第四話:氷無き時代の清涼。あるいは氷結蒸気の抱擁
大正の暑い夏。氷を使わない冷蔵庫という、当時としては魔法のような発明に挑む結月。
アイリスの「未来の理論」と、結月の「過剰な技術」が合わさった時、物理的な衝撃と共に、二人の距離に小さな変化が訪れます。
帝都の夏は、湿り気を帯びた熱風が肌にまとわりつく。
九条院家の台所では、重たい氷の塊を運ぶ使用人たちが、汗を流しながら木製の「氷冷蔵庫」にそれを詰め込んでいた。
「氷を入れ替えなければ、数時間でただの箱に戻ってしまう……。なんと非効率なことでしょう」
離れの工房で、結月は作業エプロンを汗で滲ませながら呟いた。傍らでは、アイリスがホログラムの団扇で自分を仰いでいる。
『ホント、この時代の夏はハードだね。未来なら『気化熱』を利用したコンプレッサー式の冷蔵庫があるから、氷なんていらないんだけどな』
「きかねつ……。液体が蒸発する際に、周囲から熱を奪う理屈ですわね? 打ち水と同じですわ」
『そうそう! チューブに冷媒を流して循環させれば、ずっと冷え冷えだよ。……あ、でもこの時代にフロンガスなんてないし、水で代用するなら相当な圧力が必要かも……』
「圧力、ですか。……ふふ、高圧ならお任せくださいませ」
結月の瞳が、いつもの「分解モード」で輝き始めた。
数日後。工房には、父・宗助が仕入れてきた「高性能蒸気ポンプ」と、複雑に張り巡らされた真鍮製の細管が組み合わさった、巨大な金属の箱が鎮座していた。
「名付けて『九条院式・永久氷結箱(一号)』ですわ」
「お嬢様! またしても不穏な鉄の獣を作り上げたのですか!」
そこへ、定時巡回と称して様子を見に来た真壁少尉が駆け込んできた。彼は結月の額に光る汗を見て、一瞬顔を赤らめるが、すぐに視線を「怪異」に向ける。
「眼鏡の付喪神め、今日はお嬢様に何を……む、この箱、中から凄まじい音がしているぞ!」
『筋肉ダルマ、今日はうるさくしないで! 今、大事な『冷却サイクル』の最中なんだから!』
「黙れ! お嬢様、この箱からは殺気を感じます、今すぐ離れて――」
その時だった。
高圧で水を循環させていた真鍮の継ぎ目が、キリキリと悲鳴を上げた。アイリスの計算では耐えられるはずだったが、大正時代の溶接技術では、結月の求める「未来の圧力」に耐えきれなかったのである。
『あ、やばっ。内圧が限界……お嬢様、伏せて!』
「あら、少し締め方が甘かったかしら……」
シュゴォォォ! という激しい音と共に、継ぎ目から氷点下に近い冷水と、高温の漏洩蒸気が同時に噴き出した。
真っ白な霧が工房を包み込み、破裂したチューブが鞭のようにのたうつ。
「危ないっ!」
真壁少尉は反射的に結月の肩を掴み、自分の体で彼女を覆い隠すようにして床に伏せた。
背中に冷水と蒸気を浴びながら、少尉は必死に結月を腕の中に抱え込む。
「お怪我はありませんか、お嬢様!」
結月の鼻先に、少尉の軍服の匂いと、彼の荒い吐息、そして鍛え上げられた胸板の熱が伝わる。
いつも冷静な結月の顔が、見る間に耳の付け根まで真っ赤に染まった。
「……あ、あの、真壁少尉」
「ご安心を! この真壁、命に代えてもお嬢様をこの怪異の暴挙からお守りします!」
少尉が必死の形相で見つめると、結月はバッと彼を突き飛ばした。
「……暑苦しいですわ、どいてくださいませ!」
「えっ……。あ、ああ、申し訳ありません! 確かにこの暑さで密着するのは、不躾極まりない……!」
少尉は目に見えて落胆し、ガックリと肩を落とした。
「嫌われてしまった……」と呟きながら、彼は漏れ出た水を拭き取り始める。
『……ちょっとお嬢様。今の、顔真っ赤だったよ? もしかして、キュンとした?』
アイリスがニヤニヤしながら耳元で囁く。
「……うるさいですわ。蒸気のせいです。熱気に当てられただけですわ」
結月はツンと顔を背けたが、その手はまだ自分の胸元をぎゅっと握りしめていた。
自分でも説明のつかない「初めての動悸」に、彼女は少しだけ戸惑いながら、失敗した冷蔵庫の修理(分解)に取り掛かるのであった。
第四話をお読みいただきありがとうございます。
ついに、ほんの少しのロマンス(?)が混ざり始めました。
真壁少尉の「体を張った守護」に、結月のマッドな心もわずかに揺れたようです。本人は「熱気のせい」と言い張っていますが……。
さて、お嬢様の「心の熱」は冷却できるのでしょうか?
次回、父・宗助が「娘の顔色が最近赤いのは、きっと外の空気が足りないせいだ」と勘違いし、一家で帝都博覧会へ出かけることになります。
また次回もお会いしましょう!




