第9話 Passus 受難
ジョルジョの家を脱出した後、夜の街の裏通りを抜けながら考えた。
この国は滅びた。ブレンダーノ領に為るという事は、旧指導者層は徹底的に弾圧される。
民間人を利用した人狩りも起きるだろう、隠れる場所がない以上、この地に居るのは危険だ。
この国から逃げ出す必要がある。残っていても、殺されるか、傀儡として利用されるかのどちらかである事は、明白であった。
国境や峠は封鎖されている、また、タウリニア方面は戦場になっている。ガウルに抜ける道は、封鎖されているのだろう。どちらにしても直接行くのは難しい。
また、盗賊と化した傭兵や奴隷商人に捕まれば話にならない。
「ならば、一つだけだな」
チェルヴィーノ山脈。アルプス越えだ。史実のマッターホルン登頂記を見る限り、
それを成すのは困難に思えるが、私はそんなに悲観はしていなかった。
別に登頂するわけではない、スイス側に抜けさえすれば問題ないのだ……
その後、一週間かけてマッターホルンの麓まで来た。時間がかかっているように思えるが仕方ない。可能な限り、人目を避けるために、街道沿いを避け、森林地帯を踏破したのだ。
途中の村で、現地住民の服と幾度か食料を盗み出した。少しサイズが大きいのでナイフで端を切り調整する。街の住民が着るような仕立ての良い服を着ていると、身元がばれる恐れがあった。
麻袋も拝借しマントに仕立てた。この地方の服は厚手とは言え、マントが無いと夜は凍死する。服が破れるのを防ぐためにも必要だ。
まぁ、銀貨を置いてきたので許してもらおう。
季節は秋 だが、山脈を見上げると積雪している。幼いころから雪道を歩き慣れているとはいえ山越えだ。この革のブーツだと足元が不安かもしれない。ああ、現代の登山ブーツが非常に欲しい。
だが無い物を強請っても仕方ない、湖で水を補給すると、道なき道に向けて登山を開始した。
予想通りだった。途中で足を滑らせて転落しそうになるアクシデントもあったが、迂回する事によって頂を突破した、視線のかなたに村が見える……ツェルマットか?この世界にも存在したとは……
最も村が有る事は予想していた。マッターホルン超えを狙ったのも超えた先の近くに村が有るからだ。ここまで来れば追われる事は無いだろう。
だが、忘れていた。この世界が魔法もありモンスターありのファンタジーだという事を
「グゲェェェェアァァァァッ!」
聞いた事も無いような叫び声が耳に入り後ろを振り向くと、
巨大なオオワシが飛び込んでくるのが見えた。
「がッ!なんだコイツは!」
かわし切れず頭を打たれて地面に倒れる、額が切れて血が目に入り右目が見えなくなる
これがモンスターという奴か、やらなきゃやられる!
「くそっ、喰らえ!」
持っていたホイールロック式短銃を(万が一のために既に装填されている)化け物に向けてぶっ放した
―――ところで、当時の拳銃の射程はどれほどの物か知っているか。
答えは、10m前後。これ以上離れると何処へ飛んでいくか分からない代物だった。
その上、鳥のような動く目標に撃ったらどうなるか。
当然―――外れた
「!」
化け物は半円を描いて体当たりを喰らわせて来た。まともに衝撃を受け突き飛ばされた。
「ううっ……」
「鳥の化け物が…畜生…」
何とか立ち上がり敵を見つめる。めまいがして頭を振る。
怪鳥がこちらに向かって滑空して来る。
呼吸を整えて相手が射程に入ってきたのを見計らって剣を払う。
片目が見えないので射程を少し見誤ったが、確かな一撃を与えた。
その事に満足すると急に体が、瞼が重く感じる……疲れたな、少し寝るとするか。
……誰かの声が聞こえる。まぁ、何とかなるだろう。
………じゃあ、おやすみ
「おはようございます」
眼が覚めると見知らぬ部屋だった。体は自分の体だったから転生フラグは無いだろう。……もう一度赤ん坊から始めるなんて嫌過ぎる。
すると、部屋に居た知らない少女が私に気が付いたのか声をかけてきた。
「あっ、気が付いたみたいね」
栗色の髪を肩で切りそろえた白い花のような顔の少女だ。
年齢は自分と同じぐらいだろう。薄い水色の大きな瞳がチャーミングだ。
「あーとー……少し、待って居てね。今、人を、呼ぶから」
単語を区切るように話す少女に、ああ、そう言うことか、と思い話しかける。
「ありがとうございます。公用語なら話せるので心配しないでください」
流暢な帝国公用語に驚く少女。やっててよかった言語学!
「そうなの!よかったー、私たちのパーティでエトルリア諸語(俗語)を話せる人居ないから。ギュンター、トーマス、彼、気が付いたわよ!」
パーティ……と言うと彼女は冒険者なのか。世の中には色々な事情が有るから、深くは問わないが。
そんな事を考えていると、部屋の扉が開き2人の人物が入ってきた。
「おおー良かった!気が付いたのか」
「傷の具合は大丈夫ですか?治癒魔法をかけたので、ほぼ完治していると思うのですが」
始めに声をかけてきた青年は金髪に緑の瞳に白い肌、典型的な北欧人だった。
顔の作りは広い額に切れ長の眉毛、大きな瞳、高い鼻……典型的なイケメンだ、滅びろ。
もう一人の青年は、おっと、こいつもイケメンだ、畜生。
髪の色は伸ばした金髪を後ろで束ね、鳶色の瞳で細眼。
人の良さそうな笑顔を浮かべている……うん。人類の敵ですね。
そんな事をぶつぶつと考えていると。切れ長イケメンが話しかける。
「えっと……言葉、分かるかな?俺、ギュンター。
ギュンター・シュヴァルツシルトって名前だ。歳は14。」
「あっ、すみません、帝国語なら話せます」
ギュンターはその発言に少し驚いたようだが、すぐに笑顔を浮かべた。
「そっか、宜しく」
「自己紹介が遅れたわね。私はフレイヤ。フレイヤ・ライネー。13歳よ」
「申し遅れました。私はトーマス・カーライル20歳です。
聞いての通りケルティック人でドルイド見習いをやっています」
哺乳類イケメンキツネ目ことトーマスの挨拶を聞くと質問を投げかけた。
「皆さんに助けていただきありがとうございます。
あの、俺がどうやって助かったのか聞いていいですか?」
「そうですね。私から説明させていただきましょう」
それはギルドからメーベ村の怪鳥の討伐依頼を受けて戦闘中の事でした。
「フレイヤ!装填まだか!」
「うっさいわねー!少しぐらい一人で耐えなさいよ!」
ギュンターの要請にフレイヤがクロスボウのボルトを装填しながら言った。
彼女が扱うクロスボウは装填が速く済むように改造されているのだが、それでも10秒近くはかかる。
「させません!アイスカッター!」
私の魔法の援護射撃で怯む怪鳥。その隙を逃さずギュンターは叫んだ。
「んにゃろう、我慢の限界だ!ほ・の・お・の剣!」
剣にマナを注ぎ込み刀身が焔に包まれる。盾を投げ捨てると両手で袈裟に斬りかかった。
「あッ、馬鹿!」
ギュンター渾身の一撃を危うく避けた怪鳥は大きく嘶くと飛んで行った。
「どーしてくれんの、この馬鹿!何であそこで斬りかかるの?」
討伐対象に逃げられたフレイヤが憤慨してギュンターに言い募る。
「隙を見せたら悪・即・斬!だろ。大体フレイの装填遅すぎー」
「仕方ないじゃない。麻痺薬塗るのに手間取るんだから。大体、クロスボウにしたら相当速いわよ。私」
確かにそうである、普通のクロスボウは30秒に1発とかだ。改造ライトクロスボウとは言え、麻痺薬塗って10秒に1発など、どこぞの傭兵団から声が掛かっても不思議ではない。
「まぁ、失敗してしまったのは仕方ありませんね。今日は一度村に戻るとしましょう」
私が彼らを説得して、村へ戻ろうとすると銃声が聞こえた。
「なっ…何?」
「まさか、村人が!」
「急ぎましょう!」
銃声の聞こえた場所に到着すると一人の少年が怪鳥と対峙していた。
右手に剣を構え、左手には短銃を持ち、血を流し服は破れ、見るからに重傷だった。
「aquira diavolo!morte!」
何か良く分からない言語を喋っていた。村人じゃないのか?服装はいかにも村人だが…
怪鳥が少年に向かって突っ込んでいく。少年は剣を掲げてじっと待っていた。
……刺し違えるつもりか?いけない!
「フレイヤさん!クロスボウで麻痺を。ギュンター君!少し時間を稼いでください」
少年は怪鳥に一撃を与えたようだ……しかし、浅い。致命傷までは至らず、勢いのまま突進され飛ばされて倒れる少年。追撃しようとした怪鳥に、ギュンターが斬りかかる。かわして空中へ逃げようとした怪鳥に、フレイヤの矢が命中して地面に叩き落とされる。
「わたし特製シビレタケの麻痺薬。その辺の麻痺薬と違って効果は折り紙つきよー」
笑顔で地面に叩き落とされた敵を見る少女。その顔はとってもやり遂げた感がある。
………これが無ければ、もう少し可愛げが出るのですが。
「今です!アイスランス!」
詠唱していた魔法を発動させる。氷の矢が怪鳥の羽を貫く……もう飛んで逃げる事は出来ない。
「ギュンター君!」
「おう、今度こそ!ほ・の・おの剣!!」
ギュンターが怪鳥の首を斬りおとす。これを持っていけば依頼達成だ。
しかし、今は少年の容体の方が気になる。
幸い、命には別条はないようだ。出血と疲労から気を失ったようだ。しかも良く見ると
気品のある顔立ちだ……先程の銃といい、この顔立ちといい猟師の息子等というのは有りえない。保護して話を聞かねば……
「ねぇ、この男の子大丈夫なの?」
「命に別条は有りません。ですが、出血は多いですね。宿に連れ帰って治療しましょう」
「それがいいわ。ギュンター、あんたが背負いなさい」
「うげッ「げ!じゃないでしょう。元を正せばあんたが先走ったのが原因なんだからねッ!」
「むぅ……悪かったよ」
「では、彼の荷物は私が持ちますので、フレイヤさんには警戒をお願いします」
こうして私たちは気を失った少年を背負ってメーベ村へと帰還しました。
村に帰還すると、怪鳥の脅威から解放された村人たちが歓迎してくれる。少年については誰も知らない。と口を揃えて言っていた。宿に連れ帰って治療してみると、幾つかの事が分かりました。
まず、体つき。年齢に比べてしっかりしている。すなわち栄養豊かな環境で育ったという事だ。体も筋肉が程良く付いている。武術の経験は有るのだろう。しかし、体には大きな傷は無い。山育ちなら多かれ少なかれ怪我をする。この点から、山育ちの少年という説は消えます。
次に持ち物。ホイールロック式銃…最新式の短銃だ。軍隊でも配備しきれていないし価格も非常に高価だ。それに装飾も付いている。これだけで金貨数枚の価格はするだろう。
持っていた剣は一般的なものです。行商人が護身用に持っている程度の剣。
そしてかばんの中にあった服。平民用の服とシルクのシャツとズボン。
平民はまずシルクなんて着ませんね。羊毛か亜麻、近年はいってくるようになった木綿の何れかです。
更に一番の謎は、数百枚の金貨の入った袋と、指にはめられた指輪。発動体ですね。
そして、手鏡と、豪華な装飾と宝石で彩られた紋章の入った首飾り。
―――聞いていいですか。君は何者ですか?
私は見事な推論に感心していると、トーマスは続けていった。
「ま、大方は予想付きますけどね。家出した貴族の子弟。違いますか?」
トーマスの目つきは鋭くなり、諭すように言った。
「悪い事は言いません。家に帰りなさい。この世界はあなたが想像しているほど
甘い世界では有りません、君にも帰りを待つ両親や兄弟が居るのでしょう」
「ちょっトーマス、言い過ぎじゃ…」
何かを言いかけるギュンターを手で制すとトーマスは続けた。
「ギュンター君の事情と彼の事情は違います。言わせて下さい。はっきり言って迷惑です。命を落とす前に帰りなさい。家までは送ります」
彼の言葉に部屋はしん、と静まり返る。
「確かに、このまま行けば命を落とすだろう―――だが」
私はこれまでの事情を話した。侯爵家の次男である事、戦争で家族を失った事、命を張って助けてくれた老人を見捨てて逃げ出した事、森林を踏破し、盗みを働いてまでこの地までたどり着いた事。話をしていると涙が出てきた。
家族が亡くなった時には涙が出てこなかったが、今になって初めて泣いたのだ。
―――そして、家族を、家を、国を、自分のすべてを奪ったあの男に!ブレンダーノ公に激しい恨みが募った
「帰る家など既に無いッ!この上はアメデーオの奴に復讐してやる!奴に家族の受けた以上の苦痛を与えてやる!溶けた鉛を背中に掛け、焼けた鉄のブーツで踊らせてやる!やっとこで歯を引き抜き、眼球に酸をかけて、滑車で腸を引き摺り殺して、殺して、殺してッ!!」
途中からエトルリア諸語で語っていた為に、彼らには、私の発言の始めしか理解できないはずだ。
だが、いつの時代も、愛の囁きと暴言には国境は無い。それはこの世界でも同じらしく、私の発言の粗方の意味は、彼らに通じたようだった。
……一頻りの怒りと悲しみを言葉にして吐露すると悲しみが少しは紛れた。
肩で息をする私を皆が慰めてくれる。
「その公爵の奴は相当な根性悪だぜ!それまでにも散々民衆を弾圧していたらしいじゃねぇか。その上、反乱を起こさせて家族ごと焼き殺すなんて、皇帝陛下の爪の垢でも飲みやがれ!」
「大変だったね。もう大丈夫よ、ここまで来れば兵隊だって追って来られないわ」
「……そのような事情とは、知らずにとは言え、勝手な暴言を語り、申し訳ありませんでした」
「魔法で治癒されているとはいえ、体はまだ治りきっていないはず、この部屋は貴方のために借りています。今日は早い所体を休めた方がよいでしょう」
「―――悲しみを癒すには時間と愛情です。今はたっぷりと寝て、少しでも心を癒してください」
初対面の人間をここまで慰めてくれるとは、彼らは信じての良い善人なのだろう。
荷物だけ奪って放り出される事だって、あり得た事態なのだろうから。
―――どうか、この先に出会う人間も、彼らのような善き人ばかりでありますように。
転生してより多少は信仰するようになった主の存在に、私は祈りをささげると、意識を闇へと落とした。
解説
マチェット ジェイソン・ボーヒーズ愛用の武器 刃先が重く、軽い力で大きな打撃を与えられる。草や枝を薙ぎ払ったり、動物の解体やゾンビの頭をカチ割ったりも出来る万能兵器。