33話 クレアのお願い
ショウはクレアの方を見た
「頼みですか……?」
「アルクは知っているだろうが……私は『巫』だ。神に従い、その強大な力の一部を預かる者。だが、私も老いには勝てなくてもそろそろ限界でね。数日後、私はこの力を神へ還す『返納の儀』を行おうと思っている」
(巫……エリシオンまでの道中でアルクさんから聞いたな。確か、今サクラソウにいるセシリアさんも『巫』だって言っていたような……)
あの時は「すごい力を持った人なんだな」くらいにしか思っていなかったが、目の前のクレアが放つ圧倒的な魔力を肌で感じ、ショウはその役割の重さを改めて理解した。この力が失われ、無防備になる瞬間を狙われるというのは、国にとっても致命的な隙になるはずだ。
「返納の儀、ですか……」
アルクが神妙な面持ちで頷く。
「巫が力を返納する際、その反動で一時的に守護の力が弱まり、術者本人は無防備になると聞いています」
「その通りだ。案の定、街に潜む『スカルロザリオ』の鼠どもが、その隙を狙って私の力を奪おうと嗅ぎ回っているようでね。儀式が終わるまで、私の護衛を務めてもらいたい」
アルクが間髪入れずに答えた。
「なるほど……そのためにジラード様も呼び戻されたのですね。」
アルクの問いに、クレアは「ああ」と短く答えた。
「あのアホは女好きの変態だが、頼りになる男だからね」
「もちろん、協力させていただきます。ショウ殿も、異論はありませんね?」
「……はい! スカルロザリオの脅威はアルト村でよく知っています……。ぜひ協力させてください!」
ショウの力強い言葉に、クレアは満足げに目を細めた。
「話は決まりだ。……さて、エマ! お前はジラードが来るまで、ルーナを大学内に案内してやりな。その間、ルーナお前の部屋に泊めておやり」
「合点承知ですわ! この優秀で最高に可愛いエマ様が、禁断の学園ライフを隅々まで案内して差し上げましょう! さあ、ルーナ、行きましょう!」
「えっ、あ、はい! ショウさん、アルクさん、また後で!」
エマに腕を引かれ、嵐のような勢いで部屋を出ていくルーナ。
ショウとアルクは顔を見合わせ、これから始まる数日間の「嵐の前」へと、気を引き締め直した。
クレアはジラードが到着したらまたこの部屋で作戦会議をすることを言い、部屋を後にした。
ルーナと別れた翌日、アルクが「返納の儀」の警備調整のために兵舎へ向かうと、ショウ、ルーク、ミアの3人はエリシオンの冒険者ギルドへと足を運んだ。
日中は街の周辺で簡単な討伐依頼をこなし、不慣れな土地の地形を確認しながらの探索。ガイスト大陸にいるレンのことを思えば、少しでも体を動かして経験を積んでおきたかった。
「はぁーー……疲れたぁ!!」
夕闇がエリシオンを包む頃、ミアが大きく伸びをしながら声を上げた。
「アルクさんも忙しそうだし、今日はもう上がりにしない? 3人で飲み屋街に行こうよ! 晩ごはんついでにパーッとさ!」
「いいね、お腹も空いたし」
「賛成だ。たまには息抜きも必要だろう」
ショウとルークも同意し、3人は活気あふれる夜の繁華街へと繰り出した。
エリシオンの飲み屋街は、多種多様な種族と旨そうな匂いで溢れていた。だが、賑わう通りを歩いていると、路地裏から一際高い女性の悲鳴が聞こえてきた。
「やめてください! 離してっ!」
「……っ、今の声!」
ショウたちが駆けつけると、そこには一人の若い町娘と、それをしつこく追い回す一人の老人の姿があった。
老人はボロボロのローブを羽織り、ひどく酒臭い息を吐きながら、真っ赤な顔でヘラヘラと笑っている。
「ヒック……いいじゃねぇかぁ、ねぇちゃん。おじさんの『魔法の杖』は、そんじょそこらの若造とは磨きが違うんだぜぇ……グヘヘ。ちょっとそこの裏で、合体魔法の予習でもしようやぁ……」
「そこまでにしましょう、おじいさん!」
ショウが二人の間に割って入る。老人はフラフラと千鳥足で踏み止まると、濁った目でショウをジロジロと眺めた。
「あぁん? なんだぁ、若造。俺様の『愛の儀式』に水を差す気かぁ? 100年早いんだよぉ、このガキが……!」
その老人は、おぼつかない手つきでファイティングポーズらしきものを取った。だが、腰は引け、今にも後ろに倒れそうだ。
「危ないから大人しくしてくれ。お酒、飲みすぎだよ」
「うるせぇ! こうなったら、俺様の秘蔵の究極魔法を……えーっと、メラ……メニョ……あー、もう面倒くせぇ! これでも食らえぇ!」
老人が何かすごい魔法を放つかと思いきや、口から出たのはただの激しい「酒の吐息」だった。
「うわっ、臭い……! ショウ、頭冷やしてやって!」
ミアが鼻をつまみながら叫ぶ。
ショウはため息をつき、酔っ払いを傷つけないよう、最小限の魔力で魔法を構築した。
「『ウォーターボール』!」
ショウの指先から放たれた水の塊が、ぽよんと放物線を描いて飛んでいく。それは避ける素振りも見せない老人の顔面に、真正面からクリーンヒットした。
「ぶべらっ!?」
情けない声を上げ、老人は派手に後ろにひっくり返る。
バシャリと水が弾け、地面に転がった老人はそのまま動かなくなった。
「え……? 嘘でしょ?」
ショウが呆然として近寄ると、そこからは魔法の詠唱ではなく、図太い寝息が聞こえてきた。
「スピー……スピー……むにゃ、ねぇちゃん、もう一杯……」
「……寝た。一撃というか、ただ自爆しただけじゃないの、これ」
ルークが呆れたように剣の柄から手を離す。
「なによあれ、最悪! エリシオンにもあんな変態で弱いおじいさんがいるんだね。せっかくの夕飯が台無しだよ」
ミアはぷんぷんと怒りながら歩き出す。
翌朝。宿泊している宿の部屋に、元気なノックの音が響いた。
「ショウ、起きてるか!?この私が 迎えに来たわよ!」
扉を開けると、そこには既に準備を整えたミアが立っていた。その後ろにはエマとルーナの姿もある。エマはいつになく鼻息が荒い。
「さあさあ、ぐずぐずしてられないわよ! ついにジラードの奴が到着したんだから! クレア先生の研究室へ集合だぞーい!」
「ついに来たんだな……!」
ショウは期待に胸を膨らませ、急いで支度を済ませて宿を出た。
道中、ショウの頭の中では「伝説の魔法使い」のイメージが勝手に膨らんでいく。
(世界で五指に入る魔法使い……。きっと、賢者のような厳かな雰囲気か、あるいは若々しくも圧倒的なオーラを放つ人なんだろうな。ガイスト大陸へ行く方法を知っている人なんだ、失礼のないようにしなきゃ……!)
そんなショウの緊張をよそに、エマは「まあ、あいつはちょっと……個性的だけどね!」と含み笑いを見せていた。
お前が言うなよ...とショウは思ったが心の中で抑えた。
大学へ着き、研究室の重厚な扉の前に立つ。
ショウは一度深く呼吸をし、意を決して扉を開けた。
「失礼します……!」
中には既にアルクが到着していた。いつになく険しく、真剣な表情でクレアと話し込んでいる。その様子を見て、ショウはさらに身が引き締まった。
(アルクさんまであんなに真面目な顔をしてる……。やっぱり、とんでもない実力者が来てるんだな)
「連れてきたぞーい、先生!」
エマが元気よく声を上げる。
クレアがニヤリと不敵に口角を上げた。
「ああ、ご苦労。……紹介しよう。こいつが私の古い友人で、お前さんたちが待ち望んでいた男――」
クレアの視線に従い、ショウが期待に満ちた眼差しをソファへ向けた。
……そこにいたのは、酒瓶をラッパ飲みし、酒臭い息を吐きながら「ふいーっ」と下品な吐息を漏らす一人の老人だった。
白髪はボサボサに乱れ、短い顎髭は酒で汚れている。顔は酒焼けで赤く染まっているが、よく見ればその骨格は男らしく、刻まれた深いシワには拭いきれない貫禄が宿っている。特に左目の上を斜めに走る古傷は、数多の死線を越えてきた凄みを感じさせた。
身に纏うのは深緑の重厚なローブ。傍らに立てかけられた背丈ほどもある長い杖の先端には、今にも咆哮を上げそうなほど精巧な「龍」が彫り込まれ、一目でそれが国を一つ買えるほどの魔導具だと分かる代物だった。
――しかし、そんな圧倒的な外見をすべて台無しにするように、その老人は今、あろうことか小指を鼻の穴の奥深くまで突っ込んでいた。
一瞬、時間が止まった。
「あーーーーーっ!!! 昨日の、あの最低な酔っ払い変態爺さんじゃない!!」
沈黙を破ったのは、ミアの絶叫だった。
「……えっ……うそだろ……?」
ショウは扉の取っ手を掴んだまま、石のように固まった。
「……昨日の人、ですね」
ルークが呆れたように、そっと視線を逸らした。
クレアが不思議そうに首を傾げる。
「なんだい、お前さんたち。もう面識があるのかい?」
アルクがひどく申し訳なさそうに、額を押さえて言った。
「……ショウ殿。実は、このお方が伝説の魔法使い、ジラード様なのです。……その、人格に少々難があるのは事実なのですが、実力だけは……」
すると、ソファの老人が「あぁん?」と濁った目でショウたちを睨みつけた。




