31話 ノヴァ・クレア教授
美しい魔法都市エリシオンの街並みを歩いていると、ふと、ゼルクスが足を止めた。
「さて、ショウくん。僕はここまでだよ」
雑踏の中で振り返った彼は、いつものように掴みどころのない笑みを浮かべていた。
「えっ、ゼルクスさん……?」
「もともと旅の途中だったからねぇ。君たちの目的地まで見届けられて満足だよ。……ここまで一緒に来てくれてありがとう」
驚くショウに、ゼルクスは一歩近づくと、少しだけ声を落として言った。
「ショウくん。君の親友達……見つかるといいね」
ゼルクスはひらひらと手を振ると、ローブの裾をなびかせ、鮮やかな魔法都市の雑踏の中へと吸い込まれるように消えていった。
続いて、共に奈落を生き抜いた二人の冒険者も足を止める。
「俺たちもここで。……リーダーの最期を、ギルドに報告しなきゃならない。あんたたち、本当にありがとうな。命の恩人だ」
彼らは深く頭を下げ、重い足取りながらも前を向いて去っていった。
少し寂しくなったパーティだが、目的地は目の前だ。
一行は、街の北側に位置する巨大な学び舎、「セレスティア魔法大学」の門をくぐった。
白亜の石造りの校舎には精緻な魔導回路が彫り込まれ、中庭では学生たちが宙に浮かぶ文字を追いかけている。ショウたちは荘厳な雰囲気の受付へと向かった。
「ノヴァ・クレア教授に面会に伺いました。王都のルミナス陛下からの紹介状を持っております」
ショウが緊張した面持ちで手紙を差し出すと、受付の女性は眼鏡の奥の瞳を走らせ、丁寧に頭を下げた。
「……確かに承りました。ですが、申し訳ございません。クレア教授は現在、重要な魔導実験の最中でして……本日はお会いすることが叶いません。明日、改めて大学までお越しいただけますでしょうか」
「明日、か……。わかりました」
肩の力が抜けると同時に、溜まっていた疲れがどっと押し寄せた。
「よし、それじゃあ一旦落ち着こうか」
アルクがみんなを見渡して言った。
「僕はこれから、エリシオンに駐在している王都の兵舎へ行ってくる。グリム・ハインでの惨状を伝え、ここの治安状況も聞いておきたいからね。悪いが、一時離脱させてもらうよ」
そう言うと、アルクはキビキビとした動きで兵舎の方向へと歩き出した。
残されたのはショウ、ルーナ、ミア、ルークの四人。
一度宿屋にチェックインし、荷物を置くと、ルーナが少し恥ずかしそうにショウの袖を引いた。
「ショウさん……もしよかったら、少しだけ街を歩きませんか? ずっと暗いところにいたから、この街の光に触れておきたくて」
「いいですね、行きましょう」
二人は宿を出て、夕暮れに染まり始めたエリシオンの街へ繰り出した。
そこは、歩くほどに驚きに満ちていた。
・街並み:王都とは少し違い、街は彩りがよくあらゆるところに魔法を感じる。歩いている人たちもローブを着ている人がほとんどで、魔法使いが多い。
• 香りの路地: 薬草学のエリアに入ると、甘いシナモンと少し痺れるような銀草の香りが混ざり合い、空気に不思議な重みを感じさせる。
• 空の交通: 見上げれば、伝書鳥の代わりに青く光る蝶の群れが、手紙を運んで夕闇の空を舞っていた。
• 魔法の店: ショーウィンドウには、魔導書が飾られており勝手にページが捲られたり、着る人の気分で色が変わるドレスや、振るたびに星屑がこぼれる指揮棒が並んでいる。
「……魔法に満ちた街ですね」
ショウが呟くと、ルーナは隣で微笑んだ。
「はい。ショウさん、誘っていただきありがとうございました!」
「ここまで来るの大変でしたが、エリシオンに来れてよかったです!」
ルーナが嬉しそうにそう言った。
宿に戻ると、ちょうどアルクも帰還していた。
その夜、彼らは宿の食堂の片隅で、ささやかなパーティーを開いた。運ばれてくるのは、エリシオン名物の「果実のタルト」や、冷めても味が落ちない不思議な料理だ。
「みんな、本当にお疲れ様」
アルクがグラスを掲げ、少しだけ真剣な表情に戻った。
「兵舎で話を聞いてきた。……エリシオンでも最近、あの『スカルロザリオ』のメンバーが目撃されているらしい。奴らが何を企んでいるかは不明だが、十分に気をつけてくれ」
「スカルロザリオ……王都でも聞いた名前だね」
ミアが表情を引き締める。
「それと、ヘル・ゲートについてだが、ギルドと騎士団で調査隊を設立することになった。後日、崩落した底まで詳しく調査するとのことだ。……ひとまずは、僕たちの役割は果たしたと言えるだろう」
「……乾杯!」
賑やかな笑い声と、美味しい料理。
だがショウの頭の片隅には、アルクの言った「スカルロザリオ」の名と、奈落で聞いたあの低い声が、消えない火種のように残っていた。
翌朝。一行は、朝日を浴びて白銀に輝くセレスティア魔法大学へと向かった。
正門をくぐると、そこには王都とは一線を画す光景が広がっていた。受付にいた真面目そうな眼鏡の女の子に案内され、一行は広大な校舎の中を進んでいく。
「わあ、広い……」
ルーナが感嘆の声を漏らす。中庭のベンチでは学生たちが魔導書を片手に談笑し、廊下ではローブをなびかせた学生たちが忙しそうに教室へと行き交っている。
階段を上り、大きな建物の5階にたどり着いた。
「ここが、ノヴァ・クレア様の研究室です」
案内役の少女は丁寧にお辞儀をして戻っていった。
アルクが扉をノックするが、応答がない。
「……失礼します」
ショウが慎重に扉を開け、一歩中へ踏み出した、その時だった。
「来たな!来たな!!ふふふ……隠しても無駄よ。貴様ら、最近街を騒がせているスカルロザリオの手先ね!?」
部屋の奥から、鋭い叫び声と共に一人の少女が飛び出してきた。
明るい紫のロングヘアに、大きな三角帽子。ボタンのついた黒いフリフリの服にミニスカートという、どこかゴシックな装いだ。彼女は背丈ほどもある、黒と紫の不気味な魔石が飾られた杖をショウに突きつけ、左手で顔を覆いながら片足を上げる謎のポーズをビシッと決めた。
「この私、セレスティア大学の英雄エマが、その邪悪な野望を打ち砕いてあげるわ!」
「ええっ……!?」
ショウは呆気に取られた。真剣な表情だが、どう見ても中二病全開の少女。
(この人が、あの有名なクレア教授……? めちゃくちゃ若いけど……)
「あ、あの……すみません。あなたがクレア教授ですか?」
ショウが恐る恐る尋ねると、少女——エマはポーズを崩して顔を真っ赤にした。
「な、ななな、何を失礼なことを! あんなシワシワのバァさん先生とこの私を一緒にするんじゃないわよ! 私はエマ。先生の教え子で、将来はこの大学を統べる大魔法使いになる、優秀な女よ!」
「——誰が優秀な女だい?」
背後から冷徹な声が響いたかと思うと、分厚い魔導書が空を切り、エマの後頭部を直撃した。
「ふぎゃっ!?」
エマは文字通り「ズコーーン!」と派手な音を立てて床に倒れ伏した。
奥の本棚の陰から現れたのは、白髪を凛と結い上げた70代ほどの女性だった。キリッとした顔立ちに、豪華な装飾のローブを纏ったその姿には、圧倒的な威厳が宿っている。
「すまないね……奥の方で本の整理をしていて聞こえなかったよ。私がノヴァ・クレアだ」
彼女はエマを冷ややかな目で見下ろした後、アルクに視線を移した。
「久しぶりね、アルクさん」
「お久しぶりです、クレア様」
アルクが恭しく一礼する。クレアはショウたちをじろりと見渡し、不敵に微笑んだ。
「あなたたちが、受付の子が言っていた『ルミナスのやつ』が書いた紹介状の……ショウさんたちかい?」
「はい。ルミナス陛下から紹介状をいただき、ノヴァ・クレア様のお力を拝借したく参りました」
アルクが差し出した手紙を、クレアは受け取り、静かに目を通し始めた。
室内を沈黙が支配する。床で頭をさすっているエマと、緊張で固まるショウ。
「なるほどね……。人探しのために、私のこの『目』を頼りに来たというわけかい」
手紙を読み終えたクレアが、眼鏡の奥の瞳を細めた。
「アルク。ルミナスのやつは元気かい?」
「はっ。陛下は健勝であらせられます」
アルクが答えると、クレアは「ふん、あの食えない男がね……」と小さく笑みをこぼした。彼女は「さて、立ち話もなんだ」と、部屋の奥にある重厚な木製の机と、数人掛けの椅子があるスペースへと一行を案内した。
「そこに座りな。……エマ! いつまで床に転がっているんだい、さっさと人数分のお茶を用意しておくれ」
「ふぎゃいっ! た、ただいま、地獄の業火で最高級の茶葉を蒸して参りますわ!」
「普通のお湯でいいんだよ。早くしな」
エマが慌てて準備を始めるのを横目に、一行は促されるまま席に座った。
改めて見渡すクレアの研究室は、まさに魔法の宝庫だった。壁一面を埋め尽くす膨大な数の魔導書。机の上には天体の動きを精密に再現した金色の球体儀が音もなく回転し、窓辺には光を放つ不思議な魔法植物が、まるで歌うように葉を揺らしている。
ショウたちは少し緊張しながら、ノヴァ・クレアと正面から対面した。




