26話 地下都市グリム・ハイン
翌朝、一行はさらに勾配の急な坂道を、下へ、下へと降り続けていった。
「ねえ、アルクさん。僕たち山を越えようとしてるんですよね?」
ルークが不安げに周囲の岩壁を見回しながら尋ねる。
「なのに、こんなに深く潜っていって大丈夫なんですか? どんどん逆方向に進んでる気が……」
「心配ない。別のルートもあるにはあるが、あちらは古い採掘場だ。地盤が脆くて崩壊の恐れがある。この都市部を通り抜けるのが一番確実なんだ。北門を出れば、そこからは地上へ向けて一気に登りが続くから安心しろ」
アルクがそう答える間にも、周囲の光景は変貌を遂げていった。
もはやそこは「洞窟」という言葉では言い表せないほど、巨大で空虚な空間だった。歩みを進めるごとに、ドワーフたちが彫り上げたであろう精緻な石柱や、誇り高き戦士たちの石像が点々と姿を現す。
不気味なほどにモンスターの気配はなく、ただ自分たちの足音だけが静寂を支配していた。
やがて、暗がりの先から圧倒的な存在感を放つ大きな石の門が姿を現した。
「ようやく見えてきたよ。あの門がグリム・ハインの南門だ」
アルクの言葉に、ミアが感嘆の声を上げる。
「おーーっ、すんごいおっきいね!」
「ようやく着きましたか……」
ルークが安堵と緊張の入り混じった溜息をつき、ルーナも「壮大ですね……」と、その歴史の重みに圧倒されたように呟いた。
門の先には巨大な階段が下へと続いており、その眼下には、かつて数万のドワーフたちが暮らしていたであろう超巨大な古代都市が広がっていた。あまりに広すぎて、端の方は闇に溶け込み、全貌を捉えることすらできない。
「すごいな……」
ショウはその光景を見下ろし、前世で見た「死にゲー」のダークな世界観を思い出していた。美しくもどこか滅びの気配が漂うこの静寂が、本能的な恐怖を呼び起こす。
「……何時見ても、すごいねぇ」
隣にいたゼルクスが、独り言のように呟いた。その口調は、初めて見る者の驚きというよりは、旧友の家を訪ねた時のような、どこか懐かしげな響きを孕んでいた。
一行は巨大な階段を降り、かつてのドワーフの生活圏へと足を踏み入れた。
周囲には重厚な石造りの建物が並び、その多くには巨大な炉や金敷が残された鍛冶場が併設されている。かつては槌の音が響き、火花が舞っていたであろうその街は、今はただ不気味な熱気を孕んで沈黙していた。
その時、静寂を切り裂くように**「ドォォォォン!!」**という激しい爆発音が都市の奥から響き渡った。
「な、な……なんだ!? 何が起きたんだよ!」
ルークが周囲をキョロキョロと見渡す。
「……今、魔力を感じたね。それも、かなり荒っぽい魔力だ」
アルクが鋭く目を細める。
「戦闘をしている音みたいですね……それも、一方的な……」
ショウが杖を構え直すと、ミアが身軽な動作で近くの建物の屋根へと駆け上がった。
「あっちの方みたいだよ! 煙が上がってる!」
ミアが指さす方向、数ブロック先の広場から黒い煙が立ち上っていた。
一行が警戒しつつ建物の影を縫って駆けつけると、そこには凄惨な光景が広がっていた。5人組の冒険者たちが、数十匹のゴブリンの群れに包囲されている。
「く、来るな! くるんじゃねえ!!」
冒険者のリーダー格の男が剣を振り回すが、その腕は震えている。5人のうち2人は地面に倒れ伏し、酷い火傷を負って苦しんでいた。
「ケケケッ! こいつらの荷物を剥ぎ取れ!」
「肉だ! 久しぶりの人間の肉だぞ!」
下卑た声を上げるゴブリンたちが、今まさにトドメを刺そうと飛びかかった瞬間――。
「させないっ! 『ファイヤーボール』!」
「『ウィンドカッター』!」
ショウが放った火球とルーナの放った風の刃が空中で交差し、先頭にいたゴブリン数匹を吹き飛ばした。
「加勢するぞ、ルーク、ミア!」
「了解!」
アルクが影のように群れの中へ飛び込み、瞬く間に二振りの剣でゴブリンたちを斬り伏せていく。ミアの矢が正確に急所を射抜き、逃げ遅れた個体をショウの魔法が追い詰める。
圧倒的な実力差の前に、先ほどまで勝ち誇っていたゴブリンの群れは、悲鳴を上げる暇もなく殲滅された。
「た、助かった……。あんたたちは……?」
冒険者のリーダー格の男が、肩で息をしながらショウたちを見上げた。
「僕たちは、王都からエリシオンに向かってる途中なんだ君たちは何者だい?」
アルクが優しい口調で言う。
「俺たちはエリシオンから来た冒険者だ。ギルドからの依頼で、グリム・ハインの偵察に来ていたんだが……噂は本当だった。あいつ……『ヘル・ゲート』がいたんだ」
男は震える手で、倒れている仲間を指差した。
「不意を突かれて、この二人が直撃を食らった。必死でここまで逃げてきて、救助を待つつもりだったんだが、そこにゴブリンどもに目をつけられて……。あんたたちが来なけりゃ、今頃みんな胃袋の中だったよ。ありがとう」
「礼はいい。ゼルクスさん!」
アルクの声に、ゼルクスが静かに歩み寄った。
「見せてくれるかな。僕は一応、医者なんだ」
「私も手伝います!」
ルーナも横に膝をつき、二人の容態を確認する。だが、傷口を見た二人の顔は、かつてないほど険しいものになった。
数分ののち、ゼルクスが立ち上がり、ゆっくりと首を振った。
「……すまない。この二人は、もう間に合わないよ」
「そんなっ、ゼルクスさんの魔法でも!?」
ショウが詰め寄るが、ゼルクスは悲しげに目を伏せた。
「傷が深すぎるんじゃない。……『ヘル・ゲート』の炎は、体の中の組織が、ほとんど灰にしてしまうんだ……」
冒険者のリーダーは、がくりと膝をついた。絶望に顔を歪ませたが、やがて何かを決意したように顔を上げる。
「そうか……。なら、ここで焼こう。地上までは連れて行ってやれない。このまま放置すれば、この呪われた魔力でアンデッド化する可能性もある。……あいつらを、化け物にはしたくない」
リーダーは震える手で魔力を練った。一瞬の躊躇。だが、仲間の尊厳を守るために、彼は涙を流しながらその魔法を放った。激しい炎が二人の遺体を包み込み、都市の冷たい空気の中に煙が立ち上る。
「…………」
ショウはその光景を黙って見つめるしかなかった。先ほどまで生きていた人間が、一瞬で灰になっていく。これが「悪魔」の通った後に残る、残酷な現実だった。
「……ショウ君、これがヘル・ゲートの力だ。絶対に、まともに受けてはいけないよ」
ゼルクスの静かな警告が、重く響いた。
アルクは呆然と立ち尽くす冒険者のリーダーの肩に手を置き、静かに、だが力強く告げた。
「……酷なようだが、立ち止まっている暇はない。残された3人を、俺たちが責任を持ってエリシオンまで送り届けよう。命があれば、またやり直せる」
アルクの言葉に、リーダーは力なく頷いた。アルクは続けて、核心に触れる質問を投げる。
「その『ヘル・ゲート』とは、一体どこで遭遇したんだ?」
リーダーは震える手で、都市の向こう側――北へと続く道を指差した。
「……都市を出る直前、北門に辿り着く前の広場だ。急に周りの空気が、肌を焼くほどに熱くなってきた。何事かと思ったら、向こうから禍々しい炎を纏った悪魔が歩いてくるのが見えたんだ」
男は思い出すのも恐ろしいというように、目を固く閉じた。
「遠くに見えただけなのに、次の瞬間には奴の炎に包まれていた。……仲間を守るどころか、俺たちは死に物狂いで逃げてくることしかできなかったよ」
アルクの表情がいっそう険しくなる。
「ということは……これから俺たちが向かう先に、奴がいるということか」
「そんなの、絶対会っちゃうじゃないですか!!! 確定じゃないですかぁぁ!!!」
ルークが悲鳴のような声を上げ、頭を抱えて座り込んだ。
「ちょっと、ルーク。うるさいわよ、落ち着きなさいよ!」
ミアがたしなめるものの、彼女の弓を握る手も心なしかいつもより力がこもっている。
「……逃げるしかない、と言った意味が分かっただろう? まともにやり合える相手じゃないんだ。……ショウ君、ここからはさらに慎重に行くぞ」
ショウ達はグリム・ハインの北門を目指し、歩き始めた。




