54話 旅立ちの朝
その夜、ショウは深い闇の中で悪夢を見ていた。
異世界のどこか、荒涼とした大地でレンと再会する夢だ。
「レン! 俺だよ、ショウだ! お前もやっぱりこの世界に来てたんだな。姿が違うから一瞬分からなかったけど……やっと会えた! 今度は二人でサクラを探そうぜ!」
狂喜して駆け寄るショウに対し、レンは力なく顔を上げた。
「…………ショウ、か……」
その声は、掠れて消え入りそうだった。
「俺は五年……五年間、お前らを探したんだぞ……?」
レンの姿が月の光に照らし出される。その体には無数の剣が突き刺さり、ボロボロの衣服は真っ赤な血に染まっていた。
「っ……!? レン!!」
叫び声を上げ、ショウは跳ねるように目を覚ました。
心臓が早鐘を打ち、全身が嫌な汗でびっしょりと濡れている。横では、異変に気づいたコロが心配そうに寄り添い、クゥンと鼻を鳴らしていた。
窓のカーテンの隙間から、眩しい朝日が差し込んでいる。
「……コロ、ありがとう。大丈夫だよ」
ショウは荒い息を整えながら、コロの頭を優しく撫でた。
(……ただの、夢だよな?)
不吉な予感を振り払うように頭を振り、ショウはベッドから立ち上がった。
ついに今日、ガイスト大陸への旅が始まる。
「待っててくれ、レン……」
新調した深い緑のローブを羽織り、旅の道具を詰め込んだリュックを背負う。そして、相棒である杖「グラウンド・ウェッジ」を握りしめた。その重みが、今の自分には心地よかった。
部屋を出てリビングへ向かうと、そこには既にルーナとハワードが朝の準備を整えていた。
アリナは一足先に席についており、頬を膨らませてパンを頬張っている。
「おはよぉ……」
もぐもぐと口を動かしながら挨拶するアリナに、ショウも苦笑いで応える。
「おはようございます、ショウさん! 朝食ができておりますよ」
ルーナとハワードが、完璧なタイミングで声を揃えた。
「ありがとうございます。二人とも、朝早くからすみません。……ジラードさんとエマは?」
「お二人とも、まだ降りてきておりませんが……」
ハワードが言いかけたその時、階段から騒がしい足音が響いてきた。
「私が降臨したぞー! 旅だ! 冒険だ! 待ちきれんわい!」
いつも以上にテンションの高いエマが、目を輝かせてリビングに飛び込んできた。彼女にとって、この旅は大きな刺激に満ちた遠足のようなものらしい。
エマが朝食のテーブルに陣取った少し後、ようやく姿を現したジラードは、欠伸をしながら裏庭の方へと歩いていった。
「……おー、ショウ。出発前に朝風呂(温泉)に入ってくるわい。一番風呂は格別じゃからのう」
(……全く。これから過酷な旅に出るっていうのに、緊張感の欠片もないな)
ジラードの背中を見送りながら、ショウは呆れ半分、安心半分のため息をついた。だが、そのマイペースさが、悪夢で凍りついたショウの心を少しだけ温めてくれたのも事実だった。
皆の準備が整い、朝日を背にしたサクラソウの門の前には、旅人と見送る者たちが顔を揃えていた。
「皆さん、どうかご無事で……」
ルーナが祈るように手を組み、名残惜しそうに声をかける。
「心配するな! この天才キュートな隻魔眼のエマがついとるからな!」
エマが自慢の眼帯を指差し、胸を張って言い放つ。
(……その二つ名、本当に気に入ってるんだな)
ショウは心の中で小さく苦笑しながらも、集まった面々へ向き直り、深く頭を下げた。
「皆さん、留守の間、サクラソウのことをよろしくお願いします!」
「お任せください」
ハワードが一歩前に出て、静かだが鋼のように硬い意志を込めて応える。
「このハワード、皆様とこの館を、命に代えてもお守りしてご覧に入れます。安心して道中を進まれますよう」
「ショウ、友人に会えることを祈っている。……お前も、無事で帰ってこいよ」
カイトの言葉は短かったが、そこには親友としての強い信頼が宿っていた。
セシリアもまた、潤んだ瞳で「どうか、ご武運を」と、静かに祈りの言葉を添える。
最後に、ショウはコロに向かって言う。
「コーローー。みんなのこと、頼んだぞ。しっかり守るんだぞ!」
「わん!!!」
コロは力強く吠え、任せろと言わんばかりに激しく尻尾を振った。その賢い瞳には、ショウを見送る寂しさ以上に、主から任された任務への誇りが溢れていた。
「挨拶が終わったなら、とっとと行くぞ! 日が暮れる前に距離を稼いでおかんとな!」
ジラードが豪快な声を上げ、大股で歩き出す。
ショウ、ジラード、アリナ、そしてエマ。
それぞれが背負い袋の紐を締め直し、慣れ親しんだサクラソウに背を向けた。
まずは、旅の中継地点となる宿場町【フィエルテ】を目指す。
王都の喧騒が遠ざかり、代わりに街道を渡る風の音が強くなっていく。一歩、また一歩と踏み出すごとに、未知の大陸、そして消息不明の親友・レンへと、一歩ずつ近づいていく。
ショウは一度だけ振り返り、小さくなっていくサクラソウの門と、そこから手を振る仲間たちの姿を瞳に焼き付け、前を見据えた。
王都の朝の喧騒は、今日ばかりはどこか誇らしげな調べとなって、ショウたちの背中を押しているようだった。
白い石造りの建物が朝陽を浴びて眩しく輝き、街路を行き交う人々の活気が、旅立ちの緊張を心地よく解きほぐしていく。一行が巨大な王都の出口――外郭門へと差し掛かった、その時だった。
門の傍ら、出発を待つ旅人の列の中に、見覚えのある顔を見つけた。
「あれ……? ルーク?」
ショウが声をかけると、その男――ルークが驚いたように振り返った。
驚いたのはショウも同じだった。ルークはいつもの王都騎士団の制式鎧ではなく、動きやすさを重視した自前の旅装に身を包んでいたからだ。背には大きなザックを背負い、腰には支給品ではない、手入れの行き届いた一振りの剣を携えている。
あ……ショウさん! おはようございます」
「おはよう。ルークもどこかへ行くんですか?」
「はい。僕はこれから、剣の都レヴァンティンへ修行に行こうと思っているんです」
「えっ? 王都の騎士を辞めてしまうんですか?」
「いえ、必ず戻ってきます! ……僕は、エリシオンの件で何もできなかった。仲間が守れなかった……。ずっとピーピーびびって足を引っ張る自分がもう嫌で、強くなりたいと思って、剣の都へ行くことを決心したんです。誰も殺させない、仲間を馬鹿にされない強い剣士になってみせます!」
その瞳に宿る熱は、かつての弱気な少年騎士の面影を拭い去っていた。
「……お互い、目的のために頑張りましょう」
「はい!」
二人が固い握手を交わし、別れようとしたその時だった。
「ルーク!」
背後から鋭い声が響き、ミアが駆け寄ってきた。彼女は迷いのない動作で、包みに包まれた細長い何かをルークへ投げつけた。
「えっ……おっと!」
慌てて受け止めたルークがその包みを解くと、中から現れたのは一振りの剣だった。
しかし、それは西方の騎士が好む両刃の直剣ではない。反りのある片刃の、まさに「日本刀」のような形をしたその剣からは、どこか異様で研ぎ澄まされた気配が漂っていた。
「私の剣よ。……それを、あなたに預けるわ」
ルークはその剣の重みとミアの想いを受け止め、真っ直ぐに彼女を見つめた。
「……分かりました。ありがとうございます! 行ってきます!」
ルークはその異形の剣をしっかりと背負い、今度こそ迷いのない足取りで北の街道へと歩き出した。
「よし……俺たちも行くぞ、ガイスト大陸へ!」
ショウの言葉に応じるように、王都の白い建物が陽の光を浴びて一段と美しく輝く。それは、それぞれの決意を胸に旅立つ若者たちの始まりを、祝福しているかのようだった。




