親と子
私の父は王宮魔導士。それも大魔道長の地位を任じている。この国に住む人間で、父の名を知らぬ者など絶対に存在しないでしょう。だってお父様は、誰もが憧れる王国の英雄なのよ? 魔法学校で一位とか、優秀なエリート候補生とか、そんな次元の人じゃない。
ウィリアム・フィングルトン。……そうよ。父はこの国で、最も優秀な魔法使いなの。一番強いの。だから私も、一番強くないといけないの。
「あの、お父様?」
「何だキーラ。今は忙しいから、話なら後にしてくれ」
「あの、私……成績優秀者に選ばれましたの……」
携帯用の赤い魔鉱石で、誰かと通信を取っていた父は、私の言葉を聞くと驚いて、
「それは本当か!?」
父の顔は大きな喜びに満ちていた。初めて向けられた期待の眼差し。決して見せてくれることの無かった笑顔。私がずっと欲していたものが、そこにあった。わずか数十秒の間だったけれど、私はその時、本当に幸せを感じていたのだ。
「第六位です! その、一年生で上位十名に入れたのは、私だけみたいで……」
「六位?」
父の表情が険しくなる。幸せな時間は一瞬で過ぎ去った。ああ、いつもの父だ。次に彼はこう言うのだろう。「誰がその順位で満足しろと言ったか?」ってね……。
物覚えの悪い娘。凡人、馬鹿、不良品、無能、失敗作、出来損ない。生まなければ良かったと、母もそう口にしたことがある。でも多分それは一度だけ。父の叱責に耐え兼ねて、思わずヒステリックに口走ったその瞬間を、たまたま私が耳にした。それだけの話だ。きっと母は、父と違ってそれなりに、私のことを愛してくれていたんだと思う。
「次は一位を目指せ。間違っても今の順位は落とすなよ? 情けない限りだが、六位が今のお前の基準なのだからな」
私は必死に戦った。一年次の模擬演習も、進級試験も。そして二年生になってから、今度は死に物狂いで勉学にも勤しんだ。でも、順位は上がらなかった。第六位。その数字は呪いのように私を蝕んでいった。六位。六位。ここから下がることは許されない。せめて一でも、二でも。ほんの僅かでも上げることができれば、少しは楽になれるというのに……。
「今年の一年マジでやべえな。四位と十位。二人もランカー出てるんだぜ?」
「にしてもキーラの奴、伸び悩んでるよな。卒業生の抜けた穴をゲトるチャンスだったのに。アランだっけか? まさか一年坊に抜かされるとは」
「彼女さ、親が王宮魔道長なんだって。幼い頃から厳しい訓練を受けてたらしいぜ。でも――」
やめて……それ以上は聞きたくない……。
「結局、本物の天才には敵わねえのよ」
みんな好き勝手に噂する。私の苦労も知らないで。私がどれだけ努力してるのか、誰も分かってない。誰も理解してくれない。
誰にも……理解されなくていい……。
才能を持たぬ者が何かを成し遂げるためには、孤独と上手に付き合う必要がある。そう、孤独だ。簡単に成し遂げられる者には、まるで関係の無い話。でも私は天才じゃない。私は孤独に耐えなければならない。ひたすら努力し続けるんだ。あと一歩、二歩、三歩……。一体どこまで進めば、私は救われるのかしら……。
出る杭は潰してきた。脅威になりそうな後輩は取り込む。恭順しなければ、徹底的に潰す。アランの存在は想定外だったが、彼女の……リサ・オズボーンの台頭は見事に抑え込むことが出来た。どんな卑怯な手を使ってでも、私はこの地位を守らないといけないのよ。
「あなた、ずいぶんと飲み込みが早いのね。もう基礎魔法を習得してしまったの?」
「はい! 先生!」
彼女は屈託のない笑顔で、教室中の生徒たちから賞賛を受けながら、隣のお友達と嬉しそうにはしゃいでいた。私でも半年かかった基礎魔法の習得を、なんと彼女は半月で完了させてしまったのだ。
「お名前を聞いてもいいかな?」
教官がそう問いかけると、彼女はすぐに席から立ちあがった。そして明るく元気の良い、自信に満ち溢れた大きな声で、
「リサ・オズボーン! 一年生です!」
「結局、本物の天才には敵わない」
誰が発したかも分からぬその台詞が、ずっと頭から離れなかった。六位、六位、六位。ここが私の限界なのかしら。
リサ・オズボーン。彼女は決して目立つ生徒では無かった筈だ。もちろん基礎魔法の習得スピードは、その魔導士の資質を測るための、いくつかの基準の中の一つではあるだろう。しかし、もっと優秀な生徒はいくらでも存在する。彼女がランカー入り出来るほどの実力を、その手に有しているとは思えない。
でも私は、あの授業で、貴方の星のような輝きを目にした時から、何かが壊れてしまったのだ……。
「貴方には才能があります。ぜひとも、私の軍団にお入りなさい」
……どうして私を拒絶したの? なぜ、貴方は一人の道を選んだの?
「勧誘は嬉しいよ。でも、私は戦うために魔法を使わない。誰かを喜ばせるために、誰かを助けるために魔法を使うんだ!」
……本当にうるさい。誰かを喜ばせるためですって? 笑わせないで。
力を持つ者には役割がある。貴方は比類なき才能を秘めているのに、それを適切な場所で発揮せず、凡人に混ざって、心地良い現状に甘えているのよ。持てる者の責務を果たさずに、貴方はただ、才能を空費し続けているだけ。
私は才能が欲しかった。父のような偉大な魔導士になりたかった。私がリサのような才能を持って生まれていれば、きっと父は、たくさん私を褒めてくれただろうに……。
「終わったな。キーラは戦闘不能だ」
屋内闘技場の中央で、体をガタガタと震わせながらうずくまる、彼女の姿を見たひとりの観衆が、冷めた声色でそう吐き捨てる。
キーラとパトリックの決闘は一瞬で片が付いた。観衆の多くは驚いている。上位陣から転落したとはいえ、それでもキーラは元六位の実力者なのだ。シャーロットの強さが化け物じみていただけで、まだまだ彼女がランカーに返り咲く可能性は大いにある。聖魔法の使い手は珍しい存在だし、何よりキーラには戦術の心得があった。それがまさか第五位に、こうも一方的にいたぶられるとは……。
「もう駄目だろ、あいつ。明日の模擬演習も棄権するんじゃねえの?」
「俺は出て欲しいけどな。高飛車な女が泣き叫ぶところ、もっと見たいもん」
「うわ……趣味わる……ドン引きだわ……」
痛い……体中が痛い……。これが、暗黒魔法なの……。
神経に直接響くような激痛。まるで、終わりのない拷問を受けているみたいだ。精神が持たない。もう嫌だ。何もかも……。
「立てよキーラ。こっからが本番だぜ? 死んだ方がマシだって思わせてやる」
「許して下さい! もう無理です! お願いだから許してっ!」
終わった。本当に終わった。今まで築き上げてきたものが、全て崩れ去った。……もういいんだ。そもそも私には、ランカーの素質なんて、これっぽっちも無かったんだ。ずっと無理してた。どうせ私は無能だ。出来損ないだ。なのに下らないプライドを守るため、ひどい事ばっかりしてきたんだ。
死んだ方がいいよ、やっぱり。今殺してもらったほうがいい。許してくれなくていい。
「ははは……私、ここで死ぬんだ……」
するとパトリックは、見るも無残な彼女の姿を一瞥して、
「チッ、もう壊れちまったのかよ」
うずくまる彼女の体を踏みつけると、パトリックはそのまま闘技場を後にした。観客席からは疎らな拍手が起こるのみで、ほとんどの生徒は沈黙してる。その中には真理部部長、第一位のミカエル・デランジェールの姿もあった。
「なんだか僕と戦った時より、力が増しているように見えるけど。これも、暗黒魔法の作用かねえ?」
すると副部長のジョンが、
「可能性は高いでしょう。暗黒魔法は己の精神と引き換えに、通常では出し得ない強大な術を扱うことが出来ますから。パトリック・ターナー。彼は要注意です」
「他にも問題が山積みだってのにさ。……ま、最悪彼の処理は、シャーロット君に任せればいいか」
「シャーロット殿は今回、得意魔法を封じて戦うつもりの様ですが。如何されます?」
ミカエルは少し悩んだ後、開き直ったように笑顔を見せて、
「やっぱり真理の探究が最優先だ。湧きあがる好奇心を抑えることなんて、僕には出来ないよ」
「では、模擬演習は……」
「どうでもいいや! ここ魔法学校という貴重な歴史資料に比べれば、第一位の座も、部員の安全も、ぜーんぶ取るに足らない鼻くそみたいなもんだから!」
ああ、それでこそ我が部長。ジョンはミカエルの恍惚とした表情を見つめながら、愛する者の幸福をただ守りたいと願い、密かに忠誠心を固くするのであった。