無意識の痛み -01
ホールの裏手にあるトイレに逃げ込んだバレッタは手洗い場に手をついて激しく鼓動する心臓を落ち着かせようとした。遠くの方でにぎやかに騒ぐ来場者達の声が響くだけで、この場所は喧騒から切り離されたように静かだった。
「はぁ…。」
ようやく俯いていた顔を上げてゆっくりと息を吐く。指先にキスを落とされた感触がまだ残っているようで、思わずドレスの裾で手を拭う。あんな男のことで動揺するなんて、我ながら情けない。
それでも、男の言葉が頭の中でぐるぐると回っていた。
「…そんなわけない。」
口に出して否定するが、ラウドがバレッタと距離を取ろうとする姿がじわりと頭に浮かぶ。挨拶回りから離脱したのだって、もしかしたら隣に立たせるのが恥ずかしくなったのかと思った。
──自分でも、令嬢らしくないことは自覚していた。ラウドが最初に興味を持ってくれた下町の話だって、本当はちょっと詳しいどころの話ではない。
幼いころから家を抜け出しては町の子供たちと一緒になって汚れまわって遊び、普通の令嬢が眉をひそめるような遊びばかりしてきた。
今も交流のある町の友人たちと気の置けない会話をしている時のほうがよっぽど自分らしく、快活で好きだった。でも、公爵家の妻にはそんな破天荒さはいらない。ラウドだって本当の自分の姿を知ればきっと幻滅して離れていくだろう。
ちょっと普通の令嬢と違う、物珍しいくらいなら飽きない程度に面白いだろう。だが本来のバレッタは、口を大きくあけて笑い、スカートをたくし上げて走り回るくらいのほうがよっぽど好きだった。そんな令嬢は見たこともないし、幻滅されるにきまってる。
そんな後ろめたさがあるからこそ、男の言葉が無性に胸に刺さった。
「あらバレッタ様、こんなところに。」
はっとして顔を上げると、にこやかな笑みを浮かべた令嬢が立っていた。見覚えはあるが、名前が咄嗟に出てこない。確か侯爵家の娘だったか。




