第9話 「双極性障害」
ふたりは、大衆的なおでん屋のカウンターで話をした。
「映画の話はないのかい?」
「今この国に、映画産業なんて存在しないの。あるのはメディアミックスとかいうロ
ーリスク・ローリターンの映画もどきだけよ」
「みんなレンタルDVDで観るからな。でも、きみの毒舌は相変わらずだな」
「アッコさんだから言うのよ」
「アキオだって」
冗談を言い合える関係だ。
もしかすると玲は、和田に父親の面影を観てるのかもしれない。
「そうだ、和田さん。うちの母にお見舞いのお花送ってくださって、ありがとうございました」
しおらしく頭を下げる玲を、和田が父親の目で見る。
(礼儀正しくてシャイ。どこがスキャンダル女優なんだ?)
この頃既に、深町玲はスキャンダル女優の烙印を押されていた。
「おかあさん、具合はどう?」
玲が沈み込む。
「もう、無理みたい」
そう言ってバッグから薬を取り出し、コップの水で口に流し込んだ。
和田は、袋に書かれた薬品名を盗み見る。
『ジプレキサ』
そう書かれていた。
「確かに芸能人の中には薬物に溺れる者もいる。だから心配になってね。薬の名前を知り合いの医者にぶつけたら、双極性障害の薬という答えだった」
「そうきょ…?」
「いわゆる、躁鬱病ってやつさ」
「躁鬱…まちこ、いや深町玲が?」
「彼女は強い精神安定剤を常習していたんだよ。病院に緊急搬送された日も、ジプレキサを誤って大量摂取したそうだ」
「…」
「病人が薬を飲むのは当たり前のことだ。それを薬物中毒と非難するのなら、『病人は薬を飲むな、死ね』ということなのかね?」
京人の名刺を見た時から、和田が言いたかったことだ。
根拠もなく「薬物中毒」という見出しを打って、まるで麻薬でもやっているかのような印象操作をしたこのディレクターに。
「…すみません」
自分はあの見出しに反対だった。
だが結局、反対し切れなかった。
同罪なのだ。
「この病は、ある意味俳優の職業病なんだ。近年では、凝り性で有名なメル・ギブソンとかキャサリン・ゼダ=ジョーンズとかがカミングアウトしている。演技に対してひたむきであればあるほどかかりやすい病、ということだろうね」
「…」
「きみも彼女の演技をよく見てごらん。きっとこう思うはずだ…なぜ、これほどの女優が脇役なんだ?ってね」
「…」
「ひたむきな者ほど、脇に追いやられる。それが、今の日本の芸能界なんだよ」
サブⅮの仕事はオンエアの指示だけではない。
番組中に流すVTRも制作する。
京人は懺悔でもするかのように、プレビュー室で深町玲のビデオを観まくった。
(やはり、俺は何も知らない。嫉妬に駆られて、知ろうとしなかった)
デビューから数年は主役を張っていたが、やがて敵役や脇役が増えてくる。
その時期は、彼女のスキャンダルと相関関係にあった。
例えば、この「信長の野望と絶望」という歴史ドラマ。
このドラマは去年深町玲が、初めての時代劇で織田信長の妻・濃姫を演じたときのものだ。
桶狭間の戦いの前夜、決心がつかない信長に詰め寄る濃姫。
信長の襟をつかみ、活を入れるという鬼気迫る演技。
ただ、セリフのある出演シーンはここだけだった。
(これだけ?…いや、しかし…すごい。ずっと、目の裏に残る演技だ)
京人はじっと考え込んだ。
ADがビデオテープを持ってきた。
このドラマを編集用にダビングしたものだ。
「ダビング上がりました。でも、使用許可の方は…」
「やっぱ、ダメか。他局だもんな。いいよ、そっちはなんとかするわ。お疲れ」
つづく




