18話 襲撃
静まり返った自室で、ショウは『エリシオン魔導史』の頁をめくった。
そこには、今から数百年前、魔族との凄惨な戦争によって滅びようとしていたエリシオンを救った、一人の若き英雄の記録が記されていた。
「大魔法使い、ソフィア・アルカディア……」
挿絵に描かれていたのは、凛とした瞳を持つ若い女性だった。彼女は既存の魔導を遥かに凌駕する術式を操り、都市を包み込む巨大な結界を一夜にして築き上げたという。彼女が民に魔法の真理を説いた場所こそが、現在の魔法大学の始まりだった。
読み進めると、かつて大陸を震撼させた「あの疫病」についても詳しく記述されていた。以前、別の本で目にした、人々の魔力を枯渇させる恐ろしい病だ。
「やっぱりエリシオンでも流行ってたんだな……」
大学の賢者たちが匙を投げたその窮地を救ったのは、ふらりと現れた正体不明の男だった。
男は詠唱も杖も必要とせず、ただ手をかざすだけで患者たちを救った。その魔法はあまりに異質で、稀代の天才であるソフィアの弟子たちでさえ、誰一人としてその原理を解明できなかったという。
さらに頁をめくれば、大学が輩出してきた偉大な魔導士たちの名が、その輝かしい功績と共にずらりと並んでいる。
国家最高顧問、伝説の治癒術師、新たな属性を発見した探究者——。
(エリシオンに行けば、ノヴァ教授に会うだけじゃなく、俺のこの魔力の扱い方についても何かわかるかもしれない……。あそこなら、魔法についてもっと深く学べるはずだ)
ショウの胸に、漠然とした不安よりも「学びたい」という純粋な期待が膨らんでいく。
ショウは本を閉じると、枕元に置かれた『グラウンド・ウェッジ』にそっと触れ、静かに目を閉じた。
ドンドンドンドンドンドンッ!!
一階の玄関扉が、壊れんばかりの勢いで叩かれる。
ショウが慌てて部屋を飛び出し、階段を駆け下りると、そこにはすでに蒼白な顔で立ち尽くすルーナと、扉をこじ開けるようにして入ってきたマーサの姿があった。
「ルーナ……っ、ショウさん!!」
マーサの服は泥に汚れ、その肩は激しく震えている。彼女はしがみつくようにして、震える声で告げた。
「バルトが……バルトが魔物に襲われたの! 王都の近くの村に商談に行っていたんだけど、そこで魔物の群れが村を襲って……人が何人か攫われたって。一緒にいた職場の人が、命からがら逃げ帰ってきて教えてくれたのよ!」
「お父様が……!?」
ルーナの顔から血の気が引いていく。
その瞬間、窓の外から不穏な怒号と、カンカンカンと激しく打ち鳴らされる警鐘の音が響き渡った。
「南の森が燃えているぞ! 宿屋が火事だ!」
「北の橋が落とされた! 通行不能だ!」
「あちこちにゴブリンの群れが出ている! 衛兵を回せ、急げ!!」
夜の闇を赤い火の手が照らし出し、王都全体がパニックに陥っていた。
昼間、オーウェンから聞いた不気味な噂。
「……ルーナ、カイト、行こう」
ショウは自室へ戻り、枕元に置いてあった『グラウンド・ウェッジ』をひっ掴んだ。蔓が巻き付き、赤い魔法石が鈍く光るその大杖は、ショウの決意に応えるように微かに脈動している。
アリナとセシリアに「ここは頼む」とだけ言い残し、三人は夜の街へと飛び出した。
王都の正門付近は、混乱する市民と出動しようとする衛兵たちでごった返していた。
「止まってください! 今は非常事態です。」
立ち塞がったのは、三人の衛兵だった。
先頭に立つのは、二十代半ばほどの落ち着いた男だ。腰には二振りの剣を佩いている。その背後には、ショートヘアで気の強そうな少女と、今にも泣き出しそうなほど震えている黒髪の少年が控えていた。
「通してくれ! バルトさんが攫われたんだ。助けに行かなきゃならない!」
ショウが杖を突き出して叫ぶと、先頭の男——アルクは、その鋭い眼光でショウと『グラウンド・ウェッジ』をじっと見据えた。
「……その杖。君、ただの素人ではないな。私は衛兵第三部隊のアルク。我々も今、村の救出に向かえとの命を受けたところだ」
「アルクさん、いいじゃない! この人たち、強そうだよ。私、ミア! 行こうよ、退屈な待機なんてごめんだわ!」
快活な声を上げた少女が弓を肩に担ぎ直す。その隣で、少年のルークが「ぼくはルークです...待機の方がいいよ...」と震えながら剣の柄を握りしめていた。
「行こう。これ以上の混乱は、奴らの思うツボだ」
アルクのその言葉を合図に、ショウたちは暗雲漂う王都の外へと駆け出した。
その頃。
燃え盛る南の森を見下ろす丘の上で、黒いフードを深く被った男が一人、静かに手から闇の魔力を漏らしていた。その左手の甲には、不気味に輝く**「青いバラ」**の刻印。
「……衛兵どもは散ったか。ギルファーの口封じの間に、せいぜいゴブリン共に喰われるがいい」
火の手に包まれた村に到着した一行が目にしたのは、無残に荒らされた家々と、泣き叫ぶ村人たちの姿だった。
「……ひどい」
ルーナが絶句する。広場では十数匹のゴブリンが、逃げ遅れた村人をなぶり、家畜を惨殺していた。
「散開! 救助を優先しろ!」
アルクの号令とともに、戦闘が始まった。
まずはカイトが唸りを上げた。愛用の剣を独楽のように回転させ、村人に振り下ろされようとしていたゴブリンの棍棒ごと、その胴体を真っ二つに叩き斬る。
「こっちだ、化け物ども! 俺が相手をしてやる!」
その背後、屋根の上を飛ぶように移動するのはミアだ。彼女は走りながら次々と矢を番え、カイトの死角から飛びかかろうとする個体の目を、一針を通すような精度で射抜いていく。
「はい、次! そっちも終わり!」
お茶目な口調とは裏腹に、放たれる矢に一切の迷いはない。
一方、ルークは数匹のゴブリンに囲まれていた。
「ひ、ひいぃっ! 来ないで、来ないでください!」
泣きべそをかきながらデタラメに剣を振り回しているように見えるが、その足運びは驚くほど合理的だった。ゴブリンが突き出す錆びた剣を、紙一重の差で全て空振りさせ、パニックに陥った勢いのまま、最短距離で敵の急所を突き通していく。
ショウは『グラウンド・ウェッジ』を構え、魔力を練り上げた。
その瞬間、ショウの目が見開かれた。
(……っ、なんだ、この感覚…!)
今までなら、魔力を流す際に「抵抗」や「漏れ」を感じていた。しかし、今回は違う。ショウが練り上げた魔力を、まるで乾いた砂が水を吸うように、ロスなく完璧に導いてくれる。それどころか、杖そのものがショウの意志を増幅し、魔法の「形」を理想的な精度で整えていく。
「いけっ……! 『アクアランス』!!」
杖の先から放たれたのは、超高圧で圧縮された水の槍だった。
これまでの数倍の速度、そして鋭さ。槍は空気を切り裂く高音を立て、一直線にゴブリンの胸を貫通。勢いは全く衰えず、背後の厚い石壁までをも容易に穿った。
「すごい……なんて感触だ」
ショウは手元に残る心地よい魔力の余韻に、思わず呟いた。自分の魔力が一滴の無駄もなく「力」へと変わるこの感覚。この杖なら、もっと高度な魔法すら自在に操れる――そんな確信がショウの中に芽生えていた。
一通りの敵を掃討し、生存者に詰め寄る。
「バルトさんは!? どこへ連れて行かれた!」
「も、森の奥の洞窟だ……! まだ若い女たちや、バルトさんも、みんな引きずり込まれたんだ!」
一行はすぐさま森の深部へと向かった。
洞窟の入り口には野営地が組まれ、多くのゴブリンがたむろしている。奥からは、力なく引きずられていくバルトの背中が見えた。
「……隠密で片付けるぞ。ミア、頼む」
アルクの指示を受け、ミアが影に潜む。ヒュッ、ヒュッ、と乾いた音が響くたび、焚き火の周りにいた見張りが一人、また一人と物言わぬ骸へと変わる。全滅を確認し、一行は洞窟内へと突入した。
窟の中は、外の喧騒が嘘のような、ひんやりとした死の匂いが立ち込めていた。
「……っ!」
通路の脇に並ぶ檻を見て、ショウは言葉を失った。服を剥ぎ取られ、じっとりとした汗と涙にまみれて縛られた若い女性たち。拷問を受け、もはや声も出せない村人たち。
「ルーナさん、カイトさん、ミア! 捕虜をお願いします。一刻も早く外へ!」
アルクの指示応じ、三人が檻の破壊に取り掛かる。ショウはアルク、ルークと共に、最深部の広間へと躍り出た。
そこには、巨大な石斧を携えたゴブリン指揮官と、盾を備えた重装ゴブリンが待ち構えていた。中央には、拘束されたバルトが転がされている。
「バルトさん!!」
ショウが駆け寄ろうとした瞬間、指揮官が咆哮を上げ、石斧を振り下ろした。
「させるか!」
アルクが常用の一振りを抜き放ち、火花を散らしながら石斧を受け止めた。
「ルーク、左右だ!」
「は、はいっ! もう、やるしかないんだ!!」
ルークは半泣きになりながらも、重装ゴブリンの隙間を縫うように潜り込み、その喉元を鮮やかに切り裂いた。
「逃がさない……! 『アクアランス』!!」
ショウが放った水の槍が、指揮官の心臓を寸分狂わず撃ち抜いた。新しい杖のおかげで、狙いは吸い付くように正確だった。
緑色の血を吐きながら、指揮官は消えゆく意識の中でニタリと笑った。
「……ガハッ……喜べ……人間。……俺たちの仕事は、これで終わりだ……」
「仕事だと……?」
剣を鞘に収めようとしたアルクの動きが、ぴたりと止まった。彼は鋭い眼光で事切れた指揮官を見下ろし、それから村の方角、さらにその先にある王都の空へと視線を向けた。
アルクの眉間に深い皺が寄る。
「……おかしい。これだけの群れを率いておきながら、粘りがなさすぎる。まるで、我々をここに釘付けにすることだけが目的だったかのような……」
アルクは即座に振り返り、解放された捕虜たちを介抱している仲間たちへ声を張り上げた。
「カイトさん、ルーナさん! 全員連れてすぐに村へ戻りましょう!!」
「アルクさん……? どうしたんですか、そんなに急いで」
ルーナが驚いて問い返す。
「嫌な予感がする。王都が静かすぎるんだ。ゴブリン共の目的は村の襲撃そのものではなく、我々を王都から引き離すための『陽動』だった可能性がある。……王都の守りが薄くなっている隙に、奴らは何かを仕掛けているはずだ!」
アルクの冷徹な判断に、場に緊張が走った。
「ルーク、ぼうっとしないよ! 負傷者の肩を。村に戻り次第、後続の衛兵に引き継いで王都へ急行する!」
「は、はいっ! わかりました!」
ルークはアルクの気迫に押されるように、慌てて村人の救護に回った。
一行は満身創痍のバルトたちを連れて村へ帰還。そこでようやく到着した王都の衛兵数人に事後処理を丸投げすると、アルクを先頭に、弾かれたように王都へと馬を走らせた。




