78話 海戦
「今日の修行は私がみる! ジラードに言われてな!」
エマは昨日までの惨状が嘘のように、朝日に向かってビシッと指を突き立てた。船酔い防止魔法がよほど効いているのか、その表情は自信に満ち溢れている。
「そ、そうなんですね……。エマさん、よろしくお願いします」
ショウは一抹の不安を覚えつつも、グラウンド・エッジを握り直した。
エマの指導は、極めて独創的だった。
「いいかショウ! 魔力というのはな、こう、お腹の奥で『ぎょえー!!』と練るのだ! そして放つ時は、迷わず『ズドーン!』とな! わかるか!?」
「……ええと。ぎょえー、として、ズドーン、ですね……?」
(ルーナ……。お前はよく、これで魔法を覚えたな……。尊敬するよ、本当に……)
ショウは心の中で愛弟子に深く同情しながらも、教わった中級魔法を順に海へ放っていく。【バーンフレア】、【アクアストリーム】、【ブラストレイヴ】、【グランドスパイク】。
エマの擬音指導はともかく、彼女自身が持つ膨大な魔力のプレッシャーは本物だ。その「感覚」に引きずられるように、ショウの四属性魔法はみるみるうちに精度を増していった。
「ふむ、中級の四つはまともになってきたな。……そういえばショウ! お主、雷魔法が使えるそうだな!? どんな魔法だ? 階級はどれほどだ?」
エマが興味津々に身を乗り出してきた。希少な雷属性と聞いて、魔法使いの血が騒いでいるらしい。
「ええと……【ライトニングボルト】という名前なんですが、正直、階級は自分でも分かりません」
「ほう、見せてみろ! ほら、あそこに岩が突き出ているだろ? あそこを目掛けて放ってみよ!」
船から数十メートル先。波間に突き出た、大人の背丈ほどもある尖った岩礁。ショウは頷き、グラウンド・エッジの先端をその一点に固定した。
(お腹の奥で、ぎょえー……。いや、自分なりのイメージで集中するんだ……!)
魔力を練り、杖の先に凝縮させる。空気中にバチバチと青白い火花が走り、周囲の髪の毛が逆立つほどの静電気が満ちる。
「……【ライトニングボルト】!!」
放たれたのは、一筋の巨大な雷光だった。
バチバチバチバチバチッ!!!という鼓膜を震わせる轟音と共に、白銀の閃光が海面を焼きながら一直線に伸びる。
ズドーン!!!!
凄まじい衝撃波が走り、標的の岩礁は粉々に砕け散った。余波で「碧海の咆哮」号が大きく左右に揺れ、甲板にいた乗客たちが悲鳴を上げる。
「…………すごいの!!」
エマが帽子を押さえながら、呆然と呟いた。
「雷魔法は数が少なくてな、私も初級の『サンダー』くらいしか使えんが……あんな雷の量、見たことがないぞ!」
「こらぁぁぁぁ!!!! 誰だぁぁぁぁッ!!!! あんな魔法をぶっ放したバカ野郎はぁぁぁッ!!」
操舵室から、岩のような体格をした巨漢の船長が顔を真っ赤にして飛び出してきた。
「おおー! 船長! そろそろ私と船長を交代してくれぬか!」
エマが空気を読まずに陽気に手を振る。
「するかアホォ!! 船を沈める気か!!」
船長は鼻息荒く二人の前に仁王立ちになると、足元に転がっていた二本の釣り竿をひっ掴み、ショウとエマの胸元に無理やり押し付けた。
「お前ら……罰だ! そこで大人しく魚釣りでもしてろ! レテ島までの食料が少し怪しいんだ。……いいか、デカい獲物を釣り上げるまで、そこから動くんじゃねえぞ!」
「……ショウよ。船長命令だ、従わざるを得まいな」
エマは受け取った竿を肩に担ぎ、どこか楽しそうに唇を尖らせた。
「そうですね……。修行の続きが魚釣りになるとは思いませんでしたけど」
ショウは苦笑しながら、エマと共に船べりに腰を下ろした。
紺青の海に糸を垂らす。修行の爆音は消え、代わりに穏やかな波の音と、エマが時折こぼす「大物を釣って船長を黙らせてやる」という意気込みだけが風に乗って流れていった。
海面が午後の日差しを反射して、とろりとした飴色に輝いている。
ショウとエマは、船尾の特等席で並んで竿を垂らしていた。修行の爆音はどこへやら、聞こえるのは時折跳ねる魚の音と、エマが欠伸を噛み殺す声だけだ。
そこへ、ずるずると足を引きずるような足音が近づいてきた。
「ん? お主ら、何をしておる……。さては、さっきの衝撃はお主らの仕業か?」
現れたジラードは、いつもの覇気が嘘のように、ひどく悲しげな顔をしていた。まるで愛用の中級杖をへし折られた時のような、深い絶望がその皺に刻まれている。
「まぁーの……」
エマが気まずそうに目を逸らす。
「あんまり目立つ行動はするなよ。……はぁ」
ジラードが力なく吐き出したため息は、重く湿っていた。
「ジラード様、なんだか元気がないですが、何かあったんですか?」
ショウが心配して尋ねると、隣でエマが鼻を鳴らした。
「ショウよ、想像はつくぞ。どうせ船に積んである酒が尽きたのと、周囲に可愛いお姉ちゃんが一人もいないから、限界が来てるんじゃろ」
「くそぉぉぉ!!! その通りじゃ!! もー酒がないんじゃ!! それに可愛いお姉ちゃん……もーー限界じゃぁぁ!!」
ジラードは天を仰ぎ、子供のように地団太を踏んだ。その叫びは、世界を震撼させる5大魔法使いのそれではなく、ただの酒に飢えた老人の魂の咆哮だった。
(……なんだ、そんなことか……。もう少し深刻な理由かと思ったのに)
ショウが呆れ顔で「我慢してください。レテ島までもう少しですよね?」となだめるが、ジラードの絶望は深い。
「まだ半分くらいじゃぁぁ!! もーー無理!! ……はぁ。ショウ、エマ……可愛いお姉ちゃんか酒が浮いていたら、釣ってくれ……」
ジラードは魂が抜けたような足取りで、トボトボと船室の方へ消えていった。
それから数時間。
「……釣れるのは、雑魚ばかりですね」
ショウのバケツには、手のひらサイズの小魚が数匹。これでは船長の怒りは収まりそうにない。
「飽きたぁぁぁーーーっ!!!」
エマが竿を放り出しそうになりながら叫ぶ。
「 何か面白いこと起きろーっ!!」
「やめてくださいよ、エマさん。平和が一番です。……何事もなく、静かにレテ島に着きたいんですから」
ショウは切実に願った。昨夜の悪夢や、古書の重々しい歴史、そして今の過酷な修行。少しの間くらい、この穏やかな海を楽しんでいたい。
(何も起こるな。何も起こらないでくれ……)
しかし、運命はいつだってエマの「叫び」に味方する。
「んん!!!??? 何か見えるぞ!!!」
エマが急に立ち上がり、魔眼を凝らして水平線の先を指差した。
「やめてくれ……」
ショウは嫌な予感に、思わず顔を覆った。
「船だ! 船が見えるぞ!!!!」
エマの声が、静かな甲板に響き渡る。
遠く、陽炎の向こう側。本来ならすれ違うはずのない海域に、一隻の奇妙な船がゆらりと姿を現していた。
それは、こちらへ助けを求めているのか、それとも――。
平和な釣りタイムは、エマの魔眼が捉えた「異変」によって、唐突に終わりを告げようとしていた。
「エマ! あれ……海賊船じゃないか!?」
ショウが目を細めて叫ぶ。急速に距離を詰めてくる船の帆には、返り血を浴びたような紅い髭の髑髏が不気味に笑っていた。
「んんんーーー!!! お!!! ほんとだ! 髑髏マークがついている!! 海戦がはじまるのか!?」
「かーんかーんかーん!」
船内に響き渡る激しい警鐘。平和な空気は一瞬で吹き飛び、逃げ惑う客の悲鳴が甲板を支配した。そこへ、死に体だったはずのジラードが、酒の匂いを嗅ぎつけた獣のような形相で合流する。
「海賊船……海賊……酒……。よーーし、海賊達を殲滅するぞ! 酒が待っている!!」
「ジラード! 私の魔法であの船を粉砕していいか!?」
エマが杖を構えると、ジラードが慌ててその手を叩き落とした。
「ならぬ!!!!! そんなことをしたらお酒ちゃんが海の藻屑になるじゃろ!! わしら魔法使いは手出しはするな。アリナとジルに任せておけ。今日は宴じゃ!!」
(……確かに。魔法を使ったら船ごと燃えたり沈んだりするもんな。ジルさんとアリナ、頼んだぞ!)
ドゴォォォン!!という衝撃と共に、海賊船が「碧海の咆哮」号に横付けされた。
接舷用の渡し板が投げ込まれ、シミターを振りかざした凶悪な面構えの男たちが次々と姿を現す。
「ひゃっはー! 運のねえ奴らだ! 我らは【クリムゾンビアード】海賊団! あの偉大なる『ブラックビアード』様の傘下よ! 命が惜しかったら積荷と酒を置いていきな!!」
先頭の男が威圧的に叫ぶ。その背後には弓矢を構えた海賊たちがずらりと並び、船上は一触即発の緊張感に包まれた。
(……クリムゾンビアード? それに、ブラックビアードの傘下……? なんだか、すごくヤバい名前の海賊団に絡まれちゃったみたいだ……)
ショウは、自ら名乗った海賊たちの名前に、ただならぬ不穏な気配を感じ取っていた。
「うるさーーい!!!! 酒じゃ!!!!」
ジラードの、正義感など微塵もない、欲望100%の咆哮が海賊の恫喝を真っ向から跳ね返した。
「ジル、アリナ! 行けい! 酒を一滴たりとも海にこぼすなよ!!」
ジラードの無茶な命令を受け、ジルが静かに剣を抜き、アリナが盾と剣を構えて前に出る。
「……了解した。」
ジルは呆れ顔ながらも、その瞳には「5大剣士」の鋭い殺気が宿っている。
「私も……頑張ります! みんなの酒……じゃなくて、平和のために!」
アリナも、どこかジラードの毒気に当てられながらも、修行の成果を見せるべく敵の集団へと踏み出した。
(……ごめん、ジルさん、アリナ。結局『酒』のために戦わせることになって。でも頼む、この空腹と退屈を吹き飛ばしてくれ!)
ショウは後方から二人の背中を見守った。海賊との戦いが今始まろうとしていた。




