48話 今までと、これから
朝の嵐のような忙しい時間が過ぎた..
リビングで寝ているコロを見て言う。
「よし、コロ。散歩に行こうか」
朝日を浴びる王都の街並みを、巨大な相棒・コロと歩きながら、俺はふと、ここまでの長い道のりに思いを馳せた。
(……全ては、あの日から始まったんだな)
俺の記憶は、前世の居酒屋で途切れている。突っ込んできたトラックの轟音と光。次に目を覚ました時、俺は見たこともない祠の中にいた。
祠のそばにあった水溜まりに映ったのは、今の俺の姿だ。
明るい栗色の髪は、短すぎず長すぎず、動きに合わせてさらりと流れる。瞳は澄んだブルー。前世の平凡な自分とは似ても似つかない、まるでファンタジーゲームの主人公のような端整な顔立ちをした「ショウ」という名の、18歳ほどの青年。
途方に暮れて歩き出した街道で、運命の出会いがあった。
魔物に襲われ、絶体絶命だった商人、バルトさん。必死に彼を助け出したことが、俺をこの王都ルミナスへと導き、そして彼の家族へと繋いでくれたんだ。
バルトさんの家で迎えてくれたのが、妻のマーサさんと、娘のルーナだった。
ルーナは、腰まで届く鮮やかな金髪と、春の陽だまりのような優しいタレ目が印象的な、清楚で可憐な女の子だ。その穏やかな微笑みは、異世界に放り出された俺の不安をどれだけ癒やしてくれただろう。お礼として譲り受けた「下宿サクラソウ」は、今や俺たちの唯一無二のホームになっている。
そこに、最初の店子として加わったのがアリナだ。
街角でぶつかった彼女は、肩で弾む鮮やかな桜色のショートヘアと、活動的な冒険者の服に包まれた、元気いっぱいの女の子。明るい笑顔も魅力的だが、小柄なわりに意外と主張の激しい胸元には、つい男としてドキッとさせられることもある。
さらに、アルト村で出会ったカイトとセシリア。
カイト・バーンフィールドは、俺より少し年上の、キリッとした金髪の短髪、後ろで髪を短く束ねるポニーテールが似合う剣士。真面目な顔をして時折変態的な本性を出すが、その実力は本物だ。そんな彼が守り抜こうとしているセシリア・ローレン・エストリアは、透き通るような水色のロングヘアに、上品な顔立ちをしたまさに「聖女」のような美女。豊満なスタイルは、清楚な雰囲気とのギャップが凄まじい。彼女が「再生の巫」という過酷な運命を背負っていると知った時、俺はこの場所を守り抜く覚悟を決めた。
(エリシオンでの旅も、壮絶だった……)
王都の騎士アルクさん、ミア、ルークと一緒に挑んだ死闘。そして魔法都市で出会った、知的な「氷華神の巫」クレア教授。
彼女が遺した魔眼『虚空の写し目』と、俺の友人レンが3年も前からガイスト大陸にいるという、衝撃の時間のズレ。
その遺志を継いだのが、今サクラソウにいる仲間たちだ。
紫の髪に三角帽子、ミニスカートというゴシックな風貌の天才魔法使いエマ。そして、70代とは思えない魔力を持つが、酒と女を愛する変態賢者ジラードさん。
「わんっ!」
コロが短く吠えて、俺の回想を遮った。
この巨大な柴犬こそ、俺がこの世界に来た謎を解く鍵だ。前世では普通の犬のサイズだったはずの柴犬が、なぜ人が乗れるほど大きく、そしてこの世界に現れたのか。
「はは、悪いなコロ。……帰ろうか、みんなの待つ『サクラソウ』へ」
俺はコロの背中をポンと叩き、朝日を背にして歩き出す。
家族のような仲間たち。解き明かすべき謎。そして、遠い大陸にいるはずの友人。
守るべきものが増えた分だけ、俺の心は以前よりもずっと強く、熱くなっていた。
散歩の帰り道に買い込んだ食料をキッチンへ運び、俺は一息ついた。
家の中はひっそりとしている。アリナは今朝も早くから「遅刻、遅刻!」と元気よくギルドへ向かったし、庭の木陰ではセシリアが巫の力を制御するための瞑想特訓に励んでいる。二階からは、エマがルーナに数式を叩き込んでいるのか、時折難解な呪文の響きが漏れてくるだけだ。
俺は掃除を済ませると、正午を過ぎても音沙汰のないジラードさんの部屋の扉を叩いた。
「ジラードさーん、大丈夫ですか……?」
返事がない。そっと扉を開けると、カーテンを閉め切った薄暗い部屋に、ひどい酒の匂いが充満していた。
「……うう。酒じゃ、聖水(酒)を持ってこい。あと、わしの頭痛を癒やしてくれるピチピチの可愛いおなごを……」
ベッドから力なく伸びるジラードさんの手に、俺は深い溜息を吐いた。
「ジラード様に今必要なのは、おなごじゃなくて冷や水です」
俺は掌を上に向け、魔力を練る。最近では無詠唱でも、掌の上に小さな水の塊を作り出すくらいは造作もなくなっていた。その水球を魔法で膨らませ、スイカほどの大きさにしたところで、容赦なくジラードさんの頭上に落とした。
「そいっ」
「バッシャーーーン!!」
「ぎょええええええええ!? 冷たっ! 溺れる、溺れるわ!! お主、師匠に向かってなんちゅう殺生な真似を!」
跳ね起きたジラードさんは、濡れ鼠のような姿で顔を真っ赤にして怒鳴った。だが、俺はそんな彼を真っ直ぐに見据える。
「遊んでる暇はないんです。僕は一刻も早く、友人のレンを探しにガイスト大陸へ行きたい。今の僕の力じゃ、まだ全然足りないってわかってるから……教えてほしいんです」
「……ふん。わかっとるわい、そんなこと..」
ジラードさんは低く呟き、伝説の賢者らしい底知れない眼光を俺に向けた。
「ガイスト大陸に行く前には、超えねばならん海もあれば、潜り抜けねばならん理もある。準備が必要じゃ。特にお主……その体の奥底にある魔力の源泉を、いつでも自在に引き出せるように特訓せねばならん。道中、たっぷり仕込んでやるわい」
その言葉には、冗談の欠片もなかった。
「ありがとうございます。……よろしくお願いします、師匠」
ジラードさんは濡れた髪を無造作にかき上げると、鋭い眼光を崩さないまま言葉を続けた。
「それから……エマのことじゃ。あやつは今、クレアから受け継いだ『虚空の写し目』をその片目に宿しておる。じゃがな、エマほどの才があっても、まだあの魔眼を完全にはコントロールできておらんのじゃ」
ジラードさんは窓の外、エマとルーナが勉強しているであろう二階の別の部屋の方角へ視線を向けた。
「ガイスト大陸は広い。あのような魔境で、お主の友人一人を見つけ出すのは、あの目なしでは到底不可能……文字通り骨が折れる作業になる。エマにも、この旅の道中で死ぬ気であの目を使いこなしてもらわねばならんのじゃ」
ジラードさんの言葉を聞きながら、俺は今朝のエマの様子を思い出していた。
『魔力調整が難しくてな……はっきり見えんのじゃよ』
パンを頬張りながら明るく振る舞ってはいたが、あの大魔女が手こずっているのだ。それほどまでに、あの眼の力は強大で、扱いが難しいものなのだろう。
(確かに……俺一人が強くなってもダメなんだ。仲間の、みんなの力が合わさって初めて、レンのところまで辿り着ける)
俺はジラードさんの言葉を噛みしめるように深く頷いた。
「わかりました。…みんなの協力が必要不可欠ですね。改めて、よろしくお願いします!」
俺が真っ直ぐにそう告げると、ジラードさんはふっと口角を上げた。
「……ふん。ようやく覚悟が決まったような面構えになったな。さあ、そうと決まればまずはこの床を拭け! 修行の第一歩は雑巾がけからじゃ!」
せっかくのいい雰囲気を台無しにするような怒鳴り声に、俺は苦笑いしながら「はいはい」と雑巾を手に取った。
王都の昼下がり。サクラソウの住人それぞれが、まだ見ぬ大陸への希望と課題を胸に、一歩ずつ進み始めていた。




