輝きの夜
「ようこそオカルト研究部へ。それにしても、女子の入部希望なんて珍しい」
部室の場所は城塞の最上階に位置していた。恐らく建国時代の特別な部屋であったろう形跡が、室内の至る所に見て取れる。緻密な装飾の施された調度品や、戦場の英雄を描いた荘厳な絵画の数々。そして部屋の中央に据えられたテーブルには、恐らくこの世界のどこかを描いているのだろう、見たことの無い程に大きな地図が、ガラス板の下に嵌め込まれていた。
「あなたもしかして……ミカエル……?」
リサは中央のテーブルに手をかける、如何にも神経質そうな顔立ちの、暗い目をしたインテリ風の少年にそう問いかけた。少年は口元に笑みを浮かべると、そのまま小さく頷いた。
ミカエル・デランジェール。学内でその名を知らぬ者は余程のもぐりか、常識知らずと言っても差し支えないだろう。彼はこの魔法学校で「第一位」の称号を有するトップランカーであった。学内最強の男。それがまさか、オカルト研究部の部長を務めているなんて……。
「僕も君のこと知ってるよ。リサ・オズボーン」
「えっ?」
「僕も異国人だからね、君と同じで。勝手に親近感を覚えていたんだ。しかも君は、東方世界の出身だろう?」
リサにはミカエルの言っている意味がまるで分からなかった。東方世界? ふとテーブルの地図に目を向ける。学校の授業でも、世界の地図を見る機会はたくさんあったけれど、一体この地図は何だ?
左端に小さく描かれた島は、今私たちが暮らしているドーランド王国に違いない。そして海を隔てた先の大陸には……王国と敵対関係にある様々な国や地域が記されているのだが……。
あまりにも大きすぎるのだ。私が知っている大陸の十倍、いや二十倍もの面積の陸地が、東に向かって大きく広がっている。東方世界とは、恐らくこの地図の右側のことを指すのだろう。現実世界では考えられないほど巨大な世界像に、リサは眩暈を覚えるような感覚に陥っていた。
「東方には特別な魔法があるんだろう? 確か「氣」とか「チャクラ」だっけ? そういえば、東の最果てには「陰陽道」なんて魔術も存在しているとか」
「いや、私の故郷には……」
魔法が存在しない。だって私は異世界転生者なんだから。なんて言ったところで、理解してもらえないことは目に見えている。……でもどうだろう。オカルト研究部の人間なら、この世界の常識を覆すような話でも、興味を持って聞いてくれるのでは無かろうか。
「ま、人は誰しも、知られたくない過去の一つぐらい持ってるよね。別に詮索はしないよ。ウチは来るもの拒まず、去るもの追わずだから。ねえみんな?」
するとミカエルの傍に立っていた部員たちが、
「そうですな……我々としては、数少ない女子部員の入部というだけで、歓迎すべき事案かと……」
「ええ……シャーロット殿のお友達なら、なおさら拒む必要もありませんし……」
肝心のシャーロットは、リサと同じ空間にいるのが気まずいのか、終始うつむき加減で黙り込んでいる。こうした神妙な空気感が更に緊張を煽っているようで、部員たちは彼女に気を遣いながら、しどろもどろに声を掛けようとするのであった。
「シャーロット殿。立ちっぱなしでは疲れるでしょう。ささ、こちらへ」
「リサ殿もどうぞ。お茶でも飲みますか? あ、上等なミルクもございますぞ」
ここでようやく状況を察したリサは、思わず一人で噴き出しそうになり、慌てて口を両手でふさぎ込んだ。「サークルの姫ってこういうことを言うのかしら」 リサは笑いをこらえながら、震える手で紅茶を注ごうとする、眼鏡を掛けた男子部員の顔を覗き込む。
「ありがとう。君の名前は?」
試しに一人の部員に声を掛けてみた。すると予想通り、その彼は挙動不審に目を泳がせながら、緊張で顔を赤くして、
「ジョン……です……」
そのままリサは、部長のミカエルを横目で見た。流石に彼は他の部員と異なるようだ。まあ当然か。第一位の超絶エリート様が、女子と会話しただけで頬を赤く染めるはずも無い。
当のミカエルは、リサと部員のやり取りには全く興味を示していない様子である。そして彼は一人、真剣なまなざしをテーブルの地図に向けながら、
「とにかく、君たち二人の入部は実に喜ばしいことだ。第六位のシャーロット君と、その友人のリサ君。二人の優秀な魔導士が、僕たちの探究する「世界の真理」を解き明かす鍵になるかもしれないからね」
「世界の真理?」
リサは困惑した様子でそう尋ねる。そもそもまず、私は入部するなんて一言も言っていない。
「僕たちの本当の組織名は「真理部」だ。オカルト研究部は誰かが言い始めた俗称に過ぎない。ま、割と気に入ってるから、別に訂正するつもりはないけどさ……」
ミカエルは続けて、
「真理部の最終目標は「輝きの夜」に関する謎を解明すること。それが世界の真理に繋がると、僕たちは信じて疑わない」
周囲の部員も静かに頷く。輝きの夜。ドーランド王国の民にとってその言葉はあまりにも重く、そして、公然と口にするのも憚られるほど恐ろしいものであることを、リサは十分に承知していた。
去年の夏。それは偶然にも、私が異世界転生を果たした時期とちょうど重なるのだが、あの日王国は今世紀最大の悲劇に見舞われたと、「輝きの夜」を語る人間はみな、口を揃えてそう語っていた。
太陽が沈む直前の、不気味なほど静かな薄明の中。王国の民は空に流れる一筋の光を見たと言う。それは流れ星とも異なる、ひどく大きな輝きであったらしい。人々はその光の、地面と水平に一直線に流れる様を、しばらくの間じっと見つめていた。そして……。
「直後に王国中の魔鉱石が暴発し始めた。巨大な魔力の暴走だ。特に王都中心街と、各地のエネルギー生成所の被害は甚大だったらしい。不幸中の幸いと言うべきか、国王一家は僻地の別荘で難を逃れていたけれど、王宮の高官や政治家連中には大きな被害が出てしまった……」
死者数およそ300万人。人口の約10%にあたる国民が命を落としたのである。輝きの夜。それはまさに悪夢の夜だった。国家の機能は一時的に停止を余儀なくされ、多くの国民が混乱と絶望に見舞われた。
「もちろん僕はその惨状を直接見ていない。魔鉱石の輝きを近くで見た者は、そのほとんどが死んじゃってるからね。原因を調査しようにも、あの時王国は崩壊寸前にまで追い込まれていた」
まず王国は徹底した情報統制を行った。一晩にして数百万人の国民が命を落とし、王宮や軍の高官まで軒並み死亡したという事実が知れ渡れば、敵対する国が黙っているはずも無いだろう。情報の流出を完全に防ぎ切ることは出来なかったものの、結果として王国は、わずか一ヵ月で国としての体裁を整えることに成功した。国王は大権を発動し、一時的に全ての権力を自らの下へ帰属させることで、この史上最大の難局を乗り切ったのである。
「ようやくここ最近になって、王宮調査部が主導する研究プロジェクトが進み始めたらしいけど。やはり原因は明らかになっていない。敵国の新兵器説や、打倒王政を目論む反乱勢力のクーデター説。強力な魔導士の引き起こした天変地異だと語る者もいれば、果ては「神の裁き」なんて説を口にするオカルト信奉者も少なくない」
「それ……ミカエルはどう考えてるの……?」
リサは思わず食い気味にそう尋ねた。輝きの夜。魔力の暴走をきっかけとする、国中を巻き込んだ大事件。世界の真理がそこに隠されているならば、一体どんな答えが導き出されるのだろうかと、不謹慎ではあるがワクワクが止まらない。こんな感覚は久しぶりだ。転生した最初の頃に感じた期待と高揚。そして少しの不安。
「一つ確実に言えることがある。輝きの夜は、決して神の裁きなんてものじゃない。実は僕、独自の調査でとある記録を見つけたんだ。そこには同様の現象が、今から約二千年前にも発生していたことを示唆する記述があってね……」
そう言ってミカエルは一冊の書籍をリサに開いて見せた。ドーランド神話集。建国以前より伝わる神話や伝承を体系的にまとめた、王国唯一の公式神話集である。
「これがその一節だ。今からおよそ二千年前の出来事であると推察できる」
ミカエルは該当箇所を読み上げた。彼の声は、震えていた……。
「魔力を手にした人間は瞬く間に繫栄し、また争いも激しさを増していった。やがて三度の大戦争を経た後、世界の『統治者』はこれをひどく憂い、二度と同じ惨劇が繰り返されないよう、戒めの光を全世界にもたらした。その光は統治者自身をも飲み込んで、世界の生きとし生けるものは例外なく消えて無くなった」
そして彼は本を閉じると、虚ろな眼をリサに向け、
「この神話によると、世界を飲み込む「光」を放ったのは、統治者と呼ばれるたった一人の人間だ」
「あの輝きの夜も、一人の人間の仕業だったと……?」
にわかには信じがたい話である。神話の一節と、去年の「輝きの夜」が同様の事象である根拠もない。少々こじつけが過ぎるような気もするが、ミカエルはこの自説を信じて疑わない様子である。
「実はね。この仮説を確たるものとする一つの根拠が、魔法学校のすぐそこに存在しているんだ」
「……学内に?」
「これは僕たち真理部しか知らない、絶対の秘密事項なんだけど。君は秘密を守ると約束してくれるかな?」
リサは横目でシャーロットを見た。彼女は相変わらず俯きながら、こちらを見ようともしない。
「その前に、私の質問に答えて。シャーロットを真理部に勧誘したのは君なの?」
「ああ、そうだよ」
「理由を教えてくれる?」
「それが難しいんだ。リサ君が秘密を守ると約束して、これから僕たちに着いて来てくれるなら、全部話せるんだけど……」
リサは少し悩んだ。しかしこの調子では、シャーロットが再び私に心を開いて、寮の部屋に戻って来てくれることは無いだろう。見たところ、この部室には生活環境の全てが整っている。
一から十位までのランカーはその特権として、校舎の中から好きな部屋を一つ、自らの所有物とすることができるのだ。ミカエルは最上階の特別室を指定して、己の研究を進めるための研究室兼、部員寮に改造したものと予想できる。
しかも部員は皆彼女に優しい。入学から僅か三日。私以外に友人のいなかったシャーロットにとって、きっとここ真理部は、もう一つの居場所になりつつあるのだろう。
別にそれでもいいじゃないか。彼女が幸せなら、それでも……。
「分かった。入部もするし、約束も守る。だから今すぐその場所に案内して」
私は身勝手な人間だ。彼女のためにとか、彼女の幸せを願っているとか、綺麗事ばかり言っておきながら、結局は自分のことしか考えていないのだ。まだ数日しか生活を共にしていないシャーロットに対して、私は少し行き過ぎた執着を寄せているのかもしれない。
彼女と一緒にいたい。どんな形であっても、一緒に居られればそれでいい。私に対して気まずい感情を向けて欲しくない。
誰からも嫌われたくない、なんて、今は思わない。でも彼女だけは、いつまでも私に笑顔を見せていてほしい。ただ、それだけなのだ……。
私は、悪い人間だ……。