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ティエンランシリーズ

夜桜

作者: まめご

その日、シュロはうんざりしながら歩いていた。

稽古場に練習用の扇を忘れたのである。

疲れ果てた体は夕餉と休憩を求めていたし、上司と顔を合わせるのが嫌だった。

踊り子として宮廷に上がってから、二年が経とうとしている。

それなりにプライドはあったし、この華やかな職業は格好の伴侶探しに最適だ。

金持ちで様子のいい男がいれば、さっさと引退するつもりだった。

が、新しく舞踏長に就いたマイムは、容赦なく、かつ鬼の如く踊り子たちを教育した。

「なんでそんなこともできないの、あんたたちは!」

怒鳴られなかった日などない。

日が暮れる前に解放された日などない。

マイムが宮廷一の踊り子「舞姫」だった時代をシュロたちは知らない。どうせその美貌で男や世間をたらしこんだに違いない。

「本当はドヘタクソなんじゃないの」

「ヒステリーって嫌よね」

そう仲間たちと陰口を叩くことで溜飲を下げた。


目指す稽古場には灯りがともっていて、シュロは舌打ちをする。

こっそり様子をうかがうと、秘かな話し声が聞こえた。

鬼のマイムと楽師長ミヨシノのものだ。

うわ、白将軍誑たぶらかした次はミヨシノさまかよ。

だけど、いいネタが出来た。帰ったらさっそくみんなに言いふらしてやろう。

ふんだんに話を膨らませて。

にやりと笑ったシュロは、そっと窓から顔を覗かせた。


「いっそすっきりした方が良くはないか」

笑いを含みながら細面の優男が琵琶を掻きならした。

じょうと鳴る。

「そのためにはわたしは何だって協力するよ。麗しの舞踏長殿のためならね」

「相変らず口だけはうまいのね」

「口だけではないと自負しているつもりだが」

琵琶はだくと響いた。

「観客がいないのが不満だけど」

ゆっくりとマイムは、稽古場の中央に歩を進める。

「お言葉に甘えて一舞しましょうか」

しゃらりと構えた。

その右手を天に掲げ、左手は優美に回転し胸の前へ。

シュロは思わず息を呑む。

ただそれだけの動作に凛々しさと儚さが宿っていた。



「演目は」

「夜桜を」


夜桜。

その舞をシュロは知っている。


春はおぼろ、桜の下で女は男を待っている。



――――靜



花びらが闇に舞う。



靜    靜    靜    靜



次から次へと絶え間なく。



靜  靜  靜  靜  濁  靜  靜  靜  靜  靜




男はこない。

女の慕情は次第に狂気へと変わる。



靜 靜 靜 濁 濁 靜 靜 靜 靜 靜



強風が花びらを舞い上げる。



靜靜靜靜靜靜靜靜靜靜靜靜靜靜靜靜



女の狂気は風を操り、女の絶望は闇を裂く。

乱舞する花びら、月も飛ばされる花嵐の夜。


濁濁靜靜靜靜靜靜靜靜靜靜靜靜靜靜

靜濁靜濁靜濁靜濁靜濁靜濁靜濁靜濁

靜靜靜靜靜靜靜靜靜靜靜靜靜靜靜靜



まるでそこだけが異空間だった。小宇宙だった。

激しく鳴る琵琶のと共に形成される。

これほど圧倒的な舞を見たことがない。

こんな魂が震えるような。

シュロは自分の体を守るように両腕を回していることなど気が付かず、ただ食い入るように凝視していた。



濁濁濁濁靜濁靜濁濁濁濁濁靜靜濁濁

濁靜濁靜濁靜濁靜濁靜濁靜濁靜濁靜

濁濁濁濁濁濁濁濁濁濁濁濁濁濁濁濁


女はついに事切れる。




―――――――――――靜!







「見事」

ミヨシノの声に、マイムが型を崩した。異空間は、小宇宙は消え、稽古場は現実に戻った。

シュロは動くことが出来ない。

「あら」

マイムは部下に気付いたが、チラリと笑っただけだった。

「観客がいたわ」

そのまま出ていってしまった。ミヨシノも後に続く。

それでもシュロは、無人となった稽古場を凝視しているだけだった。

今しがた目にしたのは舞いか狂気か、それとも――それとも夜桜。



シュロが「舞姫」の称号を押しいただいたのは、それから三年後のことである。




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