10 生と死の狭間で
褐色の肌と、オレンジの髪を持ったエルフは、縋るようにラシードの手を取って言った。
「おねがい、カイさまを殺して欲しい」
その真剣な表情に、一瞬飲まれそうになったラシードだが、気を取り直して、今度はまっすぐにエルフを見て言った。
「俺は確かに剣士だ。状況によっては人を殺めた事だってある。だが、殺人の依頼を受けることはしない。せっぱ詰まらない限り、人を殺めたくはない」
そう言われて、一瞬憤ったエルフは深い溜め息をつくと。
「そうだよね、一から話さないと殺人になっちゃうんだよね。わかった、説明不足でごめん」
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あたしの名前は『カーミ』。見ての通りのエルフさ。
エルフ族は長生きでね、今三百年…四百年?生きてる。
今から二百年以上昔、先代の姫神子ご一行がこの森のそばで野営をしてたところを何者かに襲われてね。
当時、姫神子の魔道士を勤めていたカイさまは、その時に大怪我を負ったんだ。姫神子一行がその時どうなったかはあたしには分からない。
ただ分かるのは、姫神子になにかがあって、ただの大きな森だったこの場所が穢れに包まれて今で言う『妖の森』になったことと、道ばたに倒れてたカイさまを拾ったことだけ。
ひどい怪我を負っていてね。幸いに命に別状はなくて、家に連れて帰って介抱していたわけ。
エルフだから人間よりは魔道力が強いんじゃないかって?あたしたちダークエルフは戦闘術には特化してるけど、治癒力はあまり強くないんだ。
おっと、話がズレた。そう、カイさまのこと。
カイさまは少しずつ話をしてくれて、元気になっても帰る場所がないから、ってあたしの元にいてくれた。
事態が変わってきたのは、五十年くらい経ったときだった。
人は歳を取り、やがて死んで行くものだってくらいは知っている。
でも、いくら歳を取ってもカイさまは死ななかった。
百年くらい歳を取っても、死ねないんだよ。
弱っていく一方で、カイさまは言ったんだ。
姫神子がまだ生きている、って。
姫神子のお付きになる者は、姫神子がその役割を終えたら普通の人に戻れる。姫神子と共に旅立つ者たちは、女神の加護を得て、多少のことでは死なない、死ねない。
カイさまは言ったんだ、あたしが助ける前に、姫神子にヒールを掛けてもらったと。その所為で姫神子の一部を受け取ってしまったんだ、カイさまは。
だから、死ねない。
それこそ首を落とされるか、心の臓をえぐり取られでもしないとね。
──姫神子が生きている限り、女神の加護は終わらないんだ。
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「唯一命を絶つ方法は、同じく女神の加護を受けた者の手に掛かること、つまり、剣士のあんたが殺してくれないと、カイさまは無駄に歳だけ重ねて苦しむだけなんだよ」
そう言って俯くエルフのカーミ。
ミヤも姫も、同じような表情でラシードを見ている。『たまご』は黙っている。大人の会話に入らないようにしているようだ。そしていつの間にかコタローは居なくなっていた。
おそらくミヤの魔道力では、同じ魔道士として跳ね返されるおそれがある。人は無意識のうちに、自分の命を護ろうとする。生活魔法はともかく、攻撃魔法は自信のないミヤにとって、魔道力による攻撃より、物理的な物の方が確実だろう。
「取り敢えず、会わせてくれ、その『カイさま』に」
それから決めさせてくれ。
ラシードは静かにそう言った。
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カーミの家は、妖の森に入ってしばらくしたところにあった。妖の森と言っても、別に人間を襲ったりする生き物はあまり住んでいない。奥地に入ればいるかも知れないが、端の辺りでは暗闇や瘴気を好むもの、また、カーミのように人あらざる物が住む場所となっている。
ごく普通の、人の家と変わらない造りは、カイが生活しやすいように自分で作ったのだという。それまでは大きな木の虚で適当に生活していたらしい。
扉を開けて、
「ただいま、カイさま、帰ったよ」
と家の中に声を掛けた。
ラシードたちにちょっと待つように声を掛けると、一つの部屋に入って、誰かと話をしていた。
それから、ラシードたちをその部屋に招いて。
『たまご』は部屋の外で待つことにした。子供には刺激が強すぎるだろう。
カイと呼ばれる人物は、最早骨と皮だけになっていると言っていいくらい、やせ細っていた。
死ぬに死ねず、辛うじて命をつなぎ止めているかのようだ。
カーミが、一人一人紹介していく。
ミヤを紹介したとき、カイはピクリと反応して。
「今代の姫さまですか?お可愛らしい」
と言いだしたので、ミヤは焦って
「あたしは魔道士のミヤです。姫神子はこちら」
と姫を前に出した。
カイは少し不思議そうな表情を見せて。
「同じような波動を感じます。でも、確かにこちらの方の方が強い力を感じますね。どこか先代の姫さまに似ておいでで」
柔らかく笑うその表情は、見る者の心を締め付けた。果実水しか受け付けなくなったその身体は、辛うじて、いや、無理矢理生かされている感が拭えないからだ。
姫と旅立つときに約束させられる。
どんな事があっても、姫神子が役目を終えるまでは共にあることを。
つまり、カイが生きているということは、繋がりのある先代の姫神子もどこかで生きているという証である。
では、どこでなにをしているのか?
それは分からない。
「そして、剣士のラシード」
「あなたが…。無理な、そして嫌なお願いをして申し訳ありません」
「いえ」
ラシードは言葉短く返事をすると、一礼をしてカイの側を離れる。
いつもの篤らしくない、とミヤは思った。
「とりあえず今日は遅いから、みんなに休んで貰うね。カイさまも準備があるだろうし」
そう言うと、カーミはみんなを外に出した。
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野営が続いていたこの旅に、寝具はないにしても屋根のあるところで寝ずの番をせずに休めることはありがたいことだ。
ふと、ミヤはラシードの姿がないことに気がつき、そっと窓の外を見た。
一人月明かりの中に佇むラシードの姿を見つけると、そっと扉から出て、ラシードの元へ近付く。
気配で郁だと分かったのだろう、振り返らずにぽつりと漏らした。
「姫神子の剣士になったのを、今日ほど悔やんだことはない」
「ラシード」
「好き好んで人を殺めたりしない。
守るために、守りたいものがあるから闘うんだ」
でも、俺はなにもしていないカイさんを殺さなければいけない。
ラシードの呟きに、ミヤは重くならない程度にさらりと言った。
「ちがうよ。カイさんの心と魂を救うためにやるんだよ」
カーミの家を訪ねる道すがら、郁は聞いていた。カイが何度となく自殺を図ったこと。が、その都度にゆっくりではあるが傷が癒え、なにもなかったようになることも。
首吊りもした。自分の剣を刺してもみた。
が、首吊りは少し苦しかったが、翌日には首の紐跡も消え、なにもなかったことになっているし、剣は自分の一部と化しているらしく、体に吸い込まれて終わり、傷一つ付いてなかった。
詰まるところ、カイが死ねないと言うことは、先代の姫はこの世界の何処かにいる、と言うことになる。
ミヤも経験あるが、出立の儀式の時、姫に触られたところから温かいものが流れ込んできたのは、その『こと』が終わるまで姫神子と生死をともにするという契約だったのだ。
今、どこでなにをしているのか。
母神さまのところにいるのか、それとも別のところにいるのか…。
「カーミは」
ミヤはおもむろに口を開いた。
「あたしたちに教えたかったのかも知れない。姫君の付き添いになると言うことはそう言うことだって」
ラシードの手を握ると、
「あたしたちはキチンとお役目を果たそう。そして、一緒に帰ってこよう」
あまりにも素直に笑うミヤが可愛くて、つい抱きしめたくなるラシード。
が、ふとカイの部屋に違和感を覚えた。
カイの部屋は、日当たりのいい外が見やすい──言い換えれば外からも見やすい場所にある。
そこに、薄明かりがともったのだ。
灯りの加減からして魔道力で作った灯りだと思う。
二人は顔を見合わせて頷くと、音を立てないようにカイの部屋の窓枠の下にたどり着く。そっと中を覗いた。
磨り硝子状の窓なので、はっきりとは見えないが、中には長い髪をさらりと流した小柄な影があり、カイの手を握って。
「こんな思いをさせてしまってごめんなさい。なんとお詫びしていいのか…」
そう言って、少しだけ魔道力を注ぐ。
あの影は、どう見ても…。
to be continued…