74話 ライトニングボルト
泡と共に、深く、冷たい深海へと沈んでいく。
ショウの意識は混濁し、愛用の杖も、マナコマンダーの指輪も、その暗黒へと呑み込まれようとしていた。だが、死の淵で、彼の脳裏に、自分のものではない「記憶」が、濁流のように流れ込んできた。
(……な、なんだこれ……夢……? それとも、この体の記憶……?)
脳裏に広がるのは、見知らぬ荒野。
そこでは、ライオンの頭と蛇の尾を持つ巨大な魔獣――キメラが、狂暴な咆哮を上げていた。
そして、そのキメラと対峙するのは、一人の魔法使い。
「……【ライトニングボルト】ッ!!」
魔法使いの杖から放たれたのは、青白い雷光の一閃。
バチバチバチバチバチ――ッ!!!!
凄まじい電撃がキメラの全身を駆け巡り、その巨躯を硬直させ、爆発させる。
荒野に響き渡る雷鳴と、魔獣の断末魔。
(……ライトニングボルト……使えって、ことなのか……?)
ショウの魂に、その魔法の術式と、圧倒的な破壊力のイメージが刻み込まれた。
「……がはッ!!??」
ショウは激しく海水を吐き出しながら、目を開けた。
冷たい水圧と息苦しさ。そこは、まだ海の中だった。
(……生きてる……? 俺、生きてるのか……?)
必死に手足を動かし、海面へと浮上する。
顔を出し、荒い息を吐きながら岩場を見上げると、そこには絶望的な光景が広がっていた。
「……アリナ……ッ!!」
クラーケンの禍々しい触手の一本が、気を失ったアリナの足首を掴み、空高くへと吊り上げている。
彼女の剣と盾は岩場に転がり、その体は力の抜けた人形のように、冷たい海風に揺れていた。
「……離せ……ッ! アリナを、離せェェッ!!」
ショウの内に、これまで感じたことのない激しい怒りが爆発した。
海中に漂っていた『グラウンドウェッジ』を掴み、指に嵌まった『マナコマンダー』に、体内の全ての魔力を注ぎ込む。
「……さっき夢で見たのを、イメージしろ……! 奴を、撃ち抜くイメージを……ッ!!」
グラウンドウェッジの先端に、青紫の電撃が宿る。
脈動し、増幅され、その輝きは陽光さえも凌駕するほどに強烈になっていく。
バチバチバチバチバチバチバチバチ――ッ!!!!
(……で、できた……。なんか、魔法をイメージしやすくなってきている。なんでだ……?)
自分の成長に驚きつつも、今はアリナを助けることに集中する。
ショウはグラウンドウェッジを、クラーケンの巨大な顔面、その無数の瞳の中心へと向けた。
「……行くぞッ!! 【ライトニングボルト】ォォッ!!!!」
杖の先端から放たれたのは、青紫の巨大な雷柱。
それは大気を切り裂き、海水を蒸発させ、目にも止らぬ速さでクラーケンの顔面を捉えた。
ズドォォォォォォォォォンッ!!!!!
凄まじい爆発音と共に、クラーケンの巨躯が青紫の雷光に包まれる。
全身を巡る雷。それは、海水を伝ってさらに威力を増し、クラーケンの全ての細胞を焼き、神経を麻痺させる。
「ブォォォォォォォォーンッ!!!!!」
深海の暴君が、断末魔の咆哮を上げた。
雷に打たれた触手が硬直し、力の抜けたその瞬間、アリナの体が触手から離れた。
「……アリナッ!!」
ショウは海面を蹴り、空中へと身を躍らせた。
触手から離れ、冷たい虚空へと落下していくアリナ。
ショウはその体を、水飛沫と共に、しっかりと腕の中に受け止めた。
「……ショウ、……?」
アリナは薄っすらと目を開け、自分を抱きしめるショウの姿を見て、安堵の表情を浮かべた。
「……よかった、無事で……」
二人が海面へと着水した、その瞬間――。
クラーケンの巨躯が、断末魔の咆哮と共に、岩場にぶつかり、海へと倒れ伏した。
ドォォォォォォォンッ!!
巨大な波柱が立ち上がり、深海の暴君は動かなくなった。
一撃。
ショウが放った、たった一撃の雷魔法が、A級冒険者をも全滅させる怪物を葬り去ったのだ。
「……すごい威力の魔法だ……」
ショウは自分の掌を見つめ、そして腕の中のアリナを見つめ、確かな成長の手応えと、彼女を救えたことへの安堵を、噛み締めていた。
岩場には、静寂だけが戻っていた。
横たわる巨大なクラーケンの死骸が、引き潮に揺られている。先ほどまでの地獄のような光景が嘘のように、辺りには波の音だけが虚しく響いていた。
ショウは、腕の中で小さく息を吐くアリナを抱きしめたまま、自分の掌を見つめた。
(……今のは、一体何だったんだ。今までレンとサクラを探すことしか頭になかったけど、この体……元の持ち主は、どんな奴だったんだ?)
脳裏に焼き付いたキメラとの死闘。そして、無意識に引き出した「ライトニングボルト」の絶大な威力。ジラードやロンドたちが驚いていた「魔力量の多さ」は、単なる才能の枠を超えているのではないか。
(とてつもない奴だったのか……? 俺は、誰の体に居座っているんだ……?)
底知れない不安が胸をかすめる。
「……ショウ? 大丈夫?」
アリナの声に、ショウはハッと我に返った。覗き込んでくる彼女の瞳には、心配の色が濃く浮かんでいる。
「あ、ああ! 大丈夫だよ! ごめん、ちょっとぼーっとしちゃって。アリナこそ、怪我は!?」
「うん、少し足に怪我しちゃったみたい。でも、歩けるから大丈夫だよ!」
アリナは気丈に笑い、ショウの肩を借りて立ち上がった。
「それにしても、ショウ! あんなにすごい魔法を使えたなんて知らなかったよ! まるで別の人みたいだった!」
「はは……そうかな。必死だったから、火事場の馬鹿力ってやつだよ」
ショウは力なく笑い、誤魔化すように視線を逸らした。本当のことは、自分自身にすら分からなかったからだ。
「……お、おい! 見てくれ! クラーケンが……あの怪物が死んでるぞ!!」
聞きつけた村人たちが、恐る恐る岩場へと集まってきた。海面に浮かぶ、青紫の電撃に焼かれた巨大な死骸を見て、誰もが言葉を失っている。
「信じられん……A級の連中すら逃げ出したあのクラーケンを、あの二人がやったのか……?」
「村を……村を救ってくれたんだな!」
驚きと称賛の声が、潮騒に乗って広がっていく。村の長老が震える手でショウのを取り、何度も深く頭を下げた。自分たちを救った「名もなき青年」への、心からの感謝だった。
夕暮れ時、二人はボロボロになりながらも、グラン・マリーナの冒険者ギルドへと戻ってきた。
扉が開いた瞬間、ギルド内の喧騒がピタリと止まる。
二人がカウンターへ歩み寄り、ボトボトと「リザードマンの牙」と、クラーケンの死骸から剥ぎ取った「巨大な吸盤の一部」を差し出すと、受付嬢の顔がみるみるうちに青ざめた。
「こ、これは……確認しました。リザードマンの討伐依頼、報酬3000ゴールド。そして……」
彼女の手が、震えながら一枚の金縁の依頼書を掴む。
「……本日、港を封鎖していた巨大クラーケンの討伐が確認されました。特別報酬……20,000ゴールドです」
ギルド内が、爆発したような騒ぎに包まれた。
「マジかよ! あのガキ共がクラーケンを……!?」
「20,000ゴールドだぞ!? 伝説が生まれちまった……!」
荒くれ者たちが椅子をひっくり返して立ち上がり、二人の姿を拝もうと詰め寄ってくる。
ショウは、目の前に積まれた金貨の山を呆然と見つめた。合計23,000ゴールド。船代を払っても、まだ余りあるほどの大金だ。
「……これで、明日、船に乗れますね」
ショウが小さく呟くと、アリナが「うん!」と力強く頷いた。
大金を手に入れた喜びよりも、自分の内側に潜む「謎」への不安を抱えながら、ショウは重たい財布を掴んだ。ギルドの喧騒は、止むことはなかった。




