20 青の姫君の昔語り
最終話になります。
「やめて!」
甲高く響く女性の声、その女性を支えているのは、美丈夫な男性。その女性の髪は青、男性は朱に染まっていた。その足下には、なにかがす巻きにされて放置してある。蠢いているところを見ると、なにやら生き物のようだ。
この人知ってる…先代の姫君の剣士の人。と言うことは、あの女性が…先代の姫神子?
ミヤが、結界の中から見たのは、髪を振り乱して叫ぶ先代の姫神子の姿と『たまご』が見せてくれた姫神子の剣士の姿、だった。
姫神子は叫ぶ。
「お母様ごめんなさい!私が全部悪かったの。あの時、振り払おうと思えば出来たと思うの。でも、ジタンが死んでしまったから…この人のいない世界を救ってもどうしようもない、自暴自棄になってたの。ごめんなさい、お母様…」
最後の方は、もう涙声だった。
訳が分からないのは残された三人。
分かったのは、取り敢えずこの女性が噂に名高い先代の姫神子だと言うことくらいだ。
すると、ミヤの身体が勝手に動き出す。
『少しだけ身体を貸して欲しい』
どこからともなく郁の頭の中に響いた。
ミヤの意識はハッキリしているが、身体が自由に動かせない。
ミヤは、本人の意思とは別に、取り敢えず結界を解き、握っていた朱紅の小刀を鞘にしまった。
神々しいまでの光が、ミヤから放たれる。
安否確認をしようと思ったラシードまで、近寄れずにいる程に。
意識があるのか無いのか、郁は目を閉じ、声と態度が変わる。
『わたしはこの地を司取る、おまえたちに言わせると女神と呼ばれる存在』
その神気にあてられ一番にひれ伏したのが、神官であるテス。その態度に連られて、他の面々も自分なりの最敬礼をしている。
『先代の姫神子…面倒だから娘と呼ぼう?あのときお前は死ぬことに逃げただろう。それは先程のお前の言葉の中にあった』
「はい、間違いありません。あたしには、ジタンがいない世界には興味がありませんでした」
姫神子が顔を上げて、真摯な表情で言った。
『では、ジタンはどうしたい。娘がいなくなっても、生きていく強さはあるか』
「いえ、私は弱い人間です。姫神子さまがいらっしゃらないこの世の中は、なんの未練もなにもありません」
『己の国を捨ててでも?』
「己の国よりも、姫神子さまのいない世界は、闇夜同然です」
そう言いきった男──ジタンも、また曲げようのない覚悟を決めた瞳で女神をみる。
続いてミヤは──女神はラシードたちの方を向いて。
『お前たちにも大切な人がいるのだな』
姫はテスの背後に隠れ、テスは庇うような立ち位置に。ラシードは心配そうに女神に憑かれたミヤ自身を見ている。
「分かっているのでしたら、早くミヤを返してください」
相手が女神と分かっていても、このままにして置くわけには行かない。
下手をしたら、このまま女神に郁を乗っ取られる可能性があるのだから。
『女神である我に対してその物言い。かなりこの娘を好いているとみた』
かなり失礼な態度をとった割には、女神は大らかな返答を返してきた。
ただ問題なのは…。
『ここに姫神子になれる人物が三人おる。今代の姫神子はもう使えんがな。
誰を憑坐にしたものか』
「私にやらせてください」
凛とした声で名乗り出たのは先代の姫神子だった。
「あたしが弱かったせいで、いろんな国、人に迷惑をかけました。やり直せるのならやり直させてください」
静かな水面に、水を一滴落としたかのような、そんな静けさが、小さなざわめきがこの場に響いた。
『だが、その場合丸くは収まるが、残った姫神子たちをどうしたものか…今の姫神子は血の汚れを受けて制御用の額の石が壊れてしまったし、この娘もまた、耳飾りが壊れてしまったからねぇ』
女神が真剣に悩んでいると、姫神子はちょっと小首を傾げて、
「これ、何かに使えませんか?」
そう言って差し出されたのは、簀巻きで身動き取れなくしたコタローだった。
「これがいれば、きっと結界も通れるだろうと思って捕まえてきました」
にっこり、笑う姫神子はどこか怖い目をしていた。簀巻きが外され、自由になったはずのコタローは、逃げ帰ればいいのにまだ居座っている。その様子は、女神を恐れているような…。
『でかした娘!小奴がおれば、万事解決する』
人の悪い笑顔の女神も、目が据わっている気がするのは気のせいか。
『逃げられると思うなよ、我が弟よ』
女神が指を鳴らすと、コタローの動きが止まった。
でも今、我が弟って…女神の弟と言うことは、つまり…。
みんなが息をのむ間に、姫はテスの陰に隠れ、姫神子は空いた寝台で横になっていた。
憑依してミヤと同化している女神が、紅の小刀を取り出して、
『かなりの量だからな、覚悟して受け止めよ、娘』
そう言って小刀をミヤの胸に突き立てる。
思わず止めに入ろうとしたラシードだが、テスに止められた。あれは身体を切るものではなく、閉じこめられた『澱』に反応し、それを外に放出される為の物だと。
その言葉通り、悶絶する表情から、徐々に安らいだ表情になってきている。
代わりに、姫神子は受け止める方なので、苦悶の表情に玉の汗だ。
ミヤの身体の中に小刀がすべて飲み込まれたとき、安心したのだろう、安らかな表情を浮かべていた。逆に姫神子は苦しみで顔が歪んで見える。
澱と同時に女神が郁を解放したのだろう、光の固まりのような物が、中空に浮かんでいた。
ミヤもはっきり意識を取り戻し、ラシードの元へと走った。抱きしめあい、お互いの無事を確かめあう。
ミヤが目を覚ましたので、今から儀式を執り行う事となった。
『滅多に見れるものではない。見ておけ』
姫神子に女神が宿る神技だそうだ。
ジタンは、鞘から刀を抜いて黙って姫神子を見つめる。
姫神子も、静かに頷いた。
目一杯振り上げられた剣が、姫神子の紅い石を突き刺す。
とたんに吹き出すのは、血ではなくドロドロとした瘴気。それを一カ所に集め、女神が溶かしていく。姫神子の身体に憑依したらしい女神は、その澱を慈しむようにゆっくりと時間をかけて溶かしていった。
そして、すべてを溶かしきったら、剣の刺さった紅い石が自然と剥がれ落ちた。
以上が神事らしい。
姫神子の中に入った女神は、もう一度指を鳴らす。そうすると、コタローの動きが戻る。
『コタロー、お前の仕事が出来たぞ』
「厄介事はごめんだからな」
ふてくされてその場に座り込むコタロー。
宥めるでもなく、淡々と女神は言った。
『いや、簡単なことだ。時を戻して欲しいだけだ。そうよの、娘達が蛮族に襲われる少し前くらいに』
時を司る神のお前なら出来るであろう。
え!?コタローが神族!?しかも時を司る!?
クエスチョンマークが一杯のミヤ達を指差して、コタローは喚いた。
「じゃあ、こいつ等はどうするんだよ。まだ産まれてもないじゃねーか」
『なに、人として生まれ変わらせる。
今度こそ正真正銘のヒトだ。
ただし、ペナルティーとして今世の記憶を持ったまま生まれ変わる』
「…大した手間ではないけどよ、なんかこいつ等だけ得してないか」
『そんなことはない。ここまで訪ねて来た、面白い物を見せてもらった鑑賞料だ』
面白いって、こっちは命がけだったのに。
でも、文句は言わない。またみんなに会えるのだから。迷惑料としていただいておきましょう。
「ちぇ、なんか腑に落ちないよなあ」
そう言いながら、なにやら手元で動かしている、と思ったら。
「あばよ!」
先に姫神子達を送り出すと、次はミヤ達の番だ。ミヤは、コタローと別れる前に聞いておきたいことがあった。
「コタロー、『たまご』は元気?」
「ああ、今はこのサイズだ」
と、どこにしまってあるのか、胸元からだして見せた。ダチョウの卵くらいはあるだろうか。『たまご』には時の神としての魔力を使う気がないらしい。
それが気がかりだった郁は、少しホッとした。
「じゃあな」
そう言うと、周りの景色が歪む。しっかり繋いだ篤との手も自分自身が今どこにいるのか分からないようになって、意識の混濁が起こり、そして──。
□■□
物心付いたときには、テス兄がいた。
お隣の家には、ラシードとヒメが、兄妹として生活していた。
少し育って、前世の記憶をみんなで照らし合わせてみたが、まちがいはない。みんなしっかり覚えていた。
テス兄とのやりとりも、ラシードへの告白、その答え、必死にがんばるヒメとか、女神に憑依されたことも…居なくなった長老女さまのことも。
ある朝、下腹の鈍痛と、ぬるりとした奇妙な感覚で目が覚めた。
飛び起きると、シーツが赤く染まっていた。下着も寝具同様厄介なことになっているだろう。
だが、ミヤには泣きたいほどうれしかった。さっさと着替えてヒメの元に向かいたい。洗濯よりも早く、この事を伝えたい。
急いで着替えて、扉を開けると、そこにはヒメが。
お互いビックリしたのは一瞬、言いたいことは伝わっていた。
そして、二人抱き合って泣いた。
子供の頃のように、声を上げて泣いた。
これでやっと普通の娘になれる。
愛する人の子供が産める。
そう思うと、嬉しくて嬉しくて、自然と涙が止まらなくなった。
それは、ミヤの前世から今世に掛けて、初めての嬉し泣きだった。
□■□
あれから二年ほど月日は流れ、今日はテスとヒメの結婚式だ。
「ヒメ、赤ちゃんが出来たんだって」
まったく兄さんったら。
あきれ気味に言う郁に、篤が言った。
「俺たちも作るか?」
「へ?」
「お前、その反応やめろよ。前世に誓った気持ち、今世もまだ変わらないし、一生変わらないって誓えるぞ」
どうだ?
真っ赤に染まった郁の顔をのぞき込むように、ラシードはその表情を楽しそうに笑う。
なんとなく悔しかった郁は、いきなりキスをして返事の代わりにした。
□■□
「コタローが時の神様とはね、さすがに思わなかったわ」
白い結界内の神殿で、ぼやくような声がする。
「まぁいいじゃないか、すべてが丸く収まったわけだから」
ジタンは楽しそうに笑った。
「でも、あなたが結界を抜けたら人間に戻ったってのは驚きよ」
ジタンは、姫神子が自害したときに、まだ意識があったのだ。が、再び目が覚めたら何故か犬になっていた。
そして、女神から、責任をとるように言われた。
女神は、その実体持たないから、姫神子の身体を借りることになる。
実体を待たないと、すべての魔道力がだせないのだ。
ジタンの死でくじけたのは麻子の責任だ。次の姫神子が現れるまで、それぞれの国を癒やし、生活の基盤を与えるのだ。
ジタンが犬になったのは、女神から、二人は不老不死になってしまった。今から先は、この出来事に片が付くまで犬として姫神子を護るがいい。そう言われていたので、犬の姿でボディガードを勤めていた分けだ。
住処を転々とし、正体がばれないように姫神子は老女に化けて、それぞれの土地を癒しながら生活していた。
ジタンは人型に戻りたい、姫神子を抱きしめたい、そう思ったことが何度あったことか。
落ち込む姫神子を何度慰めてやりたいと思ったことか。
「でも、ここで下界…って言うのか、それぞれの国を眺めているのも楽しいかもね」
「ああ」
「人はそれぞれ迷宮を抱えているのよ」
「迷宮?」
「そうよ、そもそも、あたしがその迷宮に迷い込んだのが原因な訳だから」
「男と女の迷宮、か」
しみじみとジタンが言った。
「俺が生まれてこなければ、あんなトラブルにはならなかったのかもな」
「その時はあたしも生まれてないわよ。あたしとあなたは繋がっているの。
ジタンがいない世界なんて、あたしはどうでもいいもの」
二人とも、この世に誕生したから今一緒に居られるんだから。
姫神子は、請われれば心の底で眠る母神である女神の憑坐となり、下界に奇跡を起こしたり、また天罰をあたえたりする。
これらは憑坐があっての物であり、そのため前の姫神子が疲れてくると、次の姫神子を生み出し、古き姫神子は転生への道をたどる。その時に愛する者がそばにいたら、一緒に転生させる。
大抵、剣士か魔道士のどちらかが残っている。
「たとえ転生したとしても、お前を見つけだして離さないからな」
「あら、それはこっちのセリフよ。次生も離してなんてあげないんだから」
そう言うと、姫神子はジタンにキスをした。
来世までの約束だ。
□■□
「…以上が昔々の物語です」
詩人は、その歌声と語りで、その場にいる人間を釘付けにした。
「ねぇ、かいは?姫神子たちが死ななかったら、かーみと出会えないの?」
舌っ足らずの女の子が詩人に聞く。それに対する詩人の答えは、
「カイはカーミに一目惚れされ、結界の中に入る前に連れ去られたようだよ」
その後、幸せに暮らしていたそうだ。
姫神子がちゃんとお役目を果たしたから、天寿を全うして、最後まで幸せに暮らしましたとさ。
冬の長い地方では、吟遊詩人のこう言った弾き語りが楽しみの一つだ。
その詩人は、白い肌に緑の髪が映える森の人の一人だ。
「これは本当にあった話なんだよ」
そう言って、詩人の歌は幕を閉じた──。
fin
以上、青の姫の章最終話です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました(^_^)ノ




