冒険者として力量と付ければ実力的にも対抗できるし、人脈を築けば政治的にも対抗出来る。著名な冒険者は王侯貴族とも面会する事が有るのだ。とすればそれを支援に事を成せる。何も悪くない。
だが、打算とは別に、彼らとは友人関係を気付きたいのだ。いい加減一人でいるのに疲れたのかもしれない。肉体に精神が引き摺られたのか?神童だの、天才だの言われても、私は子供ということか…
「よっしゃ!これからも一緒だな!なーお前、共用語と剣が使えるけど他に何が出来るんだ?」
彼等には転生知識以外の自分の全てを明かす。隠すべきでないだろう、信頼には信頼で答えるのだ。
「そうですね、言語は一番の特技ですね。母国語のエトルリア諸語以外にも、エトルリア語、ガウル語、タラゴーナ語、ケルティック語、共用語、グラエキア語これらは読み書きも出来ますね。ノルド語は方言がきついと無理ですね、会話だけなら出来ると思います」
「テュルク諸語は片言なら通じると思います。普通の会話は無理でしょう。どうしましたか?」
「いや……もう君が色々、規格外なのは解りました」
「やって見れば簡単なんですけどね。エトルリア語系でタラゴーナ、ガウル、俗語が覚えられます。帝国語も習得すれば、ノルド、レックランド語も覚えられます。あ、レックも多分通じますよ。帝国語+ノルド語系ですから……ケルティック語、グラエキア語は、趣味で覚えましたね」
今思えば子供の記憶力すげーって覚えまくったけど、充分チートです。
「あれれー、ぼく、あのこがなにいっているのか、わかんないぞ」
「……ギュンターあなた疲れているのよ」
……漫才始めた2名は放置する。
「武術の方は、剣と銃以外は扱えますか?」
「はい、司教様から、魔法を少々」
「……と言うとやはり教会魔法ですか?」
私は悪戯っぽい微笑を浮かべると言った。
「正確に言うと、教会魔法“も”使えます」
「ケルティック系も少し齧りました。その為にもケルティック語を覚えたのです」
私の発言にトーマスが少し驚いた表情で言った。
「意外ですね。十字教徒の方はドルイドを忌避すると思いましたが」
「さぁ、僕は別にどの教えが正しくて、この教えは異端で間違っている。といった考え方は出来なかったので……正解なんて無いと思いますよ。仮に間違っていたとしたら、その時は、司教のいう所の“異端”の神に救いを求めますね」
発言してから、相当不味い事を発言したと思った。仮にも宗教家相手にお前の教えなんて知るか。と発言したようなものだ。グリエルモなら泡吹いてぶっ倒れるな。
ギュンターとフレイヤは石像のように固まっている。肩が震えているぞトーマス。完璧に怒らせたな。
もし、ここで戦闘沙汰になったらどうやって逃げようか。
などと考えていたがトーマスの考えは、いい意味で予想とは違っていた。
「……感嘆しました。他者の教えを尊重し理解する。
ですが、この国でそれを口にするのはかなり問題でしょうね」
「この考えが教義に合っていないのは理解しています―――この思想を知っているのは
私の魔法の師と信頼する一人の家臣、あなた方三人だけです」
頬を釣り上げ笑みを創る。悪魔の笑顔とはこのようなものをいうのだろう。
―――さあ私の信頼は全て曝したぞ、どう応える。
「……魔法の師と仰いましたね。何という方ですか?」
……巧みに答えを避けたかトーマス、まあいいだろう。少なくとも教会で異端審判になる事は無いな。
「……確か、ロバート・クリフォードと言う方で…」
驚愕したのか、眼を見開いて肩に掴みかかるトーマス。おぅ、この男もこのような反応をするのだな。
「教えてください!彼は今何処に居るのですか!」
おい、顔が近いぞトーマス、私にその趣味は無い。
「さあ?俺も数ヶ月間教えて貰っただけなので、突然現れて突然いなくなるから」
そういえばそういう人物でしたね。と呟き肩を放すトーマス、二人は彼の反応に驚いているようだ。
「トーマスさん。そのロバートって人は有名な方なのですか?」
「ええ、ドルイドの中でも最も優れた魔術師と言われていますね。150年前の資料に既にその名が記されていますから、実年齢はそれ以上です」
その時点で十分化け物だな、あのじじい。
「不老不死なんて憧れるわぁー」
「不死だと思うけど、不老ではなかったよ。枯れ木みたいな見た目だったし」
最初、行き倒れてるのかと思ったぐらいだからな。
いや~、枯れ木はイヤ~、とムンクになっている少女は放置して話を進める。
「じゃあさ!ヴィットーリオもすごい魔法の使い手なのか?」
「んーそうでもないと思う。覚えてるのは“タラニスの車輪陣”や
“トータティスの一撃”とか詠唱に時間かかるし……」
「それって、最上級儀式魔法じゃないですか……それを子供に教えるとか何を考えているのですか」
やっぱ、お前すごいよ、さすが親友。とか言っているけど詠唱に一時間かかる魔法なんて、何の役に立つのだ?敵は待ってくれないし、だったら剣で斬りかかった方が早い。
費用対効果が悪すぎるのだ。詠唱失敗したり、魔法陣が破壊されると命を落としたりすることもある。だから、私は実戦で魔法を使わなかった。教会魔法でいくつか使い勝手のよさそうなのはあるが、アンデットとか、悪魔向けがほとんどで、後は治癒関係の魔法だ。
「と、すると“弦の拘束”とか“氷の槍”や“石礫”等の護身魔法は使えないという事ですね?」
「護身魔法?」
「知らないようですね。ドルイドの魔法には儀式魔法、治癒魔法、弾唱魔法、護身魔法が有ります」
トーマスの話を纏めると、このような分類になるらしい。
儀式魔法 大規模な術で使用するのに陣や儀式が必要。無い場合は長時間の詠唱若しくは大量のマナが必要。祭典や戦争などに用いられる。効果が大きい分対価も大きく失敗すると大抵大惨事になる
治癒魔法 教会の治癒魔法と効果はほぼ同じだが、術式や必要な道具が変わってくる。
弾唱魔法 吟遊詩人の唱の事。魔力が必要無く一般市民も楽しんでいる。要するに歌謡曲。
護身魔法 手軽に使えて自分の身を守るための魔法。ファンタジーゲームの魔法に一番イメージが近いのがコレ。簡略された儀式魔法が基らしい。
一応、魔法の建前としては、治癒魔法や、弾唱魔法みたいな害の無い魔法以外は、人に向かって使うのは禁止されている。だが、身を守るために使うのは許される。その事を曲解して戦争や盗賊相手にバンバン使う……建前と実際なんて往々にして逆転してるものである。
勿論、魔法を悪用する奴も居るが、それは魔法に限った話ではないだろう。
「という事で、危険な儀式魔法を使用するのはやめて欲しいのです。その代りわたしと行動している間に簡単な護身魔法を教えます」
願っても無い話だった。実用性皆無の魔法なんか覚えていても仕方が無い。
必要なのは即戦力になる魔法だ。
「はい!宜しくお願いします」
「礼を言う必要は無いですよ。もう一人魔法を使える人が居れば戦いの幅が広がりますし、私も楽できますし」
「あ、そうだ。思ったのですがヴィットーリオという名前は捨てることにします。この名前だと正体が割れるかもしれないし」
「今までの過去を捨てる意味でも、新しい名前を名乗りたいのです」
私のその発言に皆は感動しているようだ。フレイヤに至っては涙まで浮かべている。
「そうだね、Vittorioを縮めてVito……ヴィトって名前にします」
単純すぎるネーミングだと思ったが、しっくりくる名前なので良いだろう。変な名前で目立つのもごめんだ。
「よっし、ヴィト!一緒に来るなら装備を購入しないとな、あんましいい物ないけど」
「間に合わせならここでも十分よ。本格的なものはクルムバッハまで行けば揃うから」
「……私は留守番していますので、3人で行ってらっしゃい」
ギュンター達3人が出ていくと、私は先程の話を振り返った。
(このまま手を拱いていても事態が好転するとも思えない)
(―――この思想を知っているのは私の魔法の師と、あなた方三人だけです)
(……確か、ロバート・クリフォード)
(“タラニスの車輪陣”や“トータティスの一撃”)
(その時は司教のいう所の”異端”の神に救いを求めますね)
(――――――奴はこの手で仕留めたい)
あの少年はいったい何者なんだ?どう見ても人間の子供、悪魔憑きやエルフでは無い。しかし、その知識と言動は12歳ではありえない。たとえ家族を殺されて復讐に燃えているとしても性格は変われても知性は変わらない。
彼の本質は賭博師だ。自分の命さえチップにして運命をゆだね、停滞を嫌い、変化を望む、勝てば全てを手に入れ、負ければすべてを失う。敗北さえも運命と楽しんでいるのかもしれない。
極めて危険な思想だ、しかも実行能力まである。おそらく彼が起てば、人はその魅力に酔い嬉々として命を捨てていくだろう―――私も、おそらく彼のために行動するだろう。
彼は私たちを信頼してくれているのだろう、さもなくばあのような発言はしない。望むなら韜晦することだって可能なはず、だが彼は、我々の事を信頼してくれているから、全てを語ったに違いない。
私は彼を導かなければなるまい。少しでも良い方向へ……
「……本当に何者なんですか?あの子は」
―――私の呟きに応えるものはいなかった。