58話 予言の石
「報酬はお前らがもらえ。少女たちを救い、オーガと対峙したのはお前らだ。それは誇っていい」
ジルはそう言い残すと、返り血を浴びた刀を鞘に納めた。
「幸い、あの娘たちは俺の姿を見ていないだろう。……お前たちの手柄にしておけ」
去りゆくその背中に、レンは何も言い返せなかった。圧倒的な実力差を見せつけられた後の「施し」。それがジルの優しさであると分かっていても、かつて天才と謳われたレンの自尊心は、静かに、しかし激しく火花を散らしていた。
(……借りにしておく。次は必ず、俺の力で終わらせてやる)
レンたちは救出した二人の少女を連れ、トーリス村へと帰還した。村長をはじめ、村人たちは涙を流して彼らを迎え、まるで救世主のように称えた。受け取った報酬の金貨の重みは、レンにとって「命の値段」であり、同時に「今の自分の現在地」を示す重石のように感じられた。
それから三日。
一行は予定通り、王都を目指して街道を進んだ。
「王都ルミナス……か。あいつらも、そこを目指している可能性は高い」
道中、襲いかかる狼やゴブリンを退けながら、レンは常に自らの動きを最適化し続けていた。ジルのあの「銀閃」には遠く及ばないが、一振りごとに無駄を削ぎ落とし、マッスルメモリーと自身の知能を同期させていく。
(ショウ、サクラ……どこにいる。待ってろ、今すぐ行く)
そして三日目の昼下がり。
緩やかな丘を越えた先で、その光景が視界に飛び込んできた。
地平線を埋め尽くすような巨大な外壁。空を突く白亜の塔。そして、開かれた城門へと吸い込まれていく無数の人々。
「うわぁ……すごい……! これが王都ルミナス!」
「へへっ、ようやく着いたな。ここならどんな依頼も、どんな情報も手に入るぜ!」
ルーシィとザックが歓喜の声を上げる中、レンは目を細めて巨大な街並みを凝視した。
(ここが、ルミナス……)
押し寄せる喧騒と、人々の熱気。辺境の村とは比較にならないほどの情報の渦。
レンは一歩、石畳を踏みしめた。
レン達は、王都で数々の依頼を受けながら、ショウ達の情報を集めた。幾度の魔物との戦闘、広い大陸を歩き回ったが見つからなかった...レンの心ら崩れかけていた。
王都ルミナスに足を踏み入れてから、三年の月日が流れた。
かつては頼りなかったレンの体つきも、日々の過酷な依頼と鍛錬によって見違えるほど引き締まり、その一振りは一切の無駄を削ぎ落とした鋭利なものとなっていた。しかし、戦績とは裏腹に、レンの心は焦燥に焼き尽くされようとしていた。
(……いない。どこにも、あいつらの影すら見当たらない)
ルミナス大陸の各地を歩き回った。だが、ショウとサクラに繋がる情報は、どれほど手を尽くしても、どんな些細な噂を追っても、一切手に入らなかった。
ある夜。冒険者が集う酒場の喧騒の中で、ザックがジョッキを置き、レンの顔を覗き込んだ。
「どーしたレン、暗い顔して。今日も討伐依頼、完璧に上手くいったじゃねえか」
「……レン、やっぱり変だよ」
ルーシィも心配そうに身を乗り出す。
「あの日……あの怪我を境に、そのショウとサクラ?だっけ。その人たちの情報を必死に集めたりして。それより前は、一度もそんな話したことなかったのに……」
「……気を失った時に、昔のことを思い出してな。どうしても、会いたくなったんだ」
レンは酒を煽り、なんとか言葉を濁した。その時、隣の席で飲んでいた男たちの会話が耳に飛び込んできた。
『……そういえば、あの「氷華神の巫女」のクレア様。最近エリシオンに戻ってきたらしいぞ』
『ほう、今回はだいぶ長い旅だったな。巫女様も大変だよな……』
レンの指が止まる。
(クレア……? エリシオン……? そうだ、三年前、ジルが言っていた魔眼を持つという……!)
レンは地図を思い浮かべる。
(エリシオン……確か、ここから向かうには険しい天穿山アイゼンヘイムを越えなきゃならない。今の俺たちなら行けるが、かなりの強行軍になるな……)
一人で考え込むレンの様子を見て、ルーシィとザックが顔を見合わせて笑った。
「はぁ……。もう、顔に書いてあるわよ、レン。エリシオンに行きたいんでしょ?」
「その友人に会いたいんだろ!? 行くしかねーよな、エリシオンに!」
二人の思いがけない提案に、レンは目を見開いた。
「いいのか? 二人とも……」
「当たり前でしょ! 私たちパーティなんだから」
「おうよ! 決まりだな!」
胸の奥が熱くなるのを感じながら、レンは心からの感謝を伝えた。
「……ありがとう、二人とも。本当、助かる」
三人はアイゼンヘイムの険しい断崖を越え、襲い来る強力な魔物たちを王都で培った連携で退け、ついに魔法都市エリシオンへと辿り着いた。
セレスティア魔法大学。その静謐な一室で、レンは銀髪の巫のノヴァ・クレアと対峙していた。
「友人を探している。貴女の『虚空の写目』で、探してほしい」
転生の事実は隠しつつ、必死に願い出る。クレアの瞳が妖しく光り、術が発動する。
「虚空の写目は、探している人物の姿、あるいは魔力を強く思い浮かべることで、その者が世界のどこにいるかを映し出すわ。……さあ、強くイメージしなさい」
(ショウ……!)
レンは目を閉じ、強烈に思い浮かべた。
共に汗を流した日々。学ランを羽織り、不敵に笑う、元の世界での親友の姿を。
しかし、静寂の後にクレアが口にしたのは、残酷な宣告だった。
「……何も見えないわ。お前の脳裏にあるその姿に砂嵐のようなものがかかって見えない……この世界のどこを探しても、欠片すら存在しない。お前が探している者は、この世界には『いない』のよ」
レンの視界が、音を立てて歪んだ。
(……砂嵐???。俺が思い浮かべたのは、元の世界のショウだ。この世界の存在ではないからか?……)
自分が唯一の希望として抱き続けてきた「記憶」そのものが、再会を阻む最大の障壁となっていた。
積み上げてきた三年間が、合理的な計算の全てが、最後の一手で打ちのめされる。
「くそ……っ!!」
レンの悲痛な叫びが、静かな部屋に空しく響いた。
呆然と立ち尽くすレンに、クレアは光を収めた瞳で静かに告げた。
「……だが、諦めるのはまだ早いわ。私の眼に映らないのなら、この世界の『過去』や『知識』に答えがあるかもしれない。大学の図書館へ行きなさい。そこにある膨大な蔵書なら、何か別の、お前にとって有益な情報が手に入るかもしれないわ」
「……図書館」
その言葉を唯一の頼みの綱として、レンは這いずるような足取りで大学の巨大な書庫へと向かった。
広大な図書館には、魔法の歴史、薬学、魔導工学……この世界の叡智が詰まった数万の書物が並んでいた。埃の匂いと古紙の香りが漂う静寂の中、レンは取り憑かれたように書棚を彷徨った。今の「現在」が閉ざされたのなら、記録の中に活路を見出すしかない。
数時間後、一冊の古びた魔導書がレンの目に留まった。
『大魔法使いソフィア・アルカディア――その生涯と遺産』
「なんだこれは……」
吸い寄せられるようにその本を手に取り、近くの椅子に深く腰掛ける。震える指でページを捲ると、そこにはかつての伝説的な大魔法使いが作り出したという、ある奇跡の道具についての記述があった。
『予言の石――。この石に手をかざす者は、数刻先、あるいは数年先の未来を幻視する。来たるべき災厄、あるいは望むべき邂逅……その結末を知ることで、人は運命を書き換える力を得るという』
レンの心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
(未来が見える……? もし、未来で俺がショウやサクラに会っている姿が見えるとしたら……。その場所や時期が分かれば、もっと早く、確実にあいつらに辿り着けるんじゃないか!?)
今のあいつらの姿が分からないからこそ、未来の自分に答えを求める。それは、論理というよりはもはや執念だった。
さらにページを捲る。だが、最後に記されていたのは、あまりに遠く険しい一文だった。
『最後にこの石が目撃されたのは、百余年前――ガイスト大陸である』
「ガイスト大陸……」
ルミナス大陸から遠く離れた、未踏の地。強力な魔物と古代の呪いが渦巻くと言われる、冒険者ですら立ち入ることを恐れる「断絶の大陸」。
(本当にそんなものが現存するのか? 100年以上も前の情報だ。行っても空振りかもしれない……)
だが、レンの瞳には、先ほどまでの絶望に代わり、どす黒いまでに濃い「覚悟」の火が灯っていた。
3年探して何も見つからず、最後の手札であったクレアの魔眼ですらダメだったのだ。この不確かな伝説に縋る以外に、今のレンにはもう道が残されていなかった。
本を閉じる音が、静かな図書館に重く響く。
(見てろよ、ショウ、サクラ……。世界の果てだろうが、未来の果てだろうが、必ず見つけ出してやる)
レンは立ち上がり、ガイスト大陸という未知の領域へ向かうべく、図書館を後にした。




