67話 白狼
重苦しい沈黙が、ロンドのパンッ!という乾いた手拍子によって破られた。
「さあ、しみったれた話は終わりじゃ! 久しぶりの客人だというのに、湿気た顔ばかりしていては森の妖精たちに笑われるわい」
ロンドは椅子から飛び降りると、エマとアリナに向かって豪快に手招きをした。
「もてなさんと! 今夜はエーテルフォレストでしか取れぬ極上の食材を使って、わしが腕を振るってやろう。女達は手伝ってくれ、台所へ行くぞ!」
「おっ、ロンドの料理か! それは楽しみね!」
「天才プリティの私の助手になれるなんて、光栄に思いなさいよね、ロンド!」
エマが調子を取り戻してはしゃぎ、アリナも少し安堵した表情で、賑やかにキッチンのある階下へと消えていった。
部屋には、暖炉の火を見つめるショウ、ジラード、そしてパイプを燻らせるロンドの三人が残された。
ロンドは紫煙をゆっくりと吐き出し、ジラードを横目で見た。
「……お主が、連れと旅なんぞ珍しいのう。ましてや、自分の弟子を名乗らせるなど。……よほど、その小僧が気に入ったか?」
ジラードは少し照れくさそうに鼻を掻いた。
「……まあ、成り行きじゃよ。放っておけば勝手に死んでしまいそうな、お人好しの下宿屋オーナーじゃからの」
ロンドの黄金色の瞳が、品定めするようにショウに向けられた。
「ショウとか言ったな、小僧。お主、なかなかの魔力を持っておるな。……いや、ただの魔力ではない。どこか懐かしい……それこそ、神話の時代に満ちていた『古の魔素』に近い純度を感じるわい」
(古の魔素……?)
ショウは自分の掌を見つめた。自分では何も感じない。ただ、時折体の奥で暴れる、あの熱い奔流がそれなのだろうか。
「こやつの魔力量にはわしも驚いたわい。じゃが、いかんせんセンスが皆無でな。本人は自覚もなし、使い方もわからん。まさに宝の持ち腐れよ」
ジラードが溜息混じりに笑うと、ロンドは「ふーむ……」と深く唸った。
「自分の体の魔力を使いこなせておらんと……。ならば、これが必要かもしれんな」
ロンドは立ち上がると、部屋の隅にある無数の引き出しがついた棚へと向かった。
引き出しをゴソゴソと漁り、何かを手に戻ってくる。
「これを使うと良い」
ロンドの手のひらにあったのは、鈍く輝く一つの指輪だった。
全体的に細かな蔓のような彫刻が施された、重厚な金色の指輪。それは室内を照らす光虫の光を反射し、ショウの瞳を黄金色に染めた。
「これは……?」
「この指輪は、体内に淀んだ魔力をスムーズに引き出し、放出しやすくするための魔道具じゃ。お主の持っておる杖『グラウンド・ウェッジ』は魔力を安定させる性質を持つ。これと組み合わせれば、暴発を防ぎつつ、お主の意志で魔力を引き出しやすくなるはずじゃ」
「そんな……こんな大切なもの、いいのですか!?」
ショウが驚いて身を乗り出すと、ロンドは「カッカッカ!」と豪快に笑った。
「良いよ! ジラードの弟子ならば、この先避けては通れぬ戦いが待っておるはず。死なれては、あやつがまた独りぼっちになってしまうからの。……これからも、精進するが良い」
ショウは震える手でその指輪を受け取り、自分の指にはめた。
その瞬間、指先からジワリと温かな感触が伝わり、重かった体の奥が少しだけ軽くなったような気がした。
「……ありがとうございます、ロンドさん。大切にします」
ツリーハウスの中は、温かな活気と芳醇な香りに満たされていた。
ロンドが腕を振るい、エマとアリナが手伝った料理が、分厚い木のテーブルの上に所狭しと並べられていく。エーテルフォレスト特有の、淡く発光するキノコのソテーは噛むたびに芳醇な旨味が溢れ、大振りのフォレストベリーを煮詰めたソースがかけられたジビエのローストは、野性味溢れる香りで食欲を激しく刺激した。
「ほら、ショウ! ぼさっとしてないで食べなさいよ。天才プリティの私が味付けを監修したんだから、世界一美味しいに決まってるんだから!」
「もう、エマ。ロンドさんの秘蔵のスパイスのおかげでしょ? さあ、ショウくんも、冷めないうちに」
アリナが優しく微笑み、ショウの皿にたっぷりと肉を分ける。
「ガハハ! 遠慮はいらん、食え食え! ジラード、お主も酒が進むじゃろう?」
ロンドが自慢の自家製酒を並々と注ぎ、男たちは豪快に杯を交わした。ドワーフ秘伝の酒は、喉を通る瞬間に火が出るような熱さがあるが、その後に抜ける芳醇な木の香りは、この世のものとは思えないほどに深い。
宴が最高潮に達したその時、笑い声を切り裂くように、森の奥深くから地響きのような震えを伴う声が響いた。
「うーーーーーーーーーーーっ!!」
「……っ! なんだ、今の声は。魔物か!?」
エマが咄嗟に杖を手に取り、腰を浮かす。アリナもまた、警戒の色を強めて窓の外を睨み据えた。
しかし、主であるロンドは杯を置くことすらなく、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「安心せい。魔物などではない、わしの『友達』じゃよ」
ロンドに促され、一行はツリーハウスのベランダへと出た。
夜の帳が降りた森、青白く発光する月光虫の群れを割り、その「白銀」は姿を現した。
巨樹の根元、月光を一身に浴びて佇んでいたのは、一匹の巨大な狼だった。
その体躯は馬よりも遥かに大きく、全身を覆う毛並みは、まるで磨き上げられた純銀のように眩しく輝いている。冷徹でありながらも気高い黄金色の瞳が、ゆっくりとベランダの一行を見上げた。
「……ほう。珍しいのう。フェンリルか……」
ジラードが感嘆の声を漏らす。伝説の聖獣――神の使いとも称される孤高の存在が、そこにはいた。
ロンドが螺旋階段を駆け下りると、巨狼はまるで子犬のようにその頭を低く下げた。
「お主らも来い。こやつはフェンリルの『ガル』じゃ」
恐る恐る近づく一行の前で、ロンドはガルの分厚い首元の毛並みを愛おしそうに撫でた。伝説の聖獣が、小さなドワーフの手のひらに嬉しそうに目を細めている。
「最近、この森に不埒な密猟者が現れてのう。網に捕まりそうになっていたこやつを助けてやったのじゃ。それ以来、こうして時折、わしの家へ顔を出すようになった」
ガルはロンドの手から離れると、ショウの前で立ち止まり、その匂いを嗅ぐように鼻を近づけた。
(……かっこいいな。うちにいる看板犬のコロとは、何もかもが別物だ……)
ショウはコロの丸っこい姿を思い出して苦笑しつつも、目の前の圧倒的な生命力に息を呑んだ。
しかし、ロンドの表情が少しだけ険しくなる。
「その密猟者共は、捕らえた魔物を特殊な術で手懐け、意のままに人を襲わせているという噂じゃ。この森の生き物たちは、わしにとっては家族のようなもの。ショウ、もし旅の途中でそ奴らを見かけたら……この森の命を守ってやってくれんか」
「……もちろんです! そんな酷いこと、絶対にさせません」
アリナが強く頷き、エマもまた胸を張った。
「おう! このエマ様が、その密猟者共を魔法で一網打尽にしてやるわ!」
ガルは一行の言葉を聞き届けるように一度だけ小さく吠えると、音もなく深い森の霧の中へと姿を消していった。
その後、再び始まった晩餐会はさらに熱を帯びた。
ロンドが次々と注ぐ「倒れるための酒」の威力は凄まじく、やがて一人、また一人と心地よい眠りの淵へ沈んでいく。エマはテーブルに突っ伏し、アリナはジラードのいびきを聞きながらソファで丸くなった。
ショウは、ロンドが用意してくれたベランダ近くのハンモックに身を横たえていた。
心地よく揺れるハンモックの上で、視界の先には、小瓶の中で静かに明滅する月光虫たちの蒼い光が広がっている。
(……昔の魔素、か……)
ロンドに貰った黄金の指輪『マナ・コンダクター』が、月光を反射して指先で鈍く輝いている。
ショウは、その指輪をそっとなぞり、遠い空を見つめた。
(れん。……待っててくれよ。……もう少しだ。きっと会いに行くからな)
ショウは心の中で、大切な人の名前を強く刻む。
巨樹の囁きと、かすかな虫の音。エーテルフォレストの深い慈愛に包まれながら、ショウは深い、深い眠りの中へと落ちていった。




