60話 フィエルテ
耳を劈くような爆音と、視界を白く染め上げる暴力的な光。
それらは一瞬で、血の匂いが立ち込める「戦場」の情景へと塗り替えられた。
辺りは赤黒い炎に包まれ、火の粉が雪のように舞っている。
その炎の揺らめきの向こう側で、二人の男が対峙していた。一人は立ち尽くし、もう一人は膝を突き、肩で荒い息を吐いている。
「兄さん……っ、すまない……。こうするしか、なかったんだ……。ごめん、よ……」
掠れた声。震える背中。
立っている男が、跪く男に向けて何かを振り下ろそうとした瞬間、ショウの意識は急激に現実へと引き戻された。
第2章:再会編 ―――
「――ショウ! ショウってば! 起きて!」
鼓膜を揺らす、弾むような高い声。
「ん……っ」
重い瞼を押し上げると、そこには心配そうに顔を覗き込むアリナの姿があった。桜色のショートヘアが、夕陽を浴びてキラキラと輝いている。
「アリナ……? ああ、悪い。いつの間にか寝てたみたいだ」
「もう、うなされてたよ? ほら、そろそろ馬車から降りるよ。ここからは徒歩だってさ!」
ショウは寝ぼけた頭を振り、状況を思い出す。
そうだ、俺たちは今、親友のレンが渡ったというの断絶の大陸「ガイスト」を目指している。今はその中継地点である宿場町『フィエルテ』を目指し、街道を行く馬車に便乗させてもらっていたのだった。
「すまんな。送れるのはここまでじゃ」
御者台から、立派な髭を蓄えた馬車の持ち主が声をかけてくる。
「いや、助かったわい。礼を言うぞ」
ジラードが軽やかに飛び降り、続いてショウ、アリナ、エマの三人が地面に足を下ろした。
「ここから数時間も歩けば、フィエルテの門が見えるはずじゃ。今日はそこで一晩、腰を据えるとするかのう」
ジラードの言葉に、一行は歩みを進め始めた。
道中、大きな三角帽子を直しながらエマが尋ねる。
「そういえば、そのフィエルテというのはどんな街なのだ? 我の知的好奇心を満たすに足る場所か?」
「んー、そうさな。治安はあんまり良くないのう。冒険者も多いが、どちらかと言えば『夜の街』としての顔が有名じゃ。可愛い女の子ちゃんの店が多くてのう……うふふふふ、楽しみじゃわい!」
「……キモイぞジラード。正気を養うとは、そのような卑俗な場所へ行くことではないぞ」
エマが心底汚いものを見るような目でジラードを睨むが、本人はどこ吹く風だ。ショウは苦笑いしながら、アリナに顔を向けた。
「アリナは、フィエルテのこと何か知ってる?」
「私も行ったことはないんだけどね。奴隷商人が多くて、大人の店も並んでるって聞いたことがあるよ。王都の兵も駐留してるけど、裏通りは無法地帯に近いって話。あんまり女の子が夜に一人で歩く街じゃないね」
(前世で言うところの、少し都会に近い田舎の歓楽街、って感じか……)
ショウは思う。奴隷商人。その単語一つに、前世の現代日本では考えられない「世界の壁」を感じて、少しだけ胃のあたりが重くなった。
すると、ジラードがショウの耳元ににじり寄り、小声で囁いた。
「ショウよ……フィエルテから先は、もう可愛いおねーちゃんの店など皆無じゃぞ! ここらで一発、しっかり『スッキリ』してからガイストに向かった方が身のためじゃ。わしがとっておきの店を教えてやるからな……?」
(確かに……前世でも、そういう店を経験する前に転生しちゃったしな。これを機に、一歩大人に……いやいや!)
「ちょっとー! 下宿屋のオーナーさーん! 私たち一応、あんたの宿のお客さんなんだからね! 変なこと考えて鼻の下伸ばさない!」
「っ! 行きませんよ! 師匠、一人で行ってください!」
ショウが慌てて叫ぶと、ジラードは「ちぇっ、つれないのう」と肩をすくめた。
「ふっ、ショウよ。そんなに寂しいのであれば、プリティで天才なこの我が相手をしてやらんでもないぞ?」
エマがニヤリと不敵に笑い、アリナが「ちょっとエマまで何を!」と顔を真っ赤にして突っ込む。
四人の笑い声が、夕暮れの街道に溶けていった。
フィエルテの街に入った頃、空はすっかり群青色に染まっていた。
王都の洗練された美しさはなく、レンガ造りの建物はどこか煤け、街灯の魔石は不安定に瞬いている。だが、活気だけは王都に引けを取らない。いや、独特の熱気と脂ぎった欲望が渦巻いているようだった。
古い宿屋に荷物を置くやいなや、ジラードは「各自解散じゃ!」と言い残し、飛ぶような足取りで夜の闇へと消えていった。
「……本当にお盛んだな、あの爺さんは」
ショウは呆れながらも、腹の虫が鳴るのを聞いた。
「エマ、アリナ。どっかご飯食べに行こうか」
三人は宿を出て、街の探索を兼ねて歩き出した。大通りを外れ、細い路地に入ると、景色は一変する。
肌を露出させた女性たちが客を引き、怪しげな酒場からは喧騒が漏れる。そしてショウが最も衝撃を受けたのは、檻の中に繋がれた人々――奴隷商人たちの露店だった。
薄い布だけを纏わされ、鉄鎖に繋がれた男女。彼らの虚ろな瞳が、この街の「当たり前」を突きつけてくる。
「っ……」
目を逸らそうとしたショウの耳に、それを遮るような怒声が飛び込んできた。
「待て――っ! 逃がすな!」
「あいつは上物だぞ! 捕まえれば一生遊んで暮らせる金になる!」
騒がしい足音と共に、三人の隣を影が走り抜けた。
豪華な生地で仕立てられた、気品ある服を着た女性だ。彼女の背後から、ツラの不気味な男たちが数人、血眼になって追いかけていく。
「なんだなんだ? 人攫いか?」
「奴隷……ではなさそうだったけど。あんな格好の人がどうしてこんな場所に……」
アリナの言う通り、彼女の服装はこの街の空気には全く不釣り合いな貴族然としたものだった。
「クンクン……事件の匂いがするぞ。ショウ、あやつらを追うか!?」
エマが目を輝かせて杖を握り直す。
「あんまり面倒には首を突っ込みたくないけど……あんな人数で女の子を追いかけ回すのは、見ていて気分がいいもんじゃないな。……二人とも、いいですか?」
「もちろん!」
「当然だ!」
三人は即座に反転し、男たちの後を追って路地を駆け抜けた。
行き止まりのレンガ壁の前。
逃げていた女性は、十人ほどの男たちに完全に囲まれていた。
「へへへ……逃げ場はねえぜ。お嬢ちゃん、こんな街を一人で歩いてるのが悪いんだ」
「私を誰だと思っている! この薄汚いドブネズミども! その汚い手で触れることすら許さないわ!」
女性の声は凛としていたが、隠しきれない震えが混ざっている。
「おっ、気の強え貴族様か。ツラもスタイルも最高だ……。奴隷に堕とせば高く売れるぜ。性奴隷なら身代金以上の値がつくかもな……っ!」
男が下卑た笑いを浮かべて手を伸ばした瞬間――。
「ちょっと待ちなぁ! 薄汚いドブネズミちゃんたち!」
背後からの鋭い声に、男たちが一斉に振り返る。
そこには、エマが指定した「最高に決まるはず」のポーズを(羞恥心に耐えながら)取るショウとアリナ、そして堂々と杖を掲げるエマが立っていた。
「そんなお嬢ちゃん一人に、穢らわしい男どもが群がって……けしからん! この魔隻眼のエマ様と、この手下たちが相手だ!」
(誰が手下だよ……)
ショウは心の中でツッコミを入れながらも、杖『グラウンド・ウェッジ』を構えた。
「なんだてめーら! 邪魔するなら容赦しねえぞ!」
男たちが剣や斧を抜き、殺気立って襲いかかる。
アリナが心配そうに小さい声で言う
「ショウ、エマ! 殺しちゃダメですよ!」
「わかっとるわい!」
アリナが風のように前に出た。盾で斧を弾き飛ばし、流れるような足捌きで懐に潜り込む。
「はっ!」
鋭い衝撃。峰打ちと強烈な蹴りが、男たちを次々と沈めていく。
「――水よ、貫け! ウォーターランス!」
ショウが放つ水の槍が、男の武器を弾き飛ばし、肩を強打して壁へと縫い止める。
「も――っ、一人ずつなんて面倒なのだ! 吹き飛べ!」
エマが杖を振ると、地面から無数の岩が浮かび上がり、彼女の周囲を猛烈な勢いで旋回し始めた。
「ロックストーム――っ!」
ドオォォォォン――!!
凄まじい轟音と共に放たれた岩の嵐が、残りの男たちをまとめて吹き飛ばし、路地の壁に叩き伏せた。
「…………」
静まり返る路地。男たちは一人残らず気絶している。
(すごいけど……やりすぎだって……)
ショウは引きつった笑いを浮かべながら、腰に手を当てて「どーだ!」と胸を張るエマを横目に、座り込んでいた女性の元へ駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
差し伸べた手の先。そこにいたのは、十代前半ほどの少女だった。
明るい青色のショートヘア。勝気そうな、けれどどこか気品に満ちた瞳。
(……誰かに、似ている気がする)
少女はショウの手を借りずに立ち上がると、服の埃を払い、不敵な笑みを浮かべた。
「助かったわ! ありがとう! ドブネズミみたいな連中に囲まれて、少しだけ困っていたところよ」
彼女は腰に手を当て、自信たっぷりに名乗った。
「私の名前は……ユーリアよ!」




