ランカー落ち
十月に入り、少し空気が冷え始めた頃。リサはシャーロットを伴って廊下を歩いていた。次の授業は生物学。魔獣の生態や討伐方法に関する講義を聞くだけの内容だ。シャーロットはこの授業が、座学の中では一番好きらしい。いつも終わると教官を質問攻めにしているが、そんなに魔獣の生態が気になるのだろうか。
「楽しみだねえ! シドン先生、今日は何話してくれるかな?」
まあ、彼女もようやく学校に慣れてきたみたいで何よりだ。相変わらず勉強は駄目だけど、魔法の扱いは格段に良くなっている。どうやら一人であの古塔にも通っているようで、夜な夜なスフィンクスと何やら話し込んでいるみたいだけど、内容を聞くとほとんどが恋愛の話。あの魔獣、実は大して世界のことなんて知らないんじゃ……。
「アランがやられたって! 第四位のアランが!」
「パトリックに一撃でのされたらしい。こりゃ順位も入れ替えだな」
「でもあれだろ? 正式な決闘じゃないって聞いたけど? 何でもパトリックが不意打ちを仕掛けたとか……」
「不意打ちにも対応できなきゃダメだろ。まあ何にせよ、アランの箔は完全に剝がれたな。模擬演習でランク落ちするんじゃね?」
リサは少年たちの噂話を耳にして一気に青ざめると、そのまま医務室の方向に向かって駆け出した。シャーロットも慌てて後を追う。
「アラン!」
室内のベッドには、弱々しい笑みを見せる彼の姿があった。リサはほっと胸をなでおろした。
「……あの時とは逆だね。ケーキの差し入れは無いけどさ」
「もっとこう、心配の言葉とかねえのかよ」
力なく笑うアラン。するとシャーロットが、
「私は心配してますよ! リサも照れ屋さんなだけで、心配してると思います!」
余計なことを言うんじゃないと、リサは彼女を小突いて黙らせる。
「で、一体何があったの?」
「パトリックにやられた。学内五位のランカーだ」
「君が負けるなんて……信じられないよ……」
「っても四位と五位だぜ? そんなに実力差ねえだろ。……けどこれじゃあ、明日のイベントは無理かもな」
正直なところ、リサはそれでいいと考えていた。模擬演習はランカーの意地と誇り、そして己の命を賭けた殺し合いである。決闘と何ら変わらない。ただ規模が大きくなっただけ。もし教官が許してくれるなら、絶対に棄権した方がいい。
すると医務室の奥から、小柄な一人の少女が現れた。ボブカットの黒髪。くりっとした大きな目。小さな鼻。ずいぶんと幼い顔をした、小動物のような愛嬌のある女の子だ。恐らく医療コースの一年生だろうか。どこかで見た覚えのあるような気がするけれど……。
「いやー、棄権は無理だと思うけど? ボクだって参加させられるんだし」
この声、確かに聞いたことがある……。そうだ! この前の決闘でキーラを助けた時、瀕死の重傷を負った私を治療してくれた子じゃない!?
「あ、リサちゃん。久しぶり~」
「こ、この前はどうも……」
治療後、ベッドの上でひまを持て余している間、別の女の子から聞いたのだ。どんな怪我でも一瞬で治してしまうという、超優秀な医療コース専攻の女子生徒の話を。多分この子が、そうだ。
てかこの子、「ボクも参加させられる」とか言ってなかった? 私の聞き間違いかしら?
「エステル・スチュワート。こいつは学校始まって以来、医療系で初のランカー入りを果たした天才少女だぜ」
混乱するリサの為に、アランがその少女についての情報を教えてくれた。すると紹介に預かったエステルは、
「やだなーアラン君。褒めても何も出ないよ?」
何だか馴れ馴れしいな。仲良さげだし。彼も笑ってる。リサは少しむっとして、シャーロットの方に目を向けた。彼女は例の緊張した様子で、そのエステルという少女をじっと見つめている。
「だ、第六位のシャーロットです! もしかしたら戦うことになるかも知れないけど、その時は、よろしくお願いします!」
よく分からない挨拶をするシャーロット。エステルは慌てて手を振りながら、
「いや無理無理! ボク十位だから! 一番下だから!」
なんだ十位かと、リサは少し安心した。勿論ランカーの時点で、途轍もない天才であることに変わりは無いのだが……。
「そもそもボクは戦闘要員じゃないからね? ランカーにいること自体がおかしいんだよ。前回のランク決めは夏休み前。一学期の総合評価で順位が決まったでしょ?」
自分が戦うに値しない人間であることを、必死に訴えようとするエステル。
大丈夫だよ。今回シャーロットは無暗に戦おうとしないから。そう言ってあげたいところが、何だか慌てふためく彼女の姿がとても可愛くて、そのまま黙っていることにする。
「卒業生の穴埋めで、何故かボクが選ばれちゃったんだ。だから今回ボクは戦わない。目指してるのは医療魔導士だし……」
「じゃあ、私とお友達になって下さい! そしたら私も戦いません!」
するとエステルは怯えながら、
「なります。なります。今日からあなたとボクはお友達です……」
シャーロット。君、いつの間に脅迫なんて覚えたのさ……。
しかしこれは良い展開だ。アランとミカエルに加え、第十位のエステルが敵意の無いことを表明した。注意すべきは残りの六名。それとランカー落ちの数名か。特にアランを襲撃したという第五位。それに元六位のキーラは要注意である。特に彼女は今頃、シャーロットのことを心底憎んでいるだろうから。
城壁内の一角。かつて武器庫であった形跡が随所に見られる廃墟の中で、元六位のキーラ・フィングルトンは戦闘の準備を整えていた。
「キーラ様。後は我々がやっておきます。明日に備えて、今日はゆっくりお休み下さい」
「私に指図するなんて、随分と偉くなったものですわね。……さっさとアレを持ってきて」
「は、はい! 申し訳ございません!」
苛立つキーラに命じられ、数名の親衛隊が重たげな金属製の箱を慎重に持ってきた。蓋を開けると、あらかじめ作成しておいた、火炎魔法を凝縮した手投げ爆弾がぎっしりと詰まっている。その他にも魔剣や盾、そして注射器が数本と、彼女の目の前のテーブルには、自身の戦闘力を強化するためのアイテムが所狭しと並んでいたのである。
「我々は失った栄光を取り返す。明日だ。シャーロットに奪われたランカーの地位を、再び我が手中に収めて見せる……」
一糸乱れぬ立ち姿で敬礼する親衛隊の数は、しかし……全盛期とは比べ物にならないほど減少していた。その数僅か九人。かつては百名にも迫ろうとしていた軍団が、今やこの惨憺たる有様である。
「ランカー落ちが軍隊ごっこかよ。無様だな、キーラ」
倉庫に一人の男が現れる。パトリック・ターナー。ランクは第五位。暗黒魔法の使い手。性格は残虐そのもので、血の気の多い戦闘狂。昨夜、第四位のアランを沈めたとの噂も聞いている。キーラは内心恐怖を感じながらも、毅然とした態度で彼に対峙した。
「パトリック……何の用ですか……」
「おいおい! まだ親衛隊なんて存在してたのかよ!?」
パトリックは腹を抱えながら、彼女の前に立つ九名の親衛隊員を見回して、
「キーラお前、アレでもしゃぶって引き留めてんのか? ……あ、女もいるからそりゃねえか」
親衛隊員は拳を握りしめてパトリックの横暴を睨んでいる。しかし彼は、そんな隊員の怒りを更に煽るように、一人の女子隊員に近寄って、
「俺んとこ来いよ。雑魚女にケツ振ってもしょうがねえだろ? なあ?」
「ッ貴様あ!」
少女は遂に耐え切れず、杖を引き抜いてパトリックに突きつけた。だが次の瞬間、彼女は自身の右手が宙に舞い、ぼとりと地に落ちる様を目にすると、
「あ、ああ……ああああ……ッ!?」
「黙れようるせえな」
パトリックは足元に落ちた少女の右手を踏み潰すと、濁った眼をキーラに向けて、
「今から決闘だ。もちろん受けるよな? 元、第六位さんよお」