7話 サクラソウ
ショウはふと、前世で住んでいたアパートや、懐かしい日本の風景を思い出しながら口を開いた。
「……『サクラソウ』。この下宿屋の名前は、サクラソウにしようと思う」
(この世界にはない「サクラ」という言葉。そして、日本で下宿屋やアパートによく使われる「〜荘」という響き。これを繋げて名前にすれば、もしサクラやレンが聞きつけた時、絶対に僕のことだと気づいてくれるはずだ。サクラを探しているという、僕なりのメッセージにもなる……)
「よし、決まりだ! 明日、入り口に掲げる看板を作ろう」
翌朝、ショウはバルトから譲り受けた端材の板に、力強い筆致で**『下宿 サクラソウ』**と書き記した。異世界の共通語の横に、小さく日本語の漢字でも「桜荘」と添えて。
その看板を屋敷の立派な門扉に掲げると、ただの廃屋だった場所が、世界でたった一つの「自分たちの拠点」になった実感が湧いてきた。
「いい看板ですね、ショウ様! これでいよいよオープンです!」
「ああ。まずは最初の住人を迎え入れる準備をしよう」
看板を掲げて間もなく、坂道を登ってくる軽快な足音が聞こえてきた。
大きな荷物を背負い、桜色の髪を弾ませながら、約束の少女がやってきた。
「おーーい! ショウさーん! ルーナさーん! 本当に来ちゃったよー!」
アリナが満面の笑みで手を振りながら走ってくる。
下宿『サクラソウ』、記念すべき最初の入居者が到着した瞬間だった。
わあぁ……っ! すごい、本当に綺麗になってる!」
門をくぐったアリナは、ピカピカに磨かれたロビーと大きなソファを見て、目をキラキラと輝かせた。ショウは彼女の荷物を持って、二階の客室へと案内した。
「ここがアリナの部屋だ。狭いかもしれないけど、一通りのものは揃ってる」
「全然! 前にいた宿なんて、窓もない相部屋だったんだから。こんなに立派なベッドとキッチンまであるなんて……夢みたい!」
アリナはベッドにダイブし、その弾力に声を上げて喜んだ。ひとしきり部屋を案内し終えたところで、ショウは切り出した。
「それで、一番大事な家賃のことなんだけど……」
ショウは事前にバルトやルーナから聞いていた王都の相場を思い出し、それよりも比較的リーズナブルな金額を提示した。
「えっ、そんなに安くていいの!? この立地で個室なのに、ギルドの簡易宿泊所とそんなに変わらないじゃない!」
「その代わり、まだ準備中のところも多いし、僕も大家として不慣れだからね。初期入居者のサービスだと思ってくれればいいよ」
「やったぁ! 浮いたお金で新しい装備が買えちゃうかも。ありがとう、大家さん!」
アリナは弾けるような笑顔で、その場で最初の一ヶ月分の家賃をショウの手のひらに握らせた。
ひとしきり部屋を案内し終えると、その日の夜は、下宿『サクラソウ』のオープンとアリナの入居を祝して、一階の食堂でささやかなパーティーを開くことになった。
バルトが差し入れてくれた上等な肉と、ルーナの手料理がテーブルを彩る。
「そういえば、森で怪我をしたあの子……弓使いの子はどうなったんだ?」
ショウが気になっていたことを尋ねると、アリナはシチューを飲み干して明るく答えた。
「それがね、ギルドの専属医師に診てもらったら、ルーナさんの応急処置が完璧だったおかげで、あとは安静にしてれば数週間で治るって! 命に別状はないし、本当に感謝してたよ。これ、二人への伝言!」
「……よかった、本当に」
ショウとルーナは顔を見合わせ、安堵の息をついた。すると、少し照れくさそうにしていたルーナが、背筋を伸ばしてショウを真っ直ぐに見つめた。
「ショウ様、実は……お伝えしたいことがあるんです。私、王都の隣町にある**『魔法大学』**への入学を目指すことに決めました」
「魔法大学?」
「はい。魔法を専門的に学ぶ人が集まる場所です。……昨日のショウ様の魔法を見て、私、自分の未熟さを思い知りました。なので魔法をもっと勉強してたくさんのことをできるようになりたいのです!」
ショウが驚きに目を見開くと、ルーナは微笑んで続けた。
「お父様にも相談して、許可をいただきました。試験は数ヶ月先なので、それまではここで家事の手伝いをしながら、魔法の勉強をさせていただけませんか?」
「もちろん、異論なんてないよ。……そうだ、一階の大きすぎた部屋も二つに分けたから、部屋が余ってるんだ。そこをルーナの部屋として使っていいよ」
ルーナはパッと顔を輝かせた。一階の奥にあった、以前は何に使われていたかも分からないほど広すぎた一室。片付けの際に壁を立てて二つに仕切ったのだが、ちょうど手頃な広さの個室が二つ出来上がっていた。
「片方はルーナが使ってくれ。勉強に集中できるだろうし、何より下宿屋の管理人が一階にいた方が、夜中に何かあっても安心だからね」
「はい! 精一杯、ショウ様をサポートします!」
「……で、もう一つの部屋は僕が使うことにするよ。これで二階の客室は全部、これから来る住人たちのために空けておけるしね」
ショウの言葉に、アリナが「大家さんも一階なんだね! じゃあ夜中に寂しくなったら、階段降りて遊びに行っちゃおうかなー」と悪戯っぽく笑い、ショウを少しうろたえさせた。
その夜、暖炉の火を眺めながら、三人はそれぞれの夢を語り合った。
魔法大学を目指すルーナ。そして、今回の失敗を糧に、まずは仲間を守れる「一人前の冒険者」になりたいと意気込むアリナ。そして、いつかこの場所で仲間と再会することを願うショウ。
「……ショウ様、明日からは魔法の練習も、もっと本格的にやりましょうね。大学の入試問題には実技もあるんです。一緒に頑張りましょう!」
「ああ、頼むよ。僕もあの『ウォーターランス』をいつでも制御できるようにしておかないと。大家が屋敷を壊しちゃ笑えないからね」
翌朝...
『サクラソウ』の朝は早い。
ショウが1階の自室で目を覚ますと、キッチンからパチパチと薪がはぜる音と、香ばしい匂いが漂ってくる。
「おはようございます、ショウ様。今日もいいお天気ですね」
エプロン姿のルーナが、甲斐甲斐しく朝食の準備をしていた。ショウは「おはよう、ルーナ」と返しつつ、魔法の制御練習を兼ねて、指先からチョロチョロと水を出して水瓶を満たしていく。
「おっ、ショウさんおはよー! お腹ペコペコだよ!」
2階から階段をドタドタと駆け下りてきたのはアリナだ。彼女は寝癖のついた桜色の髪を気にすることもなく、食堂のテーブルに陣取った。
「アリナさん、女の子なんですからもう少し落ち着いてください。……はい、今日はショウ様に教わった『フレンチトースト』ですよ」
「やったぁ! これ、甘くてふわふわで大好きなんだよね!」
ショウが前世の記憶を頼りに教えたレシピは、二人には衝撃的な美味しさだったらしい。3人でテーブルを囲み、朝食を食べた。
「よしっ! 今日こそは魔物の討伐依頼を完璧にこなして、一歩前進してくるね!」
アリナは腰の剣をパチンと叩き、元気よくギルドへと向かっていった。
残された屋敷では、ルーナがリビングのテーブルに分厚い魔導書を広げる。
「ショウ様、私は勉強を始めますが……もしショウ様が魔法の『出し方』で困ったら、いつでも聞いてくださいね。理論のことなら、私の方が少しは詳しいですから!」
「ああ、頼りにしてるよ。僕の方はまだ、蛇口の壊れた水道みたいなもんだからな」
ショウが苦笑いして答えると、ルーナは「ふふっ、例えが面白いですね」と微笑んで、真剣な眼差しで羽根ペンを走らせ始めた。
ショウは屋敷の片付けを済ませてから庭へ出た。
「……さて、今日も出力の調整練習だ」
手のひらの上に、テニスボールほどの水の球を作り出す。それを空中で静止させ、ゆっくりと形を変えていく。四角形、三角形。魔力の放出量を極限まで絞り、かつ一定に保つ練習だ。ルーナから教わった「体内の魔力を細い糸のようにイメージする」という助言を思い出しながら、慎重に意識を集中させた。
午後になり、ショウは1階のお風呂場へと向かった。
大きな浴槽を魔法の微細な水流で磨き上げた後、指先からたっぷりと水を注ぎ込んでいく。
(……よし、これで水は溜まったな)
夕暮れ時、キッチンからルーナが作る夕食のいい香りが漂い始めた頃、玄関の扉が勢いよく開いた。
「ただいまー! ふぅ……疲れたぁ!!」
泥と汗にまみれたアリナが、肩を落としながら帰ってきた。どうやら今日の依頼はかなりハードだったらしい。
「おかえりなさい、アリナさん。お疲れ様です」
「あー、ルーナちゃん……お腹も空いたけど、先に汗を流したいよ。ショウさーん、お風呂入れる!?」
「ああ、水は溜まってる。今すぐ沸かすよ!」
ショウはお風呂場へ駆け込み、加熱用の魔石に手をかざした。
(アリナも疲れてるみたいだし、早めに温めてやらないとな……。よし、魔力を一気に流し込むか!)
ショウは手のひらからドクドクと魔力を送り込んだ。だが、以前より格段に魔力操作に慣れてきたせいで、逆に「送り込む効率」が良くなりすぎていた。魔石は眩い光を放ち、浴槽の水はあっという間にボコボコと音を立て始める。
「……あ、ちょっとやりすぎたか?」
数分後。
「あっちちちち!! 大家さんのバカーー!!」
お風呂場からアリナの絶叫が響き渡った。ショウがロビーで「ごめん、熱すぎたか!?」と声をかけようとした、その時だった。
「もう! 茹でダコになっちゃうよ!」
バァン! と脱衣所の扉が開き、アリナが飛び出してきた。
あまりの熱さにパニックになっていた彼女は、なんとバスタオルを一枚巻いただけの姿だった。
風呂上がりの熱気で上気した白い肌、そこから滴る水滴。タオルの隙間から覗く健康的な脚のラインと、強調された胸元の曲線。
「あ、暑い……。ショウさん、あれは風呂じゃなくて釜茹での刑だよぉ……」
アリナはショウの目の前で、タオルをパタパタと仰いで涼んでいる。
至近距離で晒された、あまりにも**「エロい体」**。
(……!!)
ショウは視線のやり場に困り、顔を真っ赤にして固まった。しかし、前世で若くして人生を終えたショウの心の中の本音は隠せなかった。
(……最高です、ありがとうございます! 異世界、万歳……!!)
「ちょ、ちょっとアリナさん! 破廉恥です、早く服を着てください!」
キッチンから飛んできたルーナが、顔を赤くしながらアリナを脱衣所へ押し戻していく。
サクラソウの日常は、今日も賑やかで、そして少しだけ刺激的だった。




