37話 笑うピエロ
炎と煙に巻かれたエリシオンの街を駆け抜け、ショウは大学の正門でようやくクレアたちに追いついた。
構内はパニックの極致だった。逃げ惑う学生たちを先生たちが必死に誘導し、次々と這い出す岩のゴーレムを魔法で食い止めている。その最前線、ひときわ激しい爆炎を上げ、ゴーレムの群れを軽々と一掃している影があった。
「クレアせんせーー! 遅いですよ!」
快活な声と共に駆け寄ってきたのは、エマとルーナだった。エマは手にした杖を軽く振るい、迫りくる巨像を粉砕しながら不敵に笑っている。
「エマ、ルーナ! 無事かい?」
「なんとか、ですね!……それより先生、あのでかいの、グリムハインに出るっていう『ヘル・ゲート』ですよね!? 本物見るの初めて! 凄ぉぉい、興奮する!!」
「……エマ、そんなこと言っている場合じゃないでしょう」
クレアが呆れたように溜息をつくが、エマは止まらない。
「先生、返納の儀はどうなったんです? さっさと私の最強魔法であいつを吹き飛ばしちゃいましょうか!」
「儀式はスカルロザリオの襲撃で中断したわ。……それに、ここで貴女の魔法を使ったら街ごと消し飛んでしまうでしょう」
その時だった。
ドォォォォォォン……!
心臓を直接掴まれるような重い地響きと共に、周囲の熱気が一気に跳ね上がった。大学の校舎越しに、燃え盛る二本の角――ヘル・ゲートの巨躯がゆっくりと近づいてくる。
「……あいつは、私が止めるわ」
クレアが決然と告げた。彼女が瞳を閉じ、神の力を完全に解放すると、その身体を神聖な白い霧状の氷が包み込んだ。髪は銀白に輝き、立っているだけで周囲の地面が凍りつくほどの凄まじい冷気が溢れ出す。
「す……すごい冷気だ。これが、本気の……」
ショウがその神々しさに息を呑んだ、その時だった。
「……素晴らしいねぇ。その姿、その凍てつく魔力……まさに氷華神そのものだ!」
頭上から、空気を切り裂くような甲高い声が響いた。
見上げれば、ヘル・ゲートの熱気を背に受けながら、宙を浮く一人の男がいた。
白塗りの顔、裂けたような紅い口。ピエロのような派手でふざけた服装に、先端が反り返った尖った靴。男は顔に手を覆いとながら、はしたない笑い声を響かせた。
「ギャハハハハハ! おっと失礼、これはご挨拶が遅れましたねぇ」
男は宙に浮いたまま、優雅に、そして滑稽に深々とお辞儀をした。
「私はスカルロザリオ、青薔薇の一人……『狂演のバッカス』。いやぁ、その極上の力、どうしても欲しくて来ちゃったよ!」
お辞儀が終わった瞬間、バッカスの姿が揺らぎ、消えた。
「……っ!」
次の瞬間にはクレアの眼前に現れ、その鋭い爪のような指先を彼女の喉元へ突き出す。だが――。
ヒュッ、ガキンッ!
「おおおっととと! 怖いお嬢ちゃんだねぇ!」
バッカスの指先を、ミアが放った「見切り」の矢が弾いた。バッカスは再び宙へ飛び退き、大げさに肩をすくめて見せる。
「このふざけたピエロは私たちがやるわ! クレアさんは、あのデカブツをお願い!」
ミアが弓を引き絞りながら叫ぶ。
「クレアさん、あいつだけは……あいつだけはクレアさんじゃないとダメです。ここは任せて、行ってください!」
ショウもグラウンド・ウェッジを構え、力強く頷いた。ルークも剣を抜き、エマもルーナも、それぞれの武器に魔力を込めている。
「……わかったわ。みんな、死ぬんじゃないわよ!」
白い霧を棚引かせ、クレアが宙へと舞い上がる。
地獄を背負う道化師バッカスと、最悪の厄災ヘル・ゲート。
二つの絶望を前に、ショウたちの命懸けの決戦が幕を開けた。
「ギャハハハハハ! 5対1なんて卑怯だぞー! いじめだ! 虐待だー!」
宙を舞い、おどけた仕草で地上の5人を指差すバッカス。その軽薄な声に、ミアが鋭い視線と共に弓を引き絞った。
「うるさいわね! だったらさっさとその不細工な面を下げて、サーカスへ戻りなさいよ!」
「生意気な女めぇ! 観客の分際でぇ!!」
「き、きます! みなさん!」
ルークが震える手で剣を握り直し、叫んだ。
「行くぞ!」
ショウの号令と共に、ルークが地面を蹴った。怯えを気合でねじ伏せた渾身の斬撃。だが、バッカスは重力を無視したような動きでひらりと身をかわす。
「おっとぉ!」
ふざけながら避けるバッカスの着地点を、ショウとルーナの魔法が同時に襲った。
「ウィンドカッター!!」
真空の刃が四方からバッカスを切り裂こうとするが、彼は空中で駒のように回転してそれすらも回避してみせる。だが、若手チームの連携は止まらない。
「ふざけてられるのも、今のうちよ! フレアメテオ!!」
エマが杖を高く掲げると、燃え盛る巨大な魔力の塊がバッカスの頭上に降り注いだ。
ドォォォォォン!!
凄まじい爆炎と衝撃が大学の広場を揺らし、バッカスの姿を飲み込む。「こっぱみじんだ!」と誰もが思ったその時、黒煙の中からキラリと光る無数の銀条が飛び出した。
「わはははは! お返しだぁ!!」
飛来したのは、殺意に満ちた無数のナイフ。
「させない!」
ミアが神速の速射で応戦した。シュシュシュシュッ! と空気を切り裂く音が連なり、飛んできたナイフのすべてを矢が空中で叩き落とす。
(……なんて奴だ。ふざけてるが、こいつは本物の『青薔薇』だ。あの赤薔薇のギルファーでさえあんなに強かったんだ……集中しろ、一瞬でも気を抜けば死ぬ!)
ショウは額の汗を拭い、神経を研ぎ澄ませた。
「あーあ、つまんないの! 俺が用あるのは、あっちの神様ごっこのババアだけなんだよ!」
バッカスが空中でクレアを指差して吐き捨てる。
「お前如きが……クレア先生をババアと言うなぁぁ!!」
エマの逆鱗に触れた。彼女の杖から、これまでにない規模の魔力が噴き出す。
「アクアスパイラル!!!」
激流のトルネードがバッカスを飲み込み、その身を地上
へと叩きつける。
(す、すごい魔法だ……さすがは教授の教え子……!)
ショウが感嘆した瞬間、激流の中から真っ赤な巨大な斧が飛び出し、水を切り裂いた。
「遊びは終演だ!!」
バッカスが狂気の顔で、エマへ向かって肉薄する。巨大な斧が彼女の頭上へ振り下ろされようとしたその時――。
「はぁぁぁっ!!」
キンッ!!
鋭い金属音が響き、火花が散った。
「僕は、剣士だ……! 前衛の……みんなを守るのが、僕の役割なんだ!!」
ルークだった。膝をガタガタと震わせ、顔を真っ青にしながらも、彼はバッカスの巨斧をその細い剣で真っ向から受け止めていた。
「どいつもこいつも、ぐちぐちと、ぐちぐちとぉぉ!!」
バッカスが喚き散らしながら、周囲に渦巻くヘル・ゲートの残り火を両手で掴み取った。ドロリとした炎が彼の魔力で形を変え、二匹の巨大な「炎の虎」へと変貌する。
「ギャハハ! 凶暴な猫ちゃんだよーー! ほら、遊んでおいで!」
燃え盛る牙を剥き、炎の虎がショウたちへ躍りかかる。ルークが渾身の飛ぶ斬撃を放ち、一匹の胴体を両断したが、斬られた炎は何事もなかったかのように即座に結びつき、元に戻る。
「消えろ!!」
ショウ、ルーナ、エマの三人が息を合わせ、最大出力の水魔法を叩き込む。激しい水蒸気が上がるが、虎は霧を突き破り、その勢いを増して突進してくる。
「そんなんじゃ止めらんないよーだ!」
バッカスは宙に寝転がり、鼻をほじりながら高笑いを浮かべている。
猛然と牙を剥く虎の一匹が、ミアに狙いを定めた。だが、彼女の瞳に怯えはない。
「……近すぎなのよ」
ミアは弓を放り投げると、腰から二振りのナイフを抜き放ち、あえて虎の懐へと飛び込んだ。
交差した刃が虎の核を斬り裂き、一瞬だけ炎の再生を遅らせる。その刹那、ミアは怯んだ虎の背を蹴り上げ、そのまま宙のバッカスへと肉薄した。
「こんなちょろい虎、どこのサーカスのつもりよ!」
「げっ!?」
不意を突かれたバッカスに、ミアの強烈な回し蹴りが炸裂した。
ドガァァァン! と轟音を立てて、ピエロの身体が大学の石壁にめり込み、瓦礫の山へと消えていく。
ショウはその隙に、思わず空を見上げた。
そこには、人間同士の戦いとは次元の異なる「神域」の光景があった。
白い霧をたなびかせ、夜空を自在に舞うクレア。対するヘル・ゲートも、目の前の「小さな氷の巫」を最大の脅威と見なし、全意識を彼女へ向けている。
「……凍てつきなさい!」
クレアの叫びと共に、上空に城郭ほどもある巨大な氷塊が出現した。絶対零度の重圧を伴い、悪魔の頭上へ降り注ぐ。だが、ヘル・ゲートがその醜悪な口を大きく開いた。
かつてグリムハインを恐怖に陥れた、あの破壊の光線。
ドガァァァァァァァンッ!!
立ち昇る紅蓮の光条が氷塊を内側から爆砕し、夜空に無数の氷の破片が星のように散らばった。魔法と魔法が衝突した余波の衝撃波が、街全体を激しく揺らし、地面にいるショウたちの肌を叩く。
「……信じられない」
ショウは戦慄した。これが、本気のクレア・教授と、本物の「厄災」のぶつかり合い。
街を揺るがす轟音の中、瓦礫の中からバッカスが忌々しげに這い出してくる。
戦いはさらに勢いを増していく。




