43話 フィジカルラビット
翌朝、エリシオンの正門前。
凍てつくような朝の空気の中、一行は旅立ちの時を迎えていた。
「よし、みんな集まったね。復興を手伝いたい気持ちはやまやまだけど、今は王都へ急ごう。僕らが状況を報告すれば、国からの正式な支援も早まるはずだ」
アルクが爽やかに一同を見渡す。その隣では、ジラードが顔を青くしてこめかみを押さえていた。どうやら昨夜、クレアとの別れを惜しんで相当飲んだらしい。
「ジラード様、よろしくお願いします」
「う、うむ……。揺らすなよ、歩く振動が頭に響くわい……」
ふらつくジラードを先頭に、一行は秘密の魔法陣があるという森へ向けて歩き出した。
背後に遠ざかっていくエリシオンの巨大な城壁を見つめ、ショウは静かに思いを馳せる。
(クレア教授との出会い、レンの行方、そしてあの地獄のような戦い……。思い返せば、よく生き延びたもんだ。普通の男だったはずなのに、いつの間にか化け物や狂った奴らとやり合ってるんだから、人生わからんもんだな……)
数時間も歩くと、いつの間にか道端の雪は消え、空気は柔らかく暖かくなっていった。ずっとモノクロだった世界に、青々とした木々や色鮮やかな花が戻ってくる。
「あったかくなってきたね! 雪とおさらばなのは、ちょっと寂しいけど!」
ミアが伸びをしながら声を弾ませる。エマも、ようやく「外の世界」に出られた解放感からか、杖を振り回してワクワクした様子だ。
「そうだな! ずっとエリシオンに引きこもっていたから、この陽気は癖になりそうだ。……にしても、歩いているだけだと暇だな。何か魔物でも出てこんのか?」
(勘弁してくれ、もう戦いはお腹いっぱいだよ……)
ショウが心中でツッコミを入れると、隣のルーナが苦笑いした。
「安全に越したことはないですよ、エマちゃん」
「そう言うな。ここらはウサギの魔物が出るぞ。凶暴ですばしっこいが、肉は絶品じゃ」
ジラードの言葉に、ルークが目を輝かせた。
「ウサギですか……。なんだか可愛い感じがしますね」
「いや、全然可愛くはないよ。格闘技を使う『フィジカルラビット』と呼ばれていてね。数匹の群れに囲まれると、熟練の衛兵でもボコボコにされるんだ」
アルクの補足に、ショウは顔を引きつらせた。
(フィジカルって……ウサギが? 冗談だろ?)
「おお! 面白そうじゃないか! 出てきたら私の魔法で吹き飛ばしてやる!」
「ちょっとエマ、吹き飛ばしたらお肉が食べられなくなるじゃない!」
エマとミアが笑い合っていると、突然ジラードが足を止めた。
「んん……? この足跡……フィジカルラビットじゃな。かなり新しい。数匹で固まって動いとるぞ」
「追ってみようぜ! 今日の昼飯はウサギのステーキだ!」
エマの号令に全員が頷き、茂みの奥へと足跡を追った。
やがて丘の下に、のどかに草を食むウサギの群れを見つけた。
「あれがそうだよ」
アルクが指差す先には、大人の腰ほどもある大きなウサギたちがいた。茶色、白、黒と毛色は様々で、一見するとただの「大きな可愛いウサギ」だ。
「見た目は大きなウサギちゃんですね……可愛い……」
ルークがうっとりと見つめた、その時だった。
一匹の黒いウサギがのっそりと立ち上がると、近くにある太い木の前に立った。それはまるで修行僧のような鋭い目つきで拳を構えると――。
ドォォォォンッ!!!!!
凄まじい衝撃音。ウサギの正拳突き一発で、太い木が根元からへし折れた。
「……マジか。あいつ、ワンパンで木を倒したぞ」
ショウの頬が引きつる。
「やめましょう。昼飯はエリシオンで買ってきた保存食でいいじゃないですか、ね?」
だが、ショウが言い終わるより早く、隣で紅蓮の魔力が膨れ上がった。
「何を言うショウ! 強い魔物の肉ほど美味いと決まっている! くらえ、フレイムメテオ!!」
「ちょ、エマ、待て――!」
ショウの制止も虚しく、空から巨大な火球が群れの中央へ降り注いだ。
ドガァァァァァァンッ!!!!!
轟音と爆煙が丘の下を包み込む。
やがて煙が晴れると、そこには焦げた地面に踏み止まり、目を真っ赤に血走らせた数匹のフィジカルラビットが立っていた。
奴らは太い後ろ足で地面を「ダンダンッ!」と力強く叩き、凄まじい威圧感でこちらを睨みつけている。
「……あれ、めっちゃ怒ってるね」
アルクが他人事のように呟く。
「ありゃ、相当頭にきとるな。全速力でこっちに来るぞ」
ジラードがそう言った瞬間、ウサギたちは信じられないスピードで丘を駆け上がり、拳を握りしめてショウたちへ突撃を開始した。
怒り狂ったフィジカルラビットたちは、強靭な後ろ脚をバネにして、凄まじい勢いでこちらへ飛んできた。その姿はまさに、毛むくじゃらのロケットだ。
「おお!! やばいぞ! ピーーーンチ!」
エマが冗談めかして叫び、即座に戦闘態勢に入る。
ルークとアルクが前衛、その後ろにショウ、ルーナ、ミア、エマが固まる。それぞれが武器や杖を構える中、ショウはふと背後に視線をやり、呆れ果てた。
「……あのクソジジイ……」
岩の上で呑気に座り、持参した酒を煽っているジラードの姿があった。まるで人ごとのように戦いを眺めている。
そんな間にも、ラビットたちの「ロケット」が目前に迫る。
「ロックウォール!!」
ショウが杖を振ると、ラビットたちの進路に巨大な岩の壁が立ち塞がった。
だが、奴らはお構いなしだった。頭を下げ、ロケットの姿勢のままその壁へ正面衝突する。
ドォォォォンッ!!!!!
「うそーーん!!!」
エマの絶叫が響く。分厚い岩の壁が、ウサギの頭突き一発で粉々にぶち抜かれたのだ。フィジカルラビットの名に恥じぬ、文字通りの力押し。
「こ、こうなったら……ファイアボール!」
「アイスショット!」
エマとルーナが魔法を放ち、ミアも弓で的確に奴らを射抜いていく。しかし、数が多い。
壁を突破し、魔法をすり抜けてきた個体を、前衛のアルクとルークが迎え撃つ。
「はぁっ!!」
アルクは流れるような剣筋で軽々とラビットを斬り伏せていくが、ルークは苦戦を強いられていた。奴らの神速の動きと重い体当たりに、腕が悲鳴を上げる。
「スパーン、スパーン」と軽快な音が響き、群れの数は確実に減っていた。だが、ショウはふと違和感を感じる。
(おかしい……さっき見えた数より、少ない気がする……)
直後、ショウの足元から地響きが伝わってきた。
ドドドドドドッ……ドガーーーーン!!
「っ!? 地面から出てきた!?」
空中からの突進に気を取られている隙に、数匹が地面を掘り進み、下から奇襲を仕掛けてきたのだ。
「こいつら、賢いなー!」
「私に任せろ!! ウィンドサイクロン!!」
楽しげに叫んだエマが、杖を地面に叩きつける。
凄まじい暴風の渦が一行を中心に巻き起こり、地面から飛び出したラビットたちを鋭い風の刃が切り裂いた。
「すごい、エマちゃん!」
「はははは! どーよ!」
高笑いするエマの横で、ショウは(お前のせいでこうなったんだけどな……)と心の中で盛大にツッコミを入れつつ、ようやく静まり返った周囲に安堵のため息をついた。
「終わったかーー? じゃ、飯にするぞ~」
戦いが終わった途端、ジラードが岩からひょいと降りてきて歩み寄る。
「お腹空いたー! 早く食べよ!」とミアとエマも元気なもので、さっそく獲物の回収に乗り出した。
フィジカルラビットの肉は、ジラードの言葉通り絶品だった。
エリシオンで調達したスパイスを振り、焚き火でじっくりと焼き上げる。香ばしい匂いが辺りに漂い、ショウたちは先程までの激闘を忘れ、滴る肉汁に夢中になった。
「……確かに、この肉のためなら戦う価値はあったかもな」
ショウは口いっぱいに肉を頬張り、少しだけ、この賑やかな旅の良さを感じていた。
フィジカルラビットの肉で腹を満たし、一行は再び歩き出した。
ジラードの案内に従い、数時間ほど進むと、周囲の景色は生命力に満ちた穏やかな森へと変わっていった。
雪の気配は完全に消え、木々の間からは陽光が差し込み、小鳥たちの囀りが心地よく響いている。
「この森じゃ」
ジラードがそう言い、迷いのない足取りで茂みをかき分けていく。
せせらぎを立てる小さな小川を飛び越え、人の背丈ほどもある茂みを抜けたその先――。
巨木の根元にぽっかりと口を開けた、大きな洞窟が姿を現した。
「あの洞窟ですね……」
アルクが慎重に声を潜めて確認する。
「ああ、そうじゃ。あの中に――」
ジラードが肯定しかけた、その時だった。
彼は突如として言葉を切り、鋭い眼光で洞窟の暗闇を睨み据えた。
「……待て。何かいるな」
その一言で、場の空気が凍りついた。
穏やかだった森の音が、遠のいていくような錯覚に陥る。
「えっ……?」
ショウが声を漏らす前に、ジラードが手信号で「伏せろ」と指示を出した。
一行は即座に反応し、近くの深い茂みへと身を潜める。
じっと息を殺し、茂みの隙間から洞窟の入り口を凝視する。
そこには、何者かが目を光らせこちらを観察しているようだった。
暗闇の奥から、微かに、だが確実に「何者か」が動く気配が伝わってくる。
ジラードの横顔には、先程までの二日酔いの影など微塵もなかった。
自分の秘密の場所に踏み込んだ不速の客に対し、老魔導師の瞳が険しく、鋭く光る。
「……厄介なことになっておらねばいいがな」
ジラードの低い呟きが、静寂に消えた。
一行は武器を握りしめ、暗闇の中から這い出してくる「正体」を待つのだった。




