36話 業火からの襲撃
儀式が佳境に入ろうとしたその時、事態は最悪の形で動き出した。
遠く街を焼き尽くすヘル・ゲートの業火――。その暴力的な熱気が風に乗って丘に届き、静寂を乱した次の瞬間だった。ジラードが展開していた『スキャンドーム』が、激しく歪んだ。
「チッ、熱気と魔力の影響で感知が乱れた隙に入り込みやがったか……! このタイミングを狙ってやがったんだな!」
ジラードの忌々しげな叫びと同時に、丘の頂上、闇の中から二人の影がゆらりと現れた。
「ガハハ! 伝説の魔法使いが聞いて呆れるのう。……我が名は『岩泥のバラム』。その首、スカルロザリオが頂戴する!」
長い杖を携えた巨漢が、地響きのような声で名乗る。
「……そして俺は『蛇剣のヴィック』。巫女の命、ここで断たせてもらうよ」
細身の男が、節くれだった蛇のような剣を抜き放ち、薄笑いを浮かべた。
二人の胸元には、赤い薔薇が絡みつくドクロの紋章が刻まれている。
「赤薔薇か。……舐められたものだ」
ジラードが呆れたように言う。
アルクは低く唸るが、その眼光には鋭い疑念が宿っていた。
(……なぜだ? これだけの大規模な陽動を仕掛けながら、なぜ幹部である『青薔薇』の姿がない……?)
その時、祭壇の前で瞑想していたクレアがカッと目を見開いた。その瞳は蒼白く発光し、『虚空の写し目』が開眼している。
「……っ! エマ! ルーナ!」
「クレアさん……!?」
「街が……街が地獄になっているわ。あの子たちが危ない……助けに行かなきゃ……!」
クレアは立ち上がろうとするが、神の力を一部宿した反動で、その足取りは覚束ない。
「いかせるかよ、巫女様ぁ!」
ヴィックの蛇剣が死角からクレアを狙うが、間一髪でアルクがそれを弾き飛ばした。
「無茶です、クレア様! 今の貴女は無防備だ!」
「でも、あの子たちが……!!」
そこへ、ジラードが不敵な笑みを浮かべて杖を構え直した。
「……ガッハッハ! クレア、ガタガタ抜かすな。行きたいならさっさと行きやがれ!」
「ジラード……?」
「こんな奴ら、ワシらが秒で終わらせてすぐに街へ向かってやるわい! ショウ、クレアを頼んだぞ。麓のミアたちと合流して、そのまま街を救いに行け!!」
「……っ、はい!!」
ショウは『グラウンド・ウェッジ』を強く握りしめ、クレアの肩を支えた。
「わかりました。ここは私とジラード様に任せてください。……ショウ君、クレア様をお願いします!」
アルクとジラードが二人の刺客を完全に引き付け、戦いの火蓋が切られた。ショウはクレアと共に階段へと駆け出す。だが、それを許すバラムではない。
「行かせんと言ったはずだぁ!」
バラムが杖で地面を叩くと、丘の岩肌が猛烈な勢いで隆起し、ショウたちの目の前で巨大な人型へと形を変えた。通路を完全に塞ぐ、三メートルを越える巨大な岩のゴーレム。
「逃げ場はないぞ、小僧!!」
「……邪魔だぁぁぁ!!」
ショウは『グラウンド・ウェッジ』の先端をゴーレムへ向け、ありったけの魔力を込めて叫んだ。
「ウォーターランス!!」
放たれた無数の水の槍が、空気を切り裂きゴーレムの全身を貫く。激しい衝撃と共に岩の体がバラバラに弾け飛び、土煙が舞った。やったか、とショウが確信したのも束の間。
「なっ……何!? すぐに戻っていくのかよ!」
崩れたはずの岩の破片が、磁石に吸い寄せられるように再集結し、一瞬で元の巨躯へと修復されていく。バラムの魔力が供給される限り、このゴーレムは何度でも蘇る不死の兵隊だった。
背後では、キンッ、キンッという鋭い金属音が夜の静寂を切り裂いている。アルクとヴィックの剣戟だ。蛇のようにしなるヴィックの変幻自在な剣を、アルクは冷徹なまでの精度で弾き返している。
一方で、ジラードに向けられたバラムの猛攻は苛烈を極めていた。
「死ねぇ! 伝説の老いぼれがぁ!!」
バラムが杖を振るうたび、巨大な岩弾や泥の濁流がジラードを襲う。だが、ジラードは欠伸でもしそうなほど余裕の表情で指先を動かし、そのすべてを空間ごと明後日の方向へと捩じ切り、易々と払い除けていた。
「おいおい、そんなもんか? 伝説を名乗るには、ちとパワー不足じゃねぇか?」
格の違いを見せつけるジラード。だが、ショウの前には再び「壁」が立ち塞がる。
「ショウ、下がっていなさい!」
凛とした声が響く。クレアが前へ出た。彼女の瞳は蒼白く輝き、周囲の気温が急激に低下していく。
「アイススパイク!!」
クレアの手から放たれたのは、ただの氷の塊ではなかった。それは絶対零度の冷気を纏った、神聖なる氷の杭。
直撃したゴーレムは、再生する間もなく足元から頭の先まで一瞬でカチコチに凍りつき、その直後、内側から弾けるように粉々に砕け散った。
今度は戻らない。地面に転がった岩の欠片は、白く凍りついたまま動く気配もなかった。
「す……すごい。これが、神の力か……」
ショウは息を呑んだ。いつもは厳しい教授の、見たこともないほど圧倒的で神々しい魔法。
「急ぐわよ、ショウ! 下の二人が危ないわ!」
クレアは荒い息を吐きながらも、すぐに階段を駆け下り始める。神の力を宿した代償か、彼女の横顔には疲労の色が見えたが、その瞳には教え子を想う強い意志が宿っていた。
「はい! 行きましょう!」
二人は頂上の戦火を背に、ルークとミアが待つ麓へと全力で駆け出した。
二人は一気に丘を駆け下りた。
麓では、絶望的な光景が広がっていた。ミアとルーク、そして数人の衛兵たちが、無数に這い出す岩のゴーレムに囲まれ、必死に剣を振るっている。
「クソッ、こいつら何回倒しても復活する!」
ミアが肩で息をしながら叫ぶ。
「囲まれた……! !」
ルークが剣を構え直すが、その疲労は限界に見えた。
ゴーレムたちが一斉に二人へ襲いかかろうとした
その瞬間――。
「退きなさい!」
クレアの声と共に、周囲の空気が凍てついた。彼女が杖を振るうと、大地を走る氷の波動がすべてのゴーレムを足元から飲み込み、絶対零度の檻に閉じ込めた。
パキィィィン! と高い音が響き、凍りついた巨像たちが一斉に砕け散る。今度は一つとして再生することはない。
「さすがだね、クレア様……! 助かったよ」
ミアが安堵の声を漏らす。クレアはすぐさま衛兵たちに鋭い指示を飛ばした。
「あなたたちは街の人々の避難誘導を! 怪我人を優先して守りなさい! 私たちは大学へ向かうわ」
「「はっ!」」
四人は業火に包まれたエリシオンの街へと突入した。
かつての美しい石畳の街並みは、ヘル・ゲートの炎によって崩壊し、黒煙と熱気が視界を遮っている。
灼熱の街を駆けていると、瓦礫の山の間から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ショウくーん! ショウくーん、こっちだ!」
「……ゼルクスさん!?」
見ると、瓦礫の山の中でゼルクスが必死に誰かを引っ張り出そうとしていた。
「ショウくん、助けてくれないか! この下に人が埋まっているんだ!」
「クレアさん、先に行っててください! すぐに追いかけます!」
「わかったわ、急いで!」
クレアたちは先行し、ショウはゼルクスの元へ駆け寄った。二人は協力して重い石材をどかし、瓦礫の下になっていた住人を救い出す。
「ありがとうございます、ゼルクスさん……。それにしても、またヘル・ゲートが……。あんな奴が、なんでこんな街中に……」
ショウが肩で息をしながら、炎の中で暴れる悪魔を見つめる。すると、ゼルクスもまた、燃え盛るヘル・ゲートをじっと見つめながら、静かに、そしてどこか悲しげに呟いた。
「……あの時を、思い出すよ」
「え……? あの時って、何のことですか?」
ショウが聞き返すと、ゼルクスはハッとしたように表情を戻し、いつもの柔和な、だがどこか寂しげな笑みを浮かべた。
「あ、いや……なんでもないよ。さあ、僕はもう逃げるよ。ショウくんたちも、本当に気をつけて」
「あ、はい……ありがとうございます!」
ゼルクスは足早に、炎の向こう側へと姿を消した。その背中を見送りながら、ショウの心に小さな違和感が残った。だが、今は立ち止まっている暇はない。
ショウは『グラウンド・ウェッジ』を強く握り直し、クレアたちが向かった先――異変の根源である大学を目指して、再び炎の中を走り出した。




