3話 父の手紙
俺は呆然とした、それはただの生物の説明ではない。まるで神を語るような伝え方だった。
いや、きっと、正しく神なのだろう。
「そんな、龍に妹は…なんで」
「…理由はわからない、神話とはいつでも理不尽なものだ」
神なんて、どうすれば。
強く拳を握り込む、想像を上回る理不尽が俺の頭の中を真っ白に塗り替えていく。
…いや、神がなんだ、神話がどうした。
俺にとって大切なことは、妹の仇を討ち。弔うこと。
あの時確かに俺は奴に傷をつけた。血を流させた。
それはつまり、奴は神でもなんでもなく。殺すことの出来る生き物であると言うことの証明だ。
俺は、既に証明している。
「…俺には、それが神話だろうが、神だろうが関係ありません、ただ俺は仇を討ちたい」
「そして妹を弔いたい、それだけです」
いつの間にか震えは止まっていた。強い衝撃は、むしろ自分の意志を更に強くしたように思える。
「…それなら、聖王国に向かいなさい、幻龍教の大司祭は私の古い友人だ。きっと君の力になってくれるだろう」
「これを持っていくといい」
村長は懐から1枚の封筒を取り出し、俺の手に渡してくる。
茶色の便箋の中にはどうやら手紙か何かが入っているらしい。
「これは?」
「幻龍教の司祭なら、この封筒の印を見れば分かるはずだ、必ず君を大司祭の元へ連れて行ってくれるだろう」
村長は椅子に座り直して、そう教えてくれた。
村長の言う通り。封筒には鳥の片翼と一振の剣が組み合わさったようなエンブレムが、金色の縁どりで刻まれている。
…にしても、聖王国の国教である幻龍教の。
それも大司祭と知り合いだなんて…、いったい村長はどんな過去を歩んできたのだろう?
「…ふふ、私の昔が気になるかい?」
ハッとする、俺の視線や顔が分かりやすいだけなのか、それとも年の功なのか。俺の考えていることはまるで透けているようらしい。
「ふふ、また君が無事で帰ってこれたら、教えてあげよう」
微笑んでそう村長は言う。なんとも優しく、意地悪な笑顔だった。
「必ず、帰ってきますよ」
俺は村長の手を握り、そう約束した。
すると村長は口を開けて笑い、机の引き出しから一枚の地図を取り出す。
「これは山麓の町への地図だよ、あそこから聖王国に直通している馬車があったはずだ。」
「それに、これから黒龍を探すのなら仲間もいた方がいいね。あそこにはいろんな冒険者の集う酒場もあるから、丁度いいだろう」
「何から何まで…本当にありがとうございます」
深々と頭を下げた。ほとんど見ず知らずの俺を、ここまで親身になって話を聞いてくれる優しさが身に染みる。
特に、先程までやっかみに思われるようだったから、よけいにだ。
「いいんだよ、君の父には僕も世話になったからね。恩返しさ」
本当に…父の遺してくれたモノの大きさが外に出てから、少し分かるようになったような気がする。
いつも家を空けていて、たまに帰ってきたと思えば突拍子のない話と土産を持ってくる。そんな変な父親だと思っていたのに。
単純な物だけでなく、人の繋がりも遺してくれていた。
あの山の中の世界しか知らない俺が、外に出た時に助けになるように…。
「それと、これを」
村長が、もう一通の手紙を取り出して、俺に手渡してくる。
「君の父が残した、手紙だ」
その手紙を手に取り、俺は震える視界で。その手紙をじっと見つめた。
___________村長の家を出ると、また日が陰り始めているほどの頃合だった。
俺は父の手紙を眺めたまま、まだ開くことが出来ずにいた。
それは俺の中で僅かに生まれた父へと猜疑心がそうさせることだった。
まるで俺がこうなることを、初めから分かっていたように、色々な物が用意されている事に違和感を抱かないほど。俺は鈍くはない。
一体父は、なぜ手紙を村長に預けていたのか。
開けば分かるのだろうけど、知りたくない事を分かってしまいそうで恐ろしく思う。
父の笑顔の裏側になにかが潜んでいたのではないかと疑ってしまう。
まだ、どうなのか確かめる勇気は俺にはなかった。
手紙をバッグの底に、破れたり濡れたりしないようにしっかりとしまい込んだ。
今は深く考えてもしょうがない、1歩でも先に進まないといけない。
宿に戻ろう、そしてまた一夜を過ごして次の町へ急ごう。
何かしていないとおかしくなりそうだ。
「さぁ!今日はとびきりの牛肉が入ったよーっ」
変わらず活気のある酒場の中、元気の良い女給の声が本日のおすすめを教えてくれている。
俺は隅のテーブル席で、頭を抱えて俯くばかり。
思考が止められない、空白の頭の中では不安が過ぎるばかり。解決する方法はわかっていても、実行する勇気が湧いてこない。
深く、ため息をつく。
「…あんた、何か嫌なことがあったのかい?」
横から突然声をかけられる。顔を向けてみれば女給がこちらを覗き込んでいた。
何か言葉を返そうとしたが、何も適当な言葉が思いつかない。
「ま、そんな日もあるよ、どんだけ悩んだって明日は来るんだし、とりあえず腹ぐらいは満たしときな!」
……そう、だと思った。
「…じゃあ、牛串をもらえますか?」
ボソリと呟いた俺の言葉にも、女給は変わらない笑顔で
「あいよ!」
この一日で何かが変わってしまった訳じゃないってことが少し分かったような気がした。変わったのは俺の考え方だけだっていう事だ。
やってきた牛串は、なんだいつもよりしょっぱかった。
皿を返し、部屋に戻り、ベッドで眠ろう。
食堂に背を向けて、静かに歩き出す。
辺りの喧騒も、まるで風の音のように通り抜けていって、思考を遮ることもなかった。
ただ、信じたい自分と疑う自分が問答を続けるだけ。
自分の部屋に戻ると、真っ先に俺はベッドに身を投げた。柔らかとは言い難いが、優しくない訳ではない布団にぐしゃぐしゃとした感情を捨ててしまう。
包まると、布団は少し冷たさを持つが、しばらくすると暖かに包まれる。
何も考えず寝入ってしまいたいが、嫌に目は覚めていて。瞳を閉じるとその暗闇に恐怖さえ覚えた。
体がそわそわとして一向に落ち着かない。呼吸を整えようと深く息を吸っても、その呼気すら震えている。
やはり、読むべきなのか。
俺は耐えきれなくなってバッグに手を伸ばす。乱雑に詰められた荷物を掻き分けて、底にしまった手紙を引っ張り出した。
部屋を僅かに照らす蝋燭の光が、手紙を橙に透かしている。手紙の封は蝋でされている。
「…開けよう」
堪えられなかった、俺は衝動のままに手紙の封を切って中身を取り出した。
便箋を手に持って、唾を飲む。
白い便箋の中からは、少しくたびれた一枚の紙が入っている。紙には文が綴られている。
昔読んだ父の資料にあった文字だ、下手な共通語。
間違いなく父の手紙だ、呼吸を整えてから。
一言づつゆっくりと目で追う。
_________
アレンとアレナへ。この手紙をお前たちが読んでいると言うことは、俺は死んだか、もうお前たちの所へ帰れなくなっていることだろう。
お前たちを置いていくことを、本当に申し訳なく思う。俺は良い父親ではなかった。
本当にすまない。
今お前たちは途方に暮れている事だろう。でも今この手紙を読んでいるということは外に出て、世界を知りたいと思っているということだ。
昔から俺は、外の話ばかりをしていたから、ずっと気になっていたことだろう。
アレン、お前が俺の息子ならきっと、世界が気になるはずだ。
アレナ、お前が俺の娘ならきっとアレンを支えてくれるだろう。
これからは二人で、自由な世界を生きて欲しいと、父さんは思う。
きっとお前たちがこれから行く場所に、父さんは色んな残し物を置いてきた、それがお前たちの未来の導になれば嬉しく思う。
知りたい気持ちは、前を向く為の燃料だ、忘れるなよ。
父 アベルより
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「…父…さん。ごめん」
真っ先に浮かんだのは謝罪の言葉だった。胸の内で、色んな気持ちが渦を巻いている。
”俺は妹を守れなかった”
”俺は父を疑った”
”父の思いを裏切った”
普段はあまりこういうことは言わない父だった、いつもにこやかに笑う人だった。
そんな父が遺した手紙、どんな顔をして書いたものか。
また俺の中の、何かが割れていくような音が聞こえる。欠片は細かくなって、霧のように消えていく。
今、見てよかったのだろうか、もう少し後にしても…
後悔は意味を持たないのに、考えてしまう。過ぎるものは仕方がない。
今出来るのは、父の思いを受け止め。少しでも父の心残りがないように、今を生きることだけだ。
妹の分まで。
父の手紙のおかげで、そんな大切なことに気付かされた。きっと今読んだのは正解だった。
俺は、自分の命を粗末に考えてしまっていたような気がする、妹の弔いの為なら捨てても構わない命だと。
この手紙は、そんな考えを改めさせてくれたように思う。
改めて、父の大きさを知ったような気がした。
今日はもう寝よう、明日に備えないとならない。
俺の心のモヤが晴れたようで、そのままスっと眠りについた。
その日の夜は、悪夢も見ることもなかった。




