バレッタの謀り事
──遡ること数時間前。
「イリス、ラウド様が昔よく口ずさんでいた曲は?」
「…乳母がよく歌っていた子守唄かと。」
「教えて。」
「……奥様?」
戸惑うイリスを説得すること30分、バレッタはイリスから子守唄を習っていた。
「こう、ですかね…?」
歌詞とリズムだけを手短に伝えようとするイリスに、バレッタは横に首を振る。
「違う違う、もっとゆっくりお願い。」
「バレッタ様、私は歌が得意では…。」
「大丈夫よ!一緒に歌えばうまく聞こえるから!」
「…一緒に…?」
「だって一人だと恥ずかしいもの。それに人数が多い方が記憶に響くと思うの!」
キラキラとしたバレッタの表情は雲一点もないほど晴れやかだ。笑うと丸く小動物のような瞳がきゅっと窄まり、えくぼを称えたお顔は実に可愛らしい。
イリスは逃げられないであろう自分の未来を恨みながら、小さくため息をついた。
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領地で取れたブドウから作られたワインは王都でも名産として売り出されるだけあり、程よい渋みと飲みやすさで市場に出回っていた。
グラスを傾けつつ、ゆっくりとした時間を楽しんでいる──と、何やら自室の扉の外に人の気配がする。
「……なんだ…?」
コソコソと話す声は聞こえるものの、一向に入ってくる気配のないそれらに疑問を覚えつつも様子を伺う。基本的にラウドは使用人に対して寛容で、小さなことは気にしないタイプだった。
──しかし、その後に響き渡った声には、流石に手に持っていたグラスを取り落としそうになる。
「ラーラララー、ラーラララー」
「…ラー…ラララ…」
聞き馴染みのあるリズムと、なぜか、聞き馴染みのある声が、扉の外で歌い出したのだ。
「なっ…!!!」
慌てて持っていたグラスをテーブルに置く。その間にも、バレッタとイリスによる子守唄の二重唱が響き渡った。
「あいつか…。」
記憶に新しい、1人の女の姿が頭に思い浮かび眉間にシワが寄る。ずんずんと大股で扉まで近づき豪快に扉を開ける。
案の定、気まずそうな顔のイリスと、指を組み気持ちよさそうに歌うバレッタの姿があった。
ラウドが目を細めて見つめると、イリスは直立不動で固まる。自分が幼少の頃から仕えてくれているが、これまでに見たことがないほど狼狽した表情だった。
「…何をしている。」
「思い出すかと思いまして!」
「…」
バレッタは晴れやかな顔でこちらを見つめていた。
──バタン。
何も言わずに閉じられたドアの前でバレッタはパチリと瞬きをする。
イリスは困ったような表情のまま、バレッタを伺いつつ声をかける。
「バレッタ様…」
「次の手を考えましょう!」
「あぁ…。」
イリスは額に手を当てて、これから巻き起こる騒動の数々に思いを馳せ、ますます寿命が縮まる思いだった。
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それからの数週間、バレッタはありとあらゆる手を尽くしてラウドの記憶を取り戻そうとした。
駒遊びが好きだったというラウドのために、オリジナルの駒をつくり披露した。──公爵夫人が廊下で駒を回すなど聞いたことがないと怒られた。
2人の肖像画を見せて愛を感じ取ってもらうための瞑想の時間を作る──早々に退出させられた。
ラウドが好きだというプリンを作ってデザートにだしてみる。──これは成功だった、が、美味しそうに食べてくれたものの、特段何も思い出すことはなかった。
「ダメねえ。」
流石に疲れた様子のバレッタに、イリスはなんと声をかけていいか分からなかった。どれも突拍子の無いものばかりだったが、バレッタ本人はどれも真剣にラウドの記憶を取り戻そうとしてるだけに、なんとも言い難い。
「ちょっと考え直すわ。」
そう言って少し落ち込んだ様子で自室に戻っていくバレッタの背を見送り、ラウドの執務室の整理に向かう。
執務室には、もう1人の執事であるマルクが先に来ていた。彼もここ最近のバレッタの騒動に巻き込まれている人物のひとりだ。
「マルク、ここは私が片付けておくから今のうちに休憩を取っていいですよ。」
「イリスさん、ではお言葉に甘えて。」
ぺこりと頭を下げたマルクは、部屋を出ようとして思い出したように言う。
「そうだ。再来週にローゼット家からパーティの招待状が来ておりました。……ラウド様はバレッタ様をお連れするのでしょうか。」
「あぁ、そろそろそんな時期でしたね。」
毎年この時期に催されるローゼット家のパーティーには王都中から貴族が集まり社交をする場になっている。
結婚したばかりのふたりが、何か大きな理由がない限り欠席でもしたとなればあらぬ噂が立つことは目に見えていた。
「本日お戻りになったら聞いてみましょう。私からお伝えします。」
「分かりました。…旦那様も相変わらずですね。」
「平行線が続いてますね。」
バレッタがあの手この手を尽くしても、ラウドは一向に記憶を思い出す気配はなかった。
しかし──
「でも、旦那様が毎回扉を開けるのって…」
「ええ、追い払っている訳じゃないんです。」
途中から降参することはあっても、最初から全く聞く耳を持たない訳ではなかった。
幼い頃の…いや、ずっと他の女性に対しての態度を知っている身としては、信じられないくらいには構っていると言ってもいい。
(思い出した時にラウド様はとても後悔されるのだろう。)
事態は何も変わっていないにも関わらず、その時を思うとクスリと思わず笑みが漏れた。




