45話 旅の終わり
「全員、魔法陣の中央から動くんじゃないぞ。……初めてのやつは吐くやつもおる...吐くなら端の方でやれよ!」
ジラードの不吉な笑い声を最後に、世界が激しく明滅した。
直後、ショウは凄まじい浮遊感に襲われる。三半規管を強引にかき回されるような不快感、内臓がその場に置き去りにされるような錯覚。
(この感覚……この世界に来た時と、よく似てる……)
一瞬、居酒屋の喧騒とトラックの光が脳裏をよぎり、視界が真っ白に染まった。
やがて「ファーーーッ」と耳鳴りのような音が遠ざかり、重力がゆっくりと足元に戻ってくる。ショウが恐る恐る目を開けると、そこはさっきまでいた洞窟とは明らかに空気の違う、石造りの広大な空間だった。
窓一つない、真っ暗な地下室。だが、古びた紙と微かな香草の匂いが、ここが人の手で管理された場所であることを物語っている。
「……無事に、転移できたみたいだの。生きておるか?」
ジラードが事も無げに言いながら、指先を鳴らして室内の明かりを灯した。
「おお!!! 何だ今の感覚! ふわっとして、視界がぐるんぐるん回ったぞ! おいジラード、私にもその魔法陣の描き方を教えろ! 今すぐにだ!」
エマが目を回しながらも、興奮を隠せずにジラードに詰め寄る。ジラードはそれを片手で追い払いながら鼻で笑った。
「バカを言え。これを知っておるのがバレただけで、お前さんは即座に死刑じゃ。国の許可なく空間を繋げるのは、この大陸では最大の禁忌じゃからのう」
その言葉に、アルクが慎重に周囲を見渡しながら尋ねた。
「ジラード様、ここはどこですか? 王都の……中ではないようですが」
「ああ、ここは王都の近くにある森の中じゃ。わしが地下に作った、ちょっとした部屋みたいなもんよ。ここにはいくつか転移門が置いてあっての、ここを経由すればさまざまな場所へ、足跡を残さずに移動できるんじゃ」
ジラードが歩くと、彼の歩数に合わせて壁際の燭台に火が灯っていく。そこには、一行が今降り立ったもの以外にも、鈍い光を放つ魔法陣が床のあちこちに描かれていた。
「すごいな……。まさに秘密基地だ」
ショウは感心しながら暗い部屋を見渡した。隣では、初めての転移に腰を抜かしたのか、コロが足をプルプルと震わせながらショウの足元に体を擦り寄せている。
「さて、ここはもう王都の喉元じゃ。地上に出れば、すぐに懐かしいルミナスの城壁が見えるはずじゃぞ」
ジラードの言葉に、一行の顔にようやく安堵の色が浮かんだ。
地下室の隅にあった重厚な石のドアを開くと、そこには上へと続く長い、長い石階段が伸びていた。ジラードが土魔法で一気に作り上げたのであろうその階段を、一行は一歩ずつ踏みしめるように登っていく。
やがて突き当たりに見えた天井の扉に、アルクが手をかけ、力を込めた。
「ギィィーーー……ッ」
重い音を立てて扉が開いた瞬間、一行の視界を真っ白な、暴力的なまでの日差しがジャックした。
「まぶしっ……!」
ショウは思わず腕で目を覆う。地下の冷たく湿った空気とは違う、暖かく、乾いた外の空気が鼻腔をくすぐった。
一行が這い出すように外へ出ると、そこは静かな森の中だった。草木をかき分け、光が漏れる方へと少し歩くと、急に視界が開け、足元が断崖になっている場所へと辿り着いた。
そこから見下ろした先に、その景色はあった。
「わーーー……! 王都だ! 景色いいですね!」
ルーナがパッと顔を輝かせ、声を弾ませる。
「……帰ってきた。本当に帰ってきたんだな」
「わぁぁ……! 綺麗ですね、アルク様!」
ルークとミアも、崖の縁まで駆け寄って眼下に広がる絶景に目を奪われている。
白亜の城壁に囲まれ、迷路のように張り巡らされた街路。中心にそびえ立つ王城が陽光を浴びて黄金色に輝いている。王都ルミナス。かつてショウがこの世界で最初に「日常」を始めた場所が、そこにはあった。
「うむうむ! あれが王都か! 悪くない眺めじゃない。あそこに私のアジトができるんだな! 楽しみだわ!」
エマが腰に手を当てて高笑いする中、ショウだけは少し複雑な面持ちで街を眺めていた。
(……行く時はあんなに命がけで、死にそうになりながら雪山を越えたのに。転移魔法陣を使えば、こんなにあっけなく着いちゃうのかよ)
あの苦労は、あの死闘は何だったのか。あまりのショートカットぶりに、一瞬だけ虚しさが込み上げる。だが、隣で尻尾を振る巨大なコロの感触と、無事に帰還できた仲間たちの安堵した横顔を見て、ショウの口元には自然と柔らかな笑みが浮かんだ。
「……まあ、いいか。全員生きて帰れたんだから」
旅の終わり。そして、王都での新しい生活の始まり。
一行は心地よい風に吹かれながら、しばらくの間、自分たちが帰るべき場所を黙って見つめ続けていた。
王都ルミナスの巨大な門をくぐると、そこには懐かしい喧騒が広がっていた。石畳を叩く馬車の音、露店から漂う美味そうな匂い、そして行き交う人々の活気。
その真っ只中を、巨大な柴犬・コロが「ヘッヘッヘ」と上機嫌そうに尻尾を振って歩いている。周囲の通行人が「おい、なんだあのデカい犬は……」「もふもふしてて可愛いわね」と驚きの声を上げるが、当の本人はどこ吹く風だ。
「はぁーーー……疲れたーーー! さすがに明日はお休みだよね、アルク様?」
ミアが大きく伸びをしながら、力なく訴えかける。隣ではルークも「……同感です。足が棒のようですよ」と、疲労困憊といった様子で苦笑いしていた。
「そうだね。二人は明日はゆっくり休むといい。本当によく頑張ってくれた」
アルクが労いの言葉をかけると、それを見計らったようにエマが勢いよく割り込んできた。
「何を言う! 私とジラードが『サクラソウ』に加わるのだぞ! 盛大に入居パーティーをしようではないか! 祝いだ祝い!」
「おお、いいなそれ! 酒じゃ、女じゃ! 派手に騒ぐぞ!」
ジラードが鼻息荒く賛成するが、ショウは顔を引き攣らせて即座に突っ込んだ。
「やめてください、ジラードさん……。女って何ですか。サクラソウにはセシリアさんたちもいるんですから」
(……でも、カイトさんたちの時もやったからな。二人も仲間になるわけだし、やらないわけにはいかないか)
ショウが内心で予算の計算を始めていると、ルーナが隣からこっそりと耳打ちしてきた。
「ショウ様……せっかくですから、ミアちゃんやルークくん、アルクさんたちもサクラソウに呼んで、みんなでパーティーしませんか?」
「あ、いいですね。そうしましょう!」
ショウは街並みを歩きながら、前を歩くアルクに提案した。
「アルクさん。エマとジラードさんの入居パーティーをサクラソウでする予定なんですが、皆さんもどうですか?」
その言葉に、一番に反応したのはミアだった。
「ええーーっ、いいの!? 行きたーーーい!!」
「楽しそうですね! 僕もぜひ参加したいです!」
若手二人が目を輝かせるが、アルクは少し申し訳なさそうに視線を伏せた。
「……とても嬉しい話だけど、僕はこれからルミナス陛下に今回の旅のことを報告しに行かなきゃならないんだ。クレア教授のこともあるしね……」
その言葉を聞いた瞬間、ジラードが冗談めかしていた表情を消し、少し暗い、だが鋭い眼差しで呟いた。
「ならば、わしも行こう。ルミナスには他にも話さねばならんことがあるからな……」
「ジラード様も来ていただければ心強いです。……ショウさん、そういうわけだから、パーティーは事態が落ち着いてからにしてもいいかな?」
アルクの真摯な問いかけに、ショウは力強く頷いた。
「わかりました。では、入居パーティーは皆が揃える時にしましょう! 楽しみにしてますから」
「そうしよう。ありがとう、ショウさん」
夕暮れに染まる王都の十字路。王宮へ向かうアルクとジラード。ジラードにはサクラソウの場所を伝え、ひとまずの別れを告げる。
「よし、俺たちは帰ろう。サクラソウへ!」
ショウがそう言うと、コロが「ワンッ!」と応えるように吠えた。一行は、懐かしい我が家である下宿「サクラソウ」を目指し、再び歩き出した。




