3話 丘の上の屋敷
「おはようございます、ショウ様! よく眠れましたか?」
昨夜の気まずさを微塵も感じさせない、ルーナの快活な笑顔だった。ショウも「おかげさまで」と短く返し、二人はバルトの屋敷を後にした。
一歩、大通りに出た瞬間、ショウは言葉を失った。昨夜の馬車越しには分からなかった、ルミナスの「真の姿」がそこにはあった。
「……すごいな。本当に、いろんな奴がいるんだな」
ショウの視線の先には、自分と同じような人間の他に、小柄ながら筋骨逞しく、立派な髭を蓄えたドワーフが重そうな荷車を引き、獣の耳をピクピクと動かした獣族が風のように通りを駆け抜けていく。
要所に立つ衛兵たちは、陽光を反射する白銀の鎧を身に纏い、腰には無骨な剣を携えていた。その威圧感は、ここが剣と魔法によって秩序が保たれている世界であることを、ショウに嫌というほど実感させた。
「ここは、このエリュシオン平原で最も栄えている都市なんです」
ショウの驚きを察したように、ルーナが誇らしげに語り始めた。
「ルミナスは四方の街道が交わる物流の要ですから。人間だけでなく、山から来たドワーフや草原を旅する獣族など、あらゆる民族と品物が集まります。お仲間を探すなら、これ以上の場所はありませんよ」
彼女が指差した先、街の最も高い場所に、空を突くような美しい白亜の城がそびえ立っていた。
「あの高い塔があるのが、私たちの守り神ともいえるアイテール城。そして、この国を治めているのは、賢王と名高いレオンハルト・フォン・ルミナス陛下です。陛下は種族を問わず、真摯に生きる者を歓迎してくださるから、この街はいつもこんなに賑やかなんです」
「レオンハルト陛下……。いい名前だな」
ショウはその壮大な景色を眺めながら、この広大な世界のどこかにいるはずのサクラとレンに思いを馳せた。
「あちらに見える建物が、この街で一番古く歴史のある宿屋です。その隣にある煙突の立っているのが武器屋ですね。あの賑やかな建物は冒険者が集まる酒場で、噂を聞くならあそこが一番ですよ。……そして、ここがルミナスの心臓部、中央市場です!」
市場に入ると、威勢のいい掛け声と共に、見たこともない色鮮やかな果実や、香ばしい匂いを立てる肉料理が山積みになっていた。ショウは戸惑いながらも、この異世界の熱気を懸命にその目に焼き付けた。
賑やかな市場を抜け、緩やかな坂道を登っていくと、次第に喧騒が遠のいていった。石畳の道は整備されているが、この辺りは少し落ち着いた、歴史を感じさせるエリアのようだ。
「……ここを曲がった先です」
ルーナに案内され、少し開けた丘の上に立ったショウは、思わず足を止めた。
「……大きいな。これが、貸してくれる屋敷か?」
そこには、高い鉄柵に囲まれた重厚な造りの屋敷がそびえ立っていた。
かつては貴族が住んでいたのではないかと思わせる気品があるが、長い間主を失っていたせいか、庭には雑草が伸び、外壁の一部には蔦が絡まり、窓ガラスは埃で白く曇っていた。一人で住むにはあまりに広く、寂しげな沈黙を守っている。
「はい。一時期はバルト家の別邸だったのですが、今は管理が行き届いていなくて……。お仲間を待つ場所としては十分すぎるくらいだと思います」
ルーナは少し不安そうにショウを見上げた。
「かなり、手入れが必要そうですよね……」
ショウは屋敷をじっと見つめ、その静かな佇まいに決意を固めた。
「いや、いい場所だ。ルーナさん、案内してくれてありがとう。ここなら、サクラやレンを見つけ出すまでの拠点として、申し分ない。まずは、ここをちゃんと人が住める状態に整えないとな」
ショウは、前世で培った生活の知恵を思い出しながら、まずはこの埃っぽい家を片付けることから始めようと、静かに最初の一歩を踏み出した。
バルトから預かった古びた鍵を差し込み、重厚な扉を押し開ける。長年閉じ込められていた空気とともに、微かな埃の匂いがショウの鼻を突いた。
屋敷の中に一歩足を踏み入れたショウは、その広さに改めて圧倒された。
入り口の先には、かつては豪華な家具が並んでいたであろう、広々としたリビングのような空間が広がっていた。大人数が集まれる開放的な造りで、その奥には大きな調理室、いわゆるキッチンが備わっている。キッチンを廊下で挟んだ先には大人数で入れる、前世でいう大浴場が完備されていた。一階の最奥には、主人が使っていたと思われる一際大きな部屋があり、さらに地下へ続く階段の先には、広大な物置が口を開けていた。
「すごいな……。でも、二階はどうなっているんだ?」
ルーナに促されるまま階段を上がると、一階とは少し異なる光景が広がっていた。
廊下に沿って並んでいるのは、同じような大きさの扉が六つ。ショウがその一つを開けると、思わず驚きの声を漏らした。
「……まるで、ワンルームのアパートみたいだ」
各部屋にはベッドを置くスペースだけでなく、個別のトイレや簡単なキッチン、さらには風呂のような水回りまで完備されていた。その合理的な作りは、現代の宿泊施設を彷彿とさせるものだった。
「お父様に聞いた話では、ここは別邸として使われた後、冒険者や旅人のための宿屋に改修されたそうなんです。でも、場所が少し街外れだったことや管理の手が回らなくなって、いつの間にか使われなくなってしまったみたいで……」
ルーナが申し訳なさそうに説明を補足する。なるほど、かつてはここにも人々の活気と笑い声が溢れていたのだろう。
一階の奥へ戻ると、そこには美しい中庭があった。中央には水を湛えていたであろう大きな池――いや、プールのようなスペースまである。今は水が枯れ、落ち葉が溜まっているが、手入れをすれば格好の憩いの場になりそうだった。
(いつか余裕ができたら、ここも綺麗にして修復してみようかな……)
ショウはそんな未来をぼんやりと思い描く。
一階には広い交流スペースと個室。二階にはプライバシーの守られた六つの部屋。そして地下の収納と、贅沢な中庭。
「……決めた。ルーナさん、ここを借りるよ。サクラやレンがいつ現れてもいいように、最高の『拠点』にしてみせる」
ショウは各部屋を回り終え、一階の広々としたリビングに戻ってくると、改めてその贅沢な空間を見渡してため息をついた。
「……それにしても、一人で住むには広すぎるな。持て余しちゃいそうだ」
ショウの独り言を聞いたルーナは、昨晩、父バルトが書斎で独りごちていた言葉を思い出し、それをショウに伝えた。
「そういえばお父様が言っていました。ショウ様がお仲間を探しているのなら、いっそここを、冒険者が集まる居酒屋か宿屋にしてしまえばいいのではないか、と」
「宿屋に?」
「はい。この王都ルミナスには、エリュシオン平原中から多くの冒険者が集まります。彼らはここを拠点にして様々な依頼を受け、各地へ冒険に出かけます。その過程で入ってくる情報の量は、個人の比ではありません。お一人で歩き回るよりも、情報の集まる場所を自分で作ってしまった方が、効率がいいのではないかと……」
バルトの提案は、商売人らしい合理的かつ確かなものだった。ショウは顎に手を当て、その言葉を反芻する。
(……確かに一理あるな。下宿屋みたいにして冒険者と接点を持てば、外の世界の話も聞ける。時には俺自身が彼らの冒険に同行して、自分の目で探しに行くこともできるはずだ)
まだ見ぬレンやサクラの姿が脳裏をよぎる。この広大な異世界で、あてもなく彷徨うよりは、情報の「ハブ」となる場所を構える方が、再会への近道に思えた。
「下宿屋、か。……悪くない。いや、むしろそれが一番いいかもしれない」
「よし、そうと決まれば、まずは中を綺麗にしないとな」
やる気を見せるショウに、ルーナは「それなら」と地下の物置へ向かった。彼女が持ってきたのは、年季の入ったバケツや雑巾、そして古びた箒だった。
埃を払ったバケツを床に置くと、ルーナはそっと手をかざした。
「――『ウォーターボール』」
彼女が呟くと、何もない空間から透明な水の球体が現れ、吸い込まれるようにバケツを満たした。ショウは思わず目を見開き、声を上げた。
「……魔法!? 今の、魔法なのか?」
「はい。昔少し習っていたんです。初級の水魔法の他に、風と火も少しだけ使えますよ」
すごいな……。俺にも、そんな魔法が使えるようになるんだろうか」
「はい、練習すればきっと使えるようになると思います」
ルーナは微笑んだが、すぐに少し困ったような顔をした。
「昔使っていた初級の魔法書があればお貸しできたのですが、今は手元に無くて……。でも、本屋に行けば売っているかもしれません」
ショウは自分の手に視線を落とした。そもそも自分に魔法の才能があるのかは分からない。だが、この世界の文字や理を学ぶことは、サクラたちを探す上でも、この屋敷を整える上でも、絶対に損にはならないはずだ。
「もし魔法が使えたら、掃除も生活も色々と便利になりそうだしな。……よし、ルーナさん。まずは本屋へ行ってみよう。この世界の勉強も兼ねて、いい本があるか見てみたい」
「分かりました。それなら、街外れに少し変わった品揃えの古本屋があるんです。そこへ行ってみましょう!」
二人は一旦掃除の手を止め、魔法への期待を胸に、再び活気溢れるルミナスの街へと歩き出した。
二人は再び賑やかな通りへと繰り出した。
頭上で翼を広げて飛ぶ巨大な鳥や、見たこともない楽器で不思議な旋律を奏でる大道芸人。それらを目にするたびに、ショウは子供のように驚きの表情を浮かべる。そんな彼を横で見守っていたルーナが、ふと不思議そうに首を傾げた。
「……ショウ様。魔法をご存知なかったり、街の光景に一喜一憂されたり……失礼ですが、ショウ様は一体どこからいらしたのですか? このエリュシオン平原の方ではない……ですよね?」
その問いに、ショウは一瞬言葉に詰まった。
(まさか、異世界から来ました、なんて言えるわけないしな……)
ショウは視線を泳がせながら、慎重に言葉を選んだ。
「……あ、いや……。かなり遠いところで、ここらへんとは全然文化が違うというか。……実は、気づいたら祠の中にいたんだ。記憶が混乱しているというか、正直、自分がどうしてここにいるのか、自分でもよく分かっていないんだよ」
あながち嘘ではない、曖昧な答えだった。ショウが困ったように笑うと、ルーナはそれ以上追及せず、代わりにその大きな瞳を潤ませてショウを見つめた。
「そう……だったのですね。お一人で、何も分からない土地へ……。心細かったでしょうに」
「あ、いや、そこまででは……」
「いいえ! お父様の命の恩人なのですから、分からないことがあれば何でも私を頼ってください。王都のことは私が隅々までお教えしますから!」
ルーナはショウの腕をぐっと掴み、真っ直ぐな瞳で力強く宣言した。その献身的な姿と、太陽の光を浴びて輝く金髪、そして屈託のない笑顔。
(……なんだ、この子。めちゃくちゃ可愛いな)
ショウは内心でそう呟いた。と同時に、脳裏に昨夜の浴室での光景――湯気の中で露わになった彼女の白い肌と、驚愕に染まった表情がフラッシュバックする。
不意に込み上げてきた気恥ずかしさと「にやけ」を隠すため、ショウは咄嗟に顔を背けた。
「……ショウ様? 顔が赤いですよ。どこか具合でも悪いですか?」
「あ、いや、なんでもない! ちょっと日差しが強いかなって……。あ、あそこか? 本屋は」
照れ隠しに指差した先。街の喧騒から少し外れた路地の奥に、蔦の絡まった重厚な木扉の店が見えた。
看板には、古びた文字で店名が刻まれている。
「窓辺の書架」
ここが、後にショウの運命を大きく変えることになる古本屋だった。




