12話 帰り道
アルト村の宿で目覚めた翌朝、ショウは窓から差し込む眩い朝日を細めた目で見つめた。
「……こんなに長居するつもりじゃなかったんだけどな」
ぽつりと漏らした独り言が、静かな部屋に溶けていく。
結局、あの二人はレンとサクラではなかった。期待が大きかった分、胸の奥に冷たい隙間風が吹き抜けるような虚脱感がある。
「どこにいるんだろう。王都に戻ったら、また一から情報を集め直すしかないか……」
昨夜、カイトやセシリアとも今後のことを話し合った。カイトの毒はセシリアの処置で峠を越えたものの、全快にはまだ程遠い。二人は当面の間、ショウたちの拠点である**『サクラソウ』**に身を寄せながら、これからの身の振り方を決めることになった。
(それにしても、ギルファーが最後に言い残した言葉……。あの『セシリア』という響き。それにカイトの技を見ての驚き。あの二人には、まだ僕の知らない謎が深く沈んでいる気がする)
思考の海に沈みかけていたショウの意識を、階下から響く快活な声が引き戻した。
「よう、兄ちゃん! 起きたか!」
一階へ降りると、昨日死線を共にした商人の一人が、荷馬車の前で豪快に笑っていた。
「あんたらも王都へ帰るんだろ? 俺たちも今度は王都へ商売しに行くんだ。馬車も五台あるし、それなりの人数だ。どうだい、一緒に来ないか!」
断る理由もなかった。こうして、王都までは商人たちの車列に同行することになった。護衛の衛兵や商人たちが揃う賑やかな旅路になりそうだ。
ショウはふと、気になっていた疑問を口にした。
「あの、ギルファーはどうなりましたか?」
「ああ、あの野郎なら安心しな。昨晩、一緒に戦った衛兵たちが奴をしっかり拘束して、そのままアルト村まで引きずっていったよ。 今朝早くには、さらに厳重な檻に入れられて、本部の待つ王都へ輸送されていったところだ。あんな大罪人、二度とシャバの空気は吸えねえだろうよ」
商人の言葉に、ショウはようやく肩の荷が下りるのを感じた。
出発の準備を進めていると、別の商人が感心したように、それでいてどこか畏怖の混じった眼差しで話しかけてくる。
「それにしても昨日はすごかったね、兄ちゃん。あの魔法の威力、ありゃ一体何なんだ? アルト村にいた魔法使い連中でさえ、山の方ですさまじい魔力の波動を感じたって騒いでたぞ」
ショウは曖昧に笑い、照れくささを誤魔化すように仲間たちが待つ馬車へと歩き出した。
「さあ……王都まで、また長い道のりになりそうだな」
馬車の車輪が、乾いた音を立てて再び回り始めた。
王都へと続く街道を、五台の馬車がゆったりと進んでいた。
アルト村を出て数時間、陽が天頂に差し掛かる頃。街道脇の大きな楡の木の木陰に、一人の男が腰を下ろしていた。
四十半ばといったところだろうか。男の頭には深いハット帽子が被られ、その顔の半分近くが影に覆われている。身につけているのは、まるで長いスーツのようにも見える黒いローブだった。使い込まれてはいるものの、仕立ての良さがうかがえる。黒い髪は毛先に緩やかなパーマがかかっており、その帽子からわずかに覗いていた。傍らには古びた薬箱のような鞄が置かれている。男は馬車の車列を見ると、ひらひらと気楽そうに手を振った。
「おーい、悪いが王都まで乗せていってくれないか? 足を痛めてしまってね」
商人が不審げに馬車を止めるが、男が懐から出した銀貨と、その人当たりの良い笑みに毒気を抜かれたのか、「相乗りならいいぞ」とショウたちの馬車を指差した。
男は「助かるよ」と軽やかな動作で乗り込んできた。足を痛めたという割には、その足取りには一切の揺らぎがない。
「やあ。賑やかな旅だね、お若いの」
男はショウの隣に腰を下ろすと、人懐っこい笑みを向けた。
「俺はゼルクス。しがない旅の医者さ。あんた、いい面構えをしてるな」
「あ、どうも……ショウです」
ショウが戸惑いながら名乗ると、ゼルクスと名乗った男は、わずかに目を細めた。
ハット帽の深い影に隠れたその瞳が、一瞬だけ、言葉では言い表せない**「奇妙な色」**に染まる。
それは、ショウの顔の造作を見ている視線ではなかった。まるで衣服を透かし、皮膚を透かし、そのさらに奥にある「命の輪郭」そのものを暴き立てるような、底冷えのする凝視。
ショウは心臓を直接掴まれたような、形容しがたい寒気に襲われた。
「……? あの、どうかしましたか」
ショウが思わず身を引くと、ゼルクスは「おっと」と短く声を漏らし、すぐにいつもの食えない笑みに戻った。
「いや、悪いね。職業病かな。あんた、あまりに危ういバランスで立っているように見えたもんでね。……まるで、サイズの合わない上着を無理やり着せられているような、そんな奇妙な感覚だよ」
ゼルクスは剥いたリンゴをナイフの先に刺し、ひょいと口に運ぶ。
「ま、気にしないでくれ。俺の目は時々、余計なものまで拾っちまうんだ」
彼はそう言って笑い飛ばしたが、その瞳の奥には、決して消えることのない昏い情熱の火が、小さく、しかし確実に灯っていた。
「……さて、王都まではまだ時間がある。退屈しのぎに、あんたの話をもっと聞かせてくれないか? ショウ君」
背もたれに深く体を預け、心地よさそうに揺られるゼルクス。その態度はどこまでも気さくで掴みどころがないが、彼が馬車に乗り込んで以来、車内の空気はどこか密度を変えたように重く沈んでいた。
馬車が街道を揺られ、王都へと近づいていく中、ショウはポツリポツリと自分の境遇を話し始めた。ある理由で大切な仲間と離れ離れになってしまったこと。彼らを探し出すために、王都で『サクラソウ』という下宿屋を営みながら、必死に情報を集めていること。
ゼルクスは剥き終えたリンゴの皮を窓の外へ放り投げると、相槌を打ちながらその話に耳を傾けていた。
「へえ、それは困ったねぇ……。仲間とはぐれるというのは、身を切られるような思いだろう。……おや、下宿屋をしているのかい。それはいい。俺も今回は王都に長く滞在するつもりでね。宿探しも面倒だし、あんたのところにお世話になろうかな」
「えっ、うちにですか?」
驚くショウに、ゼルクスはハットの縁を指で弾き、本気とも冗談ともつかない軽妙な調子で続けた。
「ああ、格安にしてくれるなら、だけどね。医者の不養生で、俺自身も少しばかり『安らぎ』が必要な身でさ」
そんなとりとめもない会話を続けているうちに、前方の視界が拓け、巨大な石造りの外壁が見えてきた。王都の正門だ。夕陽に照らされた門の重厚な佇まいが、旅の終わりを告げていた。
「おっと、ここらで俺は降りるよ。商人さんたち、ありがとよ! 助かった」
ゼルクスは馬車が完全に止まる前に、ひらりと軽やかな身のこなしで地面に降り立った。黒いスーツのようなローブの裾が、風にふわりと舞う。
「僕は少しばかり用事があるから、ここでお先に失礼させてもらうよ。……ああ、そうだ。ショウ君」
立ち去り際、ゼルクスは振り返り、帽子の影から覗く瞳でショウを見つめた。
「その用事が終わったら、例の『サクラソウ』に顔を出してもいいかな?」
「……ええ、構いませんよ。カイトやセシリアさんもいますし、歓迎します」
ショウが答えると、ゼルクスは「それは楽しみだ」と満足げに口角を上げた。
「じゃあ、また近いうちに」
人混みに紛れていく背中を見送りながら、ショウは不思議な感覚に包まれていた。恐ろしいほどの違和感を覚えたかと思えば、どこか懐かしいような気安さも感じる。
馬車は再びゆっくりと動き出し、正門の巨大な影へと吸い込まれていった。
王都の活気あふれる喧騒の中、ショウたちは世話になった商人たちに丁重に礼を告げ、馬車の車列と別れた。
「じゃあな、兄ちゃん! また何かあったら運んでやるよ!」
商人の威勢のいい声に見送られながら、ショウ、アリナ、そして怪我の癒えきらないカイトを支えるセシリアの四人は、住み慣れた下宿屋への道を歩き出した。
夕闇が迫る王都の路地を抜け、ようやく見えてきた『サクラソウ』の看板。その玄関先に、一人の少女が落ち着かない様子で立っているのが見えた。
「あ……! 帰り遅いですよぉーーー!!」
ショウたちの姿を見つけるなり、ルーナが駆け寄ってきた。その瞳には涙が溜まっており、今にも溢れ出しそうだ。予定を大幅に過ぎても戻らないショウたちを、彼女は片時も休まず心配していたのだろう。
「ごめん、ルーナ。ちょっといろいろあって……」
ショウが苦笑いしながら宥めると、ルーナは「本当に、本当に心配したんだから!」と何度も袖で目を拭った。
その夜、サクラソウの食堂には温かな灯がともり、ショウは今日までの経緯をルーナに詳しく話して聞かせた。
アルト村へ続く道での襲撃、ギルファーとの死闘、そしてカイトとセシリアとの出会い。
「……そんなことがあってね。だから、当分はこの二人はここに住むことになったんだ」
ショウの説明を、ルーナは驚きに目を丸くしながら聞いていたが、話し終えるとすぐに真剣な表情で頷いた。
「事情はわかりました。ショウ様が信じた方なら、私も歓迎します! お部屋、すぐに準備しますね!」
ルーナが頼もしく立ち上がると、隣で茶を飲んでいたアリナも楽しげに声を弾ませる。
「あはは、これでサクラソウも一気に賑やかになるね! ルーナ、私も手伝うよ」
新しく加わる二人の部屋は、何かと世話が焼きやすいようにと、ルーナの隣の空き部屋に決まった。カイトとセシリアは二人で一つの部屋を使い、当面はそこで傷を癒しながら今後のことを考えることになる。
「お騒がせして申し訳ない。……感謝する」
カイトが少し硬い表情で頭を下げると、セシリアも「ありがとうございます。素晴らしい場所ね」と、穏やかな微笑みを浮かべた。
賑やかな声が響く夜のサクラソウ。
新たな同居人を迎え、ショウの王都での生活は、思わぬ方向へと動き出そうとしていた。




