17話 旅支度
夕暮れに染まる宿屋「サクラソウ」の扉を開けると、いつものように温かい夕食の香りがショウたちを迎え入れた。リビングにはカイトとセシリア、そして期待と不安の入り混じった表情のルーナが待っている。
ショウは椅子に深く腰掛け、城での出来事を簡潔に話し始めた。王との謁見、ギルファーとの戦いへの感謝、そして何より——。
「……王様は、気づいていたよ。あの場に、腕の立つ若い男と女がいたことを」
その言葉に、カイトとセシリアの視線が鋭くなる。だが、ショウはすぐに言葉を継いだ。
「でも、二人の名前は出さなかった。王様もそれ以上は追及しないでいてくれたよ」
カイトは不敵に口角を上げた。「……恩に着る、オーナー」
ショウは小さく頷きながらも、内心で思う。これほどの腕利きが、なぜこんな辺境の宿に身を寄せ、正体を隠しているのか。二人の背後にあるものは未だに深い霧の中だ。今度、それとなく探ってみるべきかもしれない。
「それで、王様からある提案をされたんだ。魔法都市エリシオンに住む『ノヴァ・クレア』という教授を訪ねろって。彼女の千里眼なら、レンとサクラの居場所がわかるかもしれない」
ショウはそこで言葉を切り、カウンター越しにこちらを見つめるルーナに視線を向けた。
「ルーナ。君も、一緒にエリシオンへ行かないか?」
「えっ……私も、ですか……?」
「ああ。試験はまだ先だけど、君が行きたがっていた大学がどんなところか、一度見ておくのもいいと思って。下見、っていうのかな」
ルーナの瞳が、一瞬にして期待に大きく揺れる。しかし、彼女はすぐに自分の手元を見つめ、困ったように眉を下げた。
「……すごく、嬉しいです。でも……私までいなくなったら、サクラソウの管理はどうなるんですか? お掃除も、お料理も……」
責任感の強い彼女に指摘され、ショウはハッと息を呑んだ。
(……やばい。そこまでは考えてなかった……!)
ショウの顔に隠しようのない焦りが浮かぶ。宿の主人がいなくなり、看板娘までいなくなれば、この宿屋は機能停止に陥ってしまう。
「それは、その……ええと……」
ショウが冷や汗を流しながら言い淀んでいると、それまで沈黙を守っていたセシリアが、静かに、だが確かな声で言った。
「心配いらないわ、ルーナちゃん。私たちもここに『居場所』をもらった身だもの。たまには恩返しをさせてちょうだい。」
「ああ..サクラソウのことは任せろ」
意外すぎる二人の申し出に、ルーナは驚きで目を丸くし、やがて顔を真っ赤にして何度も頷いた。
「……ありがとうございます。私、ショウさんと一緒に……エリシオンに行ってみたいです!」
窓の外には、夜の帳が降りようとしていた。数日後には届くであろう王家からの招待状、そして腕利きの護衛。
ようやく掴みかけた仲間への手がかりと、ルーナの夢を乗せた旅路が、今、静かに始まろうとしていた。
翌朝、雲一つない快晴の下、ショウはルーナと共に王都の活気あふれる市場へと繰り出した。
エリシオンへの旅立ちに備え、まず整えるべきは自らの武器だ。剣を手に取ることも考えたが、この世界に来てから幾度となく自分を救ったのは、指先から放たれる魔法だった。
「やっぱり、俺には杖が必要だと思うんだ。……ちゃんと制御しなきゃいけないしね」
ショウがそう言うと、隣を歩くルーナは「そうですね、ショウさんの魔法はとてもすごいですから」と、どこか誇らしげに頷いた。
二人が足を踏み入れたのは、大通りの隅にひっそりと店を構える、古びた杖の専門店だった。扉を開けると、乾燥した木と魔力の残り香が混ざり合った独特の匂いが鼻をくすぐる。
「……いらっしゃい」
奥から姿を現したのは、深い皺を刻んだ八十歳は超えているであろう店主だった。白髪の老人は、眼鏡の奥の鋭い眼光でショウの姿を捉えると、「ほー……」と短く、感心したような声を漏らした。
「杖を探しているんだ。俺に合うものを」
店主はショウの言葉に応じず、値踏みするようにじろじろとその体を見つめた。
「お主……なかなかの魔力を秘めておるな」
「えっ、そうなのか……?」
意外な言葉に、ショウは自分の両手を見つめた。自分では少し魔法を使うたびに魔力の消費を感じ、ひどい疲労感に襲われることが多かったからだ。てっきり、魔力の底が浅いのだと思い込んでいた。
店主は何も言わず、奥の棚からいくつかの杖を持ってきた。それらはどれも立派な装飾が施されていたが、ショウが手に取っても、しっくりくるものは一つとしてなかった。店主はふむ、と顎を撫でると、最後に一本の杖を慎重に抱えて持ってきた。
「これがお主に合うだろう。……『グラウンド・ウェッジ』だ」
その杖は、ショウの背丈ほどもある重厚な作りをしていた。材質は深い闇を溶かし込んだような濃褐色の古木。特筆すべきは、根元から先端にかけて、生き物のようにうねる木の蔓が、本体を力強く締め上げるように幾重にも巻き付いていることだった。
先端には、その蔓に守られるようにして、巨大な赤い魔法石が鎮座している。それは、まるで魔力の激動を抑え込もうとする『楔』のように見えた。
「この杖は、主人の魔力を整え、制御してくれる。……お主、自分でも気づいておらんじゃろうが、その魔力の量も質も、今はまだ未知数だ。放っておけば暴走しかねんそれを、こいつがサポートしてくれるはずだ」
ショウがその古木の木肌に触れると、驚くほど手に馴染んだ。体の中で荒れ狂っていた熱い奔流が、杖を通じることで一本の穏やかな川へと導かれるような、確かな手応えがあった。
「確かにこれは……俺の魔力を打ち留める楔だ。これにします」
ショウは迷いなく告げた。購入資金には、マウンテンベアーの素材を売った金や、ギルファーを討伐した際の報酬、そしてサクラソウの売上を充てた。決して安い買い物ではなかったが、掌から伝わる静かな脈動が、その価値を何よりも証明していた。
杖の専門店を後にしたショウとルーナは、その足で馴染みの古書店「窓辺の書架」を訪れた。
「こんにちは、オーウェンさん」
店の奥で書物を整理していたオーウェンが、ショウたちの来店に気づいて顔を上げる。
「やあ、ショウ殿。こんにちは。今日はまた、どんな本を探しに来たんだい?」
「ええ。魔法都市エリシオンについてと、魔法の歴史に関わる本があればと思って」
オーウェンは頷くと、梯子を登って高い棚から数冊の重厚な本を選び出した。
「エリシオン魔法大学の成り立ちや、古い魔導の系譜か……。なかなか興味深いところを攻めるね。君のような若い魔導士には良い刺激になるだろう」
ショウがそれを受け取り、会計を済ませようとした時だった。オーウェンがふと思い出したように、世間話の延長で声を落とした。
「……そういえばショウ殿。本を売るついでに一つ伝えておくが、最近はあまり不用意に街の外へは出ない方がいい。王都のすぐ近くで、ゴブリンの群れが頻繁に目撃されているんだ」
「ゴブリン、ですか?」
「ああ。それも数体なんて数じゃない。かなりの群れで動いていてね。噂では旅人を攫ったり、何かを企んでいるんじゃないかと囁かれているよ。衛兵たちも対応に追われて大変らしい。一応、頭の片隅にでも置いておくといい」
オーウェンの忠告を聞きながら、ショウはこれまでに聞いた話を思い返していた。
(そういえば……。俺が目覚めたばかりの頃、アリナを追って森で戦った時も、あいつらが集団でいるのは珍しいって聞いたな。そう言えば、城へ行った時も衛兵たちが何か噂をしていたような気がする……)
「ありがとうございます、オーウェンさん。気をつけておきます」
ショウは礼を言い、本を抱えて店を出た。
以前から断片的に耳にしていた情報が、少しずつ形を成してきているような感覚がある。とはいえ、今はまだ噂の域を出ない話だ。深追いするよりは、用心しておこうと考えるに留めた。
「……ショウさん、どうかしましたか?」
隣を歩くルーナが不思議そうに覗き込んでくる。
「いや、ちょっと気になる話を聞いたからさ。さあ、帰ろう。準備を終わらせなきゃ」
ショウは新しく手に入れた『グラウンド・ウェッジ』の重みを感じながら、夕暮れが近づく街並みを宿へと向かって歩き出した。
王都での買い出しを終えたショウとルーナが「サクラソウ」に戻ると、いつものように活気ある夕食の時間がやってきた。
ショウは手伝いの合間に、オーウェンから聞いたゴブリンの噂を切り出した。すると、給仕をしていたアリナが「あ、その話!」と身を乗り出してきた。
「ゴブリンの話でしょ? 冒険者ギルドでも最近その依頼ばっかりだよー。普段はそんなに群れないはずなのに、今はあちこちに塊がいるみたいで、みんな困ってるんだから」
最近アリナと共にギルドで活動しているカイトも、スープを口に運びながら頷いた。
「ああ。他の連中も口を揃えて言ってた。ただ暴れるだけじゃなく、執拗に人を攫おうとしたり、何かを運んでたりするってな。組織的に動いてるんじゃないかと、衛兵共も王都付近の巡回をいつもの倍以上に強めてるらしい」
「やっぱり、ただの噂じゃないんだな……」
夕食後の片付けを終え、風呂で一日の疲れを流したショウは、自分の部屋へと戻った。
窓の外からは夜の虫の音が聞こえてくる。ショウは机の上のランプを灯すと、今日オーウェンの店で買ったばかりの本——『エリシオン魔導史』をゆっくりと開いた。
使い込まれた紙の匂いと共に、未知の魔法都市の記録が目に飛び込んでくる。これから向かう場所には何があるのか、そして、ゴブリンたちの異変。
ページをめくる指に力を込めながら、ショウは静かに読み進め始めた。




