35話 再来
その日の夜。エリシオンの宿屋の自室で、ショウは一人、ベッドに横たわって天井を見つめていた。
(……レンの居場所は、だいたいわかった)
ようやく掴んだ友の行方。だが、心の底にある不安は拭えない。
脳裏をよぎるのは、アルト村で戦ったスカルロザリオの刺客、ギルファーの姿だ。あの圧倒的な強さ、死の匂い。
(あいつ、めちゃくちゃ強かったな……。もともと俺は前世じゃ普通のサラリーマンだったんだぞ。……正直、怖いよ)
魔法や剣が飛び交うこの世界は、あまりに過酷だ。レンとサクラを見つけて、王都のサクラソウへ連れて帰り、そこから前世に戻る。それが最初の目的だったはずだが、ふと考える。
(戻れるのか、本当に……? いや。戻れなくても、また二人と一緒にいられれば、それでいいのかもしれないな)
そんな感傷を振り払うように目を閉じる。まずは、明日だ。
「何も起こらなければいいけど……」
微かな祈りとともに、ショウは深い眠りに落ちた。
翌朝、雲一つない快晴の下。
ショウ、アルク、ミア、ルーク、そしてルーナとエマの六人は、最終確認のために『氷鏡の丘』へと足を運んだ。
「へえー! ここに氷華神レイラが来るのかー! やはりここからの眺めは最高だぞー!」
エマが丘の端まで走り、街を見下ろしてはしゃいでいる。ルーナも隣で「本当に綺麗ですね……」と目を輝かせていた。二人は儀式本番には立ち会えないため、今のうちに目に焼き付けておこうとしているようだった。
アルクが周囲の地形を指し示し、指示を飛ばす。
「いいか。儀式の間、ここから先は聖域となる。一通りの死角は確認したが、油断は禁物だ」
「クレアさんは? ジラードさんはどこ?」
ショウの問いに、エマが振り返って答えた。
「先生なら大学でジラードのクソ爺と儀式の準備をしておるよ。ふふふ……私もいつか、あんな儀式をしてみたいものだ! 最強の魔物を召喚してこの世を統べるのだ……想像するだけで興奮する!」
「……顔が、酔っ払ってるみたいになってますよ、エマさん」
ショウが呆れ顔で突っ込むと、一行の緊張が少しだけ和らいだ。
各自、持ち場の確認と装備の手入れを済ませる。
「私は一度大学へ戻り、クレア様の護衛につく。夜にまた会おう」
アルクはそう言い残し、騎士らしい凛とした足取りで丘を下りていった。
残された五人は、エリシオンの街へ戻り、賑わう酒場で昼食を摂ることにした。
運ばれてきたシチューを口にしながら、ふと会話が途切れた時だった。
エマがグラスを見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……私はな、小さい頃に魔族に故郷を壊されたのだ。親も、友達も、全部殺された。たった一人だった」
いつも騒がしい彼女の、あまりに静かな声。ショウたちはスプーンを動かす手を止めた。
「死んだ絶望の目をしていた私を見つけてくれたのが、各地を回っていたクレア先生だった。先生は私に生きる喜びを……魔法の楽しさを教えてくれた。そこから先生は、私の親みたいな存在になってくれたのだ」
エマの瞳には、かつての自分を救った光が映っているようだった。
「大学で学びながら、私も先生みたいに人を助け、導く魔法使いになりたいと思った。何度も先生と世界を回ってな。巫の力で困っている人を助ける先生の姿は、本当に……めちゃくちゃ格好よかったのだ」
エマは一度言葉を切り、少しだけ寂しげに笑った。
「でも、もう先生も若くない。あの膨大な神の力は、今の先生には重荷になりすぎているように見えた。……先生は、もう十分役割を果たしたと思う」
エマが顔を上げ、ショウの目を真っ直ぐに見つめた。
「だから……ショウ。今日の夜は、先生をよろしく頼むぞ」
その言葉には、親を想う娘のような、深い愛と信頼がこもっていた。
ショウは姿勢を正し、エマの想いを受け止めるように力強く頷いた。
「……はい。任せてください」
昼下がりの穏やかな光の中、儀式の夜が刻一刻と近づいていた。
定刻。深夜の静寂が包み込む『氷鏡の丘』の頂上に、全員が集結していた。
月明かりに照らされたクレアは、いつもの厳しい教授の顔ではなく、一人の「巫」としての清廉な空気を纏っていた。
「みんな、今夜は集まってくれてありがとう。……これから、よろしく頼むわ」
短く、しかし万感の思いがこもった言葉。緊迫した空気が場を支配する。
「これから私はレイラをお呼びする。神を降ろすには時間がかかる上、深い瞑想に入るため、私は一切動けなくなる。……周囲のことは、お前たちを信じているわよ」
クレアは祭壇の前で静かに膝をつき、目を閉じた。
それを合図に、各自が持ち場へと散る。麓の入り口にはミアとルーク、そして選抜された衛兵たちが剣を構えて陣取った。
丘の頂上の中央。そこには、別人のような気迫を放つジラードが立っていた。
酒臭さは微塵もなく、整えられたローブが夜風にたなびく。彼は龍の杖を地面へ「トン」と突き立て、低く鋭い声で唱えた。
「……『スキャンドーム』」
不可視の魔力の膜が、丘全体を包み込むように展開される。ジラードの瞳が青白く発光し、全方位への警戒が始まった。
アルクはクレアのすぐ傍らで抜剣し、不動の構え。ショウは頂上へと続く階段の途中で、下方の闇を睨み据えた。
静かな時間が過ぎていく。
聞こえるのは、クレアが紡ぐ微かな祈りの言葉と、夜風の音だけだ。
(……静かすぎる。何も起きないし、刺客の気配もない。でも、まだレイラの姿は見えないな……)
ショウは『グラウンド・ウェッジ』を握り直し、額の汗を拭った。
……そこで、違和感に気づく。
(汗……? おかしい。ここは雪の残る寒冷地だぞ……?)
冷たいはずの夜風が、いつの間にか湿り気を帯びた熱風に変わっている。
エリシオンは高い山々に囲まれた寒冷都市だ。深夜に気温が上がるなど、自然界ではありえない。
「……なにかくるぞ……?」
ジラードの低く唸るような声が響いた。
「ジラードさん、これって……!」
「なにか変ですよね、この暑さ、この魔力……!」
アルクも険しい表情で周囲を見回す。
ジラードの瞳が、急激に一点を捉えた。
「……っ! 丘じゃねぇ、街の方だ!!!」
ドォォォォォォン!!!!!!
ジラードの叫びと同時に、エリシオンの中心部から禍々しい紅蓮の炎が噴き上がった。
夜の帳を焼き切り、街全体を飲み込まんとする勢いで、巨大な火柱が天を衝く。
その炎の渦の中心――。
煮えたぎる熱気の中から、ゆらりと巨影が姿を現した。
「……うそだろ……」
ショウの喉が、恐怖で引き攣った。
炎を纏った赤黒い皮膚、燃え盛る二本の角、そして周囲の空間を歪ませるほどの高熱。
それは、地下都市でショウを絶望の淵に叩き込んだあの炎の悪魔、ヘル・ゲートだった!
「グォォォォォォォォォォォッ!!!」
天を仰ぎ、街を震わせる雄叫び。
物理的な振動が丘まで届き、地面が、そしてショウの体がガタガタと震え出す。
「ヘル・ゲート……!? なんで……なんでこんなところに……!!」
街からは、逃げ惑う人々の悲鳴と、家々が崩れ落ちる轟音が聞こえてくる。
「きゃあああああ!」
「誰か! 誰か助けてくれ!!」
幼い子供の声、母親を呼ぶ叫び。
かつての平穏な街は、いまや黒煙と断末魔に支配されていた。
丘の上から見えるその光景は、まるで巨大な焚き火台に放り込まれたミニチュアの模型のように無力で、あまりに残酷だった。
何よりショウを戦慄させたのは、ヘル・ゲートの周囲でゆらめく陽炎の中から、次々と「炎の塊」が分身のように飛び出していることだ。
その火球が着弾するたびに新たな火の手が上がり、パニックに陥った人々を逃げ場のない路地へと追い詰めていく。
「なんで…街に!?…」
ショウは『グラウンド・ウェッジ』を握る手に血が滲むほど力を込めた。
そこには、自分を信じて「先生を頼む」と言ったエマがいる。大学合格を目指して必死にペンを握っていたルーナがいる。
あの、喧騒と笑いに満ちていた酒場も、今はもう地獄の業火に包まれているのだ。
助けに行きたい。今すぐこの丘を駆け下りて、あの炎の中に飛び込みたい。
だが、背後ではクレアが命を懸けた儀式の真っ最中
「クソッ……!」
届かない距離、消えない悲鳴。
エリシオン全体が炎に包まれていくのだった...




