47話 新しい日常
「ショウ……起きてるか。少し、いいか?」
カイトの声だった。ショウがベッドから身を起こして「どうぞ」と答えると、カイトは静かに部屋へ入り、対面の椅子に腰を下ろした。月明かりだけが差し込む静かな部屋で、彼はどこか決心したような表情を浮かべていた。
「疲れているところ、すまんな。……ただ、これだけは言っておきたかった」
カイトは一つ、深く息を吐いてから言葉を絞り出した。
「アルト村での件や巫狩りのこと……お前、俺たちの事情を深く探らずにいてくれただろ。まずは、それを信じてくれたことに感謝したい。ありがとうな」
ショウが黙って頷くと、カイトは視線を落とし、自らの過去を語り始めた。
「お前が知っている通り、セシリアは『巫』だ。それも『再生の巫』と呼ばれる特別な力を持っている。……俺の家系は、代々その巫を守るためだけに存在する『守護隊』の家系でな。俺も幼い頃から、セシリアを護るための盾として、剣の訓練を叩き込まれてきたんだ」
カイトの大きな拳が、膝の上で固く握られる。
「俺とセシリアは幼馴染だった。互いに厳しい稽古や公務から逃げ出しては、よく二人で遊んだよ。だが……セシリアの生家、エストリア家はあまりに冷徹な貴族だった。あの一族は、セシリアの治癒の力を『奇跡』として売り出し、地位や名声を得るための道具としか見ていなかったんだ」
ショウは、いつも穏やかに微笑んでいるセシリアの、辛い過去を想像して胸が痛んだ。
「セシリアの『再生』は、使うたびに彼女自身に大きな負担を強いる。それでも一族は、各地を回って人々を治せと彼女に命じ続けた。衰弱していくセシリアを見て……俺は、耐えられなかった。だから、あの日、俺は彼女を連れて家を捨て、逃げ出したんだ」
カイトの声が微かに震える。それは、今も拭いきれない重い罪悪感と、それ以上の愛着が混ざり合った響きだった。
「エストリア家は大事な道具を失い、俺たちを連れ戻すために『スカルロザリオ』を雇った。……だが、俺の読みが甘かった。まさかあの組織自体が、最初から巫を別の目的で狙っていたなんてな」
カイトは顔を上げ、ショウの目を真っ直ぐに見据えた。
「ショウ。俺はあいつを、二度とあんな地獄には戻さない。……改めて頼む。俺と一緒に、あいつを守ってくれないか」
その告白には、下宿の住人という枠を超えた、一人の男としての命懸けの覚悟が宿っていた。
「……もちろんです。俺も同じ気持ちですよ」
ショウはカイトの目を真っ直ぐに見つめ、力強く頷いた。
「俺はこの下宿『サクラソウ』のオーナーですから。大切な店子に手出しをさせるわけにはいきません。カイトさんと一緒に、全力でセシリアさんを守ります」
その言葉に、カイトは少しだけ目元を緩めた。大きな肩から、ずっと背負い続けてきた重荷が少しだけ軽くなったような、そんな安堵の色が浮かぶ。
「……そうか。ありがとう、ショウ。……夜遅くに、すまなかったな」
カイトはそう言って立ち上がると、短く手を振って部屋を出ていった。その背中は、これまでの「監視」するような鋭さはなく、同じ家を守る戦友としての信頼に満ちていた。
翌朝。
サクラソウの静かな朝を破ったのは、威勢のいい笑い声……ではなく、ひどく酒臭い溜息だった。
「おーい!ショウ……連れてきたよ。すまないが、手を貸してくれ……」
玄関に立っていたのは、困り果てた顔のアルクと、その肩に完全にぶら下がって「うぃ〜、酒じゃ、もっと酒を持ってこい……」と管を巻くジラードだった。
「アルクさん!? それにジラードさん、朝っぱらから何やってるんですか……」
「昨日、城に泊まって陛下と朝まで飲んでいたみたいでね。……伝説の魔法使いも、酒には勝てなかったようだ」
ショウは苦笑しながら、アルクと一緒に泥酔したジラードを担ぎ上げた。彼のために準備しておいた部屋まで運び込み、ベッドに放り出す。ジラードは寝言を言いながら、瞬く間に高いいびきをかき始めた。
一息ついたところで、ショウはリビングでアルクから詳しい話を聞くことにした。
「ルミナス陛下には、エリシオンでの出来事をすべて報告したよ。……陛下は古い友であるクレア教授を亡くされたことを深く悲しんでおられた。すぐに王都から兵を出し、エリシオンの復興支援に全力を尽くすと約束してくださったよ。」
「そうですか……よかったです。……それで、セシリアさんのことは?」
ショウが声を潜めて尋ねると、アルクは少しだけ表情を曇らせた。
「今、セシリア様の兄上であるシオン殿も交えて、内々に話し合いを進めているところだ。エストリア家の動向も探っている。……何か進展があれば、すぐに報告に来るよ」
シオン。セシリアの兄の名に、ショウはわずかな緊張を覚えた。
「何から何まで、本当にありがとうございます、アルクさん」
「いいさ。僕は王都で公務があるから、今日はこれで失礼するよ。……入居パーティーの日取りが決まったら、必ず教えてくれよ? ミアもルークも、楽しみにしているからね」
アルクは爽やかな笑顔を残して、王宮へと戻っていった。
嵐のような旅が終わり、サクラソウには新しい「日常」が混ざり始めていた。ショウは去りゆくアルクの背中を見送りながら、これから訪れるであろう慌ただしくも騒がしい日々を予感し、小さく息を吐いた。
ショウとルーナが並んで朝食の準備をしていると、二階から「ダダダダッ!」と、家が揺れるほどの勢いで階段を駆け降りてくる音が響いた。
「やばーい! 遅刻遅刻! 寝過ごしたーっ!」
現れたのは、髪を振り乱したアリナだ。靴を履きながら、
「私、これからギルドの依頼があるから行くよ! 夕方には戻れると思う!」と嵐のように捲し立てる。ショウが咄嗟に、焼き上がったばかりのパンを差し出した。
「アリナさん、これ! 朝食!」
「ありがとっ!」
アリナはそのパンを口に咥えると、そのまま「行ってきまーす!」と全力疾走でサクラソウを飛び出していった。それを見送ったショウとルーナは、顔を見合わせて苦笑いする。
その後、ゆっくりと席に着いたセシリアとカイトに、ショウは昨夜からの報告を伝えた。
「二人とも。さっき、ジラード様が到着しました。今は二日酔いで寝ていますが、後で紹介しますね。……それとアルクさんの話では、セシリアさんの件で、お兄様であるシオン殿と今後について話し合っているそうです」
その名を聞いた瞬間、セシリアの瞳が大きく揺れた。
「兄様が……!? やはり王都で、騎士としてお勤めされていたのですね……!」
懐かしむようなセシリアの声とは対照的に、カイトは少し暗い顔をして黙り込んだ。彼にとって、セシリアを「道具」として扱った実家に関わる人間は、たとえ兄であっても手放しでは喜べない存在なのだろう。
朝食を終えると、カイトも「俺も修行に行ってくる」とギルドへ向かった。彼は今、王都の冒険者パーティに加わり、自らの剣を磨き直しているのだという。セシリアもまた、自らの「巫」の力を制御するため、庭や部屋での特訓を始めた。
そこへ、ようやく「新入居者」が姿を現した。
「……ねむ……。酒の匂いで頭が割れそうじゃ……」
酷い寝癖を頭に乗せ、目を擦りながら歩いてくるエマ。その威厳のなさにショウが呆れていると、ルーナが明るく声をかけた。
「エマさん! おはようございます。今日から、よろしくお願いします!」
「お、おお……! そうであったのう。……ふふん、今日からは私のことを『エマ先生』と呼んでも良いぞ!」
ルーナの純粋な敬意に、エマはすぐさま調子を取り戻した。彼女はパンを口いっぱいに頬張りながら、ショウの問いに答える。
「エマさん、クレア教授から受け継いだ『虚空の写し目』の方はどうですか?」
「んぐ、むしゃ……。ああ、何度か試してはおるが、魔力調整が難しくてな。三年前にお主の友人……レン、と言ったか? あの男に会った時の魔力を頼りに探してはいるが、まだはっきりとは見えんのじゃ」
エマは不満そうに鼻を鳴らしたが、ふと思いついたように顔を輝かせた。
「……んんん!? 待てよ、今最高の二つ名を思いついたぞ! 『隻魔眼の大魔女エマ』というのはどうだ!?」
「わあ、かっこいいですね、エマ先生!」
ルーナが拍手を送ると、エマは「だろだろ!?」と鼻高々だ。
「ショウよ、私に任せておけ! 必ずこの目の力を使いこなし、お主の友人を見つけてやる。さあルーナ、勉強の時間じゃ! 私のアジトへ参るぞ!」
そう宣言すると、エマとルーナは意気揚々と二階の部屋へと消えていった。
静かになったダイニングで、ショウは最後の一口のスープを飲み干す。
個性豊かな面々が集まったサクラソウ。今日から始まる新しい日常は、昨日までよりもずっと、賑やかで希望に満ちたものになりそうだった。




