14話 サクラソウの夜は美しく、熱い
「マウンテングリズリーは俺とカイトさんで食い止める! アリナ、ルーナ、セシリアはホーンピッグを頼む!」
ショウの鋭い指示が飛ぶ。
「任せなさいって! 待てー、私のお肉ーー!」
アリナが剥き出しの剣を手に、逃げ惑うホーンピッグの群れを追いかけて泥を跳ね飛ばす。それに続くように、ルーナとセシリアも「はいっ!」「行きましょう!」と声を合わせ、軽やかに獲物を追撃していった。
残されたのは、圧倒的な質量で迫り来る巨獣と、それを見据える二人の男。
カイトは剣を構えたまま、隣のショウに鋭い視線を向けた。
「ショウ、一応言っておくが……ここは森だ。下手に威力を上げすぎて火災を起こせば、お肉どころか我々も灰になる。炎魔法は極力控えろ」
「わかってる! 威力を一点に絞るか、別の属性でいくよ」
ショウは掌をグリズリーへ向け、魔力の奔流を調整し始める。昨日のような広範囲の爆発ではなく、鋭く貫くような一撃をイメージする。
カイトが前衛として、岩のように動じない構えで踏み込んだ。
「よし……行くぞ!」
ショウが後方で魔力を練り上げる中、カイトの体が弾かれたように飛び出した。巨獣の振り下ろす丸太のような腕を紙一重でかわし、その懐へと潜り込んでいく。
「グォオオオォ!」
空気を引き裂くような咆哮とともに、マウンテングリズリーの巨大な爪が振り下ろされる。カイトは最小限の動きでその猛攻をかわし、爪が地面を抉る土煙の中でも冷静に声を飛ばした。
「ショウ! これは絶好の訓練だ。俺が敵の意識を引き付けている間に、実戦での魔力の感覚を掴め。標的の動き、周囲の地形、そして己の出力……すべてを同時に制御しろ!」
「カイトさん……ありがとうございます!」
ショウは深く息を吐き、掌に意識を集中させた。昨日のような暴走に近い爆発ではなく、必要な場所へ、必要なだけの力を届ける。カイトの助言を胸に、森を燃やす恐れのない魔法を選択する。
「威力と範囲を……一点に。……『ウォーターボール』!」
ショウの手から放たれた水の塊が、一直線にグリズリーの顔面を捉えた。バシャッ、と激しい音を立てて水球が弾ける。しかし、巨獣はわずかに首を振って飛沫を払っただけで、その突進を止めるには至らなかった。
「……ダメか。威力が弱すぎた……!」
ショウは歯噛みした。制御を意識しすぎるあまり、肝心の衝撃力が死んでしまったのだ。
一方で、グリズリーは自分に水を浴びせた「小癪な羽虫」を排除しようと、ターゲットをショウへと切り替えようとする。
「余所見をしている暇があるか!」
すかさずカイトが鋭い一閃をグリズリーの脚に叩き込み、再び自分へと注意を引き戻す。
「焦るなショウ! 魔力はただ練るだけではない。放つ瞬間の『指向性』を研ぎ澄ませろ!」
カイトの背中越しに、ショウは再び掌を構えた。次はただ当てるだけじゃない。あの硬い毛皮を貫き、動きを止める一撃を。
「もっと研ぎ澄ませ……。ただの水じゃない、鉄の塊を打ち出すように、硬く、鋭く……!」
ショウは奥歯を噛み締め、掌の上の魔力をさらに圧縮させた。昨日のギルファー戦で感じた、あの魂が削れるような極限の凝縮感。それを、今度は自分の意思で、爆発させずに「核」へと閉じ込める。
カイトが巨獣の突進を紙一重でかわし、懐を抜ける。その瞬間に生まれた、わずかな隙。
「今だ! ……行けッ!!」
ショウの咆哮とともに、青白く発光するほどの密度に達した『ウォーターボール』が放たれた。
それはもはや、ただの水球ではなかった。空気を切り裂く鋭い音を立て、高速で回転しながら飛来する、水の弾丸。
「ガッ……!?」
直撃した瞬間、マウンテングリズリーの巨大な体が、目に見えて「く」の字に折れ曲がった。凄まじい衝撃波が周囲の草木をなぎ倒し、三メートルを超える巨躯が、まるで紙屑のように後方へと弾け飛ぶ。
ドボォォォォーーンッ!!
背後の湖に、巨大な水柱が上がった。
水しぶきが雨のように降り注ぎ、波紋が激しく広がっていく。湖面に浮いてこないその圧倒的な衝撃の余韻に、ショウは肩で息をしながら、自分の右手を凝視した。
「……やったか?」
掌にはまだ、魔力を押し固めた時の熱い痺れが残っている。
カイトは剣を構えたまま湖面を凝視していたが、やがて静かに剣を引き、鞘に納めた。
「……見事だ、ショウ。今の凝縮、実戦で出せるとはな」
カイトの賞賛に、ショウはようやく強張っていた全身の力を抜いた。
湖面が大きく爆発した。
「グォオオオォオ!!」
仕留めたと思ったマウンテングリズリーが、凄まじい水飛沫を上げて飛び出してきたのだ。怒り狂った巨獣は、全身から滴る水を撒き散らしながら、ショウを目掛けて猛然と突っ込んでくる。
「っ、しまっ……!」
ショウが次の一手を放とうとしたその時、横から疾風のような影が奔った。
「甘いな」
カイトの声が響く。彼は抜き放った剣を鋭く一閃させた。無駄のない、あまりに速い抜刀。すれ違いざまに放たれた一撃は、グリズリーの分厚い皮層を正確に斬り裂き、命の灯火を断ち切った。
巨獣の巨躯が、ショウのすぐ手前で激しい土煙を上げて崩れ落ち、二度と動かなくなった。
「……助かった。けど、やっぱり俺はまだまだですね」
ショウは自分の手のひらを見つめ、苦笑した。あれだけの渾身の一撃を叩き込みながら、結局最後はカイトの剣に救われた。魔力の操作も、威力の見極めも、実戦の厳しさを痛感せずにはいられなかった。
「おーーーい! ショウー! カイトーー!」
遠くから、聞き慣れた賑やかな声が響いた。
森の奥からアリナが、大きなホーンピッグの脚を肩に担いで、満足げな笑みを浮かべて歩いてくる。その後ろには、同じく獲物を確保したセシリアとルーナの姿もあった。
「こっちもバッチリ片付いたわよ! 見てよこの丸々太った肉! 今夜はご馳走ね!」
「お二人とも、ご無事でしたか!?」
ルーナが駆け寄り、心配そうに二人の様子を確認する。ショウはカイトと顔を見合わせ、軽く肩をすくめて見せた。
「ああ、大丈夫だよ。こっちはカイトさんのおかげで、予定外の『大物』まで仕留めちまったけどな」
ショウが倒れたグリズリーを指差すと、女子三人は「うわっ、大きい……!」と目を丸くした。
「ま、何はともあれ目的の肉は手に入った。早く拠点に戻って、最高の祝い酒と肉を楽しもうぜ」
ショウの言葉に全員が笑顔で頷いた。
南の森を後にした一行は、拠点の宿屋で預けていた馬車と荷物を回収し、一路王都ルミナスへと引き返した。
サクラソウに帰り着いたのは、ちょうど十五時を回った頃。太陽が少しだけ西に傾き、柔らかなオレンジ色の光が下宿屋の白い壁を照らしている。
「よし、下準備を始めちゃおう!」
ショウの威勢のいい声に、ルーナも「はいっ!」と元気にエプロンを締め直した。
今日の主役は、もちろん自分たちで仕留めた新鮮なホーンピッグの肉だ。ショウは前世の知識も少し混ぜながら、肉の旨みを最大限に引き出すために香辛料を調合し、ルーナは手際よく付け合わせの野菜を刻んでいく。
その間、カイトとセシリアはアリナに急かされて、市場までお酒の買い出しに行かされていた。
日が落ち、窓の外が群青色に染まる頃。サクラソウの食堂には、香ばしく焼き上がった肉の香りと、賑やかな笑い声が満ち溢れていた。
「それじゃあ、カイト、セシリア! 改めてサクラソウへようこそ! かんぱーい!」
アリナの音頭で、エールを満たしたジョッキが勢いよくぶつかり合った。
「この肉、驚くほど柔らかいな。ショウ、貴殿の料理の腕は大したものだ」
カイトが珍しく目を細めて肉を頬張り、セシリアも「本当に……こんなに美味しいお肉、初めてかもしれません」と幸せそうに頬を緩めている。
「でしょ? 我らがオーナーの数少ない特技なんだから!」
アリナは既に顔を真っ赤にして、次から次へと酒を煽っている。
夜が更けるにつれ、宴はさらにヒートアップしていった。
酔っ払ったアリナがカイトに絡み、それをセシリアが困り顔で宥め、ショウとルーナはそれを見て笑い転げる。
昨日の死闘も、今日の狩りも、今は遠い出来事のようだった。
新しく増えた仲間たちの温もりと、美味しい食事。ショウは少し火照った顔で、賑やかな食卓を眺めながら、「これが自分の守りたい日常なんだな」と、心から実感していた。
宴もたけなわ、すっかり上機嫌で酔っ払ったアリナが、セシリアとルーナの肩を組んで立ち上がった。
「よし! 三人でパーッとお風呂に入りましょ! 女子会よ、女子会!」
えっ、あ、はい! 今すぐ準備します!」
ルーナが慌てて立ち上がると、ショウも「あ、俺が沸かしてくるよ!」と、酔い冷ましを兼ねて浴室へ急いだ。
魔石式の給湯器をフル稼働させ、ショウが急いで風呂を沸かし終えると、入れ替わりで女子三人が賑やかに脱衣所へ消えていった。
カイトと二人、食堂で飲み直し始めたショウの耳に、浴室の方から湯気に乗って筒抜けの声が聞こえてくる。
「うわぁ……セシリアちゃん、やっぱり凄い……。服の上からでも分かってたけど、実際に脱ぐと暴力的な大きさね……」
「や、やめてくださいアリナさん、そんなにジロジロ見られると恥ずかしいですっ」
「セシリア様、本当にお綺麗……。でもアリナさんこそ、無駄な脂肪が一切なくてモデルさんみたい。スタイル良すぎです!」
「あはは! ルーナこそ、まだ小柄だけど形がすっごく綺麗じゃない。将来が楽しみねぇ~」
キャッキャと響く黄色い声と、お湯が跳ねる音。
「……」
「……」
ショウとカイトは、浴室から漏れ聞こえてくる「女子たちの赤裸々な評価」を肴に、無言で酒を煽っていた。
普段は鉄の規律を絵に描いたようなカイトだったが、さすがに深酒が回っているのか、その頬は心なしか赤く染まっている。彼はゆっくりとジョッキを置くと、ショウの肩にどっしりと腕を回し、どこかトロンとした目つきでニヤリと笑った。
「……ショウ。貴殿は、実に、……実に最高の宿屋を経営しているな。俺は、ここに来て……本当によかったと思っているぞ」
「……カイトさん、キャラ崩壊してますよ。まあ、僕も……たまりませんね、これ」
ショウも熱くなった顔を隠さず、赤ワインをぐいっと飲み干した。
浴室からはさらに「ちょっと触らないでくださいよぉ!」「いいじゃない、減るもんじゃなし!」という刺激的な悲鳴と笑い声が追い打ちをかけてくる。
「若さとは……、そして美しさとは、まさに芸術だ。そうだろう、ショウ?」
「ええ、全人類に感謝したくなる光景(の声)ですよ……」
男二人は、もはや騎士の誇りも宿主の品位もどこかへ脱ぎ捨て、だらしなく目尻を下げて「至高のBGM」に聞き入っていた。
結局、女子三人が真っ赤な顔をして「ふぅ、いい湯だったー!」と戻ってくるまで、二人の男はデレデレとした締まりのない顔で酒を飲み続け、その夜のサクラソウは、これまでにないほど欲望に忠実で平和な熱気に包まれていた。
宴は最後まで賑やかに続き、やがて一人、また一人と心地よい疲れと酔いの中に沈んでいった。
一番酒に弱かったルーナが「もう限界ですぅ……」とフラフラ自室へ戻り、その後に続いたのはアリナだった。彼女は「暑い、脱ぐ!」と危ない手つきで服に手をかけ始めたため、ショウが慌ててそれを制止し、彼女をおんぶして部屋まで送り届けた。
カイトもまた、すっかり夢心地でとろんとしているセシリアを「失礼するぞ」と優しく抱きかかえ、それぞれの寝室へと戻っていった。
……夜中。
しんと静まり返ったサクラソウの廊下に、かすかな物音が響いた。
一階で片付けをしていたショウは、「誰か飲みすぎて具合でも悪くなったのかな」と心配になり、そっと二階へ足を運んだ。
廊下の突き当たり、カイトとセシリアの部屋の前まで来た時、ショウの耳に届いたのは苦しげな呻きではなく、予想もしなかった甘い響きだった。
「カイト……ダメ……あんっ……」
それは、普段のセシリアからは想像もつかない、とろけるような艶っぽい声。
「……まだまだ、これからだ。覚悟しろ」
続いて聞こえてきたのは、カイトの低く、それでいて情熱を孕んだ執拗な声だった。
「あぁーーんっ! カイト……っ」
ショウは廊下で石のように固まった。
昼間のあのストイックで堅物な騎士様はどこへ行ったのか。
「……カイトさん、酔うとめっちゃ変態になるタイプなのか。意外すぎるっていうか、ギャップが凄まじいな……」
ショウはゴクリと唾を飲み込んだ。
「……セシリアさんの喘ぎ声、エロすぎるだろ……」
頭にこびりついて離れないその声を振り払うように、ショウは爪先立ちで急いでその場を後にした。
「……部屋に戻ろ……。」
自分も自室へ駆け込み、布団を被って無理やり目を閉じたが、階上から微かに響く振動と残響が、ショウの眠りをしばらくの間妨げ続けた。




