72話 ゴールド稼ぎ
二人が足を踏み入れた「グラン・マリーナ冒険者ギルド」は、港町らしい活気と、それ以上に重苦しい熱気に包まれていた。
天井の高いホールには、潮風に晒された強面の冒険者たちがたむろし、安酒の匂いと鉄錆の香りが混ざり合って漂っている。
「……おい、聞いたか? ガイスト大陸の方じゃ、魔族の動きが一段と激しくなってるらしいぞ」
「グラン・マリーナの沖の方に巨大なイカの魔物……クラーケンが出たって話だ。」
「近頃問題になっていた密猟者も捕まったらしいし、海も陸も物騒なこった」
行き交う冒険者たちの会話を耳にしながら、ショウとアリナは掲示板へと歩を進めた。自分たちが昨日捕らえた密猟者の話題が耳に入り、ショウは少しだけ鼻が高くなるのを感じたが、今は感傷に浸っている余裕はない。
「何かお手頃で報酬の高い依頼、ないかなぁ……」
アリナが掲示板にびっしりと貼られた依頼書を、上から下へと指でなぞっていく。
「そうですね。パパッと、サクッと二人で片付けられるようなのが理想なんですけど……どれどれ」
ショウも横から覗き込み、依頼内容を読み上げていく。
• 『停泊中の船の底掃除』:500ゴールド
• 『珍しい岩魚の採取』:300ゴールド
• 『街外れのゴブリンの巣の除去』:1000ゴールド
「……んんんー、安すぎる! これじゃ明日までに一万ゴールドなんて、とても間に合いませんよ」
「あ! ショウ、これは!?」
アリナが指差したのは、少し色褪せた依頼書だった。
• 『近隣の洞窟、リザードマンの巣の除去』:3000ゴールド
「お、リザードマンなら以前も戦ったことがありますし、いけそうですね。でも……3000ゴールドか。一万までは、これを三回以上こなさないといけないのか」
「ねえショウ! まずはパパッとこのリザードマンを片付けちゃって、その勢いで他の依頼も受ければ、今日中に一万ゴールドいけるんじゃないかな!?」
「そ、そうだな。よし、リザードマンで行こう。えーと、他には……」
ショウの視線が、掲示板の最上段、一段と目立つ金縁の依頼書に釘付けになった。
「……こ、これは……!!?」
「えっ、何なに!? ……巨大クラーケン討伐、二万ゴールド……!?」
二人は顔を見合わせ、同時に絶句した。二万。それだけで船代も、これからの旅費も全てお釣りが来るほどの巨額だ。
「アリナ、見てくださいよ、二万ですよ二万! これ一回で全て解決です!」
「お、おーー!! 二万ゴールド!? ……でもショウ、クラーケンって、結局は大きなイカでしょ? ただの魚介類じゃない!」
「そうそう! デカいイカなんて、足から順番に切り刻んでいけばいいだけですよ。いける、これならいけるぞ!」
二人の脳裏には、巨大なイカを倒して大金を手に入れ、高級なディナーを楽しんでいる自分たちの姿が浮かんでいた。しかし、その夢想を打ち砕く声が、背後から聞こえてきた。
「……おいおい、聞いたかよ。あのクラーケン、ついにA級冒険者のパーティーも返り討ちにあったらしいぞ」
「マジかよ、あの連中が? ……なんでも、巨大な帆船を触手一本で真っ二つにしたって話だぜ。あんなの、もはや災害だ、近寄らねえのが正解だな」
「…………」
「…………」
ショウとアリナの動きが、同時に止まった。
真っ二つ。帆船が、真っ二つ。
二人は無言のまま、ゆっくりと視線を合わせ、そして一言も交わさずに掲示板へと向き直った。
「……リザードマンにしましょう」
アリナが、震える手で3000ゴールドの依頼書を引き剥がした。
「……そうしましょう。地道が一番です」
ショウも力強く頷いた。
大金よりも命が大事だ。二人は逃げるように受付へと向かい、リザードマン討伐の契約を済ませると、足早にギルドを後にした。白亜の街を吹き抜ける潮風が、少しだけ冷たく感じられた。
白亜の街から海岸線に沿って歩くこと一時間。ショウとアリナの二人は、潮の香りが色濃く漂う小さな漁村へと辿り着いた。
そこは本来、獲れたての魚介で活気に溢れているはずの場所であったが、村の入り口に立つ漁師たちの表情は一様に暗い。干し場に並ぶ網は乾ききり、村の活気を象徴するはずの市場も、今は閑散としていた。
二人が村の長老に聞き込みをすると、事態は想像以上に切実であった。
「数日前、リザードマンの群れが突如として現れたんじゃ。まるで、海の深淵から這い出してきた恐ろしい『何か』から、必死に逃げ惑うような様子でな……」
本来、縄張りを重んじるはずのリザードマンたちが、何者かに追われるようにこの岩場へ住み着き、近隣の魚を食い散らかしているのだという。
「腕利きの冒険者どもは、皆クラーケンの高額報酬に目が眩んで沖へ行ってしまった。わしらの生活を脅かすこやつらを、誰も相手にしてくれんのじゃ……」
村人たちの悲痛な訴えを耳にし、アリナは拳を強く握りしめた。
「このままじゃ、この村の人たちの仕事がなくなっちゃうね。……ショウ、急いで駆除しちゃおう! 私たちなら、こんなのチョチョイのちょいだよ!」
ショウもまた、村の地図を確認しながら力強く頷いた。高額な船代のためだけではない。困っている人々を放っておけないという宿屋の主としての本能が、彼を突き動かしていた。
村の外れ、波飛沫が激しく打ち付ける岩場に辿り着くと、そこには異様な光景が広がっていた。
数十匹のリザードマンが、ぬらぬらとした緑の鱗を陽光に晒し、岩場を埋め尽くしている。
「あいつらね……」
岩陰に身を潜めたアリナが、愛用の盾を構え、鋭く研がれた剣を抜き放った。その銀色の刀身が、潮風を受けて鈍く光る。
「だね。……エリシオンへ向かう途中でも戦った相手だ。落ち着いていけば大丈夫なはずだ」
ショウは自らに言い聞かせるように呟いた。
「よし! 作戦はこうだよ。私が前に出て、盾で奴らの攻撃を全部受け止める! ショウは後ろから私を援護しながら、魔法で一気に叩いて!」
「了解。アリナ、無茶はしないでくださいね」
「任せて! ……いくよっ!」
アリナが岩陰から力強く飛び出した。その瞬間、岩場にいたリザードマンたちが一斉に鎌首をもたげ、黄色い瞳に凶悪な光を宿す。奴らはこの地の硬質な岩を削り出して作った、不格好だが長い槍を構え、一斉に戦闘態勢に入った。
その数、およそ十数匹。
「ズルズル……ッ!」
一匹のリザードマンが濡れた鱗を鳴らしながら間合いを詰め、鋭い槍をアリナの胸元へ突き出した。
「ガギーーン!!」
激しい金属音が響き渡る。アリナは一歩も引かず、盾の芯で槍の穂先を真っ向から受け止めた。
「今だよ、ショウ!」
「……【ファイヤーボール】!!」
ショウが愛用の杖**『グラウンドウェッジ』**を突き出すと、指に嵌まった『マナコマンダー』が脈動し、体の奥深くの魔力を奔流となって吸い上げた。その膨大なエネルギーが杖の先端へと凝縮され、以前とは比較にならない熱量を孕んだ紅蓮の火塊となって撃ち出される。
「はぁッ!!」
「ズバーーン!!」
凄まじい爆発音と共に、リザードマンが灰も残さず吹き飛んだ。ショウは己の手に伝わる、杖を通した魔力の重みに目を見開いた。
(……すごい。ロンドさんからもらったこの『マナコマンダー』が、俺の体の奥深くにある魔力を引き出し、この『グラウンド・ウェッジ』がそれを完璧に制御して放ってくれている。炎の熱も、威力も、今までとは別格だ……!)
これこそが、この体のあるべき姿なのか。ショウは確かな手応えを感じ、次なる呪文を紡ぐ。
「――相手はモンスターだ、手加減はいらないよな! 【ウィングカッター】!!」
杖を一閃させると、大気を切り裂く真空の刃が数条放たれ、岩の槍ごとリザードマンの硬い鱗を紙細工のように切り刻んだ。
「ズババババーーン!!」
「ショウくん! すごいね! それがショウくんの魔力の力なんだね!! ロンドさんに感謝しなきゃ!」
最前線で盾を構えるアリナが、戦いの中で弾んだ声を上げる。
「ああ、本当にそうですね!」
二人のコンビネーションで次々と群れを崩していく。だが、残りが数匹となったその時――。
ドォォォォォンッ!!
激しい水柱と共に、海面が爆発したかのように弾けた。
飛沫の中から姿を現したのは、通常のリザードマンの三倍はあろうかという巨躯。
岩場を揺らすほどの重量感。その全身を覆う鱗は黒ずんだ鋼のような輝きを放ち、手には大木を削り出したかのような巨大な槍を握っている。
(……こいつ、この群れのリーダーだな……!)
岩場の王と言わんばかりの咆哮が、海岸線に響き渡った。ショウは『グラウンド・ウェッジ』を握り直し、マナコマンダーの輝きを強めながら、その巨躯を真正面から見据えた。




