61話 ユーリアからのお礼
フィエルテの喧騒から少し離れた、レンガ造りのこの街の中でも上位の高級レストラン。
テーブルの上には、王都でもそうそうお目にかかれないような牛の香草焼き、川魚のムニエル、そして彩り豊かな温野菜のサラダが所狭しと並べられていた。
「さあ、遠慮せずに食べて頂戴! 今日はこのユーリア様のおごりよ。あんなドブネズミ共から救ってくれた、せめてものお礼なんだから!」
明るい青のショートヘアを揺らし、ユーリアは豪快に笑いながら、自身も高級なワイン(と言っても彼女の年齢を考慮した軽い果実酒のようだが)を口にする。
「うむ! 殊勝な心がけだ。手下どもよ、遠慮はいらん。我の魔力を養うためにも、この街で一番高い肉を注文するが良い!」
エマが「魔隻眼の魔法使い」としての威厳(?)を保ちながら、頬をリスのように膨らませて肉を咀嚼する。ショウは、まだ「手下設定」が継続していることにため息をつきつつも、ユーリアに問いかけた。
「でも、ユーリアさん。本当に大丈夫なんですか? またあんな連中に狙われたり……」
「平気よ。私を探しているお父様の部下たちが、もうすぐそこまで来ているはずだわ。見つかるまでのほんの少し、羽を伸ばしたかっただけ。……それに....」
ユーリアは少しだけ寂しげに、けれど気高く微笑んだ。
その時、レストランの重厚な扉が勢いよく開け放たれた。
「ユーリア様! ユーリア様はどちらですか!」
銀色の甲冑を纏った兵士たちが雪崩れ込んでくる。
「げっ、見つかるのが早すぎるわ! じゃ、私は逃げるわね! お金はここに置いておくわ、後のことはよろしくね!」
ユーリアは椅子から飛び降りると、テーブルの上に革袋を叩きつけた。中から金貨が溢れ出し、ガチャンと派手な音を立てる。彼女はショウの耳元で「またどこかで会いましょう、私の勇者様?」と悪戯っぽく囁くと、店の勝手口から子猫のようにコソコソと、けれど素早く姿を消した。
呆気にとられるショウたちと、残された大量の金貨。
「……行っちゃいましたね」
「ショウよ。あやつは心配いらん。我がすでにその魔力と姿、虚空の写し目に焼き付けた。何かあればすぐに探知できる」
エマの頼もしい言葉に、ショウは少しだけ胸を撫で下ろした。
数時間後.....
「う〜……もう飲めないよぅ……」
「ふっ、我が、勝利だ……。酒の川を、泳ぎきったぞ……」
レストランを出た時、エマとアリナは完全に泥酔していた。ユーリアが残した「あぶく銭」で、高級な酒を次から次へと注文した結果である。
エマは千鳥足ながらも、フラフラと自分の部屋へと這い上がっていったが、アリナはもう自力で歩くことすらままならない。
ショウは溜息をつき、アリナの細い体を背負い上げた。
桜色の髪から漂う甘い果実酒の香りと、彼女の体温が背中に伝わってくる。
「……ショウくん。ショウくん、聞いてる……?」
「聞いてるよ、アリナ。もうすぐ部屋だからね」
「あのね……寂しかったんだよ。……ショウくんたちが、エリシオンに旅してる間……」
アリナの熱い吐息が耳元を掠める。
「カイトくんと、セシリア様……。あの二人、毎晩のように『夜の営み』をしてたんだよぉ……。私、隣の部屋だったから……すんごい、聞こえてきちゃって……」
ショウの心臓が跳ねた。
「え……? あ、あの、アリナ。それは、その……」
「私だって、女の子だもん……。あんな声、毎日聞かされてたら……溜まっちゃうよ……。私だって、抱きしめて、ほしい、のに……」
ようやくアリナの部屋に辿り着き、ショウは彼女をベッドへと横たえた。
だが、そこからが本当の地獄だった。
「あつ〜い……。これ、脱いでもいい……?」
「だ、ダメだよ! アリナ、落ち着け!」
(こ..こんなこと前にもあったよな??)
ショウの制止も虚しく、アリナは器用に服の紐を解き始めた。
酒の力で火照った肌。乱れたシャツの隙間から、以前から気になっていた「主張の強い胸元」が、露わになりかける。
「あああ、ダメだって! アリナ!」
慌てて彼女の手を押さえようとしたショウに、アリナが正面からしがみついてきた。
「えへへ、つかまえた……。ねえ、行かないで。ショウくん、一緒に、寝よ……?」
潤んだ瞳。少しだけ開いた唇。そして、腕の中に伝わる肉感的で柔らかな太ももの弾力。
アリナの指先が、ショウの首筋をなぞる。
(おいおいおい、めちゃくちゃエロい……!! 落ち着け俺、これは酔っ払いの介抱だ。手を出したら人として終わるぞ……っ!)
「アリナ……酔いすぎ。ほら、ちゃんと寝るんだ」
ショウは鉄の意志で彼女を引き剥がし、毛布を首元まで引き上げた。
「え〜、ケチ……。ショウくんの、ばかぁ……」
小さな寝息を立て始めた彼女の寝顔を見届け、ショウは逃げるように部屋を飛び出した。
廊下で大きく深呼吸をし、冷え切った夜気で火照った体を冷ます。
「……よく耐えたぞ、俺。でも」
ショウは拳を握り、自分に言い聞かせるように呟いた。
「今度は……こんなハプニングじゃなくて、自分の足で、ちゃんとこの世界の童貞を卒業してやるからな……!」
自室に戻ったショウは、どっと押し寄せた疲労感と共に、深い眠りへと落ちていった....
フィエルテの朝は、どんよりとした重い霧に包まれていた。
窓から差し込む光は弱く、宿の食堂に漂うのは、焼きたてのパンの香りよりも、誰かがこぼした安酒の刺激臭に近い。
「うぅ……頭の中に、工事現場のドワーフが住んでるみたい……」
アリナはテーブルに突っ伏したまま、消え入りそうな声で呻いた。自慢の桜色のショートヘアも、今は寝癖で跳ね、力なく揺れている。
「私、どうやって帰ってきたの……? 全然、思い出せないんだけど……。ねえ、ショウ……?」
「あ、ああ、……まあ、俺が背負って帰ってきたんだよ。アリナ、かなり機嫌よかったし」
ショウは差し出されたスープを飲み込みながら、曖昧に言葉を濁した。
(「寂しかったんだよ」とか「カイトたちがエロいんだよ」とか……。ましてや、あのしがみついてきた熱い体の感触なんて、口が裂けても言えない……!)
ショウの頬がわずかに赤らむのを、隣にいたエマが見逃さなかった。
「……ショウよ。お主、何か隠し事をしているな? 顔が茹で上がった蟹のようだぞ」
「な、何でもないですよ! それよりエマさんこそ、その顔色、大丈夫ですか?」
エマはいつも深く被っている三角帽子を力なく横に倒し、顔面を蒼白に染めていた。
「……我を、喋らせるな……。今は、ただの『死にかけの天才魔法使い』だ。一歩歩くたびに、脳内の魔法回路がショートしている……。ジラードよ、お主だけなぜ、そんなに元気なのだ……」
エマの恨めしげな視線の先。
ジラードは山盛りのベーコンエッグを器用にフォークで突き刺し、口の周りを油で光らせながら豪快に笑っていた。
「カッカッカ! 年季が違うわい、年季がな! あの店の姉ちゃんの『ボイン』は、まさに芸術品じゃった。あの弾力、あの吸い付くような……ぐふふ、おかげで魔力がみなぎっておるわ!」
「……ジラードよ。その卑俗な笑みを今すぐ止めねば、我の魔法でお主の秘蔵のコレクションをすべて異次元に飛ばすぞ」
「それは勘弁じゃ!」
ショウはため息をつき、冷たい水を一口飲んで、自分の「身体のタフさ」に感謝した。
「とりあえず、みなさん。今日からまた長い旅が始まります。……オーナーとして、みなさんの健康管理も仕事ですからね。しっかりしてくださいよ?」
身支度を整え、一行がフィエルテの東門へと辿り着いた時、街の空気は一変していた。
平時であれば商人や旅人が行き交う門前が、銀色に輝く甲冑を纏った騎士たちの軍勢によって物々しく封鎖されていたのだ。
その中心に、周囲の空気を歪めるほどの「圧」を放つ男がいた。
丸太のような腕、鋼鉄の板を幾重にも重ねたような重厚な鎧。そして背中には、持ち主の頭ほどもある巨大な鉄の塊――戦鎚『ウォーハンマー』。
(あの人は……確か、王都で王との謁見があった時、俺のサクラソウまで迎えに来てくれた……)
「騎士隊長の……ドラム・ストロングウォールさん……?」
ショウが恐る恐る声をかけると、その巨漢がゆっくりと振り返った。
鎧の隙間から覗く鋭い眼光が、ショウを捉える。刹那、男の口周りに蓄えられた立派な髭が大きく震えた。
「んん……? お主は、あの時サクラソウにいた、アルト村でスカルロザリオをまかした下宿屋のオーナーの……ショウと言ったかな! ガハハハ! まさかこんな辺境で、あのお節介な英雄と再会するとはな! 運命というやつはわからんものだ!」
ドラムが放つ豪快な笑い声は、二日酔いのエマの頭痛をさらに悪化させたようだった。ドラムはショウの肩をバンバンと叩いた。その一撃一撃が重戦車に衝突されたような衝撃で、ショウの足が石畳にめり込みそうになっていた。




