11話 青い炎
ギルファーが構える。
「ショウ、油断するな。一度戦ってわかったはずだ、こいつは今までの連中とは格が違う……!」
カイトが剣を構え直し、ショウの隣で低く鋭く呟く。洞窟で対峙した際のあの絶望的な速さと重さを思い出し、全身の神経を研ぎ澄ませた。
ショウはアリナの剣を強く握り直した。
「死ねぇッ!!」
ギルファーが地を蹴った。その姿が掻き消えたかと思うほどの速さで、血に染まった二振りの曲剣がショウたちへと迫る。
「させるか! 《ファイアーボール》!」
ショウは咄嗟に魔力を練り上げ、燃え盛る火球を放った。至近距離から放たれた熱波がギルファーを飲み込むかに見えた――。
だが、ギルファーは怯むどころか、冷笑さえ浮かべていた。
「ハッ! そんな鈍い火遊びが効くかよ!」
ギルファーは交差させた曲剣を無造作に振り抜いた。鋭い斬撃が空気を裂き、放たれた火球を真っ向から、文字通り**「両断」**してみせたのだ。二つに割れた火球は、虚しく背後の岩壁で弾け、火花となって霧散した。
「しょベー魔法だな。そんなもんで俺を止められると思ってんのかぁ!?」
魔法を切り裂いた勢いのまま、ギルファーの刃がショウの首筋を狙う。
「ショウ!」
横から飛び込んだのはカイトだった。
ガキィィィィィィィンッ!!
凄まじい火花が散り、鋼と鋼がぶつかり合う重い音が岩壁に反響する。カイトの渾身の一撃が、ギルファーの曲剣を力任せに受け止めた。
「くっ……なんて重さだ……!」
カイトは歯を食いしばり、剣を押し返す。ギルファーの顔が至近距離まで迫り、その血走った瞳がカイトを愉悦とともに見据えていた。
「いいぜ、小僧。まずはそのなまくらから叩き折ってやる
よ!」
ギルファーはカイトの剣を受け止めたまま、ニタリと下卑た笑みを浮かべた。
「片手が空いてるのを忘れたかぁ!」
もう一振りの曲剣が、カイトの脇腹を狙って閃電のごとく突き出される。だが、カイトは寸前で身体を捻り、紙一重のところで刃は頰をかすめた。
「《ウォーターランス》!」
そこへショウが追撃を放つが、ギルファーは軽い体捌きでひらりとそれをかわした。
ショウは即座に次の一手を打つ。
「火と水の魔法を……」
ショウが放った二つの魔法が爆発的な水蒸気が立ち込める。一瞬にして周囲は白い闇に包まれた。
「また目くらましかよ、無意味なことを!」
ギルファーは煙の向こうから飛び出してきたショウの影を逃さなかった。猛獣のような速さで、その影へと血塗られた曲剣を叩き込む。
ザシュッ!!
「死ねぇッ!」
確かな手応え。ギルファーの剣が、ショウの胴体を深く切り裂いた……はずだった。
「……あぁ?」
だが、斬った手応えが異様に軽い。切り裂かれ、煙の中に舞ったのはショウの本体ではなく、彼が羽織っていたローブだった。
「何っ!?」
ショウは《ウォーターボール》の衝撃で自分のローブを囮として弾き飛ばし、自らは低い姿勢でギルファーの死角へと潜り込んでいたのだ。
「ここだっ!」
虚を突かれたギルファーの懐へ、ショウが握るアリナの剣が、鋭く突き出される!
ショウの突き出した剣が、ギルファーの脇腹を鋭く捉えた。
「……ッ、残念。浅かったな、素人め!」
ギルファーは咄嗟に身をよじって致命傷を避けていた。刃は肉を裂いたものの、奴を止めるには至らない。ギルファーが血走った目でショウを睨みつけ、その喉元へ返しの刃を向けようとしたその時――。
「じゃ、これはどおだ?」
冷徹な声が背後から響く。ショウが作った一瞬の隙、その死角からカイトが音もなく跳躍していた。全魔力と闘志をその一振りに凝縮させ、上段から一気に振り下ろす。
「《神凪の太刀》!!」
その一撃は、ギルファーの背を真っ向から捉えた。
ドシュッ!!
「が……はっ……ああぁぁぁぁぁッ!!」
凄まじい衝撃と共に、ギルファーの背中から胸元にかけて深い斬撃が刻まれる。血塗られた曲剣が一本、彼の手から離れてカランと乾いた音を立て、岩肌に転がった。
ギルファーは大きく血を吐き出しながらも、不敵な笑みを浮かべて背後の馬車を――正確にはその中にいるセシリアを凝視した。
「……ククク。その技……。やはり、あのセシリアって奴は……」
「……? 何のことだ?」
ショウは眉をひそめた。なぜ今、彼女の名前が出るのか。だが、その疑問を追求する余裕はなかった。完璧な一撃を見舞ったはずのカイトが、突然その場に崩れ落ちたからだ。
「がっ……は……っ、身体が……動か、ねえ……」
カイトの顔色は瞬く間に土気色に変わり、剣を握る手が激しく震えている。
「カイト!?」
ショウが駆け寄ろうとしたその時、ギルファーの掠れた笑い声が岩壁に響いた。
「……ようやく、回ってきたみたいだな」
ギルファーは肩の傷から血を流しながら、残った一本の曲剣をゆっくりと掲げた。月光に照らされたその刃には、どす黒い粘液が塗りつけられている。
「俺の剣にはな……さっきお前らが俺たちに差し向けた、あのバジリスクの牙の毒を仕込ませてもらったのさ。あいつの死骸から剥ぎ取って、この刃に塗り込んでおいて正解だったぜ」
ギルファーは、カイトの頬に薄く刻まれた小さな切り傷を指差してせせら笑った。
「最初に剣を交わした時、お前の頬をかすめただろう? ほんのわずかな傷だが、あの化け物の毒だ。じわじわと身体を蝕み、やがて心臓を止める。……名のある技の使い手が、毒で無様にのたれ死ぬとは傑作だぜ!」
カイトは激しく咳き込み、ついに力尽きたようにその場に倒れ伏した。
「カイト! ……くそっ……!」
ギルファーは血を吐きながら、岩肌に転がっていたもう一本の曲剣を拾い上げた。
両手に血塗られた刃を戻した奴は、カイトに刻まれた深手で足を引き摺りながらも、一歩、また一歩とショウへ近寄ってくる。その瞳には、もはや金のためではない、純粋な殺戮の悦楽だけが宿っていた。
ショウは残されたすべての魔力を、右手に集中させた。
掌の上に小さな火種が生まれ、それがショウの怒りと呼応するように、ゴーッと音を立てて膨れ上がっていく。火球は瞬く間に巨大化し、周囲の岩壁を赤々と照らし出した。
「溜める隙を与えるかよぉッ!!」
ギルファーが叫び、弾かれたように走り出した。カイトに斬られた傷口から鮮血を撒き散らしながらも、奴は信じられない加速を見せる。火球が完成するまで、あと数秒……だが、ギルファーの刃が届く方が早い。
(間に合わない……!)
ショウが死を覚悟した、その時だった。
「いっけえぇぇぇぇーーーーッ!!!」
背後から、鼓膜を破らんばかりのアリナの叫び声が響いた。
見れば、アリナと商人が御者台に飛び乗り、残された馬車を猛然と暴走させていた。
「なっ……!?」
ギルファーが驚愕に目を見開く。馬車はそのままギルファーの脇腹に真っ向から激突し、その身体を力任せに跳ね飛ばした。
「ぐああぁぁぁッ!! ……あの、クソ女がぁぁ!!」
岩壁に叩きつけられたギルファーが悶絶する。そのわずかな隙に、ショウは身体中の魔力を火球に集中させた。火球は徐々に大きくなっていき、人を飲み込むほどの巨大な炎の塊となる。
(……もっと凝縮して、確実に当てるんだ!)
ショウが強く念じた途端、膨れ上がっていた巨大な火球はみるみるうちに小さく凝縮され、バスケットボールくらいの大きさになった。小さくなった分、その輝きは青白く、触れるものすべてを焼き尽くすほど濃密な熱量を放っている。
ショウは震える手でその光の球を掲げ、ふらつきながら立ち上がるギルファーを見据えた。
「これで仕留められなければ、終わりだな……」
火球はショウの手を離れ、一直線にギルファーへと突き進んだ。
ショウの手を離れた青い炎の塊は、空気を焼き切り、凄まじいスピードでギルファーへと迫る。
「こんな物……ッ!!」
ギルファーは絶叫し、血に染まった二振りの曲剣を胸の前で交差させた。全神経を集中させ、迫りくる青い火球を真っ向から受け止める構えだ。
「うぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーッ!!!」
ショウの魂を削るような咆哮と、ギルファーの意地がぶつかり合う。
だが、凝縮された魔力はギルファーの想像を遥かに超えていた。青い炎が触れた瞬間、あれほど鋭利だった曲剣の刃が、まるで飴細工のように赤く溶け、次の瞬間には内側からの圧力に耐えかねて粉々に砕け散った。
「が、はっ……あぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
ガードを失ったギルファーの胸元に、火球が直撃する。凄まじい衝撃波が巻き起こり、ギルファーの身体は弾丸のような勢いで後方へ。そのまま、自らが爆弾で道を塞いだあの巨大な岩の山へと叩きつけられた。
ズガァァァァァァァンッ!!!
轟音と共に岩の壁が内側から爆発するように崩落する。ギルファーの身体は岩を粉砕しながら突き抜け、皮肉にもその凄まじい破壊の跡には、力ずくでこじ開けられたアルト村への道が再び姿を現した。
「はぁ……っ、はぁ……っ、はぁ……」
もうもうと立ち込める砂塵と煙。それが夜風に流され、再び静寂が戻る。
拓かれた道の先、粉々になった無数の岩屑の中で、ギルファーがピクリとも動かずに倒れていた。その手には、もはや折れた剣の柄しか残っていない。
「道が……戻った」
ショウはその場に膝をつき、激しい脱力感に襲われた。
その時、静まり返った街道に馬車の扉が開く音が響き、セシリアとアリナ、そして商人たちが慌てて降りてきた。
「ショウ! 大丈夫!?」
駆け寄ろうとするアリナを制するように、ショウは荒い息を吐きながら、倒れ伏したカイトを指差した。
「僕はいい……セシリアさん、お願いだ。カイトに治癒魔法をかけてあげてくれ!」
セシリアは無言で頷くと、カイトのそばへ膝をついた。彼女がそっと手をかざすと、柔らかな光が溢れ出し、カイトの苦しげな表情を包み込んでいく。バジリスクの毒によるどす黒い変色が、その光に押し戻されるように少しずつ薄らいでいった。
「……よかった。ひとまずはこれで、峠は越えたはずよ」
セシリアの落ち着いた声に、ショウは心の底から安堵した。
その後、セシリアはショウと、傷ついた衛兵たちの元へも歩み寄った。彼女の清らかな魔力が注がれると、ショウの全身を支配していた重い疲労と痛みが、引き潮のように引いていく。
「……ありがとうございます、セシリアさん。……助かったよ」
ショウが立ち上がり、治癒を受けた衛兵たちと共に前を見据える。そこには、ギルファーを吹き飛ばして切り拓かれた、村へと続く道があった。




