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第8話 Eschatos 終わりの時

 タウリニア共和国に、コルモヴィーコという街が有る。全てはこの街が発端だった。


 この街は、ブレンダーノとギアーノの丁度中間地点に有り、両国の陸上交易の重要拠点で、その関税などで大変栄えていた。というのも近年、ブレンダーノ公国は小麦やワイン、高級織物を、ギアーノ経由でガウルに売りさばいていた。


 これを見たコルモヴィーゴ領主はブレンダーノへの妨害の為、関税を高く引き上げた。その為、別ルートへの迂回や、チェルヴィーノ、ヘルヴェティア連邦経由の陸上交易へとシフトして行った。


 これに激怒したのが、ギアーノ共和国及び、コルモヴィーコの商工会だ。前者は海上交易の利益減少、後者は陸路輸送の商人の消費減だ。両者は反乱を企て、成功し、領主一家の首が城門に晒される事態に至った。


 当然、共和国政府は討伐軍を派遣する。

 しかし、共和国軍が街に到達したときには、城壁にはギアーノ国旗が靡いていた。




「アルタータ司令官、如何なさいますか?」

「…攻撃だ!投石機を組み立てろ、梯子を作成するのだ!」

「了解しました!」


「投石機、梯子の作成終わりました」

「よし、反乱軍を許すな!攻撃開始!」


 多少の増援を得たとて、所詮は反乱を起こした市民が中心。プロの市民ではあるが、プロの傭兵と騎士から編成された軍にかなうはずも無く、数時間で城壁が占領されかけた……その時。



「ギアーノの奴等も情けない奴らだよなあ……野郎共!連中の背中はガラ空きだ。

 一番多くの敵を倒した部隊全員に、娼館で豪遊させてやるぞ!」

「Si!Capo Oliviero!」(了解、オリビエロ親分!)


「しっ、司令官閣下!敵の増援部隊です……あれは、ブレンダーノ軍!」

「なんだと!ええい、攻城戦を中断して迎え討て!」


 マルガリオ将軍率いるブレンダーノ軍が、背後より猛攻撃を掛ける。討伐軍は、なまじ城壁に集中していた為、逃げるに逃げれず、司令官以下ほぼ全軍が戦死、若しくは捕虜となった。


 その後、街の統治に最低限の人数を残すと、ブレンダーノ、ギアーノ連合軍は、タウリニア共和国へと雪崩れ込んでいった。



「以上が、今回の顛末で御座います」

「うむ……御苦労だった。下がってよいぞ」


 伝令が下がると、強張った顔をした兄上が問いかける


「大変な事に……成りましたな。父上」

「うむ…重臣を集めて会議せねばなるまい」

「ヴィットーリオ、お前は下が……いや、考えが有る。会議に出席せよ」


 暫くすると、屋敷に重臣が集まる。

 遠方に居る領主や、任務で海外に居る貴族は、後ほど知らせを通達する。


 案の定、ブレンダーノとタウリニアの戦争に皆が驚愕していた。

 特に、親戚がブレンダーノ人のマスカーニ家の人達は蒼白になっていた。


「聞いての通りだ。我が国は、二年前にタウリニアと五年間の相互防衛条約を結んでいる。よって、ブレンダーノへ宣戦布告する事を胸に戦略を建てて欲しい」


「ガウルにも、この事態については以前に協議済みで、増援が派遣される事になっている」


「…皆の意見を聞かせて欲しい」



 ざわめきが起き、あちらこちらから声が上がる。

 だが、それは意見と言うより、ブレンダーノの非道をなじる暴言ばかりだった。


「皆の者、落ちつくが良い。怒りを吐いても何も変わらぬ。

 我こそは、と思う者は家臣を率いて戦場に出るが良い」


 戦場は名誉と、報酬と、機会を得る絶好の狩り場だ。

 近年、平和な日々が続いた為、多数の貴族達が名乗りを上げる。



「うむ、これだけ集まれば、傭兵を雇わずとも十分な数が集まった。皆の忠義、嬉しく思う」

「カペロット」

「はっ」


「貴殿が戦場に出れば心強いが、今回は若い皆に功を譲れ。

 卿はマリア・テレーザと共に、残ったもので領内を纏めよ」

「……承知しました」


「カペロット老!我らが功績を立てるのを見ていて下されよ」

「やかましいわい!」

 若い貴族の子弟がはやし立て、老伯爵が激昂げっこうし、皆に笑いが広がる。


「カッシーリ、卿も留守番だ。街の警備部隊をまとめよ。

 騎士が減る分、防備に不安が残るが、職務を果たせ」

「お任せ下され」

「マスカーニ伯爵、息子嫁の件は残念に思う。だが世の習い。両名の補佐をせよ」

「……ッ!承知した」


 いよいよ、私にも初陣の時が来たのだろう。訓練は積んだ、後は名乗り出る勇気だ。


「父上、私も!」

「ヴィットーリオ、お前は残れ」

「しかし、考えがあると!」

 この場に呼んだのは、出征させる為では無いのか!私が出した勇気はなんだ。


「……そういう意味では無い」

「これは戦争だ。我々も討ち死にするやもしれぬ。その時の為に皆に発表しておく」

「我々が討ち死にしたら、マリア・テレーザとカペロットとお前で国を護れ」

「しかし、トンマーゾ公子が!」


 ありえない、国を継ぐべきは兄上、そして、その直系のトンマーゾ公子だ。

 しかし、父上は机に拳を叩きつけて断言した。


「一歳の乳飲み子に国が護れるか!」


「…家族間の確執が気になるのであれば、トンマーゾを養子にせよ。

 そしてマルゲリータを嫁にすれば良い……無論、成長を待ってだが」


 父上の軽口に皆に笑いが広がる、あの子は3歳で、かつ姪だぞ!誰がそんな真似するか!


「いやあ、それは目出度い。聡明そうめいなる公子殿なら、どちらも守れるでしょうな」

……失せろ、豚野郎。


「私も、あなたなら娘を任せられるわ。娘もヴィットーリオ君の事を

 気に入ってるようだし……そうよ!そうしましょう」


 義姉上、話がややこしくなるので、黙って頂けませんか?


「いやあ、それは止めた方が宜しいでしょう。公子は来年、大学へ留学なさる、婚約者など作っておけば、真面目な公子の事です。きっと、遊びもせずに勉学をに励むでしょう。……青春時代の交遊は、人の味に深みを増す香辛料です。妨害為さらぬが宜しいですな」


 ある中年貴族の発言に、場の空気が完全に解れ、会議は終了した。



 数日後、軍の編成が完了したチェルヴィーノ侯国軍が、ブレンダーノのカステロ・サン・ロターリオに向けて進軍して行った。その城は、ブレンダーノ、タウリニア、チェルヴィーノの3つの国境地点に近いブレンダーノの要塞で、この地を攻撃する体制を見せれば、ブレンダーノ軍が進撃してくると見えてる。


 ブレンダーノ軍の総兵力は、多く見積もっても三万程度、しかし、各地の防衛部隊や、国境線の牽制に一万は裂く必要がある。理由は、先年の戦争で領土を奪われた、連邦、ヴァレリア、ラグーナの三国が報復戦争を仕掛けてくる可能性があるのだ。


 ブレンダーノ軍の実働戦力は二万、ギアーノ軍が七千、対抗する共和国軍は、傭兵を加えても一万八千程度だ。しかし、首都に立てこもった防衛線になれば、数カ月は保つと見ている。冬になれば軍を維持できなくなり、撤退する。この時代の戦争は、冬季戦はめったに行われない。



 チェルヴィーノ侯国軍は総兵力九千、数こそ少ないが花形である、cavaliere(重装騎士)を多数備え、補佐する歩兵部隊も、訓練された石弓部隊や、連邦仕込みの斧槍部隊と質では高い編成だ。

 将来、軍を率いる事が有れば、テルシオ陣かマウリッツの横隊を造ってやる。



 戦略は、要塞を包囲しつつ、従士の騎馬部隊を偵察として各地に散らし、ブレンダーノ軍が救援を送ってくるならば、峠まで撤退して防衛線に挑む、質では勝っている上に、候国軍は、山岳戦や森林戦は十八番だ。五分以上の戦いが出来るだろう。


 相手が要塞を見捨てる場合は、ガウル軍の到着と同時に、包囲を解き、タウリニアと対峙しているブレンダーノ軍と決戦する。数も互角以上、おまけに前後に敵を構える形となる。よほど、アホな真似しなければ勝てるだろう。


 最後に、タウリニアの攻撃を中断して全軍を以って、候国軍に攻めよせてきた場合は、峠に引き摺りこんで、山岳地帯を利用したゲリラ戦や撤退戦だ。犠牲は大きいだろうが、山岳地の落石用の岩の隠し場所や、それを発射するカタパルトやスコーピオンを隠してある。さらに、地形を利用した野戦陣で、高所から溶けた硫黄や鉛、焼け石を御見舞いする。


 突破されたら市街地でゲリラ戦だが、そうなる頃にはガウル軍が到着しているはずだ。


 マジギレした我が祖父が、ブレンダーノ軍相手に猛攻撃を掛ける。撤退戦で犠牲を出している彼らが防ぎきる事は出来ないだろうし、防ぎきっても相応の犠牲が出るから、維持しきれず撤退するはず。


 だが、最後についてはあまり気にする必要はない。何故か?


1、ブレンダーノの戦略目標はタウリニアだ。戦略目標を放棄してまで我が軍と

戦闘したがる戦闘馬鹿では無いだろう。


2、包囲を外せば、溜飲下げる為に馬鹿貴族が勝手に追撃するから。

それで負けるブレンダーノではないが、多少の犠牲は出る。


3、我が国はタウリニアより北側、沿岸都市のギアーノからかなり離れている。

ギアーノ軍は本国防衛のために、ある程度の兵力は廻すはず。つまり兵力差は減る。


4、タウリニア軍がある程度統制が取れるなら、思い切って一万程をこっちの増援に送る。上手くいけば挟撃戦。勝敗は別として、ブレンダーノ軍は大打撃を受ける。撤退して戦略的勝利を得る。



 と言う事で、よほどの事が起きない限り、今回の戦争は有利に展開するだろう


 傭兵部隊を雇えば、数で匹敵する筈なのだが、父上は傭兵の存在を軽蔑しているのだ。


 この時代の戦争は、行われる期間は春から秋と限定されている。その秋や初夏でさえ小麦の収穫時期になれば、互いに撤退する場合がある。そこで登場するのが傭兵部隊だ。


 傭兵は個人を雇うのではなく、Condottiere(傭兵隊長)と契約し、部隊ごと雇われるという形式だ。その数も、数人といった小さな物から、国家君主が傭兵隊長であり数万の規模の兵力持つものまで様々である。


 現実の歴史で有名なのは、ガッタメラータ、黒隊長ジョヴァンニ、ウルビーノ公モンテフェルトロ、ヴァレンシュタイン、ジョン・ホークウッド、アンドレア・ドーリアと…どれも、ラテン人共ばかりだ。


 もっとも傭兵を雇うのは、資産に余裕が無ければ出来るものではない。イタリアで傭兵が発達したのも、その辺りが理由であると推測している。



 この世界では、ヴァレリア侯カルロ・デッラ・キウージの先祖が、傭兵隊長から国盗りを成功させた事例がある。まあ、あの国自体がラグーナの防へ……もとい、傭兵隊長みたいな物だからなあ…


 武力のある者が簒奪さんだつを狙う。下剋上げこくじょうは古来より存在するものだが、

その前例を知っているだけに傭兵を忌避しているのだ。


 父上は、良くも悪くも田舎者なのだ。家族や信頼する身内は優しいが、よそ者や信頼の出来ない人間には極めて排他的である。エイトリが領内で生活できるのも、その技術力が高いからだけで別に信頼はしていない。


 このタイプの人間は、他人を仲間にする時は、身内に取り込んでしまおうとする。婚姻政策や、養子縁組等を駆使する。親族登用主義ネポティズモ上等なのだ。親族で無いのなら、親族にしてしまえばよい。まるでハプスブルク家だ。


 この考えが良いか悪いかは判断できないが、身内への面倒見は良い為、領内の貴族の団結心は強いだろう。国を少数の兵力残すだけで、遠征出来るのが理由だ。



 まあ、私が考えても詮の無い事だな。




 数日が経ち、季節は9月3日となった。



 伝令からの情報によれば、ブレンダーノ軍は要塞を見捨てる戦略を取った。


 つまり、今頃、タウリニアの首都攻防戦は熾烈しれつを極めて居るだろう。

是が非にもタウリニアを陥落させて戦争を終結させようという魂胆こんたんだ。



 だが、肝心のガウル軍の到着が遅れている。そろそろ領内へ入ったという知らせが来ても良さそうなのだが……多分、大貴族の利害調整で遅れているのだろう。互いにライバル関係とか有ると、勝手な行動をしたりするからな。秀吉と勝家がいい例だ。


 しかし、朗報も入った。ラグーナ共和国が国債を発行し始めたらしい。

 出入りの商人経由の情報だ。国債を発行する、つまり早急に資金調達が必要となったという事だ。



 この場合は、ほぼ間違いなくブレンダーノへの宣戦布告であろう。



 すぐに、この情報をカペロット伯爵に伝えた。カペロット伯も狂喜して、父上へと伝令の使者を出す。 士気の面でも良い援護になるはずだ。




 夜になり、夕餉を頂くとする。母上と私の二人だけだ、数カ月前の喧騒けんそうが嘘の様だ。

 尚、義姉上と子供は昨年に完成した別邸で生活しているので居ない。


 夕食のメニューは、パンに、鹿肉のシチュー、祖父から送られたチーズに、マーシュやケール等のハーブサラダと、生ブドウ、レモン水だ。現代からみれば、結構な御馳走に見えるが、貴族世界からすれば相当質素である。


 これは主な理由として私が、大量に作ってもどうせ食べられない。使用人に食べさせるなら、始めから別に作れよ勿体無い。と、幼いころから口酸っぱく言って来たからだ。


 御蔭おかげさまで使用人には、選民主義こうまんだの、吝嗇ドケチだの、冷徹な天才児と近寄りがたい存在に思われている。 下手に近寄って媚売られるのも面倒なんで放置している。実は寂しいが。


「お父様のチーズ、美味しいですわね」

「そうですね、母上」


 会話が途切れると、銀器を動かす音だけが稀に響く。


「あちらでは今頃、ワイン造りが本格的に始まっているでしょう」

「ワインですか……」

「まだお前は分からないのでしたね」

「ええ、まあ、飲めるとは思いますが、父上との約束があるので」


 尚、この地は万年雪のある山が近くにあるので、多くの季節を雪で冷やしたワインが楽しめる。あと一月もすればそれを楽しめるだろう。


「あの子は今、何をしているのでしょう」

「同じ月を眺めているでしょう。どんなに土地が離れていても、同じ月です」

「お前は、吟遊詩人の才も有ったのですね」


「母上」

「何ですか?」

「母上は、この土地に嫁いだ夜、何を思いましたか?」

「……そうですね」


「私は貴族の女です。望まぬ結婚も、愛無き家庭も、

政治の駒となる事も甘んじて受け入る積りでした。」


「今だから言えますが、私は当初、この結婚を望みませんでした。私には、心寄せる方が居たのです」


「ですが、理想と現実は相反する物、私はこの婚姻を受け入れ、半ば試練に立ち向かう聖女の気持ちで、あの方に出会いました」






(―――なぜ、そんな悲しい表情をするのだ?)

(……)

(…君には、想いを寄せる者が居るのかね?)

(……ッ!)

(……やはりそうか)

(……)

(……構わぬ)

(…えっ?)

(生きている限り、思い通りならん事の方が多い。問題は、自分の気持ちをいかに納得させるかだ。奪われるのと、譲り渡すのでは、結果は同じでも、気持ちは大きく違うだろう。そうは考えないかね?)


(…うふふ)

(……何がおかしい)

(今の時は、愛の睦言を囁き合うのが普通では無くて?)

(…むう、そのような戦術は訓練されていない。不可能だ)

(では私で練習なさると如何です?)

(…………私は、今日初めて君に逢った。そんな私に恋せよ、と言うのは出来まい)

(だが、私達は夫婦だ。愛を育む事は吝かでない。そうではないかね?)

(……五十点)

(ええい!どうせ私は口説き文句など出来ない田舎者だ)

(うふふふ)(一々笑うな!)




「私は、」


「侯爵に、恋はしませんでした。ですが、夫として愛する事は出来ました」


「そして気が付けば、子供が生まれ、家族が増え、今では私はおばあさま」


「ヴィットーリオ、覚えておきなさい。」



「――Amor vinci Omnia.」(愛は全てに勝利する)


「今日は少し疲れました。先に休みますね」

「はい、母上御休みなさいませ」





 夜、寒さで目が覚める、9月には最高気温も10度を切る地だ。さすがに薄手の布団では寒すぎたか。


「……外が、少し騒がしいな。喧嘩かな」


 街の郊外から騒ぎ声が聞こえる…警備隊がその内止めるだろう。



 だが、その喧騒は収まるどころか、次第に近付いてきた。


……何かがおかしい!


 すると、壺が割れるような音が、あちこちで鳴り始めた。その後、ヒュッ、カッ、トンと何かが刺さる音がした。木製の窓の扉を少し開き外を覗く。暗くてよく分からないが、そこには侯爵邸を取り囲むようにして、大勢の人間が武器を手に喊声かんせいを上げていた。


 そして、松明に照らされた旗に一瞬見えた紋章は、盾地の半分に黒と白のアーミン模様が、残りの半分には、赤地に金色の鍵がマーシャリングされ、その上には王冠に巻きつく蛇と、盾を取り囲むように金の鎖が記載されていた。そして、モットーには、

“Suum cuique”(それぞれに所有すべきもの)と記されていた。


「……ブレンダーノ公国の紋章!」


 何故?いったいこの地にどうして?等と考えてい来ると、敵の司令官と思える人物が進み出て来た。



「候国軍は全滅した!侯爵も、その息子も死んだ!ヴィットーリオ公子、次は貴様だ!」


……父上が亡くなった?……兄上も?…馬鹿な、あり得ない。

 しかし、あそこに居るのは公国軍?……嘘だ……



「ガウル軍は来ない!峠も封鎖した。貴様等は見捨てられたのだ!」


 思考が止まる、体が動かない……扉に何か突き刺さった…火矢?


 後ろを振り向くと、部屋の扉の隙間から白い煙が流れ込んでいるのが確認できた。

……まさか、さっきの割れる音は


「坊っちゃん!」


 荒々しく扉を破ってきたのはジョルジョだ。


「どんな魔術を使ったかは知りませんが、ここに居る公国軍は本物です!」


「ジョルジョ……父上が……兄上が……」


 声が震える、ジョルジョそんな事は嘘だろう、そう言ってくれ。


「ここに奴等の居る以上、恐らくは……」



「…そん……な…」



「坊っちゃん、何れにしろ、この屋敷は危険です。

奴等は油と火矢を打ちこみました。このままでは焼け死にます」


「今の坊っちゃん……いえ、ヴィットーリオ侯爵の仕事は、母君を助け出して再起を図る事です」


「……しごと…母上を……たすける?…」


「そうです閣下、その服装では危険です。外出時の民衆の服を着用なさって下さい」


「着替え終わりましたな。失礼ながら箪笥を開けさせて頂きました。

金貨の袋を御持ちなさい。逃走資金に必要です」


「銃の携行は忘れずに、勿論、火薬もです」


「……ああ」


「では参りましょう。ご母君の寝室へ」




「くそッ、火の回りが早い!閣下、別の道から行きましょう」




「公国軍の連中め!屋敷から逃げ出した人間を皆殺しにしてやがる!」




「寝室の扉を破ります。宜しいですかな?」

「……」

「…失礼いたします」




「母上」




「……いけませんよ母上、床で眠るなど、貴族の女性として果したなくありませんか?」



「……母上、母上…母上?ウウッ……」












「手前、いい加減にしやがれ!!」


「屋敷が焼かれるのは悲劇だ!親が殺されるのも悲劇だ!

だがお前まで焼け死んだら、それはただの喜劇だ!」


「お前、普段の智略と行動力はどうした?」


「お前は親が殺されたから、悲嘆に暮れるだけか?」



「その程度で生きる事を放棄するか?教義いたんを恐れず、貪欲に知識を求め、

肉体を鍛え上げ、己の目的に向かって行動するお前は、その程度の人間なのか?」


「お前は、剣と天秤を持ち、己の正義を信じて悪と戦い、勝利を収める」


「それが、俺の崇敬すうけいするお前の姿ではなかったのか?」



「……はははっ、それは個人崇拝って奴だよ。ジョルジョも教義を恐れないね」


「随分、思いっきり殴ってくれたね…青くなってるよ」

「はん!少しばかりイイ男に整形しただけだろが」

「その言い方のが、ジョルジョらしい。閣下、なんて言い出した時は、

煙でやられて気でも狂ったのかと思ったよ」


 そうさ、私は何を悩んでいたんだ。時間は元に戻らない、そして運命に聞く耳はなし。


―――運命という女を陥落としたければ、行動あるのみだ。



「坊っちゃん、脱出しましょう」

「いや、最後に少し待ってくれ」


母上の亡骸に近寄る、胸に抱いた手鏡を掌中する。


「…母上、司祭もオリーブ油も、最後の時を見取る事すら出来なかった愚かな息子をお許しください。」


「Agnus Dei qui tollis peccata mundi dona eis requiem sempiternam.」

(この世の罪を除き給う神の子羊よ、彼の者に永遠の安息を与え給え)


「……行こう、ジョルジョ」


 ジョルジョは何も語らず、先導する。彼のその気遣いがありがたかった。





「屋敷は、完全に包囲されています。まともに遣りあって脱出は無理でしょう」


「翼でも作るか、ジョルジョ?……この熱では飛ぶ前に溶け落ちるぞ」


 御冗談を、と言ったジョルジョが案内したのは、今では使われていない古井戸だった。


「この、枯れ井戸は底に横穴が掘られています。そこから市内へ抜けられます。元々はカルロ侯爵が、市内へ放蕩するために使ったんですがね」


 ジョルジョがロープを手にする。


「今では屋敷で知ってる人なんて居ないですよ、さっ、降りましょう」



 横穴を抜けて、出た穴をよじ登る。そこは薄暗い裏通りのpiazza(広場)だった。

 ジョルジョは枯れ井戸に格子を嵌めこむと、私を手招き、先導した。


 到着したのは、ジョルジョの家だった。淀んだカビ臭さに鼻を顰める、机には薄らと埃が積もっていた。古い木の椅子を、手で払うと腰を下ろす。どれだけ掃除して無いのだ?


「あー、駄目だ。葉っぱが埃だらけだ」


「安ワインで良いですかい?他に飲む物なんかねえわ」

「いや、何も要らない。それより今後の手立ては?」

「んー、暫くはここで身を隠しましょう。何がどーなってるのか、さっぱりだ」


「そうだ!義姉上を御助けしなければ!」


「止めた方が良いでしょうや。本邸をあんな手際よく襲撃したって事は、別邸も……」

「……」

「何もわからん時は、闇雲に動くのは止しましょう」


その時、扉が激しく叩かれる。


「…本当に手際のよい事で」

「どうする?」

「……あの梯子で、屋根裏から屋根伝いに脱出して下さい」


「なんだよ、扉が壊れるじゃねえか!今開けるから、少し待ってろ!……お別れです。出来るだけ会話して、時間を稼ぎます」


「……ジョルジョ」

「…このままでは二人とも死にます…ならば、どちらかが助かるべきだ」


「ジョルジョ……さらばだ」

「……ご壮健で」


 梯子を登り、屋根裏へと出る。下の方から怒号と物音が私の耳に聞こえて来た。


 それを助けてやれない矮小な自分の身を呪い、力の無い自分に酷く腹が立った。










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