8話 追われている2人
夕食後の賑やかさが落ち着いた深夜、ショウは自室でオーウェンから譲り受けた『ルミナス王国史・周辺地理概略』をじっくりと開いた。
「……まずは、この世界のことをちゃんと知っておかないとな」
ページをめくると、まず目に飛び込んできたのは建国神話と、数百年前の**「魔族との大戦争」の記録だった。滅亡の危機に瀕した人間族を勝利に導いたのは、突如現れた「名もなき謎の男」**。彼は既存の理論を無視した圧倒的な力で戦局を覆し、最後はどこかへ消え去ったという。
戦争後、各国で疫病が蔓延し、世界中の患者を治療して回った大魔法使いの話などなど...
(既存の魔法体系を無視した力……。この世界には、想像もつかないような凄い奴がいたんだな)
さらにページをめくると、詳細な地図が現れた。王都のすぐ隣には、もう一つの中心拠点として栄える**巨大な街「エストリア」**が記されている。かつての戦争時には王都を守る重要な防衛・経済拠点だった場所だ。
「ルーナが行きたい魔法大学は……ここか」
それは王都から遥か北。険しい山脈を越えた先にある学術都市だった。地図上の距離を見るだけでも、その道のりの険しさが伝わってくる。
(こんなに遠いのか。でも、彼女はここを目指して毎日あんなに必死に勉強してるんだな……)
ショウは本の内容を頭に叩き込み、静かに表紙を閉じた。
翌日の午後、ショウは本格的な情報収集のため、王都でも冒険者や旅人が多く集まる大きな居酒屋を訪れた。
「人を探しているんだ。ここ数日の間に、見慣れない男女の二人組を見かけなかったか?」
店主に尋ねると、隅でエールを飲んでいた老冒険者が顔を上げた。
「……見慣れない二人組なら、数日前に西の**『アルト村』**近くにある洞窟の付近で見かけたぜ。男の方はかなり腕の立つ剣士のようで、女の方は……妙に気品があったな。隠れるように移動していたが、あれは何かから逃げている様子だった」
「数日前……。アルト村か」
ショウの心臓が大きく鳴った。数日前。それは、自分がこの世界に転生してきた日と、ほぼ重なる。
(僕がこの世界に来たのと同じくらいの時期に目撃された……。間違いない、レンとサクラだ!)
昨夜、本で読んだ地図を思い出す。アルト村の周囲は起伏が激しく、古い鉱山跡の洞窟が点在している。身を隠すには格好の場所だ。
ショウは急いで『サクラソウ』に戻り、夕食の席で二人にその情報を伝えた。
「みんな、聞いてくれ。西のアルト村の洞窟付近で、それらしき二人組の目撃情報があったんだ。明日、そこへ行ってみようと思う」
「アルト村!? ちょうどよかった!」
アリナがパンを飲み込んで身を乗り出した。
「私、そこにあるギルドの出張所に、預けていた装備の修理確認と完了報告に行かなきゃいけなかったんだ。道案内も兼ねて、私と一緒にいかない?」
アリナ、助かるよ。昨夜本で読んだ限り、あのあたりは洞窟が多くて入り組んでるみたいだから、一人だと不安だったんだ」
「任せて! あそこは私の庭みたいなもんだから。じゃあ大家さん、明日一刻も早く出発しよう!」
翌朝、サクラソウの玄関先には、旅の支度を整えたショウとアリナの姿があった。
「ショウ様、アリナさん。道中、気をつけてくださいね。お留守番は私に任せてください」
ルーナが少し寂しげながらも、力強い笑顔で見送ってくれる。
「ああ、悪いねルーナ。一日じゃ帰ってこれない距離だから、一晩か二晩は家を空けることになると思う。戸締まり、頼んだよ」
「任せてルーナちゃん! 大家さんのことは私がバッチリ守るから!」
アリナは軽装の鎧に身を包み、愛剣を腰に下げて気合十分だ。二人はルーナに手を振り、朝日が差し込む王都の西門へと向かった。
王都から街道を歩くこと数時間。昨夜本で読んだ通り、西へ向かうにつれて地形は徐々に険しくなり、緑の深い丘陵地帯が広がっていく。
「大家さん、あそこに見えるのがアルト村だよ!」
アリナが指差す先、谷間にひっそりと佇む村が見えてきた。
村に到着した頃には、すでに陽が傾き始めていた。
「よし、まずは情報を整理しよう。アリナはギルドへ、僕は酒場や宿屋を回って、例の二人組の目撃情報を洗ってみる」
「了解! 終わったらこの村の宿で合流ね!」
二人は二手に分かれ、聞き込みを開始した。
ショウが村の小さな酒場に入ると、昨日の王都での情報がさらに具体を帯びていく。
「ああ、あの二人組なら確かにこの村に立ち寄ったよ。数日前、食料を買い込んでいたな。男の方は剣の柄を握る指にタコがあってな、相当な修羅場を潜ってきた風体だった。女の方も、こんな田舎の村には似合わないほど綺麗な身なりをしていたが……何かを恐れるように顔を隠していたな」
「彼らは今、どこに?」
「北の古い鉱山跡……今はただの洞窟になっている場所に向かったはずだ。だが、あんまり近づかない方がいいぜ。昨日あたり、妙に物騒な男たちがその洞窟の方へ向かうのを見たって話だ」
(物騒な男たち……? もしかして、追っ手か?)
ショウの胸に嫌な予感がよぎる。
しばらくして、ギルドでの用事を済ませたアリナと合流した。彼女もまた、不穏な噂を耳にしていた。
「大家さん、ギルドの職員も言ってた。最近、隣のエストリアから来たっていうガラの悪い一団が、この村周辺を嗅ぎ回ってるみたい」
「……状況が芳しくないな。昨夜の本には、あの洞窟付近は入り組んでいて夜に踏み込むのは危険だと書いてあった。明日の早朝、一気にその洞窟へ向かおう」
「賛成! 今日はしっかり休んで、明日に備えなきゃね」
2人は宿屋に向かうことにした。
ショウとアリナは宿屋の暖簾をくぐったが、そこで思わぬ事態に直面する。
「えっ、空き部屋が一つしかないんですか?」
「申し訳ないねぇ。最近、近くの街道で馬車が壊れたとかで、団体さんが一組入っちまって。そこ以外は満室なんだ」
宿の主人は申し訳なさそうに鍵を一つ差し出した。アリナは「まあ、大家さんなら変なことしないでしょ! 部屋代も浮くしラッキー!」とあっけらかんとしている。対照的に、ショウは「……男として信頼されているのか、それとも異性として見られていないのか」と複雑な心境で部屋へ向かった。
部屋に入ると、そこには簡素なベッドが二つ並んでいた。
「ふぅー! 疲れたぁ! 大家さん、まずは無事の到着を祝して一杯やろうよ!」
アリナは村の売店で買ったばかりの、少し度数の高いお酒を取り出した。ギルドへの報告を終え、ようやく人心地ついたのだろう。一杯、二杯と進むうちに、彼女の白い肌はみるみるうちに桜色に染まっていく。
「あはは……大家さん、意外と頼りになるよねぇ……。魔法はまだドカンって感じだけどさぁ……」
「ちょ、アリナ、飲みすぎだって。明日は早いんだから」
ふらふらと千鳥足になったアリナが、ショウの肩にぐにゃりと寄りかかってきた。その瞬間、彼女の豊かな胸の柔らかい感触が腕に伝わり、ショウの心臓が爆ぜそうになる。
「あつーい……この服、なんか苦しいよぉ……」
「おい、ここで脱ぐな! 待て、落ち着け!」
ショウが慌てて彼女を支え、ベッドへ横たえようとしたその時だった。
酔っ払って手元が狂ったアリナが、自分の服の紐を「えいっ」と強引に引っ張ってしまう。緩んでいた胸元から、彼女の立派な膨らみがポロリとこぼれ落ちた。
「あ……」
「……へへ、涼しくなったぁ……」
視界に飛び込んできたのは、月光に照らされて白く輝く、あまりにも無防備で暴力的なまでに美しい曲線。
(……!! ちょ、ちょっと待て、俺の理性が……!!)
前世では画面の中でしか見たことのないような破壊的な光景に、ショウは鼻血が出そうなのを必死に堪えながら、震える手でシーツを頭まで被せた。
(最高です……じゃなくて! 落ち着け俺! 紳士たれ!)
「大家さぁん……おやすみぃ……」
本人は何も気づかず、幸せそうな寝息を立て始めている。
ショウはその夜、アリナの寝顔と、脳裏に焼き付いた「ポロリ」の残像のせいで一睡もできないまま朝を迎えた。
朝、小鳥のさえずりで目を覚ましたショウの横で、アリナは大きく伸びをしながらベッドから起き上がった。彼女は乱れた服の襟元を無造作に直すと、真っ赤な顔で固まっているショウを見て、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた。
「おっはよー、大家さん! ……あれ? なんだか顔が赤いし、目の下のクマがすごいよ? もしかして、昨日の夜……期待しちゃった?」
「べ、別にそんなんじゃない! 慣れない枕で眠れなかっただけだ!」
ショウが慌てて視線をそらすと、アリナは「あはは!」と快活に笑いながら、自分の胸元を指差した。
「ごめんごめん。私さ、酔うとついつい脱いじゃう癖があるんだよねー。今朝起きたら紐が外れてたから、あー、またやっちゃったーって思って。……ねぇ大家さん、私の、見ちゃった? 笑」
「み、見てない! 断じて見てないぞ!」
「えー、本当にぃ? もし見てたとしても、大家さんなら減るもんじゃないし、別にいいんだけどね!」
アリナは軽く笑い飛ばすと、さっさと身支度を整え始めた。ショウは心の中で(最高でした……じゃなくて、心臓に悪すぎる!)と叫びながら、熱くなった顔を冷ますように水で顔を洗った。
準備を整えたショウとアリナは、村の北側に位置する古い鉱山跡へと向かった。
湿った土の匂いが漂う洞窟の入り口から、慎重に奥へと足を踏み入れる。やがて、岩壁の影に潜む二人の人影を捉えた。
「……誰だ! それ以上近づくな!」
制止の声と共に現れたのは、一人の少年だった。
カイト・バーンフィールド。
10代後半の彼は、活動的な印象を与える短い金髪を、後頭部で無造作にひと束に結んでいる。 頬には薄っすらと返り血の跡があり、使い込まれた剣を握るその手には、愛する者を守り抜こうとする強固な意志が宿っていた。
そのカイトが背中に隠すようにして庇っているのが、少女セシリアだった。
彼女の名は、セシリア・ローレン・エストリア。
腰のあたりまで届く、透き通るような水色のロングヘアが、暗い洞窟の中で幽かな光を放っている。清楚で落ち着いた顔立ちは、一目で彼女が名家の令嬢であることを物語っていた。その瞳は湖のように静かで、少し控えめな印象を与えるが、カイトを見つめる時だけは確かな愛と信頼の光が宿る。
「……レン? サクラなのか?」
ショウが期待を込めて問いかけるが、カイトは怪訝そうに眉を寄せ、首を振った。
「……誰だ、それは。俺はカイト・バーンフィールド。あんたたち、あの組織の刺客じゃないのか?」
「刺客? いや、僕はただ人を探しているだけで……」
ショウが否定すると、カイトはようやく肩の力を抜き、剣を鞘に収めた。重い安堵の吐息が洞窟に響く。
「……そうか、刺客じゃないんだな。疑って悪かった」
カイトに促され、セシリアが一歩前に出て、深々と優雅な仕草でお辞儀をした。
「セシリア・ローレン・エストリアと申します。突然このような形でお目にかかることとなり、申し訳ございません」
その声は清らかで、過酷な逃亡生活の中でも失われない高貴な響きがあった。二人は寄り添うように立ち、その複雑な事情を語り始めた。
「俺たちは……エストリアから駆け落ちしてきたんだ。セシリアはあっちの有力な貴族の娘なんだが、家が決めた政略結婚を嫌がってな。俺も彼女をあんな冷たい場所に残しておけなくて、二人で逃げ出してきたんだ」
「ですが……私の実家はそれを許してくれませんでした」
セシリアが悲しげに瞳を伏せる。
「父は、金さえ払えば殺しも人攫いも何でもやるという、恐ろしい裏組織に依頼を出したのです。私を無理やり連れ戻し、カイトを……排除するために」
「裏組織……。だから、あんなに物騒な男たちが村を嗅ぎ回っていたのか」
カイトとセシリアから事情を聞き終えた直後、洞窟の入り口から冷たい風と共に、複数の荒々しい足音が響いてきた。




