23話 兄弟喧嘩
二人が歩き出すと、そこには驚くほど活気ある光景が広がっていた。石畳の道の両脇には屋台がひしめき、蒸したての**「温泉まんじゅう」の甘い香りや、源泉で茹でられた
「温泉卵」の香ばしい匂いが漂ってくる。
「わあ……本当に日本の温泉街みたいだ」
「え? ショウ君、今なんて?」
「あ、いや、なんでもないよ! ほら、ルーク君。あっちに冒険者ギルドがあるみたいだ」
「あ、本当だ! ショウ君、あそこなら何か食べられそうですよ。……正直、お腹空いちゃいました」
ルークがお腹を鳴らして笑うので、ショウもつられて笑った。
「そうだね。何か情報も落ちてるかもしれない、入ってみよう」
ギルドの重い扉を開けると、中は熱気と喧騒に包まれていた。二人は空いている席を見つけ、カウンターで注文を済ませる。
ルークの前に運ばれてきたのは、皿からはみ出しそうなほど分厚いステーキ。そしてショウは、先ほどから気になっていた温泉まんじゅうと冷たい飲み物を手にした。
「いただきまーす!」と肉に食らいつくルークの横で、ショウがまんじゅうを頬張っていると、隣のテーブルから不穏な会話が聞こえてきた。
「……おい、聞いたか? またアイゼンヘイムを越えようとしたパーティーが、グリム・ハインで『あの悪魔』にやられたらしいぞ」
「これで何人目だ? もう関所から先は地獄の釜の底みたいなもんだって話じゃねぇか」
「ああ。村の救護所は火傷の怪我人で溢れかえってて、人手が全然足りないらしいぞ」
ショウの手が止まる。
「……でもよ、なんか謎の男がふらっと現れて、治療を手伝ってるらしいぜ。魔法か何かわからねぇが、その男が診ると、ひどい火傷もあっという間に落ち着くんだとよ」
「謎の男……?」
ショウはルークと顔を見合わせた。
「ルーク君、聞いた? 救護所が大変なことになってるみたいだ」
「うん……それにその、不思議な男の人の話も気になるね」
「ユウナさんも、薬草を持ってそこに向かったはずだ。様子を見に行ってみよう。僕たちに何か手伝えることがあるかもしれないし」
「そうだね! 食べたらすぐ行こう!」
ルークは最後の一口を飲み込み、二人はギルドを後にした。
湯煙の向こう、村の外れにあるという救護所を目指して、二人は急ぎ足で坂道を登り始めた。
救護所の扉を開けると、そこは硫黄の匂いよりも強い、薬草と焼け焦げたような生々しい臭いが充満していた。
多くの負傷者が横たわる中、一際目を引く背中があった。深いハット帽に黒いローブ、そして脇には使い込まれた古びた鞄。その男は、ちょうど最後の怪我人の治療を終え、立ち上がったところだった。
男がこちらを向き、帽子の縁を指先でクイッと持ち上げる。
「あれー、ショウ君じゃないか〜。いやはや、奇遇だね〜」
のんびりとした、どこか拍子抜けするような声。黒髪で毛先だけが少し跳ねたパーマ。40代半ばのその風貌には、見覚えがあった。
「ゼルクスさん!」
ショウは思わず叫んだ。アルト村から王都へ帰る馬車で相乗りした、あの掴みどころのない男だ。確かあの時、旅をしながら医者をしていると言っていたが、まさかこんな危険な場所で再会するなんて。
「おや? そちらの方は?」
「あ、こちらは仲間のルーク君です。……ゼルクスさん、ここで怪我人の治療を?」
「まあね、これも仕事のうちだよ」
ゼルクスは軽々と鞄を肩にかけると、ルークにひらひらと手を振った。
「僕たちは今、エリシオンへ行く途中でこの関所の村に寄ったんです」
ショウが説明すると、ゼルクスは「おやおや」と眉を上げた。
「それは重なるねぇ。実は僕もね、エリシオンに行く予定だったんだよ」
そこへ、奥から薬草の束を抱えたユウナが顔を出した。
「あら! ゼルクスさんとショウさん、お知り合いだったんですか!?」
二人の様子を見て驚いた様子のユウナだったが、すぐにパッと顔を輝かせた。
「だったら話が早いわ! ゼルクスさんも、よければショウさんたちと同じ宿に泊まってくださいよ。お礼もしたいですし」
「おや、それはありがたい。お言葉に甘えることにしようかな」
ゼルクスはそう言って笑うと、少しだけ真面目な、けれどやはりどこか頼りないような表情でショウを見つめた。
「どうかな、ショウ君。何かの縁だ、もしよければ一緒にエリシオンまで行かないかい? ほら、僕は見ての通りただの医者でさ……グリム・ハインの『悪魔』なんて、怖くて怖くてたまらないんだよ」
(この人が怖がってるのは本当なんだろうか……?)
ショウは少し首を傾げたが、腕のいい医者が仲間に加わるのは心強いのも確かだ。
「わかりました。一度宿で詳しく話しましょう。他にも僕の仲間がいるんですよ。アルクさんっていう、すごく強い人も」
「それは心強いねぇ。楽しみにしてるよ」
ユウナが紹介してくれた宿屋の談話室で、一行は顔を合わせた。
ショウがアルト村での縁と、救護所での活躍を説明すると、アルクたちは快くゼルクスの同行を承諾した。
「いやぁ、ショウ君がこんなに頼もしい人たちと旅をしていたなんてね。これなら弱い僕も安心だよ」
ゼルクスはハット帽を膝に置き、のんびりと椅子に深く腰掛けて笑った。
だが、その場の空気はアルクが口を開いた瞬間に引き締まった。
「……さて、先ほど関所の衛兵たちと話してきた。ユウナさんの言った通り、グリム・ハインの『悪魔』が目覚めたのは、もはや疑いようのない事実らしい」
アルクは厳しい表情で、集まった仲間たちを見渡した。
「本来なら避けて通りたいところだが、エリシオンへ向かう道はここしかない。もしその悪魔に出くわしてしまったら……今の僕たちにできるのは、死に物狂いで逃げることだけだ。それほどまでに強大だと思っておいてくれ」
その言葉に、ゼルクスがふと、手元の鞄を撫でながら付け加えた。
「僕も、救護所で怪我人を診て確信したよ。あの悪魔の炎は、普通の魔法や火炎とは異質だ。焼かれた傷跡が、まるで呪いのように変質していてね……。あんなもの、治療はできても食らいたくはないなぁ。会わないように願うしかないね、僕、本当に怖いもん……」
おどけた口調ながらも、ゼルクスの目はどこか遠くを見ているようだった。
「……とにかく、今日はもうゆっくり休もう。明日の昼頃にグリム・ハインに入り、数日かけてアイゼンヘイムの山脈を越える。各自、必要な消耗品の補充を忘れずに」
「了解!」
ショウは宿屋の温泉に入っていた。立ち上る湯気の向こうに、アイゼンヘイムの夜空を眺めた。
(……懐かしいな。この硫黄の匂い、やっぱり落ち着く...)
そんな感傷に浸っていると、パチャパチャと足音がして、あの男がやってきた。
「おーっと、お隣いいかな〜」
「あ、ゼルクスさん。いいですよ!」
ゼルクスは「あ〜……極楽、極楽」と声を漏らしながら、ゆっくりとお湯に浸かった。ハット帽を脱いだ彼は、少し若返ったようにも見える。
「……昔、弟と一緒にこの温泉に入ったことがあってねぇ」
「ゼルクスさん、弟さんがいるんですね」
「あぁ、そうなんだよ。昔は仲が良かったんだけどね、ちょっと喧嘩しちゃってね……」
(わかるな。僕も前世では弟がいた。小さい頃はよく喧嘩したっけ……)
ショウは自分と重ね合わせ、少しだけ親近感を抱いて微笑んだ。
「でも、兄弟ですもん。きっとすぐ仲直りできますよ」
「……そうだねぇ」
ゼルクスは湯気を視線で追うように、少し目を細めた。
「ショウ君は僕の弟にそっくりでね。昔を思い出すよ……懐かしいな。あの時は……すべてが、よかった」
その声が、いつになく真剣で、どこか寂しげに響いた瞬間だった。
「きゃあぁぁぁーーーっ!!」
女風呂のほうから、ルーナの悲鳴が夜の露天風呂に響き渡った。
「ちょっと! ルーク!! こっちは女風呂ですけどーーっ!?!?」
ミアの怒鳴り声が壁を越えてくる。
「ご、ごめん!! 間違った!! 湯気で前が見えなくてっ……!!」
「このタコスケーーッ!!」
ドガァァーーン!!
木の桶が何かに激突した鈍い音と、ルークの「ぐぁぁぁーーーっ!!」という断末魔のような叫びが続き、バシャーンと派手な水音がした。ルークは桶を食らってのぼせ湯に沈んだ。
「…………」
ショウとゼルクスは、顔を見合わせて苦笑いした。
「……賑やかでいいねぇ、ショウ君」
「あはは……。すみません、うちのルークが」
先ほどまでのしんみりした空気は、ルークの珍動のおかげですっかり吹き飛んでしまった。
見上げれば、アイゼンヘイムの険しい稜線の向こうに、こぼれ落ちそうな星空が広がっている。
湯煙は白く、どこまでも高く夜空へと昇っていく。
明日、この山を揺るがすであろう異変を予感させながらも――、
今夜のアイゼンヘイムはただ、静かに、優しく佇んでいた。




