決闘
決闘とは己の名誉、または愛する者の名誉を守るため、厳格なルールのもと行われる私闘のことである。現在王国はこれを固く禁じているが、誇り高き上流階級の貴族たちは歴史上、この英雄的な殺し合いを大いに好み、そして幾人もの命が失われてきたという。
魔法学校の生徒のほとんどは、決して裕福とは言えない農村出身の若者たちであった。彼らの多くは王都の貴族文化に憧れている。自身も貴族の一員である……かのように振舞おうとする者も少なくない。中には名誉や誇りといった甘美な誘惑に身を委ね、一時の激情によって己の命を投げ打ってしまう生徒の存在も、決して珍しくは無いのである。
「決闘だ! 編入生が決闘するってよ!」
「相手は誰だ?」
「第六位のキーラだよ。勝敗次第では、学内の勢力図が一変するぜ」
広大な草原の中に設けられた野外演習場の中心に、次から次へと野次馬たちが集結する。彼らはみな好奇の目をもって、これから始まろうとしている学園の一大イベントに心を躍らせていた。
「どうせキーラが勝つさ。編入生の魔法見ただろ? あんな魔力でまともに戦える筈がない」
「確かシャーロットだっけ? あの子めっちゃ可愛いよな。キーラの奴、頼むから手加減してくれよ」
演習場の中央には、これから決闘に挑まんとする二人の少女の姿がある。そんな二人の様子を見つめるリサの胸中は、計り知れない不安と絶望に覆われていた。
どうしてこんなことになったんだろう。私はただ、彼女に平穏な学園生活を送ってほしかっただけなのに……。
今からおよそ一時間前のこと。シャーロットは野外演習場の中央で、教官の指示通りに火炎魔法を披露してみせた。結果は及第点。魔法の杖すら見たことのなかった彼女だが、昼休みの猛特訓を経たことで、何とか魔法を形にすることが出来るようになっていたのである。
「やったよリサ!」
満面の笑みを湛えながら、全力で駆け寄る彼女の姿を見て、リサはほっと胸をなでおろした。まあ上出来だろう。習得難度の高い魔法ではないけれど、彼女はずぶの素人だ。形にできただけマシでしょと、飛びつくシャーロットを両腕で抱きしめる。
「凄いよ! ちゃんとできてたね!」
しかし、周囲の反応はリサと全く異なるものであった。
「あいつ、試験も受けずに入学してきたんだろ」
「勉強もできないし、魔力も並以下か。異例の編入生だってのにね。期待して損したわ」
「でも可愛いからいいだろ」
「男子は単純よね。あんな使えないの、ここにいたって意味ないじゃん」
心無い中傷の数々が聞こえて来る。リサはぐっと歯を食いしばり、募る怒りを何とか鎮めようと努力した。ここで声を上げちゃだめ。彼女の立場がますます悪くなってしまう。
すると待機する生徒の中から、ひときわ存在感を発する一人の女がこちらに歩み寄って来た。ぴんと背筋を伸ばした堂々たる風体で、両脇に逸れる群衆のあいだを颯爽と闊歩するその姿は、まるで高貴な血を引く貴族令嬢のようである。鮮やかな赤毛が風に揺れる。群衆は彼女の姿に釘付けとなっている。
「久方ぶりですわね。リサ・オズボーン」
「キーラ……」
キーラ・フィングルトン、二年生。成績は学内で第六位。誰もが認める優秀なエリート候補生だ。それに彼女はこの学校で、最も巨大な勢力を有する生徒の一人でもある。背後に連なる取り巻き連中は、その規律の高さから「親衛隊」と称され、多くの生徒たちから畏怖と尊敬のまなざしを向けられていた。
「あの編入生のお世話は、貴方が任されているのでしょう? ずいぶんとお粗末でしたこと」
「何の用?」
「シャーロット……でしたっけ? 私の下にいらっしゃれば、もっと優秀な魔導士に育てて差し上げますのに」
キーラは嘲るような目付きでシャーロットを一瞥すると、視線をリサに戻しながら、
「それとも、また退学させちゃおうかしら。貴方の元ルームメイトみたいに……」
リサは思わず杖を握りしめ、キーラの喉元に突き付けた。しかしキーラは笑っている。背後の親衛隊が飛び出しかけたが、彼女は制止するように右手を振って、
「おやめなさい。許可なき私闘は重罪よ。退学どころか、刑務所送りになってしまうわ」
それはリサにも向けた台詞であったが、彼女の怒りは収まらない。杖を下ろすことなく、リサは脅迫するように、
「それじゃ、決闘しようか」
「あらま。ずっと私から逃げ続けてきた臆病者が、どうした心境の変化でしょうね?」
「私が勝ったら、二度とシャーロットに近付かないで」
「ふうん。大変結構な提案ですけれど……」
キーラは底意地の悪い笑みを見せ、
「私はシャーロットとの決闘を望みますわ」
リサは慌ててシャーロットの方を見た。彼女はきっと、キーラの発言の意味を分かっていないだろう。「絶対に受けちゃ駄目! 殺されちゃう!」 しかしそう言いかけた瞬間に、
「分かりました! やります!」
彼女は事の重大性を認識しないまま、二つ返事でキーラの要求を受け入れてしまったのである。
「あの子が心配か?」
演習場の中央に立つ二人を、深刻な表情で睨みつけるリサの隣に、同級生のアランがやってくる。
「いざとなったら私が止める」
「やめとけよ。決闘は厳格な掟に守られてる。一度成立した約束は、勝敗が決するまで取り消せないぜ」
「何が掟よ……こんなのただの殺し合いじゃない……」
「ま、お前を止めることも出来やしないか。どうせ何言っても聞かねえしな」
そう言って、アランはあくびをしながら演習場の二人を見た。キーラとシャーロット。向かい合う両者の間には、戦闘魔法学の教官が立会人として佇んでいる。
「お前の言う通りだよ。教官が生徒の殺し合いに立ち会うってのも、おかしな話だよな……」
やがて立会人の合図と共に、決闘の火ぶたは切って落とされた。先手を打ったのはキーラである。流石は学内六位のランカーと言ったところか。強力な火炎魔法を連続で叩き込んだ後、大きく杖を振りかぶると、
「出たぞ! 女神様の聖魔法だ!」
「マジで殺す気だ! ハンパねえよ!」
観衆がざわめき立つ。キーラの杖先に巨大な光球が発生し、真っ白な光が周辺一帯を煌々と照らし出す。
「あいつ、初心者相手に本気出しやがって」
息を呑むアラン。リサは己の内に眠る魔力を呼び覚まし、いつでも彼女を助けられるよう準備を始めていた。大丈夫。私には、奥の手がある……。
しかし次の瞬間、リサは信じがたい光景をその目に焼き付けていた。連続で着弾した火炎魔法の煙に包まれながら、激しく咳き込むシャーロットの姿。彼女が無事であったことに観衆は皆おどろいたが、それよりリサの目を丸くさせたのは、
「無傷だ。あの編入生、無傷だぞ!」
「やべえな。こりゃどっちが勝つか分かんねえ」
見物席のボルテージは最高潮に達していた。得意の聖魔法を今にも発動せんとするキーラ。それに立ち向かうシャーロット。まただ。肝心なところで体が動かない。リサはただ呆然と立ち竦んだまま、戦いの結末を見守ることしか出来なかった。
「今度は私の番ですよ!」
溌溂としたシャーロットの声が響き渡る。ふと彼女の手元を見ると、そこには身長の倍ほどもある長槍が握られていた。あれは、魔法なの?
「えいやっ!」
可愛いらしい掛け声を上げながら、彼女はその槍をキーラに向かって投げつけた。全てが一瞬だった。槍の着地点から巨大な火柱が上がり、途轍もない衝撃波が周囲の観衆を吹き飛ばす。
生徒たちは皆、何が起こったのか理解できない様子だった。先程までキーラが立っていた演習場の真ん中には、まるで隕石が衝突したかのような巨大なクレーターが形成されている。そして事の顛末を理解した彼らは、真っ青な顔をして、声も出せずに口をパクパクとさせるのであった。
「おい……あれ見ろよ……」
クレーターの中心には、フラフラとよろめきながら、地面に向かって吐血するキーラの姿があった。その足元には砕けたシールドの残骸が散らばっている。寸前のところで防御魔法を発動したのか。しかし、学内六位の全力のシールドが、こうも無残に破られるとは……。
「うーん。ちゃんと当たってなかったかあ。それじゃ、もう一回!」
シャーロットは嬉々として腕を振り上げる。その手元には、またしてもあの悍ましい槍が握られていた。
「おいおい! もう一発出るのかよ!」
「みんな衝撃に備えろ! 防御魔法を使え! 今度はもっとデカいの来るぞ!」
眩い光に包まれた投槍は、確かに一度目とはまるで異なる、何か禍々しい瘴気のようなものを纏っていた。観衆が各々シールドを展開し始める中、キーラの親衛隊が彼女の下へと飛び出して行く。しかし間に合わない。槍の攻撃は一瞬。再び巨大な火柱が上がり、嘘みたいに強い衝撃波が観衆のシールドをも打ち砕いてゆく。
立会人の教官は、その凄惨な光景を、愕然とした表情で見つめていた。一撃目の時点で危険を察知し、決闘の中心からすぐさま離れることが出来たのは、長年の勘と染みついた危機回避能力のおかげであろうか。もしあのまま二人の近くに立っていたら、今ごろその身は灰燼となって消えていただろう。
しかしこの状況をどう説明しようか。第六位のキーラ・フィングルトンが死亡した。彼女の強みは戦闘能力だけでない。部下を率いる統率力とカリスマ性を兼ね備えた、王国軍の幹部すらも期待を寄せるエリート候補生であったのだ。
呆然と立ち尽くし、まだ状況を飲み込めていない教官の目に、更なる衝撃的な光景が飛び込んできた。立ち込める粉塵がようやく晴れてきたその時、その教官は、虫の息で横たわる二人の少女の姿を見たのである。
「医療班! 今すぐ二人に応急措置を!」
片方の少女はキーラであった。こんな奇跡があるものかと、教官は信じられない気持ちで彼女の呼吸を確かめる。キーラは生きていた。もう片方も無事の様だが、身に着けていた衣服は燃え尽きてしまったのだろうか。裸の状態で、彼女は仰向けになっていた。
「あ……ああ……」
二人の少女を瀕死の状態に追いやった張本人であるシャーロットが、声にならない声を発しながら、その片方の傍らに崩れ落ちる。
「リサ……なんで……」
リサは浅い呼吸を繰り返しながら、薄れゆく意識の中で、涙を流すシャーロットの顔を見つめていた。彼女の表情は絶望に覆われている。
「泣かないで」 そう言いたかった。でも声が出ない。君のそんな顔、見たくないのに。私は大丈夫だからって、今すぐ彼女を安心させてあげたいのに。ほら、アランも来てくれた。相変わらず何を考えてるのか分からないけど、心配してくれているみたいで嬉しいよ。でも大丈夫。二人とも、本当に大丈夫だから……。