71話 神殺しの刃
「……わしは実際にその刃を見た。そして、そなたもそれを探しているのではないか?」
ジラードの静かな問いに、ジルの赤い瞳がわずかに揺れた。彼は手元のグラスを見つめたまま、重い口を開いた。
「……ああ。約五年前だ。俺たちの故郷であるガルムの村が、魔族の襲撃を受けた。当時、俺は剣の都レヴァンティンで修行に明け暮れていて、村にはいなかった」
ジルの声は、自責の念を押し殺すように低く、硬い。
「魔族の狙いは、一族が管理する『神殺しの刃』だった。村にいた俺の兄――バルヴェス・レインが、魔族の手に渡らぬようその刃を持ち出し、そのまま行方をくらましたんだ。村は甚大な被害を受けたが、一族の戦士たちが魔族を返り討ちにした。だが……兄さんだけは、二度と帰ってこなかった」
追っ手に討たれたのか、あるいは。ジルは、剣の都で悲報を聞き、崩れ落ちた村に戻った時の凄惨な光景を思い起こすように目を閉じた。
「俺は兄さんを捜すため、世界を回った。そこで、かつて村へ刃の調査に来たセレスティア魔法大学の教授、ノヴァ・クレアを訪ねたんだ。彼女の魔眼なら、兄さんの居場所がわかると信じてな」
クレアはジルに、ルミナ大陸のある村にその姿があると告げたという。だが、ジルがどれほど懸命にその地を駆けても、兄の影を捉えることは叶わなかった。
「……つまり、『神殺しの刃』は今もお主の兄が持っているというのか?」
ジラードの確認に、ショウの心臓が激しく波打った。
(……だとしたら、エリシオンでクレア先生を刺した、あの黒いフードの男は……ジルの兄、バルヴェスだったっていうのか!?)
ショウの脳裏に、あの惨劇の夜、血溜まりの中に倒れたクレアの姿がフラッシュバックする。目の前にいるジルと、あの刺客。血の繋がった兄弟なのだとすれば、その体格や気配が似ていても不思議ではない。
しかし、ジルはショウの内心の動揺を察したかのように、断固とした口調で首を振った。
「いや……兄さんじゃない。バルヴェス兄さんは、誇り高いガルムの戦士だ。一族の使命を何よりも重んじていた。クレア教授を傷つけるような真似、例え死んでもするはずがない。それに、命を狙う理由がない」
ジルの言葉には、兄への絶対的な信頼が宿っていた。その言葉に重なるように、ジラードも静かに頷いた。
「わしも、そう思う。……エリシオンでクレアを襲った男をこの目で見たが、あれは異様だった。纏っていたのは、ガルム一族の戦士が放つ清冽な魔力とは似ても似つかぬ、歪で禍々しい……悍ましい気配じゃった」
ジラードの証言を聞き、ショウは喉の奥に溜まった冷たい塊を飲み込んだ。
(バルヴェスじゃない……? でも、だとしたらあの男は一体誰なんだ。なぜ『神殺しの刃』を持っていたんだ……?)
疑惑の霧は晴れるどころか、さらに深く、不気味に立ち込めていく。
だが、ジラードはその重苦しい空気を振り払うように、力強い声でジルへ語りかけた。
「……どーじゃ、ジル。まずはショウの友人を見つけるため、ガイスト大陸へ共に向かってはくれんか。こやつの友人の行方を突き止めるのを手伝ってほしい。それが終われば、その後にガイスト大陸にあるお主の村へと向かい、改めて情報をまとめ直そう。……その後、わしとお主とでバルヴェスを探し出し、神殺しの刃に何が起きたのか、あの日、刃を手にしていた『誰か』が一体何者なのかを突き止める。そして、お主らの一族の誇りである刃を奪還する。――この条件で手を組まんか?」
ジラードの提案は、互いの目的を尊重し、かつ最短で真実へと辿り着くための合理的なものであった。
ジルはしばしの間、沈黙した。
薄暗い店内、ジルは伏せていた視線を上げ、真っ直ぐにショウの瞳を射抜いた。その赤い瞳は、先ほどまでの冷徹な威圧感だけではなく、運命を共にする者を見定めるような、深い理性を湛えていた。
「……いいだろう。ショウと言ったな。お前の友人探し、手伝わせてもらう」
ジルの短く、だが重みのある承諾の言葉が、狭い居酒屋に響き渡った。
「決まりじゃの。話が早くて助かるわい」
ジラードが満足げに口角を上げ、豪快に膝を叩いた。その傍らで、ショウは胸の奥に灯った確かな心強さを感じながら、深く頭を下げた。
「ジルさん、よろしくお願いします! 心強いです」
「……ああ。よろしく頼む」
ジルの返答は相変わらず淡々としていたが、その声には先ほどまでの孤独な剣士の刺々しさは消えていた。
魔術師三人に、二人の剣士。
奇妙な縁で結ばれた一行は、夕闇に包まれた白亜の街グラン・マリーナにて、ついに最強の前衛を仲間に加えた。明日、彼らは海を超え、神話の影が蠢くガイスト大陸へと、その帆を上げる。
小さな居酒屋での夕食は、それまでの緊張を解きほぐすような温かな時間となった。
魚介の煮込みを囲みながら、改めて自己紹介を済ませる。ショウが宿屋の主人であることを明かすと、ジルは意外そうに眉を上げたが、すぐに納得したように頷いた。
夕食を終え、一行は宿の一室に戻り、ランプの灯りを囲んでこれからの旅路を地図に広げた。
「まず明日じゃ。グラン・マリーナからガイスト大陸の間にある【レテ島】に向かう船を探す。今の時期、大陸への直行便はないが、この島までなら船が出ておるはずじゃ」
ジラードが地図の一点を指差す。そこは、広大な海原のただ中に浮かぶ、孤独な小島であった。
「レテ島までは船で数日かかる。船に乗る前に、食料や予備の武具をしっかり準備しておく必要があるのう」
ショウはジラードの言葉を聞きながら、思い出していた。
(この時期特有の嵐が、海を阻んでいるんだったな……。正規ルートであれば今の時期はあの大陸へは辿り着けないんだ)
「そのレテ島にあるわしの隠し転移魔法陣を使い、一気にガイスト大陸まで飛ぶ。降り立つ先は、大陸の要塞都市:アイアングローリーの近くじゃ」
その名が出た瞬間、ジラードの声に重みが加わった。
「重厚な城壁を持つ、文字通りの鉄壁の要塞。そこをまずは拠点とし、聞き込みを行う。並行してエマの魔眼を使い、ショウの友人の足取りを追う……というのが今回の計画じゃ。異論はあるか?」
ジラードの問いに、全員が力強く頷いた。
「船か! 楽しみじゃのう! 潮風を浴びながらの魔法の研鑽、捗りそうではないか!」
エマが目を輝かせ、子供のように身を乗り出して興奮している。対照的に、アリナは膝の上でそっと手を組み、微かに声を震わせた。
「ガイスト大陸……。厳しいところだって聞くから、少し緊張するけど……。ショウのためだもん、頑張るね」
ジルはその会話を、腕を組んだまま冷静に聞いていた。赤い瞳には動揺もなく、ただ静かに、話を聞いていた。
窓の外からは、寄せては返す波の音が絶えず聞こえてくる。
準備を整え、明日の朝にはあの輝く海へと漕ぎ出す来るべき航海に思いを馳せた。
翌朝、グラン・マリーナの眩い陽光が白亜の街並みを照らし出す中、一行は期待に胸を膨らませて港へと向かった。しかし、そこで待ち受けていたのは、旅のロマンを打ち砕く非情な現実であった。
潮騒が響き、カモメが空を舞う活気あふれる港。ジラードが数人の船主と交渉を終え、戻ってきた。
「……一隻だけ、明日レテ島へ向かう船がある。だが、今の時期は嵐のリスクがあるからな。足元を見られおった。一人五千ゴールドだ」
「五千……! つまり、五人で二万五千ゴールド……」
ショウは計算し、そのあまりの金額に目を見開いた。すぐにでも出航したい気持ちは山々だが、それ以前に無視できない問題が浮上した。
「……お主、まさか船代をわしらに払わせようと考えてはいないだろうな?」
ジラードの冷ややかな視線が突き刺さる。ショウは心臓が跳ねた。
(……そうだ。この旅は、俺が頼んでついてきてもらっているんだ。みんなの分も俺が工面しなきゃいけないんだ……!)
慌てて腰の財布を覗き込むが、中には五千ゴールドほどしか残っていない。
「ジラードさん! ドラムさんからもらった報酬と、密猟者を捕まえた時の報酬、いくらありますか!? そこから少しお借りしたいのですが……!」
「……合わせて一万ゴールドといったところじゃな。だが、それでも足りんぞ」
ジラードが鼻を鳴らす。ショウは冷や汗を流しながら、他のメンバーへ視線を送った。
「皆さん……いくら持っていますか?」
「すっからぴんじゃ!」
エマが誇らしげに空の掌を見せる。
「私も、魔法の薬を買ったらほとんど残ってなくて……」
アリナが申し訳なさそうに小声で答え、ジルに至っては無言で首を振った。
足りない。あと一万ゴールド、どうしても足りないのだ。
「ショウよ。船が出るのは明日じゃ。……今日一日で、残りの一万ゴールドを稼いでこい」
ジラードの宣告に、ショウは「ええっ!?」と声を上げた。
「俺一人で、今日中に一万ゴールドも……!?」
「一人とは言わん。前衛がいないと死にかねんからな。アリナ、お主が手伝ってやれ。二人の連携を深める修行にもなるじゃろうて」
アリナが「えっ、私も?」と目を丸くする。一方で、エマは「よーし! 自由時間じゃな! 街の観光でもしてくるかのう!」とスキップで立ち去ろうとしたが、その襟首をジラードが掴んだ。
「お主は『魔眼』の特訓じゃ。わしとジルは、昨日の『神殺しの刃』についての話を詰めねばならん。遊んでいる暇はないぞ」
「……ちぇっ、相変わらず厳しいのう、ジラードは」
エマが不満げに頬を膨らませるのを横目に、ジラードはショウとアリナを突き放すように言った。
「いいか。夕暮れまでに一万ゴールドだ。稼げなければ、明日の船には乗れんと思え」
「……ですよね。……わかりました、やってやりますよ!」
ショウは腹を括った。宿屋の主人が一日に一万ゴールド稼ぐのは至難の業だが、今は冒険者として剣と魔法を振るうしかない。
「仕方ないなぁ。ショウ、行こ! 冒険者ギルドでパパッと一仕事して、一万ゴールド稼いじゃおう!」
アリナがショウの背中をパシッと叩き、明るく笑いかける。その元気な声に背中を押され、二人は潮風が吹き抜ける石畳を駆け出した。白亜の街の喧騒の中、一攫千金を狙う二人の「臨時依頼」が始まろうとしていた。




