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異世界転生 勇者の体で下宿屋営みます  作者: 抹茶のあずき
第2章:再会編

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75話 出航

冒険者ギルドの喧騒を背に、二人は夜の帳が下りたグラン・マリーナの街を歩いた。潮風が心地よく、火照った体を冷やしていく。手元の財布は驚くほど重いが、ショウの心にはそれ以上に重い「謎」が居座っていた。

やがて、二人は仲間たちが待つ宿屋の扉を開けた。


「ただいま戻りました……」


ショウが疲れ果てた声で呟くと、目に飛び込んできたのは、戦場の緊張感とは無縁の光景だった。


「……ぐぉ、ごぉ……むにゃ……」


ジラードは大きな椅子に深々と腰掛け、空になった酒瓶を抱きしめたまま、豪快にいびきをかいて寝入っている。床には数本の瓶が転がり、部屋には安酒の匂いが充満していた。

一方で、エマはというと、指で眼鏡のような形を作って両目に当て、片足を上げた奇妙なポーズで固まっている。


「ぬ、ぬぬぬぬーーーー……む、見え……あ、消えた。……ぬぬぬ!」


一心不乱に「魔眼」を絞り出そうとしているようだが、客観的に見ればただの変なポーズである。


「……帰ったか」


部屋の隅、影に溶け込むように座っていたジルが、静かに口を開いた。その瞳には、二人を労うような色が宿っている。


「噂は聞いたぞ。二人でクラーケンを討伐したそうだな?」


「そーーーなのか!????」


ジルの言葉に、エマがポーズを崩して飛びついてきた。


「すごいな!!! 私もクラーケンと戦いたかったぞ! こう、シュシュッとな!」


エマは興奮気味に空中に向かって鋭いシャドーボクシングを繰り出す。


「はい……なんとか。おかげで報酬も手に入り、明日への船代を工面することができました」


ショウは安堵の溜息を吐きながら、チラリとジラードに視線を向けた。


(……ジラードさんのやつ、俺たちが命懸けで戦っている間に、ずっと酒を飲んでやがったな……)


「エマ、魔眼の特訓はどうですか? ……レンのこと、見えましたか?」


ショウの問いに、エマは少し真面目な顔になり、こくりと頷いた。


「ああ。ほんの短い時間だが、見えたぞ。……レンは何かと戦闘し、その後、どこかの街へ戻っていくのが見えた。無事なのは間違いない」


「……そうか。レンは無事なんだな。よかった……」


ショウは胸を撫で下ろした。記憶の中のレンは、いつも危なっかしいほど真っ直ぐだった。彼が生きて戦っているという事実は、何よりの救いだった。


「とりあえず、皆さん。明日は予定通り船に乗れそうなので、レテ島へ備えましょう。……ところで、この酔いどれは置いていきますか?」


ショウが冷ややかな目でジラードを指差すと、エマが悪戯っぽく笑った。


「海に放り投げるか? 重りをつけて沈めれば、ちょうどいいクラーケンの供養になるぞ」


「……ふっ、まあ、そう言うな」


ジルが苦笑しながら二人を宥める。


「ジラードと少し話をしたが、彼なりに色々と考えがあるみたいだぞ。……ショウ、アリナ。今日は疲れただろう。しっかり休め」


「……はい、ありがとうございます」


二人は顔を見合わせ、安堵の笑みを浮かべた。ジルの言葉には、不思議と人を落ち着かせる響きがあった。

各自、宿屋の自室へと戻る。

ショウは部屋のベッドに体を預け、天井を見つめた。


(ライトニングボルト……。あの時見えた、知らない誰かの戦いの記憶。俺の体の中に、一体何が眠っているんだ……?)


手のひらに残る魔力の痺れ。

明日向かう「レテ島」はどんなところだろうか。不安と期待が混ざり合う中、ショウは深い眠りへと落ちていった。

宿の廊下には、酔いどれたジラードのいびきと、遠くで響く潮騒だけが残っていた。


翌朝、グラン・マリーナの港は、朝日を浴びて黄金色に輝いていた。

潮の香りと、出発を待つ無数の船が立てる活気が、心地よい緊張感を生み出している。

ショウたち一行は、港の最奥、一際目を引く巨大な帆船の前に立っていた。


「おう! 確かに25,000ゴールド、いただくぜ!」


船長は、ジラードから受け取ったずっしりと重い革袋を、不敵な笑みを浮かべて懐へしまい込んだ。


「レテ島まで、よろしく頼むぞ……」


ジラードは少し気だるげに言いながら、目の前の巨大な船を見上げた。

その船は、木造りでありながら、圧倒的な存在感を放っていた。

全長は五十メートルを超え、太い樫の木を何層にも重ねて造られた船体は、長年の航海に耐え抜いた渋い琥珀色に輝いている。船首には、荒波を切り裂くような、雄々しい海竜リヴァイアサンの木彫りが施され、その瞳にはエメラルドが埋め込まれていた。


「おお!! でかいのう! すごいのう! 船! 私がこの船に名付けて良いか?!」


エマが目を輝かせ、子供のように船体に抱きつこうとしてはしゃいでいる。


「いや、もう名前はあるぞ……。『碧海の咆哮シーロア』号だ」


船長が苦笑しながら、エマを優しくたしなめた。

ショウもまた、その「味のある」船体に見惚れていた。


(確かに、すごいな……。俺が前世で乗ったことある船には、帆もなかったし、そもそも木じゃなかった。鉄と、エンジン音と、排気ガスの匂い……。でも、この船には、風と、潮と、木の軋む音がある。こっちの方が、ずっと冒険って感じがするな……)


木の香りと、風に揺れる帆の音。前世では味わえなかった、本物の「冒険の匂い」に、ショウの心は躍っていた。


(言いたい……。完璧なタイミングで、大きな声で、『出航だ!!!』って……)


ショウが心の中で何度もシミュレーションを重ね、大きく息を吸い込んだ、その時だった。


「いざ!!!! 出航だァァァァッ!!!!」


エマが船首へと駆け上がり、腕を突き上げて、港中に響き渡るような咆哮を上げた。


完璧なタイミング。完璧な声量。完璧なポーズ。

ショウは吸い込みかけた空気を静かに吐き出し、天を見上げた。


(……くそ)


「楽しみだね!!!!」


アリナが、朝日に輝く碧い海を見つめ、期待で瞳を輝かせている。

ショウは船が進む方向を見て思う。


(ついにレテ島まで行ける……。待っててくれ、レン!)


船長が号令をかけると、巨大な主帆メインセールが風を孕み、白く膨らんだ。

木の軋む音と共に、船体が岸壁を離れる。

ショウは、遠ざかっていくグラン・マリーナの街を見て改めて誓った。

レンを、そしてサクラを、必ず見つけ出す。

碧海を越え、一行は忘却の島、レテ島へと漕ぎ出した。


「うぇ、うぇぇぇぇ……っ!!」


「碧海の咆哮シーロア」号の美しい船首から、無情にも「キラキラキラー」と光り輝く飛沫が潮風に乗って舞い散る。さっきまで船首に駆け上がり、誰よりも大きな声で「出航だ!」と拳を突き上げていたあの威勢はどこへやら。エマは今や見る影もなく、船べりにしがみついて絶望の淵に立っていた。


「大丈夫? エマ……相当キツそうだね……」


アリナが心配そうに眉を下げ、エマの背中を優しくさすってやる。聖母のようなその慈愛に、エマは涙目で顔を上げた。


「う……うぇぇ……ジラードよ、あと何分くらいでレテ島に着く……? もう、限界だぞ……」


「バカが。さっき出航したばかりじゃろ、あと数日はかかるわい」


ジラードは甲板の椅子にどっしりと腰掛け、紫煙を燻らせながら冷淡に言い放つ。パイプから立ち上る甘ったるいタバコの匂いが、エマの三半規管にさらなる追い打ちをかけた。


「長い航海になりますね……」


ショウが手すりに寄りかかり、水平線を見つめる。


「ああ、海の魔物も出るかもしれん。常に気を配っておけ」


隣で腕を組むジルが、鋭い視線を海面へと走らせた。


「魔物より……この船酔いで、先に死にそうだ……」


エマの弱々しい呟きが風にかき消されていく。ショウはそんな彼女を気の毒に思いつつも、雲一つない青空と、心地よく帆を叩く風に「気持ちいいな」と内心で独りごちていた。


「……そういえば、ショウ。アリナよ。お主ら、クラーケンを討伐したそうじゃの」


ジラードが不意に、煙の向こうから二人を射抜くような視線を向けた。


(……今頃かよ、この酔いどれジジイ! 昨日の夜、あんなに酒瓶抱えて爆睡してたもんな……)


ショウは心の中で激しく突っ込みを入れつつ、努めて冷静に答えた。


「はい。たまたま遭遇してしまって……なんとか、倒すことができました」


「そそそ! ショウ、本当にかっこよかったんだよ! バチバチバチバチバチって、凄まじい雷の魔法を使って、あの一撃でクラーケンを仕留めたんだから!」


アリナが自分のことのように胸を張り、身振り手振りで昨日の光景を再現する。その話を聞いた瞬間、ジラードの瞳の奥で、経験に裏打ちされた鋭い光が爆ぜた。


「ほー……雷魔法か。……ショウよ、この航海中も魔法の修行をするぞ」


「えっ、船の上でですか?」


「当たり前じゃ。あのクラーケンを一撃で沈めるほどの魔力、お主の今の未熟な制御では、いつ暴発してアリナを巻き込むか分からんからな」


ジラードはパイプをコンコンと船べりで叩き、灰を落とすと、立ち上がって一同を見渡した。


「それと、アリナ。お主もジルに稽古をつけてもらえ。レテ島に着くまでの時間を無駄にはできん。……エマ、お主は……まあ、その。頑張れ」


「おおお、見捨てるな!! ジラードよ、この船酔いを一瞬で治す魔法はないのか……っ!」


エマが必死にジラードの裾を掴もうとするが、ジラードはひらりとそれを躱した。


「……フン。思い出したらかけてやるわい」


「絶対に思い出さない顔をしてるぞ、その顔は!!」


エマの悲痛な叫びを無視して、ジラードはショウに向き直る。


「まずは、杖を使わずに指先だけで小さな電撃を維持し続ける練習からだ。……やるぞ、ショウ」


こうして、爽やかな海風が吹く甲板の上で、それぞれの「修行」が幕を開けた。

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